【読書】立花隆『「知」のソフトウェア』講談社現代新書

立花隆『「知」のソフトウェア』講談社現代新書 722 1984.3.19
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000144319

 著者の立花隆さんは、ジャーナリスト。立花さんの、「アタマの使い方」についての、個人的な経験談。アタマへの「インプット」から「アウトプット」へ。その一連の流れについて、解説。

 この本、私、学生時代に、法学部での「基礎文献購読」という授業において、読んだことがありました。
 この度、前回の記事(『法を学ぶ人のための文章作法』)で、「一般的なアタマの使い方についての本も、読んだ方がよい」旨、書いたところ、この本のことを、個人的に思い出しましたので、あらためて、読んでみました。

1 インプット

(1)情報の意味を読み取る能力

「コンピューターは自分の処理する情報の意味を知っている必要はない」
「それに対して、人間という情報系では、情報は常に意味付きでなければならない。人間の思考は意味と切り離すことができない」

〔中島コメント〕

 コンピューターと、人間との違い。「情報の意味を読み取る能力」。このことと同様のことを、新井紀子さんが『AIvs.教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社(2018.2.2)において、述べています。
「AIにはできない仕事は、『意味を理解する能力』が必要となる仕事」
 本書の出版は、1984年。今から36年も前に、立花さんは、コンピューターと人間との、その能力の違いについて、その本質を、言い当てていました。
 視点を変えてみると、「AIの能力が、人間の能力を超えるときが、やってくる」などと、未だに騒いでいる私たちは、今まで36年間、先哲の方々が重ねてきた思索を、きちんと参照することができているのでしょうか。

(2)情報整理・情報分析

 コンピューターは、情報の整理と、分析のためには、便利。
 情報をデータベースにして、検索可能にしておくと、必要な情報を、すぐに取り出すことができるようになる。

〔中島コメント〕

 コンピューターによるデータベース。その便利さについては、田髙寛貴ほか『リーガル・リサーチ&リポート』〔第2版〕有斐閣に、詳しい紹介が、ありました。

 私個人の経験からしても、会計ソフトへ、事務所の収支について、スタッフさんたちに入力して頂き、そのソフトから、収支の状況を、グラフにして、出力できる状況になったことで、経営上、大変参考になるデータが、加工が容易なかたちで、随時入手できるようになりました。

 コンピューターによるデータベース。確かに、便利です。

(3)インプットの方法

 よいインプットのためには、「精神の集中」が必要である。まずは、書籍(情報)を熟読することから、始めるべき。名著の評判が高い、古典を、じっくりと読んでみるのもよい。書籍を熟読して、その情報の意味を読み取る、その経験を重ねてゆくうちに、自然と、読書のスピード、情報収集のスピードは、速くなる。
 「速読術」などの技術論を、先行して身に付けても、速く「意味を読み取る」ことができるようには、ならない。

 また、インプットの方法には、「目的先行型」と、「知的生活型」がある。前者は、「インプットする目的」を定めて、それに沿って、情報を収集してゆく。後者は、インプットすること自体を楽しみとして、気の向くままに、情報を収集してゆく。
 前者の方が、情報収集の効率は、いい。ただ、目的以外の情報収集があってこそ、知識が広がってゆき、広がった先で、新しい着想を得ることができることもあるので、後者も大事。

〔中島コメント〕

 たくさん読むことよりも、よく読むこと。立花さんの意見に、個人的に、賛成です。私にとっても、本は、「考えるために読むもの」です。読んだ本、その読後感から、自分の意見が立ちのぼってくるまで、じっくり内省するので、読むスピードは、あまり、早くありません。読むスピードは、あまり早くないのに、読みたい本ばかりが、たまってゆくので、内心、焦ることもありますけれども、この読み方は、そのままでゆこうと、現時点では、個人的に、考えています。同様のことを、どこかで、河合隼雄さんも、書いていました。

(4)新聞・雑誌

 スクラップを、自分なりに整理分類してみることで、その主題についての、自分なりの見方が、できあがってゆくことがある。その意味では、整理分類行為も、知的生産行為である。
 ただ、スクラップを集めすぎて、その整理分類のために、インプット・アウトプットの時間が、かえって少なくなることがある。それでは本末転倒である。

