【読書】金児昭『その仕事、利益に結びついてますか?』日経ビジネス人文庫 ~経理財務マンが見ていた「事業の流れ」~

金児昭『その仕事、利益に結びついてますか?』日経ビジネス人文庫 か-1-7 2012.1.5
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/19620

 著者の金児昭さんは、信越化学工業株式会社において、経理・財務を、38年、経験。最後には、取締役・経理部長・財務部長。公認会計士試験の試験委員だったことも。1936-2013。
 その金児さんが、この本を、「入社してから5年目くらいの社員たちへ向けて」、執筆。彼ら彼女らに対して、経理・財務の観点から、ひとつの企業の、それぞれの部署、ひいては事業その全体が、どのように見えていたのかを、案内。
 この本、私は、開業当初に、手にしました。まずは、パラパラと、めくって読んでみて、個人的に、金児さんの、次のような趣旨の言葉に、共感。それ以来、ずっと、手元に置いて、参考にしてきました。

――まずは、1円でもいいから、利益を出すこと。そのことは、「自分たちの生活を維持すること」そして「取引先・関係先への支払いを全うすること」を、意味している。
――更に利益が出れば、国家に対して、納税をすることもできる。納税することは、私たちの国家を維持してゆくためには、大切なこと。利益に対しての、4割の税金を、納めよう。
――私は、「戦略」という言葉を、使わない。経営は戦争ではない。
――ひとはコストではない。

 私は、この本を、前回のテキスト批評において、次の趣旨の文章を書いているうちに、思い出しました。
「個々の業務について総合した全体についての、進捗の管理が、オンラインにおいて、できるようになる必要がある」
 この問題意識に関して、金児さんが、この本において書いていることは、よき「考えるヒント」になりました。

第1 内容要約

1 基本となる方程式

 〔A式〕 売上 - 費用 = 利益

 このように、いくら売上が上がっていても、それ以上の費用がかかっていると、利益は出ない。
 また、費用には、「比例費」(売上に比例する費用)と、「固定費」(売上に比例しない費用)がある。

 〔B式〕 数量 × 単価 = 金額

 A式の「売上」と「費用」には、それぞれ、B式が、当てはまる。
 なお、海外と取引するときには、この数式に、「為替」も、関わってくる。

2 企業組織のしくみ

 企業には、事業部門(プロフィットセンター)と、そのバックアップ部門とがある。
 事業部門は、主に、研究、販売、製造で、できている。
 バックアップ部門は、経理・財務、人事・労務、総務で、できている。

3 時代の変化

 1961年に、金児さんは、信越化学工業へ、入社した。
 当時は、「作れば売れた」時代。経理・財務の、主な仕事は、「銀行借入」と「節税」だった。予算権のある経理・財務と、人事権のある人事・労務は、企業のなかで、威張っていた。
 その後、経済の動く与件が、変化。1971年に、1ドルが360円であるという、固定相場制が、変動相場制へ、変わった。そして、1974年には、オイルショックが起こった。株価も、それまでよりも、大きく動くようになった。
 上記の変化に伴って、「作れば売れた」時代が、「お客さんとの関係ができてはじめて売れる」時代に、変わった。いくら安くても、お客さんが望まないものは、売れない。お客さんが望めば、高いものでも、売れる。品質はもちろん、納期、数量、単価についても、お客さんにとって、満足がゆくようにする必要がある。
 そのような状況においては、事業部の動きが、重要になる。経理・財務、人事・労務は、威張ったりせずに、事業部への支援に、力を注ぐべきである。

4 それぞれの部門・部署――経理・財務の観点から見る

(1)事業部門

ア 販売

 売上金額は、借入金とも、資本金とも違い、「自社で、自由に使うことができる金額」。
 借入金は、いずれ、返済する必要がある。
 資本金は、いずれ、還元する必要がある。
 そのような観点からすると、売上金額によって、その企業全体の費用をまかない、利益を出すことができれば、それが一番いい。

 数量 × 単価 = 売上

 この式が表すように、同じ売上でも、「何個」を「何円」で売るかによって、販売の方法には、違いが出てくる。
 「1個」を「100万円」で売るのか?
 「100個」を「1万円」で売るのか?
 なお、代入する数字について、操作しているうちに、すでに「100万個」販売しているものを、「110万個」販売しようなどという考えが、浮かぶことがある。そのような「10万個」の増量は、実際には、大変なことである。

