【読書】濱口桂一郎『フリーランスの労働法政策』独立行政法人労働政策研究・研修機構 ~自営業者としての「職人」――古くて新しい働き方~

濱口桂一郎『フリーランスの労働法政策』独立行政法人労働政策研究・研修機構 2022.3
https://www.jil.go.jp/publication/ippan/booklet/03.html

 フリーランス。前回、私がテキスト批評した『既婚女性のキャリア』(家計経済研究)の、言及していた働き方。
 この働き方は、情報通信技術の発達によって、そしてコロナ下の現状から、注目の集まっている、働き方でもあります。
 その働き方の、現状について、労働政策学者・濱口桂一郎さんが、概説。濱口さんは、以前、私がテキスト批評した『働く女子の運命』(文春新書)の、著者でもあります。

第1 内容要約

1 労働の歴史

(1)フリーランスの原像――ヨーロッパ中世の職人

 フリーランスの原像は、ヨーロッパ中世の、職人にある。
 職人にとっての、仕事に関しての作業方法は、職人そのひとに、内在化していた。そのため、職人は、発注者からの指揮監督を受けることなく、独自に仕事をしていた。
 このように、ヨーロッパ中世における、職人の働き方は、「雇用」よりも「請負」に類似していた。

(2)ヨーロッパ近代――工場労働

 その後、ヨーロッパにおいて、産業革命が起こった。
 産業革命は、「工場における労働」つまりは「雇用労働」を、生み出した。工場労働においては、仕事に関しての作業方法が、労働者から、外在化。労働者は、使用者から指揮監督を受けながら、仕事をするようになった。
 ここに、使用者と労働者との、立場の強弱もが、生まれた。
――労働者は、立場が弱い、保護するべき人々。
 そのような観点から、労働法、そして社会保障法が、発展していった。
 一方、先に述べた職人のような自営業者(フリーランス)は、「自ら稼ぐ力がある」人間であるとして、労働法・社会保障法による保護の対象には、ならなかった。

 なお、受注者が発注者から指揮監督を受ける関係性のことを「法的従属性」という。

(3)家内労働

 労働法、社会保障法の発展にあたって、保護の主たる対象に、ならなかった人々が、職人の他にも、いた。「家内労働者」。当時でいえば、「内職する女性たち」。彼女らは、工場労働における生産過程のうち、末端の細々とした作業を受託して、家計を助けていた。
 ドイツでは、彼女らのような人々を保護するために、「家内労働法」が形成。その法律は、「最低工賃」を、設定した。
 ドイツを参考に、日本においても、「家内労働法」が成立した。ドイツにおいては、「ものづくり」及び「事務作業」(現代でいえば「データの入力」)の両方が、保護の対象になっている。これに対して、日本においては、「ものづくり」のみが、保護の対象になっている。

2 現代日本

(1)概観

ア 情報通信技術の発達

 現代日本においては、情報通信技術の発達により、「労働者」ではない「フリーランス」が、従前から脚光を浴びるようになってきていた。

イ 独占禁止法――優越的な地位の濫用

 「フリーランス」という働き方において、まず問題になるのは、独占禁止法上の「優越的な地位の濫用」。
 「フリーランス」が、「発注者」に対して、一方的に仕事の発注を受け続ける、関係が、あったとする。そのような関係は、「フリーランス」(受注者)が「発注者」に、経済的に従属する、関係でもある。「経済的従属性」。
 そのような関係においては、「発注者」が、その「優越的な地位を濫用」して、「フリーランス」(受注者)に対して、不当な報酬、不当な時間・場所についての拘束、その他、不当な作業条件を設定することが、ありがち。

ウ 社会保険の適用拡大

 また、コロナ下、「フリーランス」という働き方に、注目が集まる中、日本政府としては、労災保険への特別加入について、フリーランスである職種のうちの一部に、認める方向で、政策を立案し、実施しはじめている。
 なお、労災保険への特別加入は、もともとは、建設業の「一人親方」のために、はじまった制度だった。「一人親方」は、個人事業主ではあるけれども、現場で作業するため、事故に遭いやすい。
 その労災保険特別加入制度が、今次、まずは、俳優、アニメーター、柔道整復師にも、拡大適用となった。

(2)現状調査

 濱口さんが所長である独立行政法人労働政策研究・研修機構は、「フリーランス」という働き方の現状について、調査を実施した。2019年4月。

ア 人数

 個人請負型の就業者の人数は、約538万人。
 その中で、従業員を常時雇用していないひとは、約367万人。
 更に、その中で、主に「事業者」を直接の取引先としているひとは、約170万人。

