【読書】安野モヨコ『鼻下長紳士回顧録』祥伝社

安野モヨコ『鼻下長紳士回顧録』上・下 祥伝社
https://bikacho.annomoyoco.com/#comics

 作者は、安野モヨコさん。5年間の休筆後の、初作品。

第1 あらすじ

 20世紀・初頭。娼婦コレットは、パリの娼館に、住み込んで、働いていた。

 コレットには、「ヒモ」というべき愛人、レオンがいた。コレットは、自分の稼いだお金を、レオンに、貢いでいた。レオンは、そのお金を、高級娼婦ナナに、貢いでいた。
 いつものように、お金をせびりにくる、レオン。レオンに、コレットは、お金を渡すことが、できなかった。そのコレットを、レオンは、殴りつけた。
 結局、レオンは、ナナの歓心を買うことが、できなかった。帰り道、レオンは、思う。「俺は、二番目に好きな女が、一番目に好きなのかもしれない」。

 コレットの働く娼館には、様々な変態紳士たちが、自らの変態願望を満たすために、やってきていた。
 弁護士。「少年時代、父の頭を、タオルで磨かされ続け、それが、今に至るまで、自分の性癖になっている」。
 他にも… 「純真無垢な小鳥になって、飢えた女たちに、汚されたい」「天真爛漫な犬になりたい」「女たちの生活を、戸棚に隠れて、眺めていたい」

 変態紳士たちと、コレットとの、交流。
 日本から来た、作家志望の青年・サカエは、コレットに、ノートを渡す。「これに、君の生活を、書いてみてくれないか」。そのノートに、コレットは、自身の生活を、小説めいた文体で、つづりはじめる。
 そんなある日、コレットのもとに、「レオンが死んだ」との報せが入る。動揺する、コレット。そんな彼女を慰めようと、変態紳士が、犬として、駆け寄ってくる。「いまは、あなたの相手ができるような、気分じゃないの」。変態紳士は、犬をやめて、立ち上がり、彼女へ、語りかける。「私の物語も、誰の物語も、相手がいないと、成立しないのだよ」。
 コレットは、小説の続きを、書くことができなくなっていった。

 コレットの仲間、カルメン。彼女は、自分のもとを去った、愛人を、思い続けている。
 ろくに、客を取らない、カルメン。そんな彼女を、娼館の館主が、仕置部屋へ。地下への、閉じ込め。
 カルメンを、救い出そうとする、コレットたち。しかし、カルメンは、自力で脱出。彼女は、歯が欠けるほどの強さで、縄を食いちぎり、裸のまま、パリの地下に広がる、下水道のなかへ、逃げ去っていった。
 彼女が去ったあと、コレットは、あることに気が付いて、愕然とする。
「本当に自由になったのは、彼女だった。私たちは、私たちの不自由のなかに、安住していた。生きているだけで、借金が、嵩んでゆく生活。私たちは、彼女を、不自由のなかへ、戻そうとしていたんだ…」

 その後、娼館に、人気作家が、客として、やってきた。その作家に、コレットは、自分の作品を、読んでもらいたかった。
 なぜ、自分は、小説の続きを、書くことができなくなったのか。そのことについて、考えてみて、彼女は、ハッとする。「私は、小説のなかで、レオンと、幸せになろうとしていた。でも、本当は、私は、彼を、憎んでもいた。だから、私は、小説の続きが、書けなくなっていたんだ…」。そのことに気付いたコレットの、ペンが進みはじめる。
 コレットの小説が完成するまで、娼館仲間たち、変態紳士たちが、人気作家を、引き留めてくれていた。コレットの小説を、一読する、人気作家。「じゃあ、これは、もらっていくよ」。
 コレットの小説は、後日、人気作家の紹介で、フランスの主要新聞に、載ることになった。

