小川洋子『海』新潮文庫 お-45-4 2009.3.1
https://www.shinchosha.co.jp/book/121524/
作家・小川洋子さんの短編集。初出は、2006年。
第1 内容抜粋
「ひよこトラック」。講談社文芸文庫の、『群像短編名作選』にも、選出。
孤独なドアマン。彼の引っ越し先には、母親を亡くした少女がいた。6歳くらい。
少女は、母親を亡くしてから、何も喋らなくなった。
ドアマンのもとに、少女は、抜け殻を持ってくるようになる。セミ、ヤゴ、等々。ドアマンと、少女とは、二人して、抜け殻を見つめる。抜け殻の中には、「沈黙が詰まっている」。
二人の暮らす家の外を、カラーひよこを満載したトラックが、幾度も、通り過ぎてゆく。そのひよこたちを、少女が、興味津々で、見送る。
少女が、ドアマンに、生卵を差し出す。ドアマンは、卵の殻のおしりに、小さな穴を空けて、中身を、吸い取る。ドアマンは、中身を吸いながら、縁日の屋台で、玩具として売られてゆく、ひよこたちを、弔っている気分になった。卵の抜け殻ができあがり、少女は、ドアマンに拍手を送った。
今日も、通り過ぎてゆく、ひよこトラック。それが、突然、横転。道いっぱいに、色とりどりのひよこたちが、散らばる。ひよこたちに向けて、少女が、初めて、口を開く。
ひよこたちに向けた、少女の声。その声を、ドアマンは、「自分だけに与えられた、かけがえのない贈り物」だと、感じた…
「ガイド」。
女手ひとつで、子どもを育てる、母親。子どもが「少年」といっていい年ごろになっても、母親は、まだ何かと世話を焼きたがる。
母親の仕事は、旅行ガイド。
少年は、久しぶりに、母親の仕事に、ついていくことに。湖。遊覧船。搭乗しているはずの、旅客のひとりが、いない。「お母さん、僕が探してくるよ」。少年は、途中駅で船を降り、出発駅へ。そこには、案の定、船に乗りそびれた、身だしなみのいいおじいさんがいて、おじいさんは、慌てることもなく、鷹揚に、湖を眺めていた。
「僕が、お連れします」。少年は、おじいさんと、タクシーで、船の終着駅へ。少年は、おじいさんに、湖岸の風景について、ガイド。ガイドである母親の説明を、少年は、何度も聞いて、覚えていた。
「おじいさんの、お仕事は?」
「ひとの思い出に、題名を付けることさ」
見事、少年は、おじいさんと、母親の率いる団体へ、合流することに、成功。
もう、夕方。湖面には、夕焼けが、きらきらと光っている。
「君に、何か、お礼をしよう」
「それでは、今日の、僕の思い出に、題名を付けてください」
おじいさんが、少年の思い出に、付けた題名とは…?
第2 中島コメント
1 沈黙
吉本隆明さんの言葉、「言葉の根幹には沈黙がある」。
小川洋子さんも、吉本さんと同じく、「沈黙」を、「ひよこトラック」において、扱っています。
この本の、巻末でのインタビューにおいて、小川さんは、次のように、語っています。
「『ホテル・アイリス』の”舌の無い甥”という登場人物や『ブラフマンの埋葬』のブラフマン、『ミーナの行進』のコビトカバのポチ子のように、言葉を持たない者がストーリーの中に登場してくると、周りの人物がすごく生き生きと動き出すんです。いかにして、自然なかたちで、言葉を発しない者を物語の中に置こうかといつも考えています。言葉に書けないことを書きたい、と常に思っているからかもしれません」
小川さんにとって、「沈黙」は、「ひよこトラック」に限らない、文学上のテーマであるようです。そして、小川さんの「沈黙」への興味は、言葉を持たない「動物」への興味にも、発展していっているようです。小川さんには、インタビューで挙げている他にも、『いつも彼らはどこかに』(新潮文庫)という、動物たちを主人公とした短編集があります。
2 さなぎ
抜け殻の中には、沈黙が詰まっている。
この言葉から、私は、心理学者・河合隼雄さんが、次のように語っていたことを、思い出しました。
「子どものこころの中では、『さなぎが、その内部で、いったん身体の組織を溶かして再度構成していること』と同じような、劇的な変化が起こっている」
喋らない子どもの内面においても、さなぎと同じく、劇的な変化が、起こっているのでしょう。さなぎに対して、外部から力を加え、働きかけると、うまく羽化ができなくなるといいます。喋らない子どもに対しても、喋らせようと、外部から力を加え、働きかけようとは、しないほうが、いいのかもしれません。