イ 契約条件についての選択・交渉の余地

 調査対象人数のうち、その契約条件についての選択・交渉の余地が、次に挙げる項目について、どのようになっているか、アンケートをとったところ、結果は次のとおりだった。

  仕事の内容
   自営的「発注事業者から提示を受けるが、自身で選択したり、必要があれば交渉する」59.3%
   雇用的「発注事業者が一方的・定型的に決定する」(選択や交渉の余地がない)22.4%

  仕事の報酬
   自営的「発注事業者から提示を受けるが、自身で選択したり、必要があれば交渉する」38.4%
   雇用的「発注事業者が一方的・定型的に決定する」(選択や交渉の余地がない)34.2%

  就業日時
   自営的「指示されることは全くない」(すべて自身の裁量で決めることができる)31.1%
   雇用的「業務の性質上、当然に指定される」28.0%

  就業場所
   自営的「指示されることは全くない」(すべて自身の裁量で決めることができる)42.7%
   雇用的「業務の性質上、当然に指定される」31.3%

ウ コロナ下の追跡調査

 なお、濱口さんらは、コロナ下、2020年4月から2021年3月まで、上記の人数のうち約560人を、追跡調査した。
 その結果、約1割の人数が、「フリーランス」という働き方から、転職していることが、分かった。更に、その4分の1が、「いま、働いていない状況」だった。

エ 労働者性

 また、調査対象人数のうち、その「フリーランス」が、自営的なのか、雇用的なのか、次の項目について、アンケートをとったところ、自営的なひとから雇用的なひとまで、人数の割合は、きれいに分布していた。きれいに分布しているということは、「自営でも雇用でもない、その中間の形態で就労しているひとが、最も多い」ということでもある。

  発注についての諾否の自由
  発注者からの指揮監督の有無
  報酬が労務への対価である度合――例)所要時間や最低賃金の勘案度合
  発注者と受注者の経費分担
  発注者による契約内容の一方的・定型的な決定の度合

(3)労働基準監督官による監督事案――労働者性についての認定

 「フリーランス」という働き方に関して、その現状を知るためには、労働基準監督官による監督事案も、参考になる。
 監督事案において、労働者性についての認定が、問題になっている業種は、主に、「一人親方」と「雇われ運転手」だった。

ア 一人親方

 建設業の仕事は、何重もの重層請負構造になっている。その末端に位置する、一人親方による作業に関しては、発注者も受注者も、その仕事が雇用なのか請負なのか、分かっていない事案が、ままある。
 その原因は、一人親方が入職する、そのしくみが、インフォーマルであるため。親族、友人、知人からの紹介による、入職。
――原初的な共同体的な人間関係の上に、組織原理と市場原理とが混然一体となって、一人親方という就業形態が成立している。
 なお、先に述べた、一人親方についての、労災保険特別加入制度によって、かえって、一人親方が、労働者であるとの認定を、受けにくくなっている。「労働者であるとの認定をしなくても、労災が適用になるのであれば、それでいいだろう」。

イ 雇われ運転手

 「雇われ運転手」には、時代の変化による、働き方の変化が生じている様子。
 というのは、こういうこと。
 労働基準監督官が、労働者性の認定にあたって、参照している通達は、37年前のもの。
 37年前、「雇われ運転手」は、自分自身で、自動車を所有していることが、前提になっていた。「自分で生産手段を所有しているのであるから、労働者ではない」。
 それが、この37年間に、「雇われ運転手」が、自分自身では自動車を所有しなくなり、運転作業のみを、単純に受注するようになってきている。
 作業のための自動車は、発注者である事業者が、貸与するようになってきている。

ウ その他

 理容師・マッサージ師に関しては、店舗における接客のため、時間・場所についての拘束はある。ただ、その作業に関しては、そのひとの技術に任せるため、発注者からの指揮監督は、ないことになる。

 営業・販売職に関しては、「みなし労働時間制」が適用できるため、労働者性が問題になる事案が、少なくて済んでいる。

 同様に、情報通信技術者についても、「裁量労働制」が適用できるため、労働者性が問題になる事案が、少なくて済んでいる。

3 欧米諸国の動向――特にEU

 「フリーランス」のなかでも、最先端の働き方として、「プラットフォーム就労」がある。たとえば、ウーバーイーツ。ウーバー配車サービス。
 これらの働き方について、欧米諸国では、その就労者を、労働者であるものと認定して、労働法による保護、社会保障による保護を及ぼそうとする動きが、広がっている。

