池袋の司法書士・行政書士中島正敬┃中島司法書士事務所

I-6【身体】『カピトリーノの牝狼』大昔からの男性たちの悩み ~女性と子どもに、どう接すれば?~

 前回の記事である「『法』という字から見えてくるもの」は、「女性の身体の再発見」というべき内容を、含んでいました。
 そこで、目を転じて、「男性の身体」についても、見つめなおしてみることにしました。
 本稿は、私が、「男性の身体」によって生きてきた、その個人的な体験についての、ルポルタージュです。

第1 東京都美術館「永遠の都 ローマ展」

1 「人間は人間にとって狼である」

 まず、東京都美術館が開催した「永遠の都 ローマ展」に行ったときのことから、書いてゆきます。
 もともと、私は、次の言葉を通して、古代ローマ社会に、興味を持っていました。解説とともに引いておきます(柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』岩波文庫)。

――人間は人間にとって狼である。

――人間といっても、実は未知の人のことを指しているらしい。未知の人は信じることはできないから、狼と思って用心せよ、と。

 この言葉について、そのまま表現したような彫像が、「古代ローマ社会を象徴する彫像」として、展覧会の1番目に展示してありました。それが、『カピトリーノの牝狼』でした。この彫像が表している図像は、当時、貨幣の模様にもなり、社会のなかに、広く流通していたそうです。

2 『カピトリーノの牝狼』(紀元前5世紀頃)

 『カピトリーノの牝狼』は、「牝狼が、二人の赤ん坊に、乳を与える」という構図の、彫像でした。この彫像にまつわる物語について、展覧会の図録から、引用します。

――のちに都市ローマの創建者となる二人の乳児は、ウェスタ神殿の巫女レア・シルウィアと軍神マルスのあいだに生まれた。テヴェレ川に捨てられたところ、一匹の牝狼が乳を与えて双子の命を救う。羊飼いファウストゥルスは双子を拾い、彼らが誰かを悟ると、妻のアッカ・ラレンツィアとの子として育てた。

 先の言葉にいう「狼」とは、「牝狼」のことでした。そして、その牝狼は、子どもを連れていました。
 私は、この牝狼と、見つめ合ってみました。歯を食いしばり、目を見開き、明らかに「私を警戒している」様子が、伝わってきました。牝狼の胴体のかげに隠れている乳児たちは、乳房に夢中で、「私のことを見ていない」様子でした。
 「私のことを見ていない」様子。その様子について、私には、思い出すことがありました。
 私は、子どもの頃、畑や田んぼ、草むらがそこかしこに点在している、大阪府豊中市の、小さな町に、住んでいました。住んでいたアパートの、玄関の戸を開けると、目の前には、田んぼが広がっていました。私は、その田んぼや草むらで、虫取り網をふりまわしながら、カエルやチョウチョを採って、遊んで暮らしていました。ある日、私は、草むらのかげに、子猫が座り込んでいるのを見つけました。細い、ひょろひょろした、子猫でした。この子と、遊ぼう。私は、そのあたりに生えていた「ねこじゃらし」を引っこ抜いて、その子に近づいてゆきました。すると、その子は、身を竦ませて、私から目をそらしました。「ごめん、怖かったんだね」。私は、ねこじゃらしを手放して、その場を後にしました。「目をそらすこと」。「無関心を、よそおうこと」。これらの行動を、小さな存在は、恐怖からとることが、あるようです。
 ひょっとすると、『カピトリーノの牝狼』の、胴体のかげにいた、乳児たちも、「恐怖」から、「乳房に夢中になっているふり」をしていたのかもしれません。

――女性は、私たちのことを、警戒している。
――子どもたちは、私たちについて、気づかないふりをしている。
――女性たちも、子どもたちも、私たちのことを、こわがっている。
――このような、女性たち、子どもたちと、どのように、向き合えばよいのだろう?

