【読書】中井久夫『最終講義 分裂病私見』みすず書房 ~急性症状としての「自己実現」~

中井久夫『最終講義 分裂病私見』みすず書房 1998.5.8
https://www.msz.co.jp/book/detail/03961.html

著者の中井久夫さんは、精神科医。日本における統合失調症治療の第一人者。神戸大学での最終講義。臨床からの知見の集大成。その要約。

意識を司る、脳における中枢神経。その中枢神経は、通常、身体が守っている。疲労感、睡眠、心身症などの方法によって、身体は、外界からのストレスによる過度な影響が、中枢神経へまで及ばないよう、防御している。その身体による防御をストレスが超えたとき、統合失調症が発症する。

統合失調症は「脳がストレスを一手に引き受けている状態」。
脳における中枢神経は、通常、自分の意識にとって意味のあるもの・意味のないものを振り分けている。自分の意識を守るために。
統合失調症の急性症状においては、中枢神経は、すべてを自分の意識にとって意味のあるものとして引き受ける。自他の区別がつかなくなる。意識が無限に高まってゆく。ある患者が急性症状を回顧した言葉、「ついに自己を実現した」! この症状は、当人にとっては、二度と遭遇したくないような、恐怖体験である。
このように、統合失調症は、「全ての物事を自分にとって意味のあるものとして引き受ける」ので、その前駆症状として、患者は、物事に過度に集中することがある。ある患者は、ある地方自治体における統一試験において、1位の成績をとった後、発症した。

著者は、統合失調症の上記症状について、下記のように表現。
「自分が唯一無二の単一人格でありつづけようとする悲壮なまでの努力」
「何をおいても責任だけは我が身に引き受けようとする努力」

発症後の患者は、すべての物事について意味が決まっているように認識するので、外界に対して働きかけることができなくなる。白い紙に「好きに線を引きなさい」と促しても、1本、引くのが、やっと。

※ 「身体が意識を守っている」。このことは、鷲田清一さん(臨床哲学者)も指摘していました。鷲田清一さんは、中井久夫コレクション(みすず書房)について、推薦文を寄せています。鷲田さんは中井さんの論考を結構参照しているのかもしれません。

※ 「自他の区別がつかなくなる」。民法における意思表示においては、自他の区別のつくことが必要です。他者に対して、どのような権利義務関係になるかが、債権における意思表示の問題。モノに対して、どのような権利変動を起こすかが、物権における意思表示の問題。自他の区別がつかない場合には、意思表示のしようがありません。統合失調症の患者さんについて、成年後見制度の必要な理由が、この本によって、はじめてわかりました。

※ 何でもかんでも自分のこととして引き受けること。物事に過度に集中すること。それが統合失調症の引き金になるんですね。あまり座学ばかりしていても良くないんだなぁ。過労死しそうな長時間労働も、良くなさそうです。

※ 進路選択・職業選択について、よく出てくるキーワード、「自己実現」。統合失調症の急性症状において出てくる言葉でもあるんですね。やっぱり、こうした選択においては、「自己実現」よりも「他者の役に立っている実感」のほうに重きを置いたほうがよさそうです。なお、「自己実現」とは、「自己の可能性を最大限に実現すること」。外界すべての物事を自分の意識と同化して引き受ける感覚は、たしかに、「自己の可能性を最大限に実現する」感覚につながるのかもしれません。

統合失調症が回復期に入ると、やっと睡眠できるようになる。疲労を感じるようになる。心身症が発症する。身体が意識を守るために動き出す。とくに、急性症状のときに感じていなかった疲労が、追いかけてやってくる。この疲労を「基本消耗」という。
そして、幻覚や妄想が出現する。患者のなかには、急性症状における恐怖体験が強烈なので、幻覚や妄想のある状態がまだましということで、その状態から治りたがらないひともいる。

回復期においては、能動的に治ろうとするひとと、受動的に治ろうとするひとがいる。動き過ぎても失敗ばかりでうまくいかない。かといって、何もしないままでいると治らない。軽い受動型のひとが、いちばん治りやすい。
なお、患者が働き始めるには、発症から8ヶ月はかかる。

慢性化することも、ままある。中枢神経システムと、身体システムとが、ズレたまま均衡した状態。急性症状か身体症状が発症したときが、治療の好機。

治療者としては「待ち」の姿勢が重要である。
「待ち」に関連して、統合失調症の治療においては、治療者が傍らにあること、そのことによって患者が安心できることが重要である。
患者の自己尊厳と士気とを回復そして維持するのが、治療者の務め。

真の意味での回復とは、「発症前の状態に戻ること」ではなく、「再発のない意識システムを構築すること」。
やわらかく治す。睡眠を良くし、余裕を残すような生き方がよい。ゆとりとは、努力してつくるものではない。
1日がんばりすぎたら、翌日はのんびりする。2日で収支を合わせる。
回復後の生活には、程よい多様性のあることも大事。

※ 「ゆとりとは、努力してつくるものではない」。いい言葉ですね。この言葉と照らし合わせると、「生産性の向上によって、時間を捻出して、ゆとりのある生活を実現する」という言葉のおかしさが分かります。

示唆に富んだ一冊でした。統合失調症について知りたいひとに、最初の一冊として、おすすめ。
統合失調症とは、すべての意味を意識で引き受けてしまう病なのですね。意識で全てが決まる、意思決定社会・自己決定社会・自己責任社会の生んだ、社会病なのでしょうか。中井さんには『分裂病と人類』という、統合失調症に関して、その人類史をたどる著作もあるようです。読んでみたくなりました。

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