〔中島コメント〕

 個人的に、新聞・雑誌の情報を、上手く活用することができていないので、立花さんの新聞・雑誌の活用方法は、とても参考になりました。
 新聞は、事実の報道が主たる目的のひとつですから、「いつ、何があったか」について、時系列にそって、調べるときに、有用なのでしょう。
 雑誌、特に専門雑誌には、新聞や書籍には載りにくい、「細切れの重要な情報」や、その逆の「突っ込んだ考察」が載っていることがあるので、実務・学習において、個人的に、参照することが、よくあります。
 ただ、立花さんも問題を指摘している通り、私も、雑誌記事の整理については、正直な話、頭を悩ませていました。仕事上で参照したい雑誌記事、または、個人的に読みたい雑誌記事を、コピーして、保管しておくことにすると、本棚・キャビネットが、すぐに一杯になるのです。こうした記事たちを、立花さんが、どのように精選廃棄しているのか、更に詳細が知りたいです。
 おそらく、「仕事上で参照したい雑誌記事」については、そうした雑誌記事についてのデータベースがありますので、その利用契約を締結したほうが、よいのでしょう。一方、「個人的に読みたい雑誌記事」については、その著者・題名・掲載雑誌を、メモしておいて、そのメモを、テーマごとにまとめて、どこかに列挙しておくほうが、よいのでしょう。そして、そのテーマについての調べものをはじめるときに、一度にコピーして、インプット・アウトプットして、あとは、スキャンして、PDF化する。そうすると、保管場所として必要となるスペースも、最小限で、済むことになるのでしょう。

(5)書籍

 書籍の購入については、身銭を切る。図書館では、借りない。そのほうが、もったいない気分になって、その書籍を、身を入れて読むようになる。

 ある分野について、調べものをするときには、まず、入門書を、3冊は、読む。その際、なるべく、執筆傾向の違うものを、選ぶ。定番書、意欲作、等々…
 よい入門書の条件は、次の通り。
ア 読みやすく分かりやすいこと。
イ その世界の全体像が的確に伝えられていること。
ウ 基礎概念、基礎的方法論などがきちんと整理されて提示されていること。
エ さらに中級、上級に進むためには、どう学んでゆけばよいか、何を読めばよいかが示されていること。
 3冊の入門書を読んだ上で、更に、数冊の中級書を、読む。
 また、同時に、良書の定評がある、専門書(上級書)を、一冊、買う。専門書(上級書)を、この段階で、買っておくことの効能は、次の通り。
ア その世界の奥行きの深さを知ることができる。
イ その奥行きの深さを尺度として、自分の知識と理解度がどの辺まで進んでいるかをチェックすることができる。
ウ 専門書ほど方法論がしっかりしており、また、方法論をよく解説してあるから、方法論を学ぶことができる。
 そして、最終的には、専門情報に目を通す。そういう情報は、定期刊行物にある。

〔中島コメント〕

 身銭を切る。私も、書籍は、なるべく、自分のお金で買うようにしています。
 ある分野について、調べものをするときの、読書の順序も、個人的に、参考になりました。「入門書は、3冊、読む」。たまたま、私が直近で読んだ、法学方法入門も、3冊でした。そして、いま、私の手元には、法学入門も、ちょうど、3冊、あります。「あんまり、入門を繰り返すのも、どうかなぁ」。そのように、個人的に、考えていましたけれども、立花さんの勧めですので、読んでみようかな…

(6)インタビュー

 インタビューにあたって、大事なことは、「問いを立てること」。問題を正しく立てられたら、答えを半分、見いだしたも同然。漫然と「どう思いますか?」などと聞いてはいけない。
 自分の知りたいことが、何なのか。相手の意見・判断なのか。それとも、事実なのか。事実にも、主観的事実と、客観的事実がある。更に、客観的事実には、歴史的・経験的事実(5W1H)と、普遍的・抽象的事実がある。

  意見・判断
  事実
   主観的事実
   客観的事実
    歴史的・経験的事実(5W1H)
    普遍的・抽象的事実

 主観的事実について、インタビューするためには、文学・心理学が、役に立つ。

 よいインタビューのためには、1に準備、2に想像力。
 想像力には、事実的想像力と、論理的想像力とがある。前者は、一般的な想像力。後者は、考えの筋道を立てる能力。言い換えると、相手の論理の飛躍や、論理の欠落を、発見する能力。
 よく準備して、よく想像を働かせて、相手に自分のことを「語るに足る相手」と思わせないと、軽くあしらわれて、それでおしまいになる。