 そのような、男性たちの「とまどうまなざし」をも、私は、この彫像から、見て取りました。
 思えば、社会学者である上野千鶴子さんも、次の趣旨のことを、指摘していました(『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書)。

――接近してくる他人、身体に侵入してくる他人は、リスク。

 成人した男性は、穏やかに過ごしているつもりであっても、その図体から、近寄るだけで、女性たちや子どもたちに、威圧を与えかねないのでしょう。
 古代ローマ社会ができあがってゆく、その基礎となった問題意識の、その大本には、男性たちによる、「自分たちの身体が発する、威圧についての自覚」があったようです。

3 カルロ・マラッティ『聖家族』(1712年)

 『カピトリーノの牝狼』と似た構図は、時を経て、キリスト教がローマに普及した後の宗教画にも、同じように、見て取ることができます。
 同じ展覧会が展示していた、カルロ・マラッティによる『聖家族』においては、幼いイエスを、マリアが抱き、二人の後ろに、イエスの養父であり・マリアの夫であるヨセフが、座っています。イエスもマリアも、画面のなかから、こちらに視線を向けています。ヨセフだけが、目をそらし、横顔を見せています。

――ヨセフが、威圧感が生じないように、目をそらしている。

 そのようにも見えますし、次のようにも見えます。

――ヨセフが、イエスとマリアの母子に、無関心でいる。

 男性が、威圧感が生じないように、女性と子どもに「向き合わない」でいると、それはそれで、母子にとっては「関心を持ってもらえていない」と感じることもが、あるようです。バランスが、難しいですね。

――女性たち、子どもたちと、どのように、向き合えばよいのだろう?

 そのような、男性たちの悩みは、古代ローマ以来、おそらくは今日に至るまで、2000年以上にわたり、綿々と続いてきているようです。

第2 個人的な体験――子どもたちからの反応

 男性の身体が・行動が、女性たち・子どもたちを、威圧している。そのことについての、私の個人的な体験も、ここに書き留めておきます。

1 おじさんへの対処その1――「忘れる」「かわす」

 私の出身大学である、立教大学。その大学のなかの、ある学部が、在校生と卒業生の交流するイベントを、定期的に開催していた時期がありました。そのイベントに、私も、参加してみました。
 在校生と卒業生とが、数人ずつで、テーブルに分かれて、学生生活や進路選択について、フリートークする形式。
 私が着席したテーブルには、顔つきが、まだあどけない、1年生さんがいました。
 その学生さんの悩みは、「授業に出る気がしないんです」というものでした。他のオジサンからは、「まあ、授業には我慢して出て、大学は卒業しておいた方がいいよ」というアドバイスが出てくるなか、私なりに、次のように尋ねてみました。

「どうして、そんなに、授業に出る気がしないんですかね?」
「うーん… あっ、そうだ。入学してみたら、授業の内容が、勉強したい内容と、違っていたんです」
「おお、それは… ずいぶんと根本的な問題ですね」(笑)

 いっそのこと、大学を、いったん退学して、勉強したいことが勉強できる大学に、入りなおしてみては。それがおおごとに過ぎるなら、学部を転部してみるとか。そういう手間ひまを最小限にするなら、取得する単位は最小限にしておいて、あいた時間で、自分のしたい勉強を、独学してみてもいいはず。そのように、私なりに、いっしょうけんめい、その学生さんの意向を汲み取りながら、アドバイスしてみました。

 その後、半年ほどが経ってから、同じ交流会で、私は、その学生さんに、再び出会いました。

「お久しぶりです。また会いましたね」
「忘れましたー」😄

 えっ、あんなに真剣に相談したのに?(笑) 私は、ひざから崩れ落ちそうになりながらも、その学生さんのアッケラカンとした様子が可笑しくて、二人で大笑いしました。「そうだよね、いろんなひとと会っているから、ちょっと会っただけのおじさんのことなんて、忘れちゃうよね」。そのように、笑って流しました。
 いまから思えば、その学生さんは、ただでさえ問題を抱えているところに、おじさんという新たな問題が近寄ってきたので、向き合いきることができず、「忘れた」ことにして、おじさんのことを、「かわした」のかもしれません。