更に、連想。
映画監督・宮崎駿さんの作品である、『風立ちぬ』においては、主人公である堀越二郎が、少年から、一瞬にして、青年に変わる場面があります。
少年から、青年への、一瞬での変化。「その変化の過程を、どうして、宮崎さんは、描かなかったのだろう? 少年の成長について描く、映画のはずなのに…」。そのことが、個人的に、不思議でした。このことについては、次のような解釈が、答えとして、当てはまるのかもしれません。「少年から青年に変化してゆく過程においては、他者にとっては、何とも捉えようのない、長い沈黙の時間が必要であり、その時間は、映画で描くことができなかった」。
3 動物と話す
「ひよこトラック」では、少女が、ひよこに対して、語りかけます。
このことから、私は、やはり宮崎駿さんの作品である、『魔女の宅急便』のことを、思い起こしました。『魔女の宅急便』においては、少女であるキキが、黒猫であるジジに、語りかけていました。
子どもには、動物に語りかけて、彼らと、こころを通わせる時期が、あるのかもしれません。
そして、キキは、劇中において、ジジと話すことが、途中から、できなくなります。その代わりに、キキは、人間の友人、知人を、幾人も、得てゆくことになります。
この『魔女の宅急便』は、キキの成長についての、物語です。
この物語において、キキが、「大人になってゆくこと」は、「動物の世界から、人間の世界へ、完全に移行してゆくこと」だったのかもしれません。
なお、この『魔女の宅急便』の世界観は、「動物の世界」と「人間の世界」とを「分断」する世界観です。この「分断」が、本来、望ましいことなのかどうか、再考してみる余地が、あるでしょう。
4 父と娘 親と子
「ひよこトラック」において、少女がひよこに語りかける言葉について、ドアマンは、「自分だけに与えられた、かけがえのない贈り物」だと、感じています。
少女が語りかけている相手は、ひよこなのに、彼女の言葉について、ドアマンは、「自分への贈り物」だと、感じている。このことは、最初、個人的には、不思議でした。でも、考えてみますと、このことは、次のように、解釈することができるでしょう。
「たとえ、自分に語りかけてくれなくても、この子が、他者に対して、語りかけることができるようになったのならば、それでいい」
「他者に語りかけること」は、「他者と絆を結んでゆくこと」。
「他者と絆を結んでゆくこと」は、「他者とともに生きてゆくこと」。
つまり、「他者に語りかけることが、できるようになること」は、「他者とともに生きてゆくことが、できるようになること」。
少女が、ひよこに語りかけることができるようになったこと。そのことについて、見守り、喜ぶ、ドアマンの目線は、娘の自立について、見守り、喜ぶ、父親の目線でもあるのでしょう。
「たとえ、自分に対して、愛着を示してくれなかったとしても、この子が、自分の力で生きてゆくことができるようになったのならば、それでいい」
このような、親からの子どもに対する目線を、ドアマンの少女に対する目線から、私は、個人的には、感じ取ります。
なお、少女が喋るまでに、少女に対して、ドアマンがしたことは、次のようなことでした。
・ 少女の居場所を確保する(彼の部屋の窓辺に、抜け殻を並べておく)
・ 少女の世界を自分も共有する(少女と一緒に、抜け殻を眺める)
5 少女時代との惜別
小川洋子さんは、「カラーひよこ」について、自分の子どもの頃には、縁日の定番だったのに、いまはもう、見ることがないと、懐かしんでいます(『カラーひよことコーヒー豆』小学館文庫)。
「ひよこトラック」は、小川さんにとって、懐かしい、少女時代との惜別のための、作品でもあったのかもしれません。
6 沈黙と言葉
小川さんの作品からは、離れますけれども、「沈黙」と「言葉」について、個人的に気になっていることがありますので、ここに書き留めておきます。
前述しましたように、吉本隆明さんは、「言葉の根幹には沈黙がある」と、語っています。「沈黙から、言葉が生まれてくる」。
一方、作曲家・武満徹さんは、次のようなことを、語っています。「他者の言葉から、自分の言葉が、生まれてくる」(「暗い河の流れに」『武満徹エッセイ選』ちくま学芸文庫)。
「沈黙から、言葉が生まれてくる」
「他者の言葉から、自分の言葉が、生まれてくる」
二つの、異なる見解。本当は、どちらなのでしょう?