〔中島コメント〕

 想像力の重要性。このことは、中山竜一さんも『法学』岩波書店において、また、大江健三郎さんも『新しい文学のために』岩波新書において、指摘しています。

 それでは、どのようにすれば、想像力を膨らませることができるのでしょう。井田良ほか『法を学ぶ人のための文章作法』〔第2版〕有斐閣に載っていた、「ひとは、言葉によって、思考を組み立てている」という知見からすると、言葉を豊かに獲得しておくことが、大事なのかもしれません。

(7)職業的懐疑精神

 ジャーナリストは、職業的な懐疑精神を、持つべきである。
 その情報が、オリジナルから、何段階、クッションを経てきたものであるか。一次、二次、三次… クッションが重なるほど、情報の信憑性は、落ちる。
 事実面でのガセネタのみならず、推論面でのガセネタにも、注意するべき。
  前提の置き方 論理展開 結論の導き方
 これらについて、間違えている推論を、鵜呑みにしてはいけない。

〔中島コメント〕

 クッションが重なるほど、情報の信憑性は、落ちる。この教訓からすると、インターネットにおける記事の信憑性については、十分、注意する必要があるでしょう。特に、「みんながシェア・リツイートしている」ということから、その記事に信憑性があるものと判断することについては、慎重であるべきでしょう。そして、そうした信憑性のない記事を、自分もがシェアしたり・リツイートしたりすることは、その記事について、更にクッションを重ねることに、つながります。

2 無意識(インプットとアウトプットの間)

 ひとには、それぞれ、無意識がある。ひとは、無意識の潜在力を、活用するべきである。たとえば、いったん、インプットが済んだあと、時間をおいて、その素材の、アタマのなかでの発酵を、待つ。アタマのなかで、自然と、考えがまとまってゆく。

 「無意識の潜在力」については、まだ、ほとんど何も分かっていない。だから、「無意識の潜在力」の活用について、詳細な方法を、述べることは、まだ、できない。

 「無意識の潜在力」を、高めるためには、どうするべきか。できるだけ良質のインプットを、できるだけ多量に行うべきである。

〔中島コメント〕

 無意識の潜在力。その探究は、本書の出版から36年が経って、どれくらい、進んでいるのでしょう。このことについて、個人的に、興味があります。

 私自身、読書を終えて、すぐに感想を書こうとすると、書くべきことがたくさんありすぎて、まとまらず、書き出すことができないことが、ままあります。数日間、1週間ほど、感想を書かずに、置いておくうちに、私のアタマのなかで、自然と、書くべきことが、まとまってゆきます。こうした現象からすると、私は、無意識において、「意味の取捨選択」を、行っているのでしょう。そして、個人的には、「意味の取捨選択」のなかでも、特に「細部を忘れること」が、無意識の機能として、大事なのではないかとの直観が、あります。

 あと、「無意識の潜在力」として、「閃き」というものも、あるのではないでしょうか。たとえば、私が「考えの足あと/堀田善衛さんの足あと」について、着想を得た、そのきっかけは、次のことからでした。まず、「政教分離によって、個人は、何を得たのだろう」という、直接には関係のない疑問が、私のアタマのなかに、ありました。その疑問について、樋口陽一さんの『日本国憲法 まっとうに議論するために』〔改訂新版〕みすず書房を、寝床でパラパラと、めくってみました。その書籍のなかに、ホッブズの書いた「人は人にとって狼である」という記述を見つけ、「あっ、堀田さんが書いていたことと、同じことを、ホッブズが書いている」と閃き、その閃きから、あの記事の内容が、だんだん膨らんでゆくことになりました。このように、「無意識の潜在力」としての「閃き」には、当初、無関係だった、あるインプットと、他のインプットとを、つなぎ合わせる効果があるようです。なお、政教分離によって、個人が得たものは、樋口さんによると、「自己決定権」であるそうです。

 できるだけ良質のインプットを、できるだけ多量に行う。このことについては、上記しました「堀田善衛さんの足あと」に関する、個人的な経験からも、うなずくことができます。堀田善衛さんの一連の著作についてのインプットが、予め、あったからこそ、私は、樋口陽一さんの『日本国憲法…』という、別な・偶然のインプットから、自分なりに、意味を読み取ることができました。
 それでは、「良いインプット」とは、どのようなインプットなのでしょう。インプットの素材となるものは、そもそも、ひとが、アウトプットしたものです。そして、ひとのアウトプットは、「想像を膨らませて、その想像から、意味を読み取ったもの」です。ですので、「想像が豊かで」・「意味の読み取りが鋭いもの」が、「良いインプット」になるのではないでしょうか。個人的な意見です。