2 おじさんへの対処その2――こばむ

 「忘れる」ことによって「かわす」。そのような反応よりも、もう少し激しい反応もありました。

(1)撃退

 立教大学の、校友会のひとつが、クリスマス・パーティを開催したときのことでした。
 そのパーティには、校友の方々のお子さんたちも、参加していました。
 当時、開催委員をしていた私は、パーティがはじまるころあいに、子どもたちに「お菓子の詰め合わせ」を、配ってまわることになりました。「中島さん、子どもたちと公園で遊んだりして、仲が良いでしょ」。
 お菓子の袋を持った、私。人混みのなかで、顔見知りの小さい子を見つけたので、近付きました。すると、その子は、若干、私から目をそらしました。

「お菓子だよー」
「うるせぇー!」😄

 その子は、私からお菓子の袋を奪った上で、ポカスカと私を叩いて、撃退しました。「こらっ、いきなりひどいぞ!笑」。文句を言う、私を尻目に、その子は、笑い声を立てながら、逃げ去ってゆきました。
 この子も、私が近付いたことにびっくりして、いったん私を「拒んだ」のでしょう。
 拒んでも、叩いても、このおじさんは、やっぱり、怒らないらしい。そのことが確認できた、その後は、子どもたちの大暴れが始まりました。
 その大暴れについて、「子どもたちは、威圧の状態から脱したら、本来、どんなに元気なのか」という、その記録として、ここに書き留めておきます。子どもたちの勢いが、なるべく伝わるよう、文体は簡略なものにします。

(2)ターザン

 私が、パーティ会場のなかで、他の校友の方々へ、挨拶まわりをしていると、人混みをかきわけて、さっきの子が走り寄ってくる。
 キョトンとしている、私のネクタイに、ターザンのように、飛びついてくる。
 あまりの、首の締まりぐあいに、「私は、この聖夜に、天に召されるのか?」。

「げほっ、げほっ! おれ、死んじゃうよ…」🤣
「きゃははー」😆

 まわりの子どもたちまで、一緒になって、とびはねて、面白がっている。

(3)カードゲーム――その結末

 大人同士が話し合っている、その合い間をぬって、別の子が、私の手を引っ張ってくる。引っ張っていった先は、パーテーションの奥の、皆さんの荷物を、まとめてあるスペース。

「カードゲームで勝負しよう」

 その子が持ってきていたのは、「ドラゴンボール」の、カードゲーム。そのカードには、キャラクターがプリントしてあって、「バトルポイント」が、表示してある。それらのカードを、1枚ずつ、出し合って、ポイントの大きい方が、勝ち。
 カードは、その子が配る。なので、自分には強いカードばかり、私には弱いカードばかり、回してくる。私は、連戦連敗。しかし、そこは、大人の知恵。

――この子は、単純に、強いカードから順番に、出してきているようだ。
――それなら、私は、弱いカードから順番に出してゆけば、この子の「最弱のカード」と、私の「最強のカード」が、かち合ったときに、勝つことができるのでは?

 そのように試してみると、はたして、その瞬間が、やってくる。その子のカードは、「トランクス」。私のカードは、「ベジータ」。私のカードの方が、少しだけ、強い。

「わははー! おれの勝ちだぁー」😜
「うっ… だあーっ!」😆

 その子が、叫びながら、私にとびかかってくる。とっくみあいが、はじまる。「カードで勝負してたんだろっ!」。抗議する私を、その子が床に転がして、「勝ったー!」🙌
 「きみは、アタマがチグハグな子だなー?」。そう言いながら、私がアタマをなでると、その子は、ニコニコと、嬉しそうにしている。

(4)お父さん探し

 こういう子も。
 私が、会場のなかの、クリスマスツリーのそばを通ると、その陰から子どもが出てきて、私のソデをつかむ。

「パパが、見えなくなって、こわくなっちゃったから、いっしょに、さがして」

 「拒んでも、叩いても、怒らないおじさん」は、子どもにとって、「頼りやすいおじさん」でもあるらしい。

(5)フィナーレ

 パーティが終わった、帰り道。夜中。会場だった学生食堂と、駅への出入口である正門との間に広がっている、中庭。その中庭を歩いていると、先を歩いていた子どもが、ふと振り返って、私を見止める。あっ、見つかった! そう思った途端に、その子が走り寄ってくる。

