【法学】田髙寛貴ほか『リーガル・リサーチ&リポート』第2版 有斐閣 ~法学方法入門3部作②~

田髙寛貴ほか『リーガル・リサーチ&リポート』第2版 有斐閣 2019.12
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641126114

 学生さん向け。
 法学について、調べ方、まとめ方、発表の仕方を、解説。
 執筆陣は、『法解釈入門』と同じく、法学において、第一線で活躍している、学者さんたち。

1 法学の議論

 法学における議論は、「主張・根拠・論証」で、成り立っている。
 どの主張にも、根拠が必要。そして、その根拠から、その主張が成り立つことについて、論証が必要。論証方法には、典型として、三段論法がある。
「AならばBである。CはAである。従って、CはBである」
 この三段論法について、次の論証は成り立たないので、注意すること。
「AならばBである。CはBである。従って、CはAである」

 ※ なお、論証にあたって参照するべき「論理学」について、野矢茂樹さんの『入門! 論理学』(中公新書)の紹介がありました。

 また、法学における主張については、「必要性」及び「許容性」が重要である。
 「必要性」とは、「その主張を採用する必要があること」。
 「許容性」には、広い意味がある。「その主張を採用することが、法律上許容されていること」。「関係者の利益を害したり社会に多少の混乱を招くことになってもやむをえない理由があること」等。

 以上の「議論の作法」についての好例として、最高裁の一判例を、紹介。
 判例は、上記の「議論の作法」によって、主張を認める側に対してはもちろん、主張を認めない側に対しても、その判例の示す判断が、説得力を持つよう、その理由を組み立てている。

〔中島コメント〕

 論理学、個人的に、面白そうです。
「AならばBである。CはBである。従って、CはAである」
 この誤った論証については、小川洋子さん・岡ノ谷一夫さんの『言葉の誕生を科学する』にも、紹介がありました。

 「必要性」と「許容性」の二項対立。この二項対立は、中山竜一さんが『法学』において紹介していた、「自由の法則」と「衡平の法則」との二項対立にも、近似しています。
 「必要性」と「許容性」、「自由」と「衡平」。これらについて検討することは、ひらたく言えば「バランス感覚を養うこと」にも、つながるでしょう。
 ただ、矛盾対立している、双方の主張について、配慮するべきであるとしても、実際には、裁判官など実務家は、どちらかの主張を採用してゆく必要があります。しかし、バランス感覚を養えば養うほど、どちらを採用するのか、決めづらくなります。どちらかの主張を採用する、その最後の決め手となるものは、何なのでしょう。

2 個人作業

 判例研究。テーマ研究。これらの総合作業としての事例研究。
 まずは、判例の原文や、代表的な教科書・体系書にあたる。そして、それらのなかから、論点を見い出して、その論点に関する対立について分析して、整理する。
 学生が、法学における問題について、新たな見解を提唱することは、実際のところ、難しい。しかし、論点を見い出して、対立を分析して、整理すること自体が、そのひとの「問題意識や価値観がにじみ出る、極めて創造的な作業である」。学者であっても、この整理には、苦心している。学生は、複数の文献をあたって、学者たちが、それぞれ、どのように、論点を整理しているのか、参考にするとよい。

〔中島コメント〕

 論点の見い出し。そのためのチカラがあることは、一般的な社会人としても、重要でしょう。このことに関連して、リクルートワークス研究所の所長・大久保幸夫さんも、『仕事のための12の基礎力』(日経BP社)のなかで、「問題を発見する能力」の重要さについて、指摘していました。大久保さんは、この本において、「問題を発見する能力は、問題を解決する能力、目標を設定する能力に、つながってゆく」旨、述べています。

 さらに、連想。新井紀子さんは、『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)において、「AIは、意味を理解することができない」という趣旨のことを、書いていました。
 論点の見い出しは、意味の見い出しでも、あるでしょう。法を学び、その思考方法について、体得することは、「AIにはない能力を、体得すること」にも、つながるのではないでしょうか。

 論点を見い出した上で、どのように分析して、整理するか。その方法として、この本には、随所に、図表による整理、その例示がありました。この例示、実務でも参考になりそうです。

 実務において、参考になる。この話題に関連して、この本や、『法解釈入門』を読んできて、個人的に思い出したことがあります。
(1)事案の把握
(2)条文からの規範の導き出し
(3)規範の事案への当てはめ
 法は、このように適用するものです。
 であるところ、これまでの実務のなかで、私が経験してきた、「裁判所や法務局に対して、照会票を出してみて、相手先から、直截の回答が来ず、まずは、照会の趣旨について問い合わせが来た」事例。そうした事例については、おおむね、(2)が欠けていたか、不十分でしたようです。
 このことについて、三段論法に引き寄せて、表現すると…
「CはAである。従って、CはBである」
 という論法になります。
 このように、(2)が欠ける等した照会票は、三段論法として、不十分なものでしたので、相手先から、その趣旨について、釈明の求めが、来ることになったのでしょう。
 こうしたことからしますと、司法書士の携わる、成年後見、不動産登記、商業法人登記などについても、「法の解釈」という作業が、やはり必要になるでしょう。これらに関連する、法律の条文、その条文をめぐる論点について、十分に把握しておくこと。そのことが、やはり重要になるでしょう。そう考えたとき、問題になってくることは、成年後見はまだしも、登記に関する、法学における議論が、民法と比べると、必ずしも充実していないことでしょう。
 ※ もちろん、「照会の対象となる事案について、相手先へ必要十分に伝えること」も、つまり、上記(1)も、重要でしょう。そうでないと、照会についての相手先の回答が、その前提のうち、ひとつを欠くことになります。

