【法学】井田良ほか『法を学ぶ人のための文章作法』第2版 有斐閣 ~法学方法入門3部作③~

井田良ほか『法を学ぶ人のための文章作法』第2版 有斐閣 2019.12
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641126121

 法律学における「小論文の書き方」。主に、期末試験における論述問題に関する、解答の仕方についての手引き。同じシリーズの『リーガル・リサーチ&リポート』は、「資料を集めて、レポートを書く」ことについての手引き。短文指南と、長文指南との、好対照。

 司法書士実務においても、依頼者さんたちからのメールへ返信することや、法務局・裁判所へ送る照会票を起案することは、小論文を書くことに、よく似ています。ということは、司法書士は、ほぼ毎日、小論文を書いていることになります。ですので、司法書士実務においても、参考になりそうな一冊でした。

 内容としては、3章で構成。①法学における議論の仕方を、概観。②文章の一般的な書き方を、概観。③学生さんたちによる実際の回答を、添削。
 この記事では、①③をまとめて「1」として、②を「2」として、個人的な感想を書いてゆきます。

1 法学における議論の仕方

(1)多様性と正確性

 本来、言葉の意味は、多様なものである。多様であるからこそ、文学や哲学のような、多様なものの見方が成立する。
 しかし、法学においては、「多様性」よりも「正確性」が大事である。裁判においては、どのように言葉を用いて、どのように判断するかによって、その裁判の当事者の人生に、大きな影響が及ぶからである。そのような状況においては、言葉を正確に用いる必要がある。

〔中島コメント〕

 「法学においては、言葉を『用いる』ことについて、正確であるべき」。

 私は、個人的には、法学における思考についても、①まずは、自由に想像を膨らませて、②次に、議論の仕方に基づいて、採用が可能な考えを、絞り込んでゆく方が、よき結論に辿り着きやすいのでは、と思います。

 そもそも、法学において用いることになる「法律の条文」、その言葉は、抽象的です。抽象的である分、その意味には多様性があることになります。
 意味に多様性のある、条文の言葉を、正確に用いること。こうした手法に関しては、個人的に、神学との共通性を感じます。
 ※ なお、法学と神学との共通性については、『法解釈入門』〔補訂版〕への感想においても、個人的に指摘しました。
 まず、神学においては、イエス・キリストの自ら認めた文書が、残っていません。彼の使徒たちによる手紙・福音書だけが、残っています。信徒たちは、使徒たちによる手紙・福音書という、間接的な文書を頼りに、「イエスの示した規範とは、どのようなものだったのか」について、なるべく正確に解釈してゆこうとすることになります。
 一方、法学において、法学徒たちは、条文という抽象的な文書を頼りに、「あるべき規範とは、どのようなものか」について、なるべく正確に解釈してゆこうとすることになります。そもそも、条文は、「ひとびとが形成してきたルールを、一般化した上で、明文化したもの」です(山下純司ほか『法解釈入門』〔補訂版〕有斐閣)。ということは、本来のルールは、社会のなかに存在していて、条文は、本来のルールを、間接的に示す文書である、ということになります。
 このように考えてみると、神学における手紙・福音書と、法学における条文(または条文を整序した「法典」)とは、「本来のルールを間接的に示すもの」という意味で、共通性があることになります。そして、神学と法学とには、「本来のルールを間接的に示す文書から、なるべく正確な解釈を導き出そうとする」方法において、共通性があることになります。
 神学と、法学との、共通性。この共通性には、「神学から法学が派生してきた」等、歴史上の経緯が関係しているのでしょうか。個人的に、興味があります。

 なお、イエス・キリストと同様に、ソクラテスも、自ら認めた文書を、残しませんでした。この一致、偶然なのでしょうか、関係があるのでしょうか。このことについても、個人的に、興味があります。

 また、ひとびとが社会システムを形成するための道具である「法」が、その運用において、「多様性を排して、正確性つまり一様性を重んじる」傾向にあることは、現代日本社会で起こってきた、人間の生き方の一様化つまり標準化(正社員×専業主婦)や、「生物の多様性の減少」に、何らかの影響を及ぼしているのでしょうか。このことも、個人的に、気になります。