 販売にあたっては、相手先である企業において、「誰が発注の権限を持っているのか」について、見極めることが、肝心である。肩書と権限とは、一致していないことが、ままある。

 また、販売したひとは、代金の回収にまで、気を配るべきである。
 普段の会話から、相手先のキャッシュフローについて、情報を得る。相手先の従業員から、「給料の支払が遅れそう」などという情報を耳にしたら、販売することは、控える。そして、売掛金と買掛金とが残っているならば、相殺しておく。
 回収に不安のある相手からは、担保をとっておくことも、検討するべきである。日本では、担保としては、土地が、最も価値があることになっている。一方、欧米では、土地ではなく、債権を担保にとることが、多い。
 代金の回収に関する逸話として、金児さんの先人であった金川千尋さん(当時・信越化学工業・社長)は、相手先が倒産の危機に瀕したとき、相手先の買収先を手配して、相手先を救済し、代金も回収できるようにしたことがある。

 なお、販売のための「宣伝」にあたっては、その企業の実力を超えるような宣伝は、控えるべきである。
 そして、宣伝のための費用は、比例費として捉えるべきである。「宣伝は芸術だ」などといって、いくらでも費用を投じていいわけがない。宣伝費用に比例して、売上が上がってゆく。そのような数式が成立するようにするべきである。そして、宣伝費用が、他の費用とも合わせ、売上金額を超えることになってはならない。

イ 製造

 製造にあたって、発生する費用は、次の通り。

  原料費 設備費 人件費 その他

 まず、原料費については、製造の観点からも、経理・財務の観点からも、「作業標準」を、設定することが、大事である。
 「作業標準」とは、「1個の製品について、原材料を、どのくらい、使うか」。たとえば、「パン1個について、小麦粉を、何グラム、使うか」。パン各個について、小麦粉が、110グラム、90グラムと、バラバラでは、製造がめちゃくちゃになるし、原価の計算も、めちゃくちゃになる。100グラムならば100グラムと、標準を設定して、その通りに、製品を量産してゆくべき。

 また、原料の仕入は、2社以上から、するべき。1社では、その1社からの仕入が途絶えたとき、製造そのものが不可能になる。
 そして、よい品質の原料を、より安く、仕入れることが、肝心である。

 同様に、設備費についても、よい品質の設備を、より安く、購入することが、肝心である。
 設備費は、購入後には、減価償却費として、「お金の出ない費用」になる。「減価償却費+当期純利益」が、その企業の、キャッシュフローの基礎になる。

ウ 研究

 研究には、「新規研究」と、「応用研究」とがある。
 「新規研究」は、新たな製品・技術を、開発すること。
 「応用研究」は、既存の製品・技術を、お客さんからの求めに応じて、改良すること。
 かつては、「新規研究は、希望だ」などといって、何年もかけて、巨額の費用を、投じていた時代もあった。いまは、そのような、悠長なことは、できない時代である。スピード重視。日々の利益の追求。そのため、新規研究部署は、解体の上、応用研究部署が統合してゆくことが、主流になっている。
 応用研究部署は、工場のそばにあって、「どのような設備があるか」「どのような原料があるか」を、把握しながら、その工場において可能な範囲で、製品・技術の改良に、従事してゆく。だから、費用の計算も、しやすい。
 これに対して、新規研究部署は、工場から離れて、新たな設備・新たな原料を用いて、製品・技術を開発してゆくことになる。だから、費用の計算が、しにくい。
 研究においても、「費用対効果」という思考は、大事。世間が受け入れるものを、低額な費用で作ることが、大事。

 なお、研究に関連して、「知的資産」「ブランド」というものが、企業の経営において、話題になることがある。これらについて、金児さんは、懐疑的。これらは、決算(売上-費用=利益)がしっかりしていて、はじめて、話題にするべきもの。決算が赤字になると、「知的資産」「ブランド」どころではなくなる。
 そもそも、「知的資産」「ブランド」以前の、「人間の価値」も、財務諸表には、載ってこない。しかし、「人間の価値」こそ、問題にするべき。たとえば、企業を買収したとき、実際に、その企業の事業を運営しようとしてみると、ひとが残っていなくて、買収した甲斐がなくなることが、ままある。そのようなことがあるので、先述した金川さんは、企業を買収するとき、相手先の役員と、個々に、その後の待遇について、丁寧に話し合っていた。「これからも、ここで、働いてくれますか?」。
 「ひとの価値」の内容は、金児さんが考えるに、「正確さ」「迅速さ」「誠実さ」。これらのうち、特に、金児さんは、「誠実さ」を重視する。