「最後に、やっつけてやる!」

 ポカポカと、いっしょけんめいに、私のおなかを、叩いてくる。「よしよし、まいったまいった」。その子の両腕に、私の両腕をからめて、叩くことができないようにする。すると、両足で、私のスネやふくらはぎを、トコトコと蹴ってくる。その蹴りを封じるために、私が回りはじめる。二人でステップをふんで、踊っているかのようになる。私が口ずさむ。「ランララン♪」。それでも、その子は、ステップをふみながら、器用に、私の足を蹴り続けてくる。この子には、ダンサーやサッカー選手の才能があるのでは?
 しまいには、回りすぎて、その遠心力で、二人の腕がほどける。二人とも、芝生の上に転がる。勢いがすごかったので、心配して、その子のほうを見やると、その子は、転がったまま、「自分の持てる力のすべてを出し切った、スポーツ選手」のように、満足した表情で、息をついている。

 いま思えば、この子たちと私との間には、「子どもが叩いてきたら、私はハグをする」という習慣が、できあがっていたので、この子は、最後に、私にハグしてもらいたかったのかもしれない。

第3 没コミュニケーションがはじまるとき

 「忘れる」「かわす」「こばむ」。
 それら、女性・若いひとたち・子どもたちが、成人男性から威圧を感じているときに、とる態度。それらの態度について、上記の第2において、紹介してきました。
 そして、「こばむ」よりも、更に激しくなった態度もあります。
 そのような態度には、私が30代の半ばを過ぎて、本当に「おじさん」になってきた頃から、直面することが、増えてきました。
 そして、そのような態度をとるひとが、女性・若いひとたち・子どもたちに限らず、50代の男性のなかにも、現れはじめました。
 ある程度、一般化したかたちで、その態度について、書き留めておきます。

1 最後通告

 ある程度、年齢を重ねてきた男性に対して、意見をすること。そのことは、相当、勇気のいることであるようです。ですので、意見が、私に対して、次のようなかたちをとって、出てくることが、複数回、ありました。

――すごい剣幕で、感情をぶつけてくる。
――内容としては、色々な問題が、ごちゃまぜになっている。
――方向としては、「お前が全て悪い」という、一方通行になっている。

 意見を受けた、私としては、本来なら、問題を解きほぐして、組み立てなおして、関係を改善したいと、考えます。しかし、「すごい剣幕」と、「一方通行」によって、話し合いにならず、結果として、その意見が「最後通告」だったように、私としては、感じることも、度々ありました。
 そのように、話し合いにならない以上は、そのひととの関係は、残念で、寂しいけれども、「そのひとが去ってゆく」かたちで、解消することになるはず。そのように考えて、そのひとが去っていったあとの対処について、私は、考えをめぐらせはじめることになりました。

2 ふたたびの連絡

 すると、しばらくして、そのように激高していたひとが、私に対して、ふたたび連絡をとってくるようになることが、また度々ありました。
 あんなに怒っていたのに、そして、その問題が解決できていないのに、どうして、ふたたび? その意図が分からないので、私としては、そのひとからの連絡に、どのように受け答えしたらよいのか、分かりかねました。
 そのような状況のなかで、よく出てくる台詞がありました。「これからも、よろしく」。また、「あなたは、話を、したほうがいい」という台詞も、ありました。私は、自分が黙り込んだつもりは、ありませんでした。私としては、自分が「最後通告」を受けた方だとばかり思っていて、その状況において、相手に対して、どのように話したらよいのか、分かりかねていたのが、実際のところでした。

3 向き合った結果

 そのような状況について、打開するために、私から、思い切って、率直に尋ねてみたこともありました。

「ほら、前に、こういうことがあったでしょう。あれから、私としては、あなたからの連絡に、どのように受け答えしたらいいのか、分からないでいるんです」
「忘れましたー」😄

 当人としては、愛嬌のつもりだったのかもしれません。一方、私としては、この返事を聞いたとき、かなりの脱力を感じました。私の身体が傾いで、口から魂が抜け出るような思いがしました👻 しかし、このように、あらためて書いてみると、この個人的な体験にも、可笑しみがあります。