 その作品を、作家志望の青年・サカエが、目にする。
 彼は、レオンと同じく、ナナに、その財産を献上。その挙句、パリにて、浮浪者になっていた。
 その彼は、同じく浮浪者になっていた、カルメンと、巡り会っていた。カルメンの、精神の平衡を欠いた、うわごとのような身の上話に、彼は、辛抱強く、聴き入った。そして、彼を相手に、話しているうちに、カルメンが、気付く。「あの人は、私を置いて、行ってしまったんだ…」。
 カルメンの物語、コレットの物語。それらに触れたサカエは、コレットのもとを訪ねて、このように、語った。

  才能とは… 何か特別なことではなく
  ただ… ひたすら継続して書いていくことだと
  自分を掘り下げ続けても絶望しない能力だと気付いたのだ
  たとえそこに何もなかったとしても

 誰しも、自分にとっての物語を、必要としている。
 そして、誰しも、その物語を、探している。
 そのことに、気が付いた、コレット。
 彼女は、一躍、作家になり、娼館から出てゆくことになる。

 最後の場面。
 果たして、現実なのか、物語なのか。
 パリの街角で、小説を執筆している、コレット。
 彼女の瞳が、街角に佇む、レオンの姿を、見止める。
 思わず、ペンを捨てて、コレットは、レオンのもとへと、走ってゆく…

第2 作品背景

 安野モヨコさんのインタビューから。スタジオジブリ熱風2020年9月号。

 安野さんのお父さんは、会社員だった。お父さんは、だんだん、会社へ出勤しないようになり、酒びたりの生活に。その後、お父さんの勤務していた会社は、倒産した。

 安野さんのお母さんは、「倹約とか、まるでできないタイプ」。「そのとき、何も考えないで、欲しいものを買っちゃう」。たとえば、あるとき、安野さんが実家へ帰ったところ、冷凍庫に、大量の冷凍食品が、詰まっていた。

 お父さんは、自分が働いていないのに、お母さんが働きに出ることを、そのプライドから、許さなかった。
 お母さんは、お母さんの実家から、お金を借りてくるようになり、それで、一家の生活が、成り立っていた。
 そのような両親のもと、安野さんは、高校生の頃から、漫画雑誌に、漫画を投稿して、原稿料を、稼ぐようになった。稼いだ原稿料は、すべて、実家に入れていた。

第3 中島コメント

1 身体デッサン

 安野モヨコさん、休筆後の、初作品。
 休筆前の作品群と比べると、この作品に登場する女性たちは、みな、身体に丸みを帯び、ふくよかになったように、個人的には、見受けます。
 休筆前の作品群の、登場人物たちは、おおむね、痩せていて、「親から、ろくに食事を与えられていない、子ども」のようでした。彼女らの行動には、「拒食」「過食」「自傷行為」(小指切断)もありました。そうした彼女らの行動は、そのまま、安野さんの精神状態をも、表しているかのようでした。
 この作品に登場する人物たちの、身体の丸みは、安野さんが、いま、心身に平穏を得ていることの、表れなのかもしれません。

2 父・母・娘 三角関係

 レオン・ナナ・コレット。彼ら彼女らの三角関係は、恋愛についての三角関係であるようでいて、その実は、安野さんにとっての、父・母・娘の三角関係を、表したものであったのかもしれません。

 レオンは、自分は働かないで、お金をせびってくる。
 ナナは、ひとの財産を、食いつぶす。
 コレットは、娼館で稼ぎ、レオンに、そして、その後ろにいるナナに、貢ぐ。
 そのうち、コレットは、小説で稼ぐようになり、三角関係のなかから、独立してゆく。

 この物語は、「働かない両親のもとから、漫画を描くことによって、独立していった」という、安野さん自身の、人生の物語とも、重なります。

3 父の愛 娘の憎しみ

 レオンの言葉。「俺は、二番目に好きな女が、一番目に好きなのかもしれない」。
 この言葉は、父・母・娘の三角関係について、単語を置き換えてみると、次のようになります。「俺は、娘の方が、妻よりも、好きなのかもしれない」。
 この作品のなかで、レオンからコレットへの愛情を描いた、安野さん。安野さんは、このように描くことで、父親から自分に対する愛情があったことを、自分なりに、確かめたのかもしれません。