(2)バックアップ部門

ア 人事・労務

 事業部のために、人事部はある。
 人事部長には、販売を経験した、ベテランを、当てるべき。販売を経験していないひとが、人事部長になった場合、そのひとが、適切な人事を采配できるかは、危うい。
 同様の理由から、人事評価については、人事部長とともに、事業部長も、あたるべき。そして、「評価するひと」は、「自分がひとを評価できるほどの働きをしているか」について、謙虚に、胸に手を当てて、考えるべき。そのような態度があるかどうか、部下たちは、よく見ている。このことは、人事評価において、成果主義をとるならば、なおさらである。

 ひとを採用することは、そのひとの人生について、責任を持つことでもある。
 だからこそ、企業は、ひとを、やたらには採用しないようにするべきである。
 そして、企業が、社員の人生について、責任を持ち切れなくなってきた、この時代には、やむを得ず、社員は、自分の人生について、自分でも責任を持つようになってゆくべきである。

 人事異動にあたっては、ローテーションでは、ひとは育たない。複数の異なる部署において、数年ずつ、経験を積んできたひとは、使いものにならない。
 企業としては、ひとりひとりの社員の希望にも配慮しつつ、次のような基準によって、ひとの配置を、決めてゆくべきである。
――その企業が利益を上げるためには、どこにどういうひとがいれば、企業にとっても、本人にとっても、よいか。

イ 経理・財務

 経理・財務の仕事は、制度会計、経営会計、財産保全、キャッシュフロー。

 制度会計は、法規・制度を遵守する会計。財務会計・税務会計ともいう。
 なお、会計における公準の、基本中の基本は、「ひとが、『貨幣』で計算して、『期間』で表す」。「貨幣」には、「物品A」と「物品B」を、どちらでも買える(物品Aと物品Bとを交換するよりも取引が簡単になる)という「融通性」がある。この「貨幣」の「融通性」を基礎として、会計が成り立っている。

 経営会計は、管理会計ともいう。その企業の、利益を向上するための、会計。事業部の、バックアップのための、会計。たとえば、原価計算など。経営会計の方が、制度会計よりも、重要度は、ずっと大きい。

 財産保全。バブルのときのような、財テクには、加担しないこと。人間は、「欲」と「意志」とが、自分で思っているよりも、かなり弱い。ただ、経理・財務の視点から、事業部において、放漫な動きがあったとしても、まずは、その出費について、事業のための出費として、信用した上で、「無駄遣いは困りますよ」と、声をかけておくだけでいい。イメージとしては、「小石を池に投げておけば、小さな波が立った後に、水面が静かになる」。そのようなことが、ままある。

 キャッシュフロー。事業部の販売した製品についての代金が、すぐに入ってくるとは、限らない。現在の流動資産と、これからの具体的な入金予定・出金予定とを照らし合わせて、「勘定合って銭足らず」に、ならないようにする。

ウ 総務

 総務は、その管理している会議室での、会議の効率化に、心を配るべき。会議を、長い時間、行うと、事業にとっての無駄が大きくなる。

5 役員

 役員には、最も「無駄なコスト」が多い。

 金川さんと同じく、金児さんにとっての先人である小田切新太郎さん(当時・信越化学工業・社長)は、重役の「車」を、廃止した。

 金児さんは、重役の「机」を、廃止した。社員たちと、同じ机で、並んで、執務した。また、「秘書」も、廃止した。そして、経理部と財務部とを統合して、人員は半減させ、余剰人員は、他の部署へ回した。

 役員が、企業において、仮に「レベル5」の仕事をする人間であるときには、「レベル4・3・2・1」の仕事も、する人間でもあるべきである。
 たとえば、金児さんは、当時、女子社員がしていたお茶くみも、自分で、するようにした。

 このように、役員こそ、「売上-費用=利益」のために、率先垂範するべきである。

 率先垂範という観点から述べれば、役員が、若手を出先へ連れてゆくときには、その目的は、「自分の仕事を見せるため」であるべきである。「自分のカバンを持たせるため」であってはならない。「自分のカバンを持つ」などという、自分の仕事は、自分でするべきである。
 役員が、若手と比べて、数倍の報酬を得ているならば、そのことは、「若手を育てること」によって、はじめて、正当化できる。