 なお、「忘れた」という言葉は、こうした状況において、ちょうどよい言葉であるようです。「忘れた」のであれば、それ以上、話を引き出そうとすることは、できないからです。

4 ひとまずの対処

 上に述べた返事をはじめ、いままで述べてきた状況に対して、私なりに考えた、ひとまずの対処は、次のとおりです。

――問題について、解きほぐして、組み立てなおすための、「対話」は、難しいかもしれない。
――ただ、完全に、分かり合うことができないわけではない。
――楽しくおしゃべりする等の、「会話」は、成り立つ。
――分かり合うことのできる範囲で、関係が、続けることができれば、それでいい。
――ごちゃまぜになっているままの、問題の解決については、私ひとりで、もはや過去のものになった意見を解きほぐしながら、考えてゆけばいい。
――それに、相手の立場からすれば、「ダメな中島と、付き合い続けてくれている」ということになる。
――そのことに、感謝しよう。

 そして、いったんは脱力しましたけれども、上記の「第2の1」において触れた、学生さんからの返事とも重なる、上に述べた「忘れました」という返事が、私が「解離」という症状に気が付く、そのきっかけのひとつになりました。
 実際に、「解離」においては、「問題に向き合わず、忘れる」ために、激しく拒むこともが、起こりうるそうです(野間俊一『解離する生命』みすず書房)。

5 関連する人物たち

 私が個人的に体験してきた「最後通告」について考えるとき、私は「五・一五事件」や「二・二六事件」を起こした、青年将校たちのことを、思い出します。彼らも、問題について、解きほぐし、組み立てることがままならず、とにもかくにも、「偉そうなおじさん」を、銃で撃つことにしたひとたちなのでしょう。

 また、私としては、ヤマト宅急便の創業者である、小倉昌男さんのことも、思い出します。小倉さんは、その妻子が抱える、心身の問題について、いかんともしがたく、家の中で、ひたすら耐えていたといいます(『祈りと経営』小学館文庫)。小倉さんも、上に述べたような状況と、類似した状況に、陥っていたのかもしれません。

第4 没コミュニケーションに対する工夫・態度決定

 上記の第3において、私が述べてきた「没コミュニケーション」については、まず、「起きないようにすること」が、肝心です。
 そして、起きてしまった場合に、どうするかについて、私なりに、試みることにした態度というものも、あります。
 それらについて、以下、述べてゆきます。

1 アイスブレイカーとしての「遊び」「生活のたのしみ」

 ある程度、年齢を重ねてきた男性に対して、話しかけるには、それなりの勇気がいる。そのような、勇気のいる状況については、和らげてゆく工夫が必要でしょう。
 その工夫に関して、私にとって、参考になった体験がありました。依頼者の方々を通しての体験です。

――士業の先生には、相談しにくい、印象がありました。
――相談したい内容について、きちんととりまとめて、話をしないと、怒られるんじゃないかと、気が引けていました。
――そんなとき、中島先生が、ブログに『SPY×FAMILY』についての記事を書いているのを見ました。
――それで、この先生なら、話しやすいんじゃないかと、思いました。

 そのように、私の書いた『SPY×FAMILY』についての記事を見たことがきっかけで、私の事務所へ相談に来て下さった方々が、複数いらしたのです。
 このような反応は、自分の事務所について、町のなかの診療所のように、親しみやすいかたちで、経営していきたいと考えていた、私にとっては、嬉しい反応でした。
 堅苦しそうな仕事をしている、ある程度、年齢を重ねてきた男性であっても、遊んだり、生活を楽しんだりしている。そのような、素朴な実態について、見てもらうことが、「話しやすさ」に、つながってくる。そうなのであればと、私は、それ以来、「遊び」や「生活のたのしみ」についての記事を、従前よりも、増やすようになりました。

