【映画】ステファヌ・ブリゼ『女の一生』ドマ、ミモザフィルムズ

※内容に関する記述があります※

『女の一生』
http://www.womanslife.jp/

原作・モーパッサン。1883年の作品。フランス文学の古典を映画化。舞台は近代ヨーロッパなのに、あらすじが現代日本における専業主婦の状況にも似ていたので、気になって観てみました。

貴族の娘、ジャンヌ。修道院を出たばかり。両親の勧めで、お見合い結婚。相手は貧乏貴族。見栄っ張りの夫は、「馬車の紋章が整うまでは」と、ジャンヌを家に閉じ込める。ろうそくも焚き木も、「お金がかかる」。暗い家、寒い家…
そして夫の不倫。夫は涙ながらに謝罪。「心から恥じている」。両親は「許してやりなさい」。夫と両親を拒絶したとして、その先、ジャンヌにはどういう生活がありうるのか? 許したジャンヌ。しかし夫は性懲りもなく… ジャンヌは、もう、そのことを、神父にしか話さなかった。「私が我慢していれば済む」。

※夫を選べない。夫の経済水準が、そのまま生活水準。生活していくためには離婚もできない。生活の平穏のために、葛藤に直面することを避ける※

夫が愛情の対象にならなくなったジャンヌ。息子を溺愛。「学校なんか行かなくていい。計算はできなくても、色んなお花の名前を知っているから、それでいいの」。ジャンヌ自身にも知識がない。息子は引きこもりになった後、放蕩。「またとないチャンスがめぐってきた! 僕はお金持ちになる! 愛するひとと共に行きます!」。勇んで外国へ出ていった息子からは、その後、度々、お金の無心が。「貧窮しています。助けて下さい」。ジャンヌは息子のために、父から継いだ農園を、売却したり・抵当に入れたり。ついには一文無しに。そこまでしても、息子は、会いに来ない。母の思い、「どうして私を捨てたの?」。そうは思っていても、ジャンヌは自分からは会いに行かない。結局、彼女の乳姉妹である家政婦が、ジャンヌの息子に会いに行って、真実を確かめることに。彼女が連れて帰って来たのは…

※子どもに好き勝手にさせる以外、育て方を思い付かない。このように、「自分から相手に働きかけて、葛藤を解消してゆく能力」の欠落は、子どもへの接し方にも影響する。そういう能力が欠落するような育てられ方をしてきた?※

ヨーロッパ近代の貴族夫人と、現代日本の専業主婦、それぞれの状況の共通点。家に妻を閉じ込める。知識を与えない。自由を与えない。葛藤を解消せず、誰かが何かしてくれることを待っているだけの人間にする。そういう彼女たちを待っているのは、たとえ愛情を失っても離婚できない夫への依存生活。そして、子どもとの、一方通行な愛情生活。うーん、なんでこんなに似ているんだろう。
そして、同様のことが、日本の若年男性にも起こっているのかもしれません。自己効力感の低下。そのことと表裏一体の安定志向。安定志向とは、つまり、大企業正社員・公務員への志向。大企業・国家・自治体への嫁入り願望? 正社員×専業主婦という生き方にまつわる問題、その根源は、ひょっとするとヨーロッパ近代以前にまで遡るのかもしれません。興味が湧いてきました。

面白い映画でした。ただ、とっても暗鬱な物語。積極的にはおすすめしません(^_^;)

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