 また、役員は、企業の備品を、私用で使うべきではない。公私のけじめは、きちんとつけるべき。
 ただ、一方で、社員が、家族のために、緊急で、電話をかける・車で駆け付ける等する必要が生じた場合には、社員の都合を優先するべき。

6 ひとりひとりの社員

 いままで述べてきたように、企業においては、ひとりひとりの社員の、「自分にとっての給料」以外にも、様々な費用が発生している。
 給料は、固定費のようであって、実は、固定費ではない。
 もしも、売上が、費用に対して、足りない事態が生じた場合には、企業が、社員に対して、給料を支払うことが、できなくなるかもしれない。
 ひとりひとりの社員が、その企業にとっての、それぞれの部門と部署にとっての、「売上-費用=利益」そして「数量×単価=金額」を、念頭に置いて、働き、協力し合っていってほしい。
 1円でも、利益が出ることは、素晴らしいことなのである。

第2 中島コメント

1 図解

 金児さんが、この本において解説していた「企業組織のしくみ」を、私なりに、図にしてみました(図1)。
 加えて、「企業組織のしくみ」のなかの「事業部」(プロフィットセンター)における「事業の流れ」について、より詳細に、図にしてみました(図2)。
 更に、その「事業の流れ」について、私の事務所の「事業の流れ」に当てはめて、アレンジしてみました(図3)。この図へ、個々の案件について、入力して、その進行とともに、右へ右へ動かしてゆくようにすれば、登記業務に関しては、全体の、進捗の管理ができそうです。
 なお、付録として、この本において金児さんが紹介していた費用のうち、主なものを列挙した図も、作ってみました(図4)。

2 経理・財務 + 人事・労務 ≒ 成年後見

(1)類似

 ただ、図2・3は、成年後見業務には、なかなか、当てはまりません。その「当てはまらないこと」について、考えているうちに、私は、成年後見業務は、むしろ、「経理・財務」や、「人事・労務」に類似した仕事であることに、気が付きました。

 経理・財務では、その企業の、1年間の収支について、記帳して、貸借対照表や、損益計算書を作成して、税務申告をします。
 同様に、成年後見業務においても、被後見人さんの、1年間の収支について、記帳して、貸借対照表や、損益計算書に類似した書類を作成して、家庭裁判所へ提出します。また、所得税に関して申告する必要があるひとについては、確定申告をします。

 また、人事・労務においては、その企業の社員についての、社会保険事務に、従事します。
 同様に、成年後見業務においても、被後見人さんの、年金、健康保険、介護保険などの社会保険事務に、従事します。

 このように、「経理・財務」及び「人事・労務」と、「成年後見業務」には、その仕事について、一部重複、類似があります。
 「経理・財務」や「人事労務」(特に社会保険事務)に従事してきたひとは、成年後見業務にも、取り組みやすいかもしれません。逆に、成年後見業務に従事してきたひとは、「経理・財務」や「人事労務」(特に社会保険事務)にも、取り組みやすいかもしれません。

 なお、司法書士事務所の経営において、「経理・財務」や「人事・労務」について、十分に知識があって、熟練しているメンバーがいることは、たとえば、「すべてのメンバーについてその生活を保障する」(給与計算・社会保険手続)という観点からも、重要です。

(2)成年後見――必ずしも利益にはならない仕事

 ここで、成年後見と、この本において金児さんが強調している「利益」との関係について、個人的に書き留めておきます。
 成年後見は、必ずしも、利益にはならない仕事です。被後見人さんたちの財産が乏しくて、生活保護を申請することになったり、亡くなられた後の遺産が乏しくて、報酬が回収できないまま終わることがあったりします。
 それでも、なぜ、そのような案件まで受任するのか。その理由について、私は、平たく言えば「お互い様だから」だと、考えています。もしも、そのような案件について、私が、「利益にならないから」と、回避した場合には、自分が同じような境遇になったときに、誰からの支援も、期待してはいけないことになります。「利益のやりとり」のみならず、「互酬のやりとり」も、この社会には、あるのです。このことについては、上林憲雄ほか『経験から学ぶ経営学入門』〔第2版〕(有斐閣)にも、指摘がありました。
 ただ、仕事が「自分と他者との、今日と明日の生活を、成り立たせるため」にするものであってみれば、利益について、あまりにも度外視し続けるわけにも、いきません。
 この問題について、経営者の大先輩に、話してみたところ、次の趣旨の、アドバイスを頂いたことがあります。このアドバイスは、私にとって、大事なアドバイスでしたので、ここに書き留めておきます。
「中島さんがやろうとしていることは、営利組織がやることではなくて、非営利組織がやることかもしれない。非営利組織の、資金調達のやり方も、学んでみては」