2 絆の構造――「こないで」「みてて」「たすけて」

 「最後通告」からの「ふたたびの連絡」。そのような、一連の流れについて、考え続けているうちに、私は、次のような体験と、学びを、思い出しました。

(1)吊り橋わたり

 休日に、校友会の仲間たちと、公園のほとりにあるレストランにて、食事していたときのことでした。そのときには、その仲間たちの子どもたちも、来ていました。
 すっかり顔見知りになった子どもたちのうち、ひとりが、私の手を引いてきました。

「おじさん、こっち!」

 その子が手を引いてくるまま、私はレストランを出て、公園のなかへ入ることになりました。どうやら、この子は、私と二人きりで、遊びたい様子です。
 その公園のなかには、丸太を何本も鎖で吊り下げてできた橋が、ありました。

「わたし、この橋を、わたってみる。わたしひとりで、わたるから、おじさんは、ぜったいに、こないでね。ここで見ててね」

 よし、わかった。私は、その場に佇んで、その子のチャレンジを、見守ることにしました。小さな足が、揺らぐ橋の上を、えっちらおっちらと、渡ってゆきます。真ん中あたりまで来て、その子は、急に怖くなったようです。

「おじさん、たすけてー」

 はいはい。私も、丸太の橋を渡って、その子のいるところまで、たどり着きました。「ここに座って」。私が、足をぶらさげて、丸太に座ると、その子は、私のひざの上に、腰かけてきました。私のひざの上で、ひと息ついている様子です。私なりに、その子のアタマを撫でたり、おなかをポンポンしたり、「よしよし」をしていると、その子は、気を取り直して、立ち上がり、丸太の橋を、また渡りはじめ、ついには渡り切りました。
 「おお、やったじゃん」。私が褒めると、その子は、嬉しそうに跳びはねながら、私の手を引いて、ふたたび、私を元の位置に戻しました。「もう1回!」。

「こないで」
「みてて」
「たすけて」

 これらの循環を、その子は、3回、繰り返しました。
 満足した、その子は、また私の手を引いて、レストランに戻りました。そして、席に着いた私の、ひざの上に、自然と、よじのぼってきました。可愛い…

(2)「愛着行動」

 上に述べた子の行動は、意味は分からないまでも、私にとって、印象に残っていました。そして、その後、発達心理学者・高橋惠子さんの書いた『絆の構造』(講談社現代新書)を読んでいるときに、この行動に関する解説に、私は、偶然、出くわしました。

――子どもは、まず、自分の好きなように遊びたがる。
――そして、不安になると、「大人たちがいざとなったら助けてくれること」を、確かめたがる。
――これらの行動について、くりかえすことによって、子どもは、他者との絆を確かめつつ、その行動の範囲を、広げてゆく。
――そして、このような行動は、子どもの頃のみならず、ひとの生涯にわたって、見て取ることができる。
――このような、ひとの行動のことを、「愛着行動」という。

 あの子のしていた「吊り橋わたり」は、まさに「愛着行動」でした。あの子は、私という他者との絆を確かめるために、「こないで」「みてて」「たすけて」を、くりかえしていたのですね。意味は分からないながらも、私は、あの子の、「すなおなたすけて」に、「すなおな好意」で応じておいて、よかった。そのように、私は、振り返りました。

(3)「すなおなたすけて」「すなおな好意」

 なぜ、私が、あの子の「たすけて」に応じたのかといえば、すでに書いたとおり、あの子の「たすけて」が、「すなおなたすけて」だったからです。そして、私も、すなおに、「あの子のことを、好きだったから」です。

――すなおに「たすけて」と言えること。
――すなおな好意で「たすける」ことができること。

 これらのことが、ひとびとが、信頼関係を結ぶために、大事なことなのでしょう。

(4)変形してゆく「たすけて」

 ただ、なかには、「すなおなたすけて」に、こたえてもらえなかった子どもも、いるでしょう。私が想像するに、「自分で渡ると言ったのだから、自分で最後まで渡りなさい」と、突き放す大人が、いることでしょう。
 そして、たすけてもらうことができなかった子どもたちが、なんとか、たすけてもらおうと、工夫して、「たすけて」を、変形してゆくことも、ありうるでしょう。
 変形した「たすけて」が、「あなたは私を愛していない」であったり、「お前はダメだ」であったりすることも、ありうるのでしょう。
 このような場合、子どもたちにとっては、いっそう「たすけること」が、必要であるはずです。しかし、そのまま「たすける」と、「相手の愛情を否定すれば、たすけてもらえる」という関係や、「相手の人格を否定すれば、たすけてもらえる」という関係が、できあがることになります。
 このような子どもたちが、ふたたび、「すなおなたすけて」が言えるようになるためには、大人たちによる、どのような関わりが、必要なのでしょう。

