鬼束ちひろ『月光』
https://www.youtube.com/watch?v=iyw6-KVmgow
岩宮恵子さんの『生きにくい子どもたち』(岩波現代文庫)から、連想。
歌い手は、鬼束ちひろさん。発表は、2001年。当時、19才。
I am God’s child
この腐敗した 世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなものの ために生れたんじゃない
この歌は、異界から現実にやってきて、戸惑っている、子どもの声のようです。
歌の題が「月光」であることも、個人的に、気になります。『生きにくい子どもたち』にも、キーワードのひとつとして、「かぐや姫」(月から来た子ども)が、出てきていました。月には、異界の象徴としての意味が、あるのかもしれません。
私も、20才の前後に、この歌を、よく聴いていたものです。35歳になった今、自分としては、この頃の鬼束さんや、あの頃の自分に、どういう言葉を、かけるべきかなあ。
そうした思いから、個人的に、考えてみたことを、ここに、書き留めておきます。
「もどかしさ、やるせなさの突き動かすままに、ひとつの思い決めた方向へ、走ってごらんなさい」。たとえ、ぶつかって、開こうとする扉に、カギがかかっていても、その「もどかしさ」「やるせなさ」が、その扉を、カギごと打ち破るチカラに、なるはずです。
打ち破ろうとして、ぶつかる相手が、実際には人間であることも、たびたび、あるでしょう。そのときに、大事なこと。
「相手に暴力は振るわない」
「相手の人格を、悪口雑言で、否定しない」
暴力や、悪口雑言では、相手との人間関係が、回復不能になります。
相手も、自分と同じか、それ以上に、一所懸命に生きている人間であることに、思いを致して下さい。
残る方法は、意味と思いとを込めた、言葉です。
もし、扉を打ち破ることが、できなかったら?
そのときには、あなたの歩んできた道の先に、また別な道が、のびてゆくことでしょう。
「扉を打ち破ること」が大事なのではなく、「ぶつかること」が大事です。「ぶつかること」によって、他者、社会、世界のことが分かり、そのことによって、逆に、自分のことも、分かってくるものです。
自分、他者、社会、世界のことが、いったん、何となくでも、分かってきたときには、その分かってきたことを、とりまとめておきましょう。その、まとめておいた人間観・社会観・世界観は、あなたたちの次の世代に、あなたたちが向き合うときに、必要になってくるでしょう。あなたたちが、「ぶつかる相手」になるときが、いずれ、やってきます。
以上、忸怩たる失敗をしてきた、たまたま10歳くらい年長であるだけの人間として、20才の前後のあなたへ向けて、ここに書き留めておきます。
そのあとのことは? いま、35歳の私が、取り組んでいる最中です。
大まかには、「広げる」のが20代で、「深める」のが30代なのかなと、個人的に、漠然と、感じています。
試行錯誤の真っ最中ですから、あまり知ったようなことを、書くことは、差し控えます。
いつか、今回のように、30代の私へ向けて、40代の私が、手紙を書くことが、あるかもしれません。そのときは、また。