(3)納期という問題

 また、成年後見と「納期」との関係についても、ここに、個人的に書き留めておきます。
 成年後見業務は、被後見人さんたちが、急に入院して、病院へ駆け付ける等することが、ままある仕事です。
 もともと、立てていた予定が、崩れる仕事。そのような意味では、成年後見業務は、私たちにとっての「子育て」や「介護」にも、通じるものがある仕事です(柏木惠子『おとなが育つ条件』岩波新書)。
 「成年後見」「子育て」「介護」によって、もともと、立てていた予定が、崩れること。そのことは、それらが、他の仕事の「納期」に、影響を及ぼすことをも、意味します。
 「成年後見」「子育て」「介護」と、他の仕事の「納期」とを、どのように、両立してゆくか。そのような問題があることを、最近、私は、感じています。
 また、「適切な時期に納品すること」は、より一般的に言えば、「契約を守ること」でもあります。「契約を守ること」に対して、「子ども」「認知症高齢者」が、影響を及ぼすので、社会は、彼ら彼女らを、「制限能力者」として、社会から、排除しているのかもしれません。社会による、彼ら彼女らの包摂のためには、「契約を守ること」と「急に予定が崩れること」との、両方に対応できる生活様式・仕事様式を、私たちが編み出してゆく必要がありそうです。

3 タテ社会の上層に留まる「富」

(1)若者の採用を抑制する

――企業は、ひとを、やたらには採用しないようにするべきである。

 この金児さんの言葉は、新卒一括採用が主流でした戦後日本社会においては、「若者の採用を抑制する」ことにつながる言葉でした。
 特に、バブルが崩壊した直後の、いわゆる「就職氷河期」以降、日本の社会は、若者の採用を抑制することによって、「若者が収入を得る機会」はもちろん、「若者が経験を獲得する機会」をも、減らしてきたのかもしれません。

――企業が、社員の人生について、責任を持ち切れなくなってきた、この時代には、やむを得ず、社員は、自分の人生について、自分でも責任を持つようになってゆくべきである。

 仮に、そうであるならば、社会においては、社員つまりは労働者に対して、職業訓練の機会を、もっと提供するようになってゆくべきでしょう。

(2)タテ社会のなかでのコストダウン

――よい品質の原料を、より安く、仕入れることが、肝心である。
――設備費についても、よい品質の設備を、より安く、購入することが、肝心である。

 これらの金児さんの言葉が表している発想も、日本社会というタテ社会においては、「受注企業(格下企業)の労力や金力を、発注企業(格上企業)が吸い上げ続ける」という構図の固定に、つながってきたのかもしれません。
 戦後の、日本の社会に、企業と企業との間での、「対等な交渉」という構図は、どれほど、あったのでしょう。

(3)「富の再分配」の見直し

 ここまで述べてきたことからしますと、戦後日本社会というタテ社会は、次のような社会であったようです。

――若者が収入を得る機会と、若者が経験を獲得する機会を、減らしてきた社会。
――格下企業の労力・金力を、格上企業が吸い上げ続けてきた社会。

 このような社会は、経済学でいう「富の再分配」という観点からも、問題があります。
 このことに関連して、私は、前回のテキスト批評(組織力を高める テレワーク時代の新マネジメント)において、「タテ社会からヨコ社会へ」という動きの重要さについて、述べました。
 その「タテ社会からヨコ社会へ」という動きのなかでは、「ひととひととの関係」が「上下」から「水平」になってゆくこととともに、「富の動き」が「上下」(特に「下から上へ」)から「水平」になってゆくことも、また重要なのでしょう。