 コレットの言葉。「私は、小説のなかで、レオンと、幸せになろうとしていた。でも、本当は、私は、彼を、憎んでもいた。だから、私は、小説の続きが、書けなくなっていたんだ…」。
 この言葉は、安野さん自身の人生に、置き換えると、次のようになるでしょう。「私は、作品のなかで、お父さんと、幸せになろうとしていた。でも、本当は、私は、お父さんを、憎んでもいた。だから、私は、作品の続きが、書けなくなっていたんだ…」。

 父親から自分に対する、愛情についての、気付き。
 自分から父親に対する、憎しみについての、気付き。
 そして、二人で幸せになろうとしても、なることができなかったであろうことについての、気付き。

 安野さんは、この作品を描くことによって、「自分が休筆に至った原因」について、探り当てることが、できたようです。

 安野さんは、『鼻下長紳士回顧録』を描き始めたとき、42歳。
 人間が、その愛情の対象となる相手との間に生じた葛藤を、解きほぐすことができるようになるまでには、人生における、長い歳月と、いったんひたすら走った後での、長い沈黙が、必要になるのかもしれません。

4 幸せの問い直し

 安野さんの、休筆に至った原因。「幸せになることができない相手と、幸せになろうとしていた」。この原因に、気が付いた安野さん。その安野さんが、幸せの問い直しに、取り組んでいる作品が、『後ハッピー・マニア』なのでしょう。

 高学歴・高収入の、面白味のない男、タカハシ。彼と結婚した、シゲカヨ。
 二人の結婚生活は、『後ハッピー・マニア』において、開幕早々、ひっくり返ります。
 『後ハッピー・マニア』が、どのような過程を経て、どのような結末に至るのか。個人的に、興味津々です。

 なお、「結婚=幸せ」という構図について、個人的に考えていることがありますので、ここに書き留めておきます。
 「結婚」は、現代日本社会においては、「法律婚」を、意味しています。
 「法律婚」は、「法律に基づいた結婚」、つまり、「社会システムのなかでの結婚」を、意味します。
 そうなりますと、「結婚すること」は、現代日本社会においては、「社会システムに順応すること」を、意味していることになります。
 そうであるとするならば、「早く結婚しなさい」は、「早く社会システムに順応しなさい」。結婚して、社会システムに順応しているひとたちからすると、結婚していないひとたちは、「野生の動物」のように、見えるのでしょう。
 「野生の動物」が、「社会システムに順応すること」が、「結婚」。このような論法からしますと、「結婚」は、「野生の動物を、社会の檻に収めること」。更に言い換えると、「臭い物に蓋をすること」。身も蓋もない言い方ですけれども、このような言い方も、できるのではないでしょうか。
 そして、現代日本社会において、非婚化・単身化が進んでいることは、このような「法律婚」について、「社会システムへの順応」について、ひとびとが、違和感を持つようになっていることを、示しているでしょう。
 「この社会システムに順応することが、果たして幸せなのかどうか」について、そして、更に深く、「社会システムに結婚を組み込むことの是非」について、そもそもの問い直しが、必要になってきているのでしょう。後者について、フランスでは、既に問い直しがあったようです(井上たか子『フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか』勁草書房)。
 この問い直しについて、私も、安野さんの『後ハッピー・マニア』を通して、考えてみたくなりました。

5 変態紳士たち 地に墜ちる 天に昇る

A「純真無垢な小鳥になって、飢えた女たちに、汚されたい」
B「天真爛漫な犬になりたい」
C「女たちの生活を、戸棚に隠れて、眺めたい」

 A及びBの、純真願望、自然願望。これらの願望を、裏返してみます。願望の、反対は、現実です。彼らは、その現実での生活において、「純真に行動することができない状況」のなかで、「理性を保ちながら生きている」のでしょう。