(1)欧米諸国

 イギリスでは、ウーバー配車サービスについての就労者を、労働者であると認定する、判例が登場した。

 ドイツでは、判例が、マイクロタスク型のクラウドワークの事案に関して、クラウドワーカーの登録していたアカウントを、運営会社が削除したことについて、運営会社とクラウドワーカーとの関係を雇用契約とし、その問題を、不当解雇の問題として、扱った。
 なお、「マイクロタスク型のクラウドワーク」とは、この事例でいえば、次のような仕事。
――小売店やガソリンスタンドにおける、商品陳列に関して、管理・監督する業務。
――その業務を、商品陳列棚の写真撮影等の、マイクロタスクに、分解する。
――そのマイクロタスクを、プラットフォームを通じて、クラウドワーカーに提供する。

 フランスでも、判例が、ウーバーイーツ類似の就労者や、ウーバー配車サービスの就労者について、彼ら彼女らを、労働者として、認定した。
 なお、フランスでは、これらの判例に先立って、上記のような就労者たちを、自営業者として認める内容の、立法があった。その立法は、彼ら彼女らを、自営業者として認めた上で、発注者である事業者に、傷害保険への加入を義務づける等の、保護を及ぼそうとしていた。
 このように、フランスにおいては、「プラットフォーム就労」についての、立法の態度と、司法の態度とに、齟齬が生じている。

 アメリカにおいても、カルフォルニア州にて、ウーバー配車サービスに類似する就労者に対して、労働者であると認定する、判例が登場した。州のその判例に、州の立法も、行政も、同調した。
 この動きに対して、ウーバーは、カリフォルニア州において、ウーバー配車サービスのような仕事に就労するひとに関して、自営業者であると認定するための、法案を、提案。住民投票を、呼びかけ。そして、その住民投票の結果、その法案は、賛成多数で、成立した。
 このように、アメリカにおいては、就労者たちの立場について、司法・立法・行政の態度と、ウーバーたちプラットフォーム事業者の態度とが、対立している。そして、両者の運動について、勢力が、拮抗している。
 また、アメリカにおいては、人工知能(アルゴリズム)による、就労者の仕事についての評価が、問題になった。ウーバー配車サービスにおいて、会話の能力に障害のある就労者について、何も知らない利用者が、「この運転手は、飲酒して、運転している」と、評価。その評価に基づいて、人工知能が、その就労者について、その立場を、不利益に、変更した。しかし、そのような障害による評価を理由としての、立場の不利益な変更は、労働者であれば、障害者差別禁止法が、禁止している。人工知能による、就労者の、障害についての、看過。そのことが、問題になった。

(2)EU

 EUにおいては、「プラットフォーム就労」に関して、立法として、次の動きがある。

ア オンライン仲介サービス規則(成立)

 オンラインモール、アプリストアなどの、通信販売プラットフォーム。ウーバーイーツなどの、労働プラットフォーム。
 これらのプラットフォームでの就労に関して、この規則は、労働法の保護と類似した保護を及ぼすように、定めた。
 たとえば、どのようなことがあれば、アカウントの登録が、除名になったり、資格停止になったりするか。その事由を明示することとした。
 また、就労条件を変更する場合には、相手に告知することとした。そして、告知から、変更までに、一定の期間を設けることとした。

イ プラットフォーム労働条件指令(提案段階)

 この指令では、プラットフォーム就労に関して、次の5項目のうち、2項目以上に該当すれば、そのプラットフォームでの、事業者と就労者との関係を、雇用関係であるものと、推定することとした。

(ア)報酬の水準を有効に決定し、またはその上限を設定していること。
(イ)プラットフォーム労働遂行者に対し、出席など、サービス受領者に対する行為または労働の遂行に関して、特定の拘束力のある規則を尊重するよう要求すること。
(ウ)電子的手段を用いることも含め、労働の遂行を監督し、または労働の結果の質を確認すること。
(エ)制裁を通じても含め、労働を編成する自由、とりわけ労働時間や休業期間を決定したり、課業を受諾するか拒否するか、再受託者や代替者を使うかといった裁量の余地を有効に制限していること。
(オ)顧客基盤を構築したり、第三者のために労働を遂行したりする可能性を、有効に制限していること。

