【読書】鷲田清一『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』ちくま学芸文庫

鷲田清一『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』ちくま学芸文庫 ワ-5-4 2011.8.9
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093943/

文庫化前の原題は『働く女性のための臨床哲学クリニック』。
女性のみならず、男性にも。働くひとのみならず、学生さんにも。

〔仕事〕

「自己実現」よりも「他人の役に立っている実感」。そういった意味では、仕事を通して「どんなひとと出会うか」が大事。
進路は、働き始めてから決めてもいい。
一本に絞らないで、複線で生きていったほうが、人間として折れなくなる。

読んでいて、いちいち共感。
『だれのための仕事』(講談社学術文庫)や、神谷美恵子さんの『生きがいについて』に書いてあったことが、サラッとまとまっています。

〔恋愛〕

三人称の視点から「あの人は社会的にああだ、経済的にこうだ」ではなく、二人称の視点から「わたし、あなた」の関係になること。自分を賭けること。
ただし、「あなたがいないと何もできない」という、もたれ合いには注意。

うん、わかる(^^)

〔友人〕

相手の話を受け止めて、そして自分なりに返す関係。
現在の携帯電話を通した関係では、卓球のピンポンラリーみたいに、反射し合うだけのやりとりになっていないか。

〔親子〕

① 地域や親戚ぐるみで子育てしていたのを、「母親の愛情」ということで、母親に全て押し付けているのが現状。専業主婦制度では、母親も、家族も、社会も、もたない。
② 団塊世代の母親にとっては、自由に生きていける娘が眩しい。しかし社会の制約のなかで苦労してきた自分のことも認めてほしい。だから娘を素直に自由にできない。
③ 子どものやりたいことを素直に認める親は、子どもにとって、張り合いがない。
④ 親を介護できるかどうかの不安。そもそも「親を自分だけで介護する」とは考えないほうがいい。ケアに熟達した施設の職員さんたちのほうが、子どもが在宅でケアするよりも、手厚く見送ってくれることも。

※① 母性愛神話の罠。
※② 信田さよ子さんの『母が重くてたまらない』を読みたくなる指摘。
※③ 河合隼雄さんの「ひとつの生き方を提示することが、父親の役目」という意見にも通じる話。
※④ 「在宅での看取りのほうが幸福」という先入観への一石。施設でのケアの一層の充実も、たしかに、目指すべき方向のひとつでしょう。そもそも「在宅・施設」という二項対立の発想を解消したほうがいいのかもしれません。在宅一辺倒でも施設一辺倒でもない、「地域包括ケア」という発想の重要性の再認識。

考えるヒントがいっぱいの一冊でした。また読み返そう(^^)

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