(4)余談――ジョブ型雇用についての留意点

 なお、ここまで述べてきました「タテ社会」という観点から、私には、「ジョブ型雇用」についても、気になっている点が、いくつかあります。

ア 身分の固定――労働者・資本家

 まず、「ジョブ型雇用」においては、「ジョブに従事するひと」はもちろん、「ジョブを設定するひと」が、必要になります。
 そして、個別の「ジョブに従事するひと」が、全体の「ジョブを設定するひと」になる日は、その仕事と人生のなかで、やってくるのでしょうか。
 「ジョブに従事するひと」が「労働者」であるとすれば、「ジョブを設定するひと」は「資本家」であることになります。「労働者」が、「ジョブ型雇用」を通して、「資本家」になる日が、やって来ることがないとすれば、「ジョブ型雇用」の導入によって、「労働者」という身分のひとと、「資本家」という身分のひととが、社会のなかで固定してゆくことになるのかもしれません。

イ 導入する場合――減給の可能性・解雇の可能性

 また、いまの日本の社会における、「メンバーシップ型雇用」を、「ジョブ型雇用」に転換するときに、何が起こるのかということも、私は、気になっています。
 「メンバーシップ型雇用」は、「職務内容の無限定性」の代わりに、「解雇権濫用法理」(企業が労働者を解雇しにくい法理)の適用がある、雇用形態です。
 この雇用形態を、「ジョブ型雇用」に転換するときには、まず、「無限定だった職務の内容を限定する」ことになります。ということは、その労働者の職務が、減ることになります。職務が減るということは、給与が減るということにも、つながります。また、「ジョブ型雇用」においては、「契約した職務の対象となる仕事」が無くなったとき、その企業が、その労働者を、解雇できることになっています。
 つまりは、「メンバーシップ型雇用」を、「ジョブ型雇用」に転換するときには、企業が、労働者を、「減給しやすく」なり、「解雇しやすく」なります。
 これらのことに、労働者側は、留意しておいた方が、いいのかもしれません。

ウ ジョブ型雇用の意義――業務の言語化・可視化・共有化

 いま、「ジョブ型雇用」という雇用形態が、単語として、報道のなかで流行していることについて、意義があるとすれば、それは「自分の仕事を、言葉にしよう」という運動に、つながっていることに、あるでしょう。
 企業における「ジョブの明確化」は、より具体的に言えば、「業務の言語化・可視化・共有化」です。そのような作業は、ひととひととが協力して、ひとつの事業に取り組んでゆくときに、確かに必要です。

4 変わる兆し――金児さんの行動・態度

 タテ社会から、ヨコ社会へ。
 その変化の兆候は、この本において、金児さんが述べていることからも、読み取ることができるような気が、個人的には、しています。

(1)威張らないようにする

 金児さんは、自らの、重役としての特権であった、大きな机や、秘書を、手放しました。また、お茶くみも、自分でするように、職場の慣行を、変えました。
 これらの、金児さんの「威張らないようにする」という行動は、「上下の関係の解消」に、つながってゆくでしょう。

(2)バックアップ――自律自走支援マネジメント

――経理・財務、人事・労務は、威張ったりせずに、事業部への支援に、力を注ぐべきである。

 元・取締役としての、金児さんの、この言葉は、『組織力を高める テレワーク時代の新マネジメント』において、著者である成瀬さんが述べていた、「フラット型」の組織における「自律自走支援マネジメント」という言葉にも、通じます。

 金児さんは、先見の明のある、実務家さんでしたようです。

5 その他

(1)動産担保・債権担保

――日本では、担保としては、土地が、最も価値があることになっている。

 この金児さんの記述に関しては、その後、「バブル時に、土地のみが主な担保だったことから、土地への投資が集中することになった」との反省から、「動産を担保とすること」「債権を担保とすること」についての、研究・開発が、進展することになりました。

(2)研究――応用の過剰

――新規研究部署は、解体の上、応用研究部署が統合してゆくことが、主流になっている。

 この金児さんの言葉に対して、私は、次のように考えます。
――いまは、かえって、応用研究が過剰になりすぎて、新規研究がおろそかになっている。
 たとえば、私の近所のコンビニでは、新奇な味付けの、ポテトチップスや、ペヤング・ソース焼きそばなどが、目まぐるしく新登場しています。このような、目まぐるしさから、私は、「応用研究の行き詰り」を、見て取ります。
 むしろ、いま、必要な研究は、「ポテチやペヤングに代わる、新しい嗜好品の開発」(新規研究)でしょう。