 また、この指令では、人工知能(アルゴリズム)による、就労についての管理を、規制しようとしている。
 たとえば、その就労者の就労の結果について、モニタリングすること(評価すること)は、まずは人間がするべきであるとしている。
 そして、そのモニタリングに基づいて、その就労者の就労条件に関して、変更するときには、その意思決定について、人間が再度検討するべきであるとしている。
 最後に、その就労条件の変更が、就労者にとって、不利益な変更である場合には、その就労者は、その変更について、書面で通知を受け、再度検討を要請する権利があるものとしている。

ウ ガイドライン案――「自営業者による団体交渉」と「カルテル」との関係

 また、EUにおいては、自営業者による団体交渉が、独占禁止法の禁止している「カルテル」に当たるかどうかが、問題になった。
 実際、オランダの労働組合が、自営業者をも組織して、発注者である事業者と団体交渉し、協約を締結した。その際に、行政当局が「これはカルテルである」と、問題視した。
 この問題に関して、EUの裁判所は、次のように判示した。
――この自営業者たちが、本当に自営業者ならば、カルテルである。自営業者でないならば、カルテルではなく、労働協約である。
 従来の理論に基づいての、当たり前といえば、当たり前の、判断。
 しかし、この判断をもとに、実務にあたるとなれば、自営業者たちは、普段は、自営業者として仕事しつつ、団体交渉にあたっては、「私たちは自営業者ではない」という、齟齬のある主張をするべきこととなる。
 この齟齬の解消のために、いま、EUは、ガイドライン案を、準備している。その基本方針は、次のとおり。
――自営業者のうち、発注者である事業者に対して、経済的従属性のあるひとたちには、団体交渉をする必要がある。そのため、そのようなひとたちには、独占禁止法のなかの、カルテル禁止規定の、適用がないものとする。

第2 中島コメント

1 新しい産業革命

――かつての産業革命においては、工場での就労が生まれ、その就労者たちに、労働者としての、労働法・社会保障法の保護が、及んでいった。

――いままた、プラットフォームでの就労が生まれ、その就労者たちに、労働者としての、労働法・社会保障法の保護が、及んでゆきつつある。

 工場での就労から、プラットフォームでの就労へ。
 このことは、工場が、物理空間から電子空間へ移り変わったことを、意味しているでしょう。
 物理空間における産業革命から、電子空間における産業革命へ。「新しい産業革命」とも呼ぶべき現象が、いま、起こっているようです。「産業革命4.0」という、最近のニュースで目にする言葉も、このような現象のことを、指しているのかもしれません。
 そして、その現象のなかで、就労者たちに、労働法・社会保障法の保護が、及んでゆく。
 かつての産業革命と、いまの産業革命。これらの現象において、起こっていることの態様(物理/電子)は違っていても、その本質(保護の必要な就労者が新たに生まれる)は、同様であるようです。
 このことに関連する、作家・堀田善衛さんの言葉があります(『天上大風』ちくま学芸文庫)。

――歴史は繰り返さず、人これを繰り返す。

 そして、このような現状をふまえて、私たちは、フリーランスという働き方を選ぶならば、濱口さんがこの論稿にて指摘している、「法的従属性」そして「経済的従属性」に、陥らないように、注意してゆくべきなのでしょう。

2 法的従属性

(1)ヨーロッパ中世の職人――仕事の方法の内在化

 法的従属性。受注者が、発注者から、仕事の方法について、指揮監督を受ける、関係性。
 この関係性に、陥らないようにするためには、濱口さんの紹介している「ヨーロッパ中世の職人」の働き方が、参考になるでしょう。ヨーロッパ中世の職人は、仕事の方法を、自分のなかに、内在化していたそうです。「仕事の方法の内在化」について、ひらたく言えば、「手に職をつける」ということになるでしょう。
 このような「ヨーロッパ中世の職人」という働き方については、堀田さんも、ひとつの好例となる生き方として、その作品に、取り上げています。具体的には、堀田さんは、その長編である『ゴヤ』において、ヨーロッパ中世の画家である「ゴヤ」の生き方について、その生から死に至るまでを、書き上げています。この「ゴヤ」の生き方について、私は、いずれ、稿を改めて、紹介するつもりでいます。

(2)指揮監督――専門職間での業務委託

 私が、『既婚女性のキャリア』や『フリーランスの労働法政策』について読んでいる、その目的は、次のとおりです。
――私の事務所から、スタッフさんたちが、フリーランスとして独立することになった場合に備えて、その支援の態勢を、整えるため。
 その目的からしますと、濱口さんがこの論稿において紹介している、次の基準は、私にとって、参考になります。

