【見聞】サンシャイン60展望台 てんぼうパーク ~地上に広がる星空~

サンシャイン60展望台 てんぼうパーク
https://sunshinecity.jp/observatory/

 前回、『宙の名前』(角川書店)について、紹介する記事を書いているうちに、私は、ある光景を、思い出しました。
 たとえば、札幌へ、小倉へ。出張や旅行で、行き帰りするときに、私は、飛行機の、真夜中の最終便に乗ることが、度々ありました。
 窓側の席に座り、夢見心地で、眼下に遠ざかる、街の灯を眺めているうちに、私のなかには、いつも、次のような感想が、浮かんできていたのでした。

――地上にも、星空が、広がっている。

 その星空を、あらためて、眺めてみたくなり、サンシャイン60ビルの展望台に、上ってきました。
 この展望台は、2023年4月18日に、リニューアル・オープンしたばかり。東西南北を見晴るかすことのできる、広々とした、憩いの空間になっていました。

 この展望台から、はたして、地上に広がる星空を、見渡すことができました。
 さて、ひとは、星空から、「星の理論」を見出したように、都市から、どのような「都市の理論」を、見出してきたのでしょう。

 この投稿においては、「都市の理論」に関連することについて、いままで私が個人的に学んだり考えてきたりしたものの、切れ切れになっていた思索を、いったんとりまとめて、書き留めておきます。

1 都市の拡大――鉄道の延伸

 東京ステーションギャラリーが開催した『鉄道と美術の150年』。その解説のなかに、次の趣旨の記述がありました。

――明治維新以降、鉄道の線路が、東京という首都から、各地へ、延伸した。
――延伸した先に、発電所や変電所ができ、その発電所等が、鉄道の、更なる延伸を、もたらした。
――そして、鉄道が延伸していった先々に、市街ができていった。

 鉄道の延伸。電力の供給の拡大。市街の形成。これらの現象は、ひとつづきのものであったようです。
 私が飛行機から眺めていた街の灯は、「拡大した都市に点く灯り」だったのでした。この灯りは、星空のような美しさの裏で、「電力の巨大な消費」を、伴っています。鉄道のための電力。生活のための電力。職場のための電力。工場のための電力…

――私たちは、都市において、食料や衣類のみならず、電力も、大量に消費している。

 そのことを、私は、この「地上に広がる星空」を眺めてみて、あらためて、感じました。
 問題は、このような、映画監督・宮崎駿さんのいう「大量消費文明」を、いつまで続けることができるのか、ということにあるでしょう。
 消費できる資源には、限りがあります。その資源についての、「獲得の問題」及び「配分の問題」。それらの問題が、これから、更に大きくなってくる予感がします。
 自由主義経済の時代。その経済がもたらした、大量消費文明の時代。いわば、「自由の時代」。その時代が過ぎ去った後には、振り子が戻るようにして、「平等の時代」が、やってくることになるのでしょう。そして、その時代は、次のような時代となるでしょう。

――「豊かな資源を、広く行き渡らせる」という「豊かな平等」の問題よりも、「乏しい資源を、特に必要なひとに届ける」という「乏しい平等」の問題が、切実に迫ってくる時代。

 むしろ、そのような「平等の時代」は、「格差社会」という呼び名で、すでに来ているのかもしれません。

2 燃えない街――要塞のような都市

 地上に広がる星空は、電力による照明が、かたちづくる星空です。そこに「炎のゆらめき」を、見て取ることはできません。
 日本の都市が、「炎」を、排除していること。そのことについて、建築史学者・藤森照信さん(東京都江戸東京博物館・館長)が、次のように書いています(『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』平凡社)。

――戦後、建築学会を中心に、公共性のある建築において、木造を禁止する宣言を出した。
――私の世代が影響を受けてきた住宅建築を多く手がける先輩世代の建築家たちは、意識的に積極的に、木造で住宅をつくらなかった。
――空襲を体験したからです。理屈じゃない、火の中を逃げまどった経験が、あの世代をそうさせている。