 連想。内田義彦さんが、『読書と社会科学』岩波新書のなかで、「読書とは、ものの見方を、学ぶことである」という趣旨のことを、述べていました。「ものの見方が変わる経験を、もたらすもの」が、「良いインプット」でもある。そのようにも、言えるのではないでしょうか。

3 アウトプット

(1)コンテ型と閃き型

 レポート、記事、論文を書くときに、その内容・構成について、細部にわたるコンテを、予め作るひとがいる。立花さんは、そうではない。ある程度の「材料メモ・閃きメモ」は準備するけれども、あとは、内容を書き出して、書きながら、構成を作ってゆく。この「閃き型」の執筆方法は、目に見えない材料が十分にあるひと、つまり、インプットが十分にあるひとに、おすすめ。そうでなければ、「コンテ型」の執筆方法を、採用したほうがよい。
 また、立花さんは、「材料メモ・閃きメモ」の他に、「年表」「チャート」も、作成している。

〔中島コメント〕

 閃き型。立花さんと同じ方法で、映画監督・宮崎駿さんも、映画を製作しているようです。終わりが見えないまま、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』の製作を開始した旨、宮崎さんが『風の帰る場所』文春ジブリ文庫にて、語っています。同書に収録のインタビューの内容からも、宮崎さんが、「インプットが十分にあるひと」であることが、伝わってきます。

 そういえば、宮崎さんは、NHKスペシャル『プロフェッショナル 仕事の流儀』において、「脳みそに釣り糸を垂らす」ということを、言っています。「脳みそに釣り糸を垂らす」という言葉は、「無意識の潜在力を活用する」という意味にも、とることができます。

 立花さんと、宮崎さんの、知的生産方法における、共通点。「閃き型」「無意識の潜在力の活用」。個人的に、興味深いです。

 私も、立花さんと同じく、「材料メモ・閃きメモ」のみ準備して、メールや記事を、書いています。もしかしたら、私は、学生時代に読んだ、この本から、今日に至るまでも、影響を受けているのかもしれません。

 年表の有用さ、個人的に、同感です。たとえば、私が「堀田善衛さんの足あと」を書くにあたって、堀田さんの年表を確認してみたところ、後期主要作品については、ある程度、読むことができているものの、前期主要作品については、まだまだ読むことができていないものが、たくさんあることに、気付くことができました。

 チャートについては、立花さんの紹介していたものが、畑村洋太郎さんが、『失敗を生かす仕事術』講談社現代新書や、『技術の創造と設計』岩波書店で紹介していたものと、よく似ていました。チャートの使いこなし方については、これらの書籍も、参照してみると、よさそうです。

(2)読者の想定

 レポート、記事、論文を書くときには、特定の読者を想定すると、書きやすくなる。その読者との共有知識が、どの程度なのか、想定する。そして、その知識の水準から、飛躍した言葉を使わないように、注意する。
 また、論争相手を想定して、自分の書いていることが、論理学における充足理由律などを、きちんと押さえているか、検証してみることも、よい効果を、もたらす。

(3)書き足してから削る

 いったん、論稿が完成したあと、自分で読み通してみる。そして、まず、書き足したいことを、書き出す。その上で、文字制限に合わせて、削ることができる箇所を、削ってゆく。
 こうした作業については、ワープロが便利である。

〔中島コメント〕

 読者の想定。このことについて、また、宮崎駿さんのことを、個人的に、思い起こしました。宮崎駿さんも、観客を想定して、映画を製作していると、『風の帰る場所』において、語っています。
 私も、「読書」「法学」「考えの足あと」といった記事を、特定の読者を想定して、書いていることがあります。「あのひとが、あの記事で、問題提起していたことについて、自分なりに答えると、こういう記事になるな…」。そういう考えで、私は、記事を書いていることがあります。

〔中島コメント・まとめ〕

 立花さんの知的生産の方法と、自分の知的生産の方法とを、照らし合わせてみると、思いのほか、共通点がありました。そのことが、確認できて、自分の知的生産方法について、ある程度、あらためて自信を持つことができました。そして、これからの自分の知的生産の方針に関しても、示唆を得ることができました。いい一冊でした。

 なお、この本についての感想を書いているうちに、宮崎駿さんの知的生産方法のことが、たびたび、脳裏に浮かんできました。
 思えば、堀田善衛さんの一連の著作のインプットについて、私が示唆を得たのも、宮崎駿さんの『風の帰る場所』からでした。
 私は、インプットについても・アウトプットについても、宮崎駿さんの知的生産方法から、大きく影響を受けているようです。

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