  2(2)エ 現代日本 現状調査 「労働者性の判断基準」
  3(2)イ EU プラットフォーム労働条件指令案 「雇用関係の推定基準」

 これらの基準のうち、私と、私にとっての業務委託先(フリーランス)との間で、主に問題になりそうな項目は、「指揮監督」でしょう。
 特に、司法書士から司法書士へ等、専門職間での業務委託があった場合に、その仕事の進め方について、専門職としての判断に、相違が生じたときに、どのように、その相違について調整するかが、問題になるでしょう。
 委託者である専門職が、その判断について、受託者である専門職に、任せるということになるならば、それは「他人による業務の取り扱い」になるでしょう。
 逆に、受託者である専門職が、委託者である専門職の判断を、自分の判断よりも優先することになるならば、その専門職は、独立した専門職ではないことになるでしょう。例えば、「勤務司法書士」とも呼ぶべき立場であることになるでしょう。
 この葛藤について予防するために、専門職間の業務委託契約においては、次のような条項を、設けておいた方が、よさそうです。
――その案件において、仕事の進め方に関しての判断について、相違が生じたときには、その仕事に限って、その個別の業務委託契約を、相互に解除できる。

3 経済的従属性

(1)従属の関係/互酬の関係

 経済的従属性。ひとからひとへ、一方的な発注が続く、関係性。
 このような関係性に陥らないようにするためには、ひとが、他者に対して、仕事を相互に発注し合う関係を、形成してゆくことが、大事になってくるでしょう。
 そのような関係は、「従属の関係」に対して、いわば「互酬の関係」とも呼ぶべき関係でしょう。
 「互酬の関係」については、上林憲夫ほか『経験から学ぶ経営学』(有斐閣)に、紹介があります。

(2)私にとっての「互酬の関係」――成年後見業務

 「互酬の関係」。そのような関係の、構築にあたって、私の個人的な体験としては、成年後見業務が、偶然にも、役に立ちました。
 たとえば、成年後見業務において、本人の、老人ホームへの入居のために、本人の所有している土地建物を、売却することが、必要になる場合があります。
 その場合、まず、宅地建物取引士への、仲介の発注が生じます。
 売却が済んだ後は、税理士への、譲渡所得税の申告についての、発注が生じます。
 また、亡くなったお父さんの相続について、お子さんたちが争っている事案で、遺産分割協議の進行のために、お母さんの成年後見人に就任した場合には、弁護士への、その交渉についての、発注が生じることになります。
 このように、私にとっては、まずは「社会的な意義がある仕事」として取り組んだはずの、成年後見業務が、偶然にも、隣接する専門職の先生方との「互酬の関係」を形成するために、役に立ってきたのです。
――私が成年後見人として就任した、おじいさんおばあさんが、かえって、私の仕事を、応援してくれた。
 そのような印象を、私は、抱いています。

(3)状況の変化――高齢者の貧困化

 ただ、現状、成年後見業務においては、「高齢者の貧困化」が、進んできています。
 たとえば、土地建物の売却等が、必要にはならない、生活保護案件等が、増えてきています。
 そのため、私にとって、先に述べたような、隣接している専門職の先生方との、互酬の関係が、従前のような頻度では、形成しにくくなってきています。
 生活保護案件等も、「地域福祉における互酬」のためには、もちろん意義があります。
 そのこともふまえた上で、私は、いま、次のような時機に、さしかかっているようです。
――隣接している専門職の先生方との、互酬の関係が、あらためて、うまく形成できるように、後見・遺言・相続に関する業務についての、貨幣・価値・生命の流れを、組み立て直すべき、時機。

(4)考えるヒント 思考の起点

 上に述べた時機の、その内容について、考えるヒントとして、中川功一ほか『考える経営学』(有斐閣ストゥディア)に、次の言葉が載っていました。

――経営とは、「事業づくり」と「組織づくり」との、掛け合わせである。

 この言葉を参考にして、上に述べた時機について、どのように対応してゆくべきか、本稿において、個人的に考えてみます。

 そして、そもそも、その思考の起点とするべきことは、次のようなことでしょう。
――まず、大事なことは、「隣接する専門職の先生方に、仕事を発注すること」ではない。
――まず、大事なことは、「後見・相続・遺言の必要な方々の、役に立つこと」である。
 後者の、副次の産物として、前者がある。
 この順序は、きちんと、押さえておくべきでしょう。