(2)法的論証

ア 形式的手順・実質的根拠

 法の適用は、形式的には、「事実認定」と、その「法的評価」により行う。まずは、こうした形式的な手順を、きちんと踏んでいることが、大事。それに加えて、実質的な根拠づけも、大事である。実質的な根拠づけとして、代表的なものは、「結論が妥当であること」。「結論が妥当であること」については、下記の3要素が、大事である。

(ア)その結論が当該領域の法規制の目的に適合的であること
(イ)法が類似の事例についてはそれと同趣旨の解決を示していること
(ウ)他の解釈をとると不当な結論が導かれること

イ 一般化可能性

 また、法の適用にあたっては、その解釈に一般化可能性がある必要がある。法の解釈について、一般化可能性があると、その解釈が、法の適用における、統一性と安定性を、もたらす。そして、法における、個人の取り扱いに関する、平等性をも、もたらす。
 この統一性・安定性・平等性のために、判例には拘束力があることになっている。

ウ 応用・発展

 「事実認定」と「法的評価」。
 この手順は、より詳しく分解すると、次のようになる。
  事案分析 → 規範発見 → 事実抽出 → 解決提示
 これらの手順のうち、「規範を発見すること」は、その事案において解釈の対象となる条文に関して、その言葉が含む概念について、その概念を構成する要素を、分解することでもある。そして、その要素には、2種類がある。
①「Aという事実があったらBとなる」というように、その事案への当てはめについて、直ちに検討の対象とできる要素。
②「Cという事実があったと『評価』できたらDとなる」というように、「評価」してはじめて、その事案への適用の可否が決まってくる要素。
 ※ 中島註 ②でいう事実の「評価」は、その事案についての法解釈における一環としての「小」評価です。一方、本節冒頭の「事実認定」と「法的評価」にいう「法的評価」は、その事案についての法解釈における総合としての「大」評価です。両者は区別して考える必要があります。

〔中島コメント〕

 「事実認定」と「法的評価」。事実を正確に認識すること。その事実について、適切に評価すること。このように、「事実」と「評価」とを区別することは、法学に限らず、学問の方法、その一般論においても、基本となっています。たとえば、立花隆『知のソフトウェア』講談社現代新書、木下是雄『レポートの組み立て方』ちくま学芸文庫。

 「実質的妥当性」と「一般化可能性」。実務においても、依頼者さんたちに回答するとき、裁判所・法務局へ照会票を送るとき、その議論の仕方として、参考になりそうです。
 なお、一般化可能性が重要である、その根拠のひとつが「法の下の平等」であることについては、中山竜一さんの『法学』岩波書店においても、道垣内弘人さんの『プレップ法学を学ぶ前に』〔第2版〕弘文堂においても、同様の指摘がありました。「法の下の平等」は、やはり、法学において、重要な基礎概念のひとつであるようです。また、「法の下の平等」は、中山竜一さんによると、アリストテレスが最初に提唱した概念であるとのことです。アリストテレス哲学についても、このところ、個人的に、興味が湧いてきています。

(3)アタマの使い方

ア 基本的な考え方+数種類の解決法

 人間の頭の容量には、限界がある。限りある自分の知識で、様々な問題に対応してゆくためには、教科書に書いてあることをしっかり読んで、基本的な考え方を理解した上で、数種類の基本的な事例の解決方法を学び、その中で論証パターンを身に付けることが必要である。

イ 論点の抽出

 論点の抽出は、法律家にとり、最も重要な基礎能力のひとつ。
 法律の条文や法律の理論は、すべて、何らかの問題(論点)に対する解決を示したものであるから、問題を見抜くところから、すべてが始まる。

ウ 自分の意見を示す 根拠を示す

 法学での文章においては、自分の意見を示すだけでは足りず、その根拠も示す必要がある。根拠として、代表的なものは、条文である。
 法の適用において、法を適用する人間の判断が、恣意的なものであってはならない。その判断が、恣意的なものとなることを避けるために、条文などの根拠を示すことが、必要となる。

エ 検討の順序

 思いつくままに書き出すと、あとで文章が行き詰まることが、ままある。
 本格的に書き始める前に、まずは、思いつく論点を書き出して、小分けして、まとめあげた上で、書き出すべきである。