 また、新規研究にもまして、「基礎研究」がおろそかになっている可能性があることも、私は懸念しています。
 たとえば、工学者・畑村洋太郎さんが、その著書である『失敗を生かす仕事術』(講談社現代新書)において、次のことを指摘していました。
――六本木ヒルズ・回転ドア事故。回転ドアについて、応用研究が進むうちに、「ドアは軽くしないと危険である」との基礎知識が、欠落した。その結果、重いドアに子どもが挟まって、死亡する事故が発生した。
 このように、応用知識ばかり追求していると、基礎知識が欠落することが、あるようです。このことについて、言いかえると、ひとにとって、「今日、できている」ことが、「明日も、できる」とは、限らないのでしょう。そして、基礎知識に関して、それを維持するためには、日々の、基本的な仕事や学習の、丹念な繰り返しが、大事なのでしょう。
 このような考えから、私は、これからも、「基礎研究」に、力を入れてゆきたいです。

(3)「ひと」は「もの」ではない

――「人間の価値」は、財務諸表には、載ってこない。

 この金児さんの言葉について、法学の観点から言いかえると、次のようになります。

――「ひと」は「もの」ではない。

 法学において、「ひと」を「もの」(財産)として扱うことは、「ひと」を「奴隷」として扱うことを、意味します。そのような意味からしますと、財務諸表に「ひとの価値」が載ってこないことは、「この社会においては、誰も、奴隷としての扱いを受けることがない」ということをも、意味することになります。
 逆に言えば、ひとを奴隷として扱うことについて、認めていた時代の・社会の、企業の財務諸表には、財産としての奴隷の価値が、数字で、載っていたのかもしれません。実際、どうだったのでしょう。

(4)インフレと会計

――「貨幣」の「融通性」を基礎として、会計が成り立っている。

 確かに、日本の企業の、財務諸表は、「円」という貨幣を単位として、成り立っています。
 この場合、日本円に関して、インフレが昂進したときには、金児さんのいう経営会計(管理会計)は、どのように対応することになるのでしょう。そのことに、個人的に、興味があります。

(5)会議の効率化――雑談・熟慮・民主主義

――会議を、長い時間、行うと、事業にとっての無駄が大きくなる。

 この金児さんの指摘は、確かにそうです。その一方で、会議を効率化することによって、その会議のメンバーたちが失うものも、あるかもしれません。
 雑談から出てくる、アイデア。
 長時間の熟慮による、短慮についての、軌道修正。
 そして、メンバーが、会議に参加して、十分に議論した上で、採決することによる、その採決の内容への、納得の有無。つまりは、民主主義に基づいた手続保障。
 これらのアイデア・軌道修正・手続保障について、押さえた上で、会議は、効率化していった方がいいでしょう。

6 実務家の経験談

 この本については、いつものテキスト批評よりも、若干、内容要約に、手間がかかりました。といいますのも、金児さんの述べていることが、前後で相違していたり、複数の章に散在していたりしたからです。

――あなたは企業にとってコストである。
――ひとはコストではない。

 たとえば、このように、この本には、目次の段階で、意味の相違する言葉が、連なっていました。金児さん、おっしゃりたいことは、どちらなのでしょう?笑
 それでも、この本には、「読んでよかった」と、個人的に思えるような知恵も、これまで述べてきました通り、たくさん詰まっていました。
 実務家による経験談の本においては、その執筆に際して、全体的な整合性には、こだわり過ぎずに、「話したいことを話すように」「書きたいことを書いてゆく」という態度で臨んでも、いいのかもしれません。
 そして、その際に、話し相手として、編集者がいると、執筆が、なお捗るのかもしれません。おそらく、この本は、編集者という聞き手がいて、はじめて、内容が、ある程度、まとまったものになったのでしょう。編集者というインタビュアーの存在を、実務家による経験談の本を、読むたびに、私は、個人的に、感じます。

 ともあれ、この本を読む限り、金児さんは、勤勉家(売上)で・倹約家(費用)で、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を、体現しているかのような、個人としてはとても好もしいお人柄のひとでしたようです。

 同じ本の、前と後とで、書いていることが、食い違っていても、何のその。
 自分が成し遂げてきたことについての、ちょっと自慢そうな様子も、微笑ましい。
 自分の仕事と人生を、精一杯に生きてきた、「昭和のおじさん」による、好著でした。

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