(5)事業づくり――後見・遺言・相続

 後見・相続・遺言に関する事業について、私は、いままでの、個人的な体験から、次のようなことを、感じています。
――これらの事業については、いわゆる「感情労働」の問題が大きい。
――その分、「生産性」や「効率性」の問題は、小さい。
 というのは、こういうことです。
 後見・相続・遺言について、相談にいらっしゃる方々は、「自分の話を、よく聞いてくれる相手」を、求めているようです。逆に、「あっ、こんなに資産があるんですね。それなら、こういう投資がありますよ」などという、生産的な・効率的な話を、持ちかけてくるような相手は、求めていないようです。そのように、相手を選んでいるようです。
 そのように相手を選ぶ方向性は、私が、普段から公言している、バブル経済期の「土地ころがし」に対する批判等とも、整合的です。
 こうしたことから考えますと、事業づくりにあたっての、私の方向性は、相手に、また時代に、ある程度、適合してはいるようです。ただ、そのような認識で、問題はないか、常に自省してゆくことは、必要でしょう。

(6)組織づくり――キーワードは「気持ちよく」

 ただ、逆に、私が事業において、「感情労働」について重視して、「生産性」や「効率性」を重視していないことが、複数の仕事への、同時進行での対応が、それぞれ後手後手になりやすい状況を、生み出してもいるようです。
――量をこなす。適切な時期に納品する。その上で、一定の品質を保つ。
 それら、具体的な「生産性」や「効率性」について、どのように充実してゆくかが、いま、私の事務所の経営において、問題になっています。
 いままで述べてきたことからしますと、私の事務所の経営において、いま、大事なことは、次のようなことであるようです。
――まずは、仕事の回転を良くして、それがまた、仕事の増加へつながってゆく。そのような、好い循環を、形成してゆくこと。
 しかし、この問題の解決のために、単純にビジネス知識を応用して、「生産性」や「効率性」を追求してゆくわけにも、ゆきません。そのようなことは、先に述べた事業の方向性とは、逆の方向性を目指してゆくことにも、つながるからです。

 事業の方向性とも、矛盾しないように、「生産性」や「効率性」をも、追求してゆく。
 そのための、考えるヒントとして、私は、社会学者・上野千鶴子さんの、次の言葉を、思い出します(『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書)。
――愛されるということは、大事にされること。
――大事にされるということは、あなたの意思を尊重されることです。
――大事にされているなら、キモチよいはず。
 私の事務所の経営において、依頼者さんたちにとっても、スタッフさんたちにとっても、「気持ちよく仕事が進んでゆくこと」。その一環として、「生産性」や「効率性」も、追求してゆく。そのような組織の方向性であれば、「感情労働」を重視する、事業の方向性とも、整合します。
 そのような、「気持ちいい」働き方とは、具体的には、どのような働き方なのか。
 これから、個人的に模索してゆきたいです。

 そして、いままで述べてきたことに関連して、私は、ここのところ、次のようなことをも、考えています。
――他者に対して、気持ちよく仕事を提供してゆくためには、自分も、気持ちよく仕事をしてゆく必要がある。
 このように考えるようになったことについては、自分が35歳を過ぎて、20代のように一日中ずっと元気に働くことができなくなってきたことが、そのきっかけになっています。
 20代においては、いくら働いても、いつのまにか体力と集中力とが回復していたのに、35歳を過ぎてからは、意識して自分を回復させないと、それらが回復しないようになってきたのです。
 このようなことに関連して、私が、自分の身体の内奥に、耳を澄ませてみると、たとえば、次のような声が、聞こえてきます。
――たまには、広い湯船に浸かって、手足を広げながら、入浴したい。
 自分の身体から、このような声が聞こえるようになってきたこと。自分が、そのような年齢になってきたこと。それらのことは、先に述べた観点からしますと、他者とともに組織を形成して、仕事をしてゆくためには、むしろ好都合なことであるかもしれません。

 以上、フリーランスにおける、「法的従属性」そして「経済的従属性」の問題についての、私が個人的な体験から考えたことの、書き留めでした。

3 現代日本におけるフリーランス――その位置づけ

(1)高度成長期――主婦化・サラリーマン化

――個人請負型の就業者の人数は、約538万人。

 この濱口さんの紹介した数値から、私は、中窪裕也ほか『労働法の世界』(有斐閣)の、次の言葉を、思い出しました。

――わが国では今日、誰かに「雇用」されて働く者が、全就業者の89.4%(総務省「平成30年就業構造基本調査」)を占めている。
――戦前は自営業主とその家族従業者の方が圧倒的に多く、1960年代初頭でもそれらが半数を超えていたことを考えると、隔世の感がある。
――もっとも、自営業主の絶対数は比較的最近まであまり減っておらず、不況時の受け皿となって日本の社会の安定を支えてきたとの指摘(野村正實『雇用不安』〔岩波新書〕)は、心にとめておきたい。