 なお、このような変形した「たすけて」について、私は、これまで私が50代の男性たちから受けてきた「最後通告」のなかに、同じような含意を、見て取るような気のすることがありました。
 その男性たちに共通していた特徴は、「自称エリート」でした。「エリートになりなさい」。「エリートなんだから、自分の問題は、自分ひとりで、解決しなさい」。そのように、子どもの頃、たすけてもらうことができなかったために、大人になってから、ときに、思い出したように、ひとに、たすけを求める。そのようなひとたちが、現代日本社会における、50代の男性のなかに、一部、存在しているのかもしれません。

(5)私のとる態度――「最後通告」≒「こないで」

 私としては、「愛着行動」について考えるとき、そのなかの「こないで」という行動が、上記の第3において述べた「最後通告」に、少し似ているように、思えてきます。
 実際に、「最後通告」が、「こないで」であることも、ありうるのかもしれません。
 たとえ、「最後通告」を受けたとしても、「みてて」「たすける」。そのように、応じることで、その相手と、絆を結びなおす。そのようなことが、できることがあるのかもしれません。
 この対応は、言葉の上では、つじつまが合っておらず、行動の上では、つじつまが合っている、対応です。アタマによる対応というよりは、カラダによる対応というべきものです。「泥くさい」「土くさい」「生きているにおいのする」対応ではあります。しかし、ひとは、もちろん、「アタマ」のみならず、「カラダ」によっても、生きているのですから、このような対応もまた、してゆくことが、生きてゆくということなのでしょう。
 この対応が、実を結んで、私に関わって下さる方々が、上記の「第2の2」において紹介した子どもたちのように、のびのびと動いて下さるようになることを、願います。
 うまくいくか、どうか。ここから先は、「やってみないと分からないこと」でしょう。

(6)反省――「最後通告」≒変形した「たすけて」

 この項の最後に、私としては書いておかなければならないことも、書いておきます。
 私が受けてきた「最後通告」が、私が適切に相手を「たすける」ことができなかったことによって、変形することになった「たすけて」であったことも、あったのかもしれません。
 そのことについて、私は、きちんと反省してゆくべきでしょう。

第5 男性の立場からの「してもらえるとうれしいこと」

 ここまでは、男性の立場から、「女性・若いひと・子どもたちに、どのように接したものか」ということについて、考えてきました。
 本項では、次のことについて、考えてみます。

――男性は、ときには、女性・若いひと・子どもたちに対して、無関心で、黙り込んでいるように見える。
――その男性としては、本当は、女性・若いひと・子どもたちから、どのように接してもらえると、うれしいのか。

 あくまで、私個人の、一例です。
 その私個人としては、次のように、思っています。

――私の話を聞いてもらえるなら、うれしい。
――きみの話をしてくれるなら、もっとうれしい。
――きみの好きなものを、教えてほしい。

1 話を聞いてもらう

 このところ、私の投稿が増えている、その最も大きなきっかけとなったこと。それが、「立教大学・法学部の『法政ゲートウェイ講義」において、学生さんたちに、私の話を聞いてもらえたこと」でした。
 学生さんたちが、私の話を、聞いてくれたこと。そのことが、私にとって、励ましになりました。励ますはずが、励まされました。
 学生さんたちが、私の話が終わった後、質問に来てくれることも、嬉しいことでした。

 ちなみに、7年間にわたり、年1回、話をしてきて、学生さんたちから、例年、異口同音に出てくる質問がありました。

――中島さんは、成年後見業務において、ご本人を看取り、火葬し、焼き場から、お骨になって戻ってくる姿を、目の当たりにすることが、度々あると、話していました。
――辛くないですか?
――私が、同じ光景を目の当たりにしたら、その辛さに耐えることが、できそうにありません。

