【映画】ラジ・リ『レ・ミゼラブル』

ラジ・リ『レ・ミゼラブル』
http://lesmiserables-movie.com/

 フランス映画。現代フランス社会が陥っている状況を、描く。

1 あらすじ

 かつて、ヴィクトール・ユゴーが『レ・ミゼラブル』の舞台とした街は、いま、貧困地区になっている。
 その街に、地方から、中年の警官が、異動してくるところから、物語がはじまる。

 もとから、この地区を担当している、先輩の警官たち。
 彼らは、麻薬の売人たちと、つながっていた。不祥事があると、警官たちは、売人たちに、揉み消しを頼んでいた。
 他にも、移民たちによる市場を、取り仕切って、「市長」と名乗る、男…
 「ムスリム同胞団」を組織して、彼らなりの秩序を形成する、男…
 警官にも、住民にも、教育が、行き届いていない。
 彼らによって、法の外で、危うい均衡が、保たれていた。

 そんななか、盗みぐせのある少年が、巡業に来たサーカスの、ライオンの子どもを、盗み出す。この少年は、父親から、暴力を振るわれていた。
 少年を追い詰める、警官たち。少年を守るために、彼の友人たちが、集団で、警官たちにくってかかり、めったやたらに、物を投げつける。
 ゴム弾の発砲。傷付く少年。
 その一部始終を、別な少年が、ドローンで撮影していた。この映像が、ネットに流れたら、住民たちによる暴動は、必至だ…!
 撮影記録の入ったメモリーカードを、警官たちと、「市長」とが、奪い合う。撮影した少年は、「ムスリム同胞団」へ、駆け込んだ。
 少年をかばう、同胞団。「お前を、妻子の前で、逮捕するぞ!」。先輩警官からの恐喝に、同胞団の長は、応じなかった。新任の警官が、同胞団長と、直接に談判。新任警官が、警官たちのためでもなく・「市長」のためでもなく、メモリーカードを預かることで、その場は、収まった。

 ライオンの子どもを盗んだ少年とともに、警官たちは、サーカスへ、その子どもを、返しにゆく。
 帰り道。その少年を、先輩警官が、威迫。
「傷について聞かれたら、『転んだ』と言え」「『自分が悪いんだ』と言え」
 警官からの威迫に、少年は、涙ながらに屈する。
「転んだんです…」「僕が悪いんです…」

 それぞれの、我が家へ帰る、警官たち。
 彼らにも、家族がいる…

 一夜が明けて…
 大人たちの世界では、全てが済んで、平穏が戻ったかのように、見えた。
 いつものように、街をパトロールする、警官たち。
 その彼らのクルマに、ライオンの子どもを盗んだ少年が、手製の火弾を撃ち込む!
 子どもたちの世界では、事件は、まだ、終わっていなかった。
 少年を追う、警官たち。しかし、狭いアパートの、階段の、踊り場で、大勢の少年たちに、返り討ちに遭う。負傷する、先輩警官。上下を、バリケードで塞がれ、進退が、窮まる。
 そこに駆けつける、「市長」。「こんな騒ぎ、許可していないぞ」。彼は、少年たちから私刑に遭い、あっという間に、どこかへと引きずり出されていった。
 麻薬の売人たちも、駆け付けたそばから、少年たちによって、クルマごと、袋叩きに。
 狭い空間に、必死に立てこもる警官たちへ、火炎ビンを投げようと、ライオンの子どもを盗んだ少年が、姿を現す。
 説得しようとする、新人警官。「頼む、やめてくれ…」。彼は、銃口を、少年に向ける…

2 中島コメント

「法が終わるところ、暴政がはじまる」(『統治二論』岩波文庫)
 ジョン・ロックの言葉です。
 この言葉は、「法が終わるところ、暴力がはじまる」と、言い換えることができるでしょう。
 そして、法を社会へ行き渡らせる営為が、「教育」というものなのでしょう。
 教育の普及が至らないところに、暴力がはびこるのかもしれません。

 ただ、だからといって、教育の普及に、手放しで賛同することにも、問題があるように、個人的には考えます。
 教育は、現代社会においては、「社会への包摂」であると同時に、「人間を『標準』という鋳型に嵌める」という問題も、抱えているからです。
 余談。ジェームズ・キャメロン監督がイメージした「ターミネーター」は、「標準人間の大量生産」の暗喩でも、あるのかもしれません。

 教育による包摂からも、家族による包摂からも、零れ落ちたとき、「ライオンを盗んだ少年」のような子どもが、現れることになるのでしょう。
 子どもの盗みぐせは、保護者たちからの関心を集めるための、彼ら彼女らなりのSOSでもある場合があるそうです。そのSOSに、家族が、教育ひいては社会が、応じることが、できなかったら…
 家族への不信、教育ひいては社会への不信。そのような不信を抱いて、育ってきた子どもたちが、大人になったとき、この社会を形成するための、社会契約に、参加するかどうか、疑問です。

 教育、家族の他に、子どもたちの居場所を、この社会に設けることが、大事なのかもしれません。
 たとえば、「子ども食堂」は、その実践の、ひとつでしょう。運営している方々に、敬意を表します。

 この映画の監督さんは、パンフレットでのインタビューにおいて、「問題は政治にある」と、語っています。
 監督さんの語る、この「政治」という言葉は、「政治家たちの権力争い」という意味ではなく、「市民たちの自治」という意味で、捉えた方がよいのでしょう。

 貧困、教育、社会への包摂。
 現代フランス社会という鏡によって、現代日本社会にも、同様の問題があることを、個人的に思い起こさせてくれる、力のこもった映画でした。

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