【法学】水野紀子『民法と社会的・制度的条件』公証法学 第47号 2017.12.20
「日本相続法には、基本的なバグがある」
1 日本相続法
関連する各種の手続きを、一括して処理する、遺産分割制度がない。債権債務処理、遺言執行、遺留分減殺、それぞれの手続きが、バラバラに進行することになっている。しかも、各手続きを管轄する裁判所が、地裁と家裁とに分かれていて、その連携も十分ではない。
〔中島コメント〕
基本的なバグのある制度のなかで、どうしたら、手続上も問題がなく、実際上も妥当な解決ができるのか。そのことを考えながら、対応していくのが、実務家の存在意義なのかもしれません。
たとえば、AIによって、法律実務を自動化したとしても、そもそもの制度にバグがある場合には、妥当ではない結果を、大量生産することになるのではないでしょうか。
このように書いてきて、個人的に、思い浮かべることがあります。
それは、数式と法律の違いです。
前者は、自然に存在しているルール。法則。正確かつ変わることがない。
※ ただし、その正確さにも限界があるようです。「ラッセルのパラドクス」。
後者は、人間の形成したルール。規範。不正確かつ変わってゆく。
AIによる自動化は、前者については、一部、有効なのかもしれません。後者については、どこまで有効なのでしょうか。
2 戸籍と不動産登記
明治時代初期、戸籍制度と不動産登記制度は、同年に形成。日本法にとっての基礎インフラとして、連動して機能してきた。
〔中島コメント〕
戸籍と不動産登記との連動。『相続法の立法的課題』での水野論文にも、記述のあった指摘です。
普段、相続登記実務において、関連資料として触れてきた戸籍が、実は、不動産登記制度と並び立つ、基礎制度だった。個人的には、新鮮な指摘でした。戸籍制度に、興味が湧いてきました。
一方、商業法人登記制度と、戸籍制度とについては、連動している印象を、個人的には受けません。商業法人登記制度は基礎インフラとして、どのような位置づけになるのか。このことも、興味ぶかいです。
3 私的自治と国家介入
日本の家族法は、過度の私的自治。
フランス法のように、検察官や公証人が、手続きに積極的に関与することがない。「自由を保障する」ための国家による介入がない。
離婚については、「合意」があればよいことになっている。
その「合意」が、いかに適正な内容なのか、ということについては、不問。
そして、離婚した後の扶養料についても、刑事罰による履行強制がない。刑事罰がない離婚給付制度は、先進国では例外的である。
結果、離婚合意したい妻は、離婚においての給付、その後の給付をあきらめて、離婚することになりがち。たとえ、離婚後の給付について、合意ができても、その給付を受けることができる、制度上の保障は、ない。
「自由を保障する」ための国家による介入がないことは、児童虐待についても、同様である。
日本において、児童虐待について、司法が介入した件数は、2014年において、100件に満たない。
一方、フランスにおいて、同様の問題に、司法が介入した件数は、2016年において、9万件を超えている。その申立てには、検察官が、多く関わっている。
なお、フランスの人口は、日本の約2分の1である。
自由の保障がないために、少子化が進んでいる現状において、逆に「母性」による女性の献身を推進することによって、問題を解決しようとする、復古的な動きがある。しかし、その動きは、支援がなくて弱っている人間に、「自分で解決しろ」と迫る、残酷な施策である。
本来、こうした制度による人権保障の不備については、最高裁判所が違憲判決を下して、是正を求める、という対応策があることになっている。しかし、日本における、最高裁判所による、違憲判決の運用は、消極的である。
〔中島コメント〕
「自由を保障する」ための国家による介入。その不存在。そのことはつまり、私たちが、いまだ獲得できていない人権がある、ということでしょう。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。日本国憲法の掲げる、この目標は、いまも意義を有しているのでしょう。
ただ、こうした目標に意義があるとする一方、現在のポピュリズムに基づいた保守政権が続く状況のもとで、その実現可能性がどれだけあるかも、十分考慮しておくべきでしょう。
保守政権による政策が、いずれ破綻するとして、その後に残るのは、その政策を支持した大衆だからです。
A「制約のある制度のなかで、それをいかに変えてゆくか」
B「制約のある制度から、距離をおいて、自分そして自分の周囲の人々の自由が保障できる状況を、いかに作っていくか」
個人的には、Bの考え方を選択します。