 このような、学生さんたちから、毎年のようにくりかえし来る質問も、私が「解離」という、ひとのこころのはたらきに、気が付く、そのきっかけになりました。学生さんたちからの、すなおな質問に、私は感謝しています。

 なお、私としては、先の質問に、次のように答えています。

――作家・司馬遼太郎さんの言葉が、私のこころの支えになっています。
――「人間は、自然をめぐる、生命である」
――この言葉によって、私は、先に述べた光景についても、「ああ、このひとも、自然に還っていったんだなあ」と、受け止めることができています。私のこころのなかの、整理ができています。
――この言葉は、私が少年時代に、好き好んで読んでいた、司馬さんの著作から、拾い上げたものです。
――自分の好きなものから、自分の好きな思いや考えを、拾い上げていっても、いいのかもしれません。
――それに、「焼き場のご遺骨」を目の当たりにするようになってから、私は、この世界が、いっそう、きれいに見えるようになってきました。
――辛い光景について、目の当たりにすることも、長い目で見てみれば、悪いことばかりでは、ないのかもしれません。

 ただ、大教室で、ほとんど一方通行で、私から話をすることは、結局、どうしても、自己満足の域を出ることは、できないでしょう。
 私の仕事と人生についての話は、あくまで一例であって、ほかのひとにとっては、参考程度にしかなりません。
 むしろ、私としては、できることであれば、学生さんたちから、個別に、彼ら彼女らの話を聞きたいと、考えています。

2 好きなものを教えてもらう

 絵本作家・ヒグチユウコさんによる『すきになったら』(ブロンズ新社)には、次のような趣旨の、描写があります。

――好きなひとの、好きなものが知りたい。
――好きなひとの、好きなものを、私も好きになりたい。
――好きなひとと、私とで、好きなものを、分かち合いたい。

 このことは、私の個人的な体験からしても、まさに当てはまることでした。
 安野モヨコさん。小川洋子さん。写真。北海道。これらは、私の好きな若いひとから、「好きなもの」として、教えてもらった「ひと・もの」でした。教えてもらった結果、私も、それらの「ひと・もの」が好きになりました。若いひとたちと、好きなものの分かち合いができたこと。そのことは、私にとって、喜びでした。

 それに、ひとが何かを選ぶことについて、迷うことになったときに、そばにいるひとが、そのひとの好きなものについて、知っていれば、次のように、そのひとの立場に、なるべく立っての、アドバイスをすることも、できるようになるかもしれません。

――いままで、きみが好んできたものからすると、こっちの方が、きみは好きそうじゃない?

 「好き・嫌い」は、何かについて、選ぶときの、その基準の、基本となるものでしょう。

第6 まとめ

 以上、私が、「男性の身体」によって生きてきた、その個人的な体験についての、ルポルタージュでした。
 自分の身体を通して、体験したことについて、書き留めつつ、これからのことを考えていると、自分の身体に、足があることに、あらためて気が付いて、「地に足が着いてきた」ような気がします。
 その「地」は、「契約」の原理に立っていた私が、当初、想定していたような、「コンクリートでできた平坦な歩きやすい床面」ではなく、「どろどろ、ぐちゃぐちゃ、でこぼこした、生きもののにおいのする地面」でした。
 このような地面を、歩いてゆくことにします。
 最後に、私が、相手との向き合いがうまくゆかないときに、自分への励ましとして読んでいた詩を、ここに引いておきます(小池昌代『吉野弘詩集』岩波文庫)。

 父 吉野弘

 何故 生まれねばならなかったか。

 子供が それを父に問うことをせず
 ひとり耐えつづけている間
 父は きびしく無視されるだろう。
 そうして 父は
 耐えねばならないだろう。

 子供が 彼の生を引受けようと
 決意するときも なお
 父は やさしく避けられているだろう。
 父は そうして
 やさしさにも耐えねばならないだろう。

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