これらの見解について、整合して解釈するためには、吉本隆明さんの、次のような指摘が、手がかりになるかもしれません。「言葉には、『自分のための言葉』と、『他者のための言葉』とがある」(『定本 言語にとって美とはなにか』Ⅰ・Ⅱ 角川ソフィア文庫)。
7 遊覧船コースとライフコース
「ガイド」。登場人物は、母親、少年、おじいさん。この構図は、『博士の愛した数式』と、同じです。そして、初出は、『博士の愛した数式』よりも、「ガイド」の方が、早いようです。「ガイド」は、『博士の愛した数式』の、原型となった小説なのかもしれません。
「ガイド」は、『博士の愛した数式』とは異なり、主人公に、少年を据えています。
「少年、やったじゃん!」
そのように、彼に対して、個人的に声をかけたくなるような、素敵な冒険の物語でした。
――少年とおじいさんとが、遊覧船のコースから外れて、回り道して、素敵な思い出が、できる。
この構図は、まるで、「標準的ライフコースから外れて、回り道しているひとが、素敵な経験を、手にすること」の、象徴のようです。
なお、回り道、寄り道の、味わいについては、数学者・森毅さんが、『まちがったっていいじゃないか』ちくま文庫のなかで、語っています。
8 恋愛・結婚
ここまで書いてきて、個人的に、気がついたことがあります。
小川洋子さんには、「標準的ライフコースから外れたひとびと」を主人公とした小説は、たくさんあっても、「標準的ライフコースに乗っているひとびと」つまりは「恋愛しているひとびと」「結婚しているひとびと」を主人公とした小説は、ほとんど、無いようです。
恋愛について、結婚について、小川さんは、どのように考えているのでしょう?
このことについて、小川さんは、巻末のインタビューにおいて、次のように、語っています。
「『博士の愛した数式』の博士とルートくんもそうでしたが、確かに、私の小説の中では、ひとつ世代が抜けている者同士のつながりを書いたものが多いですね。年齢を重ねた人はどこかに死の気配、匂いを漂わせ、若い人は現実の生々しさを発散しているものですが、そのようなふたりの交流はダイナミックなものになるような気がしますし、書きやすいです。まぁ、ちょうど世代の真ん中にいる、若くて元気な人たちが恋をしたり破れたりすることは、当人同士でやってくださいと思っているところもあります(笑)」
小川さん、恋愛や結婚には、あまり、興味が無いようです(笑)
9 『密やかな結晶』での男性と女性
筆の勢いに任せて、小川さんの描く恋愛について、個人的に、以前から気になっていることを、ここに書き留めておきます。
『密やかな結晶』での、主人公の女性と、彼女が匿う、男性。女性は、男性を狭い部屋に匿い、丁寧に世話を焼きます。男性は、その世話を、受け続けます。そして、二人は、恋仲になります。
この関係においては、男性が女性の世話になるしかない状況のなかで、女性が男性の世話を焼き、そのことによって、女性が男性に対して、優位に立つように、自然と、なっている。そのように、個人的には、見えます。
このような、男女関係の、設定の仕方については、「自分が優位に立つことのできる相手とならば、安心して、交際ができる」という、小川さんの、恋愛についての心理を、垣間見るような気が、個人的には、しています。このような心理は、裏返せば、「女性としての、人間としての、自信の無さ」を、表しているのかもしれません。
なお、このような心理は、女性に限らず、男性にも、同じように、ありうるものでしょう。