〔中島コメント〕

 基本的な考え方+数種類の解決法。
 登記法について、学習するときにも、参考になりそうです。現時点で、登記法について、個人的に思い浮かぶ「基本的な考え方」を、ここに書き留めておきます。
・ 登記申請書には、ほぼ全ての類型の申請において、共通して記載することになる項目がある。
・ その登記申請によって不利益を被る当事者(登記義務者)について、その申請意思の真正を担保するために、登記識別情報を(対象となる権利が所有権の場合には印鑑証明書をも)添付する。

 論点の抽出。
 「論点を抽出する能力」は、「意味を見い出す能力」でもあるでしょう。この能力の重要さについては、田髙寛貴ほか『リーガル・リサーチ&リポート』第2版においても、同様の指摘がありました。

 自分の意見を示す。根拠を示す。
 このことについて、一点、個人的な考えを、書き留めておきます。自分のアタマで考えることと、他人の考えを参照して、自分の考えの根拠とすることとは、矛盾しません。
 小川洋子ほか『言葉の誕生を科学する』にも出てきましたように、「他人の考えがあって、はじめて、自分の考えが生まれてくる」。他人の意見を参照して、自分の意見を形成することは、物事の考え方として、適切な方法なのでしょう。

 検討の順序。
 私も、メールを送ったり、照会票を起案したり、記事を書いたりするときには、まず、書くべきことを落書き帳に書き出して、整序してから、本格的に書き出しています。
 学生時代、期末試験においても、同様でした。問題用紙の裏に、論点を書き出して、整序していた記憶があります。
 また、司法書士試験においても、同様でした。記述式の問題について、まず、申請するべき登記の順序、それぞれの登記事項を、ざっと書き出して、整序してから、回答用紙へ、一気に記入していました。
 いったん、考えを書き出して、整序して、本格的に書き始める。この方法は、立花隆『知のソフトウェア』ほか、様々な文献が推奨しています。

(4)到達するべきレベル

 上記(2)及び(3)において述べた「法的論証」「アタマの使い方」について、大学、法科大学院において、到達するべきレベルの目安は、下記の通りである。

[学部レベル/法科大学院・未修者レベル]読解力
 民法学や刑法学といった法律学の教科書・体系書に書かれていることを読んで理解できる読解力を身に付けると同時に、その内容を正確に理解し、しかる後に頭に定着させる(そこには、基本的事項の「記憶」も含まれる)。

[法科大学院/既修者レベル]使える力
 教科書・体系書に書かれていることを事例(ケース)にあてはめる力(使える力)を身に付ける。

[司法研修所]事実の証明と認定の方法と能力
 民法や刑法といった法律を現実の事件に適用するために必要となる事実の証明と認定の方法と能力を身に付ける。

〔中島コメント〕

 「到達するべきレベル」。参考になります。
 個人的に、法学部で学生時代を過ごし、その記憶から、気になること。いま、大学における法学部での講義は、「頭に定着させる」ことを促す内容に、なっているのでしょうか。大教室にて、教授が学生たちへ、一方的に授業。そして、記憶の定着については、期末試験という、一時の暗記を促すイベントが、主な機会。こうしたインプット状況にある、いまの大学一般について、法学部において、卒業生たちの記憶には、たとえば、1年次に習う民法の総則の内容、その「基本的な考え方+数種類の解決法」が、どの程度、残っているのでしょう。

 事実の証明と認定の方法と能力。
 私も、司法書士としての特別研修(簡裁訴訟代理等能力認定考査の受験資格を得るための短期集中研修)において、要件事実論と事実認定論を学びました。それらの理論が、実務において、大変参考になりました。具体的には、「どのような事実があったら、どのような法律効果が発生したと言えるようになるのか」そして「そうした事実を認定するためには、どのような方法があるのか」が分かりました。そして、その知見を、個別事案の聴き取りや、そのなかで申請するべき登記の判断、作成するべき書類の判断にあたって、応用できるようになりました。まだまだ、学習の余地は、たくさんありますけれども…
 要件事実論、事実認定論について、個人的に、参考になった書籍を、いくつか挙げておきます。特に、事実認定論は、推理小説を読んでいるようで、面白かったです。

  伊藤滋夫『要件事実・事実認定入門』補訂版 有斐閣 2005.4
  田中豊『事実認定の考え方と実務』民事法研究会 2008.3
  加藤新太郎『民事事実認定と立証活動』Ⅰ・Ⅱ 判例タイムズ社 2009.10