 なお、現実での生活において、蓄積した鬱憤について、晴らす方法としては、この作品に出てきたような「地に墜ちる」方法の他に、「天に昇る」方法があります。
 たとえば、山形孝夫『砂漠の修道院』平凡社ライブラリーは、本作にも出てきた「弁護士」など、社会において、歴とした地位を確立した人物が、「地位・名声・収入・財産では、どうにもならない葛藤」を、胸に秘めて、その救いを、宗教に求めて、修道院の門を、くぐってくる様を、書いています。

 「地に墜ちる」方法と、「天に昇る」方法。
 堀田善衛さんの『ミシェル 城館の人』集英社文庫によりますと、人間は、自然の世界と、理性の世界とを、振り子のように、往復している存在であるそうです。
 自然の世界に、自分を振り切る方法が、「地に墜ちる」方法であり、理性の世界に、自分を振り切る方法が、「天に昇る」方法であるのでしょう。

 「天に昇る」方法のほうが、「地に墜ちる」方法よりも、女性の受ける被害が、少なさそうです。
 「地に墜ちる」方法の舞台となる、性的産業のなかに、見えてくる構図は、「男性のわがままを、女性が受け入れる」という構図でしょう。

 なお、Cの願望は、まるで、「インターネットで、アダルトサイトを見てばかりいて、生身の女性には手を出さない、男性」の願望を、表しているかのようです。

6 空の空なればこそ

 才能とは… 何か特別なことではなく
 ただ… ひたすら継続して書いていくことだと
 自分を掘り下げ続けても絶望しない能力だと気付いたのだ
 たとえそこに何もなかったとしても

 作家志望の青年・サカエによる、この言葉は、宮崎駿さんの映画作品である『風立ちぬ』に出てくる、「力を尽くして生きなさい」という言葉に、似通っています。
 この「力を尽くして生きなさい」という言葉は、旧約聖書・伝道の書が、原典であるようです。旧約聖書・伝道の書については、宮崎駿さんの敬愛する作家である、堀田善衛さんが、そのエッセイにおいて、紹介しています(「創世記と伝道の書」「空の空なればこそ」『天上大風』ちくま学芸文庫)。

 映画『風立ちぬ』の公開は、2013年7月。
 『鼻下長紳士回顧録』の、第1話の、雑誌への掲載は、2013年12月。
 そして、映画『風立ちぬ』において、主人公・堀越二郎の声は、安野さんの夫である、庵野秀明さんが、担当していました。
 庵野さんを通して、安野さんは、宮崎駿さんが『風立ちぬ』に託したメッセージに触れて、そのメッセージを、自分なりに受けとめて、『鼻下長紳士回顧録』を、描き始めたのかもしれません。

 そういえば、サカエが、上記の言葉を語るときの面立ちは、宮崎駿さんに似ているようにも、私には、見えます。

7 物語の役割

 受け入れることのできない現実に直面したとき、ひとは、物語を、必要とする。
 このことは、小川洋子さん、開高健さん、河合隼雄さんも、指摘しています。

  小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書
  開高健「踊る」『開高健の文学論』中公文庫
  河合隼雄『日本文化のゆくえ』岩波現代文庫

 レオンと死別したコレットのように、離別や死別により、語り合うべき相手が、いなくなったときには、いっそう、そのひとにとっての、物語が、必要となるのでしょう。

8 コレット

 なお、この作品のヒロインである「コレット」は、実在したフランス女性作家の、名前でもあります。フランス女性作家のコレットさんも、男性社会のなかで、生きていくにあたって、相当苦労をしたひとであったようです。こちらのコレットさんについても、個人的に、興味が湧いてきました。

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