 戦後、日本の人口は、増加しました。
 しかし、それでも、「自営業主の絶対数が比較的最近まであまり減っていない」(ということはもちろん「増えてもいない」)ということは、増えた分の人口は、サラリーマンになるか、主婦になるかしたということでしょう。
 『既婚女性のキャリア』には、「戦後、高度成長期に、女性は、主婦化していった」との記述がありました。男性についても、同様に、戦後、高度成長期に、サラリーマン化していったということが、言えるのでしょう。

(2)働き方の3類型――フリーランスについての細かい分類

 戦後、高度成長期を通しての、男性の、サラリーマン化。このことをふまえて、社会学者・小熊英二さんは、現代日本における働き方を、次の3類型に、分類しています(小熊英二ほか「【座談会】経産省 次官・若手プロジェクト『不安な個人、立ちすくむ国家』をめぐって」スタジオジブリ『熱風』2017年11月号)。

――まず、現代日本における働き方として標準となっているモデルに、第2類型「大企業正社員・国家公務員」がある。「中央」モデルといってもいい。
――「中央」とは別に、第1類型「地域に根ざした自営業」がある。こちらは「地方」モデルと呼ぶこともできる。
――「中央」「地方」のどちらにも当てはまらない人々は、両モデルによる社会保障・相互扶助の仕組みから漏れ、困窮しやすくなる。このような人々が増えてきた状況を指して「無縁社会」という言葉が出てきた。「中央」や「地方」に対して「無縁」と呼ぶことのできる類型。これが第3類型。

 そして、今回の濱口さんの論稿によって、私には、第3類型つまりは無縁類型を構成する、フリーランスのひとびとに関しての、更に細かな類型が、見えてくるような気がしてきました。その細かな類型のなかに、「職人」(専門職)類型や、「家内労働者」類型が、入っているのでしょう。

(3)超高層のバベル・その建立と崩壊――フリーランスという模索

 そして、これまで触れてきた複数の書籍に関して、その記述を総合しますと、戦後日本における、働き方の移り変わりについては、次のようなことが言えるのでしょう。

 戦前は、江戸時代以来の、「地域に根ざした自営業」いわゆる「家業」が、まだ多かった。「小さな家」が、たくさん散在していた。「低いタテ社会」だった。
 その状況が、戦争を経て、戦後に、変わった。
 戦後、新しく生まれてきたひとたちを、大企業が、正社員として、抱え込んでいった。また、国家が、公務員として、抱え込んでいった。そもそも、国家は、大企業を、抱え込んでもいた。このようにして、「高いタテ社会」が、生まれた。
 ちなみに、現代日本社会のことを、臨床心理学者・河合隼雄さんは「超高層のバベル」と呼んでいます(『超高層のバベル 貝田宗介対話集』講談社選書メチエ)。

 その「高いタテ社会」が、いま、崩れ始めている。「超高層のバベル」から、ひとびとが、バラバラと、落ちてきはじめている。その人数を、既存の「地域に根ざした自営業」(増えていない)や「家族」(減ってきた)では、受け止め切ることができない。セーフティネットがない。
 そのため、いやおうもなく、第3類型が増えてゆくなか、ひとびとは、どのような働き方で生きてゆくか、模索している。
 その模索のなかのひとつに、フリーランスとしての働き方がある。
 それが、現代日本における、フリーランスという働き方の、位置づけなのでしょう。

 ちなみに、高度成長期は、高い建物、大きな建物が、続々と建っていった時代でもありました。その建設にあたっての、大事な担い手であったはずの、「一人親方」について、就業のための手続が、また、社会保険の適用が、十分ではないまま、今日に至っていること。そのことが、個人的には、興味深いです。このことからは、「将来のことは考えずに、まず、とにかく建てる」という、戦後日本社会の特徴でもある行動方針を、見て取ることができるかもしれません。

(4)ひとつの好例――糸井重里さん

 ちなみに、フリーランスとしての働き方、第3類型としての生き方の、ひとつの好例として、糸井重里さんの起業した「ほぼ日刊イトイ新聞」があるでしょう。
 糸井さんは、もともとは、この論稿において濱口さんが述べている「職人」のような「コピーライター」でした。「コピーライター」としての仕事の方法が、自分のなかに内在化しているひとでした。
 その糸井さんが、経営者として、「ほぼ日刊イトイ新聞」を起業して、ほかのひとをも組織してゆくようになりました。
 この糸井さんの変化に、私は、個人的に興味を持っています。
――糸井さんが、自分と同じような「職人」を、育てようとはしなかったこと。
――糸井さんの起業した時期が、日本において情報通信技術が発展しはじめた時期に、重なっていること。
 これらの諸点について、糸井さんが、どのように、考えて・見定めて、起業したのか。その著書や発言から、個人的に学んでゆきたいです。

