【考えの足あと】憲法記念日

※ この記事は、2016年5月2日に、フェイスブックへ投稿したものです。

樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』集英社新書 0826A 2016.3.17
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/?fbclid=IwAR29Q_Dp7dEsr_lw4Pi6DzbDlWWcO0KkfFPw9_WGAb-7mT0aZ5GfEv1VyM8
蟻川恒正・宍戸常寿・高橋純子・中野晃一「日本の立憲主義のいま」論究ジュリスト 2016年春号 No.17
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641213173?fbclid=IwAR2F232U2j0HwqiTlxhhOInLpOGL8fAM4RzHcMk3IsNZS36MLxRyzyvA8-E
森政稔『迷走する民主主義』ちくま新書 1176 2016.3.7
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068811/?fbclid=IwAR29Q_Dp7dEsr_lw4Pi6DzbDlWWcO0KkfFPw9_WGAb-7mT0aZ5GfEv1VyM8

 樋口陽一ほか『「憲法改正」の真実』。
 某政党の改憲草案は、新自由主義+新保守主義。
 たとえば先日勉強した婚活問題に即していうと、この改憲草案は、若年世代にとっては、「非正規雇用の拡大」(企業の競争力を高めるため:新自由主義)「保育所など子育て支援策の不備」(女性は家庭を守りなさい:新保守主義)という非婚化・少子化の原因となっている政策方針を、憲法に規定しようとするもの。
 婚活問題に限らず、この草案での改正が実現したあとに、この国に暮らすひとびとの生活が具体的にどうなってゆくのか、某政党の説明に、私は注目しよう…
 そもそも、「新自由主義+新保守主義」は、一時的な思想潮流。一時的なものを、あえて憲法に組み込む必要があるのか。現行憲法は、戦後70年ちかく、「基本的人権の尊重」を基礎として、たとえば田中角栄政権(大きな政府)にも、小泉純一郎政権(小さな政府)にも、対応してきた。このように柔軟性のある、現行憲法のほうがいい。

 そもそも、このような改憲草案を基礎とした改憲論議が出てくる一党支配の状況に、なぜ、なったのか。
 それ以前の問題を加えていえば、安全保障法制に関して、本来は憲法改正が必要な立法が、閣議決定でできるとする一党支配の状況に、なぜ、なったのか。
 そして、現在の状況のなかで、有権者たちは、どうするべきか。
 これらの問題について、座談会「日本の立憲主義のいま」が分析。
 有権者は、「権力を法に従わせる」「権力をコントロールする」という視点を、いつのころからか、失ってきたのではないか。その意味でSEALDsの直接行動は希望。彼らの直接行動を、民主主義を基礎とした権力のコントロールに、どのようにつなげていくかが課題。
 また一方で、こういう指摘も。「新自由主義と新保守主義とは相反する面があるため、一枚岩ではないのではないか」。内部から崩壊する可能性。
 
 上記の座談会で挙がっていた問題群を、偶然の一致か、森政稔『迷走する民主主義』が、掘り下げて検討。
1 有権者の「権力をコントロールする」視点が欠落している問題は、有権者の視点が「消費者」になっていることに原因がある。その時々の「景気が良くなる」「税金が上がらない」という損得だけで投票行動をする傾向があった。
2 新自由主義政党に対抗できる有力な政党が出てこない原因は、新自由主義政策によって影響力の増した市場を、政府がコントロールできない状況だから。新自由主義政策は、サブプライムローン問題に端を発する金融恐慌によって、その失敗が明確になった。しかし、その後始末のために出てきた、新自由主義の対抗勢力であるオバマ大統領(アメリカ)も・民主党(日本)も、有効な対策を実施することができなかった。いま各国政府は、新自由主義型の市場に寄り添って政策を展開せざるをえない状況。そうなると、新自由主義政党以外に、一応は有効な政策を打ち出すことのできる勢力は、出てきづらい。
3 それでは、新自由主義とは別な道は、ないのか? その問題は、政治哲学、とくに「公共哲学」という分野が探究している。主な論者は、マイケル・サンデル氏ら。マイケル氏は、「公共哲学」のなかでは「コミュリタリアン」という立場。新自由主義の基礎となっている個人主義をこえて、公共善にもとづく市民の連帯を説く。
 
 以上、勉強した結果でした。
 正直なところ、現状、有権者の投票行動・政治活動がすぐ変わったり、有力な政党が出てきたりする可能性は、あまりないでしょう。
 そして、上記は国政レベルの大上段な話でしたが、某政党や他の政党の区議会議員さんたちの活動も私は知っていて、その議員さんたちの地元貢献ぶりを見ていると、「新自由主義+新保守主義」とか「右派・左派」とか、単純なレッテル貼りをしても、そのひとたちのことを誤解して、できる交流もできなくなってしまうと感じています。
 私は私で、立教・豊島の交流を核としながら、司法書士として、たとえば成年後見業務で地元のおじいさんおばあさんの生活を支援したり・空き家の管理処分に携わったり、市民の連帯に参加していきます。こうした考え方は、今回勉強する以前から持っていましたけれども、マイケル・サンデルさんの公共哲学が、だいぶ似た発想であることにびっくりしました。マイケルさんの著作、読んでみると、さらに考えを深めるヒントがあるかもしれません。

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