 先人たちは、日本の都市を、「燃えない街」にしたかったようです。その先人たちの意志によって、日本の都市は、いまのような、モルタルやコンクリートで固まっている、要塞のような都市になってきたようです。
 このことに関連して、私は、先日に投稿した記事(「鴎外の東京の住まい」)において、次のような想像をしていました。

――災害に備えるための、「強靭化」。
――そのような強靭化が、関東大震災や、東京大空襲を経て、東京という都市にも、起こってきたのかもしれません。そして、そのことに気が付かずに、私たちは、圧倒的に強靭なコンクリートの壁のなかで、暮らしているのかもしれません。

 私の想像したようなことが、実際に、日本の都市において、起こっていたのでした。

 「木」や「緑」を排除する都市は、「自然」を排除する都市でもあります。
 このことに関連して、私には、思うところがあります。
 コロナウイルスの、感染の拡大により、オフィスビルの需要が、いったん、減少しました。東京からの、人口の流出も、一時的に、生じました。
 もしも、都市において、オフィスビルが空いて、そこにひとが住まず、空き地ができるのであれば。そして、その空き地を、もしも、私が、自由にできるのであれば。私は、そこに、木を植えたいです。クスノキのような、大樹となる木を。
 このイメージは、映画『すずめの戸締まり』において、主人公である鈴芽たちが、ひとの住まなくなった集落等を、「自然」へと還していったイメージとも、重なります。そのような動きが、実際に、始まっても、いいでしょう。

3 人口移動――若者たちの地方移住

 コロナウイルスの、感染の拡大。そのことを、きっかけとして、若者たちが、東京から、地方へと移住してゆく動きが、始まっています。
 もともと、東京は、先住者である中高年のひとびとが、多くの面積を、占有していました。そのなかで、若者が、住まうための面積を、獲得できないことが、問題になっていました。
 その問題が、あり続けていたなかで、コロナウイルスの感染が拡大したこと。そのことは、若者たちに、地方へと移住してゆく、そのきっかけを与えたのでしょう。
 現状、若者たちの、地方への移住は、三々五々、散発している状況です。彼ら彼女らのなかで、うまくいった事例・うまくいかなかった事例が、それぞれ、出てくるでしょう。それらの事例についての、情報発信または追跡調査は、しておいた方がいいでしょう。成功事例・失敗事例をもとに、三々五々ではなく、人員と資源とを結集して、地方において、都市を再建する動きが、出てくることが、望ましいでしょう。
 作家・小川洋子さんの、粘菌学者・竹内郁夫さんへのインタビューによると、粘菌には、次のような行動を見て取ることができるそうです(『科学の扉をノックする』集英社文庫)。

――粘菌たちは、自分のいる場所が、生存に適さない環境になると、結集して、胞子を作る。その胞子は、自分のいる場所が、再び生存に適した環境になるまで、持ちこたえる。または、他の動物にくっついて、生存に適した環境へ移動する。

 粘菌は、人間と同じく、細胞分裂をする、その原型を見て取ることのできる生物であるそうです。粘菌と同様に、人間も、東京という暮らしにくくなってきた都市に住まう中高年が、その資力を結集して、若者が新たに暮らしやすい都市を地方に再建できるよう、支援することがあっても、いいでしょう。

4 余談――名探偵コナン

 私が、今回、サンシャイン60ビル展望台へ上った日は、『名探偵コナン』についての、キャンペーンの期間中である日でした。
 『名探偵コナン』のキャラクターたちを見て、私は、懐かしくなりました。私が小学生の頃に、『名探偵コナン』の連載が、始まったのでした。
 そういえばと、『名探偵コナン』について、あらためて調べてみたところ、私は、いつのまにか、ヒロインの父親である「毛利小五郎」と、同い年になっていました。
 そのため、私は、上に述べた「中高年」に、自分も含めて、この記事を書きました。

Follow me!