【考えの足あと】2023年・展望

 皆様、明けましておめでとうございます。
 本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 今年の箱根駅伝には、私の出身大学である立教大学が、55年ぶりに出場しました。
 私も、応援に行きました。素敵な場所での応援を企画して下さった方々、ありがとうございました(^人^)

 立教学院には、次の言葉が、伝わっています。創立者・ウィリアムズ主教にまつわる言葉です。

――道を伝えて、己を伝えず。

 道程は示唆するけれども、自己は顕示しない。いい言葉です。
 「駅伝」もまた、「道を伝える」こと。立教にぴったりのスポーツです。

 帰り道に、個人的に、日本橋を見に行ってきました。
 映画監督・宮崎駿さんの語っていたとおり、日本橋は、高速道路の下になっていました。

 日本橋を見て、私の、今年の行動の指針について、思うところがありましたので、ここに書き留めておきます。

 私の、今年の行動の指針は、次のとおりです。

――持ちこたえること。
――そして、見定めること。

 今年も、私の仲間たちが、様々なことに、チャレンジしようとしています。私としては、彼ら彼女らのチャレンジを支えるとともに、私の次なる行動に備えて、この時代の動きについて、見つめて・見定めるよう、試みてゆきます。
 橋もまた、その上を通るひとびとを支え、持ちこたえています。
 そして、橋については、作家・開高健さんが、次の言葉を、好んで書いて残しています。

「橋の下をたくさんの水が流れた」

 「水」とは、「時代」のこと。この言葉は、「長い時間をかけて、時代が移り変わっていった」ということを、意味しているそうです。
 私は、橋のように、仲間たちのチャレンジを支えながら、水の流れるごとくに移り変わってゆく時代を、見つめて・見定めるよう、試みてゆきます。

 なお、橋は、上に人が流れ、下に水が流れ、どちらも、行き過ぎてゆきます。家のように、ひとが・ものが、とどまるということがありません。
 橋のような役割を担って生きることも、ひとつの生き方でしょう。その一方で、家のような役割を担って生きる生き方も、またあるでしょう。「家のような役割」とは、「ひとの居場所を確保する役割」でもあります。
 私は、いま、自分の日常に、「仕事」(橋のような役割)ばかりがあって、「生活」(家のような役割)がないことが、個人的に、気になっています。そのことへの気がかりもあって、たとえば、先日の「考えの足あと/暮らすように働く」という記事が、生まれてきました。
 家のような役割も、またあらためて担う。そのような方向へ、私の次なる行動は、見当を付けてもいいのかもしれません。模索してゆきます。

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