4 グローバル企業――ネオ・リヴァイアサン

(1)富の再分配のための「労働・税・社会保障」

 この論稿において、その労働法規回避・社会保障回避に関する実態について、紹介のあった、ウーバー等、プラットフォーム事業者群は、世界各地で事業を展開する「グローバル企業」でもあります。
 そのグローバル企業について、映画『21世紀の資本』において、経済学者であるトマ・ピケティは、次のように指摘していました。
――グローバル企業は、いわゆる「タックス・ヘイブン」を本拠とし、世界各国での租税の負担を回避している。
 租税回避。そして、先に述べたような、労働法規回避・社会保障回避。これらの回避は、国家の機能としての、「富の再分配」に、参加することについての、回避でもあります。
 富の再分配とは、国家による、次のような営みです。
  労働 ⇒ 税(+保険料)⇒ 社会保障
 このような営みに参加しないということは、それぞれの国家の国民として、その国家の運営に、参加しないということをも、意味します。
 この見方からしますと、グローバル企業、そのなかでも特にプラットフォーム事業者群は、本当に、近代国家(リヴァイアサン)を超えた、新しい大きな存在(ネオ・リヴァイアサン)であるようです。
 いまという時代は、近代国家というリヴァイアサンが、グローバル企業というネオ・リヴァイアサンを、何とか統御しようと、争っている時代なのかもしれません。
 余談。ゴジラとギドラの戦いみたいですね(映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』)。

(2)技術の前進/原理の後退――「人は人にとって狼である」

 プラットフォーム事業者群が、「富の再分配」への参加を、回避していること。そのことについては、特に日本において「富の再分配」がうまくいっていない現状、彼ら彼女らの気持ちが、その点に限っては、私にも分かるような気がします。
 そもそも、私が、自営業という働き方を選択した、その理由のひとつに、次のようなことがありました。
――私たちの年代は、もはや、正社員という働き方を通じての、退職金や、年金を、期待しない方がいい。
――むしろ、退職金や、年金がなくても、働き続けることのできる、専門職自営業になることが、これからの社会を、時代を、生き抜くことに、つながる。
 たとえば、私は、大学生でした頃、「消えた年金記録問題」についてのニュースに、触れました。そのニュースに触れたことをきっかけに、私は、「国家による社会保障は、全面的には、信頼しない方がいい」ということを、意識するようになりました。
 ※ なお、社会保障に関する、いまの、私の考えは、次のとおりです。「公的保障が頼りないことへの対応として、公的保障も十分準備した上で、私的保障も上乗せする」。
 ただ、「自分が富の再分配を回避すること」についての是非と、「就労者を、労働法規や社会保障による保護が及ばないように、就労させること」についての是非とは、また別の問題です。前者を根拠として、後者を正当化することは、できないでしょう。

 就労者を、労働法規や社会保障による保護が及ばないように、就労させる、有様。
 その有様から、私は、社会思想家・ホッブズの、次の言葉を、あらためて思い出します。
――人は人にとって狼である。
 そのような状態が、ホッブズによると、「人間の原始の状態」であるそうです。
 その「人間の原始の状態」が、技術が前進した先に生まれたはずの、プラットフォーム就労において、現出しています。
 技術が前進してきた一方において、ひとびとが社会を形成するにあたってこれまで大事にしてきた原理は、後退してきているのかもしれません。

(3)問題の本質――「富の再分配」の機能不全

 ここまで述べてきたことからしますと、グローバル企業、そのなかでも特にプラットフォーム事業者群は、新自由主義による経済、グローバルに拡大した経済、そしてそれらが形成してきた格差社会の、申し子と呼べるような存在であるようです。
 そして、彼ら彼女らへ対応してゆくにあたっての、問題の本質は、「富の再分配」の機能不全について、どのように是正してゆくか、ということに、あるようです。

 余談。社会主義の凋落と、時を同じくして、新自由主義が台頭しました。そして、更に時を同じくして、情報通信技術が発達しはじめました。これらの現象には、相互に関連があるのでしょうか。そのことについて、個人的に、興味があります。

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