池袋の司法書士・行政書士中島正敬┃中島司法書士事務所

【考えの足あと】父による認知

 『父という余分なもの』から。「男性は、母親と子どもからの承認があって、はじめて父親になる」。日本における親族法の場合、この関係が逆になっている。
 結婚していない男女の間に、子どもが生まれた場合。女性は、当然に、法律上の母親になる。つまり、養育の義務を負う。逆に、男性は、彼が子どもを認知しない限り、法律上の父親には、ならない。つまり、養育の義務は、負わない。
 その子どもを認知するかどうかは、まずは、父親次第。母親または子どものほうから、父親による認知を求めるには、裁判によることが必要となる。DNAによる鑑定が可能となった現在では、父子関係を立証することは、ある程度、容易になった。しかし、DNAによる鑑定が可能となったのは、最近の話。それ以前は、母親や子どもが、認知の訴えを提起しても、証拠がなく、敗訴することが多かったという(前田陽一ほか『民法Ⅵ』〔第5版〕有斐閣137頁)。

 母親や子どもが、父親からの認知(承認)を受けるためのハードルの高さ。「男性は、母親と子どもからの承認があって、はじめて父親になる」。この命題との逆転現象。
 この制度のなかで、母親が、その子どもについて、父親に養育の義務を負わせるためには、「結婚した上で、子どもを生む」ことが必要になる。以前紹介した『ワンオペ育児』には、「日本では、『結婚をする』意識と、『子どもを生む』意識とが、結合している」という指摘がありました。この意識の結合については、「父による認知」制度が、ひとつの要因になっているのかもしれません。
 そして、父親に養育の義務を負わせるために、母親が結婚をしたとして、その先に待っているのは、『働く女子の運命』や「専業主婦の財産制度」で紹介した、「働きにくさ」と「自立しにくさ」。それならば、結婚しない方がいい。子どもがいなくてもいい。そうした判断を、女性がすることになったとしても、不自然ではありません。
 逆に、父親からすると、この結婚制度は、親子制度は、「女性を家庭に閉じ込めて、自分の子どもを、確実に育てさせる」ために、都合の好い制度です。

 こうして検討してみると、日本における、結婚制度、親子制度は、人間の本性に反しているのかもしれません。むしろ、制度のほうから、人間の本性を、無理矢理に修正しようとしている印象も、個人的には受けます。そして、制度と本性との不適合が、未婚化、少子化に、つながっているのかもしれません。
 「婚活」の推奨によって、現行の結婚制度、親子制度の復興を目指していくよりも、「人間の本性に根ざしたパートナーシップとは?」というところから、考え直してみても、いいのかもしれません。
 どこかで読んだ記述。日本か、海外か、不明。「その集落において、ある子どもの父親について、複数の男性に可能性があるとき、その男性たちのなかから、母親が父親を選び出すことができる、とする風習がある」。日本の現行制度に比べると、ずいぶんのびのびした風習ですね。

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