2 文章の一般的な書き方

(1)言葉と思考 言語論的転回

 はじめに思考があって、その思考が、言葉になる。ひとは、そのように、考えがち。しかし、実際には、ひとは、言葉によって、思考を組み立てている。「思考→言葉」ではなく「言葉→思考」。このことが分かってきたのは、20世紀になってから。このような、言葉と思考との関係についての、考え方の転回を、「言語論的転回」という。

(2)留意事項

 文章を書くとき、留意すべき事項を、以下、列挙。

・ 1つの事柄を1つの文で述べる
・ 主語を明確に示す
・ 長い修飾を独立させる
・ 引用を独立させる
・ 文を単位として修正する
・ 係り受けに注意する
・ 「てにをは」を的確に使う
・ 接続表現で文をつなげる
・ 語の意味範囲を自覚する
・ 語のカテゴリーを自覚する
・ 語の抽象度を自覚する
・ 概念を一貫して使う
・ 指示代名詞を置き換える
・ 「こと」「もの」を特定する
・ 「の」を特定する
・ 「を」「に」「は」と「について」を区別する

(3)段落を整える

 段落の基本構造は、次の通り。
  主張 根拠 具体的データ 主張の再度の提示
 段落を整えることも、文章のわかりやすさにおいて、重要である。

(4)全体を整える

 その文章において、問いと答えとが、呼応しているか。
 物事について、列挙するときには、何を数え上げるのかを宣言し、実際に数え上げながら書き進める。
 序論、本論、結論。同じ内容を、3回、繰り返して書くことによって、そのレポートの内容が、読者に伝わりやすくなる。

(5)文章作成前後

 上記1(3)エにおいても述べた通り、文章を書き出す前に、その内容について、計画することが、大事。

  論点を見抜いて、書き出す。
   → 論点の中の小論点を整理し、書き出す。
    → 論じる順序を決める。

 文章が書きあがったら、残り時間で、その文章を点検する。

・ 設問に答えたかどうかを点検する
・ キーワードを確認する
・ 記号や番号を確認する
・ 見出しを点検する
・ 誤字脱字と「てにをは」を点検する

〔中島コメント〕

 「言語論的転回」。個人的に、大変興味があります。
 言葉によって、ひとの思考が組みあがるなら、そもそも、そのひとが、どれくらい、言葉を獲得しているかが、そのひととのコミュニケーションにおいて、重要になってくるでしょう。
 いままで勤務してきた職場において、私は、上司が部下を、「考えれば分かるはずだ」と、叱責している場面に、何度も、遭遇してきました。この場面について、「言語論的転回」という観点から、個人的に考えると、上司は部下に、部下が考えるための言葉を、十分に伝えていたのでしょうか。そして、部下は、そうした言葉を、十分に、獲得できていたのでしょうか。
 専門用語についてはもちろん、日常用語についても、スタッフさんたちが、ますます、言葉を獲得してゆく。そのことを、経営者として・管理職として、支援してゆく。そうした態度が、いま、経営者としての立場にいる人間、管理職としての立場にいる人間には、必要なのではないでしょうか。
 そもそも、就職以前に、いまの日本の国語教育においては、生徒たちの・学生たちの「言葉の獲得」が、足りていない気が、個人的に、しています。

 なお、「言語論的転回」は、『法学』の中山竜一さんの別著である『二十世紀の法思想』岩波書店における、メインテーマであるようです。この本、個人的に、読んでみたくなりました。

 「留意事項」「段落を整える」「全体を整える」「文章作成前後」。今後、文章を書いてゆくときに、参考になりそうです。
 本書といい、『法解釈入門』といい、『リーガル・リサーチ&リポート』といい、これら、法学方法入門3部作は、「一度、読んだら終わり」ではなく、学習において、実務において、手元に置いて、随時参照してゆくことで、より内容が活きてきそうです。

 なお、第2章の「文章の一般的な書き方」については、法学の方法について述べる、第1章・第3章にも、十分にページを当てる必要があるためか、約75頁、短い分量に、収まっていました。分量が少ないためか、具体的なノウハウがほとんどで、体系的な考え方は、あまり載っていなかった印象が、個人的には、あります。
 「文章の一般的な書き方」そして「アタマの一般的な使い方」については、そのことだけについて書いてある書籍を、別途、読んでみても、いいかもしれません。

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