3 集団作業

 ディスカッション、ディベート、法律討論会。
 法学における論点について、上記2において紹介した、個人作業によって、十分に準備した上で、上記1において紹介した「議論の作法」をふまえながら、他者と議論していく。

〔中島コメント〕

 ディスカッション等によって、異なる立場のひとびとが、議論してゆくことが、その論点における「必要性」と「許容性」の二項対立について、バランスのよい結論を見い出してゆくことに、つながってゆく。そのことを、この本は、例示していました。
 自分の考えと、他者の考えとが、お互いに、影響を与え合う。こうした効果のある、ディスカッション等は、平田オリザさんが『わかりあえないことから』(講談社現代新書)において述べていた、「対話」の精神、その実践でもあるのでしょう。「異なる価値観や考え方の触れ合いのなかから、共有できるものを見つけ出して広げてゆくことのできる精神」。あるいは、「お互いがお互いに価値観や考え方に変化を与え合うことを喜ぶことのできる精神」。

 さらに、連想。国会をはじめとする、「議会」が、この社会にあること、そのことについての意義。衆議の意義。
 その意義に関しては、まず、形式面において、「民主主義という理念の実現」があります。この形式面での意義に加えて、この本の例示からしますと、衆議には、実質面での意義として、「熟議による熟慮によって、妥当な結論を得る、その可能性を高めること」も、あることになるのではないでしょうか。
 そうした理解からしますと、特にポピュリズム社会において起こりうる、「熟議のない衆議」には、衆議の本来の意義が、半分しかないことになるでしょう。ただ、そう考えるにあたっては、この本の例示に対して、「そもそも、衆議において、熟議は成立するのか」ということが、問題になってくるでしょう。そして、「熟議によって、妥当な結論を得る、その可能性は、高まるのか」ということも、問題になってくるでしょう。

4 情報検索

 法学における、個々の論点について、関連する文献を検索するには、まず、検索対象を絞り込むことが有効である。絞り込みなく、いきなり検索すると、大量の文献情報に直面することに、なりがち。
 絞り込みのためには、まず、代表的な教科書・体系書など、基礎文献にあたるとよい。それも、複数の基礎文献に。基礎文献には、大体の場合、その論点に関する、重要な論文の紹介もある。そうした重要な論文も、読んでみる。こうした調べ方を「芋づる式」という。ただ、芋づる式では、最新の文献をはじめとした、全ての文献について、網羅して把握することは、難しい。その難しさに対応する意味で、「文献を検索すること」が、重要になる。
 検索についての例示。たとえば、「賃借権の譲渡・転貸」。その論点について、代表的な教科書・体系書を、めくってみると、「信頼関係破壊の法理」や「背信行為論」が、問題になっていることが、分かってくる。その上で、「信頼関係破壊の法理」や「背信行為論」を、キーワードとして、文献情報を、検索してみる。こうすることによって、適切な冊数・本数の文献が、検索できるようになる。

 法令については、総務省による「法令検索」の他に、国立国会図書館による「日本法令索引」が有用。
 文献については、国立情報学研究所による「CiNii」、国立国会図書館による「NDL ONLINE」が有用。
 判例については、裁判所ウェブサイトの他に、LEX/DBなどの有料判例検索データベースがある。なお、評釈としては、最高裁調査官による解説はもちろん、『法学協会雑誌』や『民商法雑誌』に所収の評釈が、重要。

〔中島コメント〕

 やみくもに検索せず、まずは基礎文献・重要文献にあたることの大切さ、同感です。
 このことに関連して、「Twitterにおけるリツイート」・「Facebookにおけるシェア」に関して、留意しておくべき問題についても、自分自身のために、一言しておきます。
 リツイートする記事・シェアする記事が、「単純な思い付き」なのか、「その論点に関する、これまでの議論の蓄積をふまえたもの」なのかについては、十分に注意した上で、リツイートするべき・シェアするべきでしょう。
 そして、「単純にリツイートすること、単純にシェアすることが、その論点に関する、議論の蓄積に、つながってゆくのか」ということについても、十分に留意するべきでしょう。
 ひとびとが議論してきたこと、その蓄積の上に、新たな議論が展開してゆく。それが、議論のたどる、本来の流れであるならば、インターネット上の記事も、それまでの議論の蓄積をふまえた上で、書くべきものであるはずです。そして、インターネット上の記事についてのリツイートも、シェアも、一過性のものではない、今後の議論に活かしてゆくための「賛意の表明」であるべきではないでしょうか。
 ちょっと、堅苦しい考え方かもしれません…
 こうした留意について、個人的に書き留めておくことにした動機は、ここ最近、こういう問題意識が、私のなかにあるからです。「たまに、ネットサーフィンしていて、時間だけが、いたずらに過ぎてゆくことがある。それなのに、ネットサーフィンを、きりのいいところで、やめることができないのは、インターネット上の記事に、物足りないものが多いにもかからわず、それらの記事から、満足を得ようとしているからではないか」。仮説です。

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