【読書】河野哲也『レポート・論文の書き方入門』〔第4版〕慶應義塾大学出版会 ~学問とは対話である~
河野哲也『レポート・論文の書き方入門』〔第4版〕慶應義塾大学出版会 2018.7.20
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著者の河野哲也さんは、立教大学文学部教授。初版以来、20年にわたる、ロング・セラー。
第1 内容要約
1 学問とは対話である
「感想」と、「レポート・論文」との違いは、「問い・答え」の有無にある。
学問とは、問い・答えることである。すなわち、学問とは、「対話」である。
2 テキスト批評
レポート・論文の準備にあたって、有効な方法として、「テキスト批評」がある。
自分の読んだテキストについて、その内容を要約して、自分なりに、あらためて、問いを立てる。
テキストを読むことは、著者の「ものの見方」を、学ぶことでもある。
テキスト批評を、繰り返すことによって、自分にとっての、問題の設定が、できてゆく。そして、その問題について、レポート・論文の執筆にあたっての、主要文献・補助文献の、準備ができてゆく。
3 レポート
学生がレポートを執筆する目的は、授業内容または課題図書について、その内容を要約して、自分なりの問いを、あらためて立てることにある。
河野さんの目からすると、学生さんたちのレポートには、「内容の要約で終わっている」または「内容とは脈絡のない、自分の勝手な意見が書いてある」ことが、ままある。
4 論文
論文の執筆のためには、その問題の設定にあたって、「絞り込み」が必要になる。
学生さんたちが、論文について、書きあぐねる原因のひとつに、「一般的な・広範囲な、問題を、設定している」というものがある。
問いを限定することで、答えが出しやすくなる。
なお、問題の設定にあたっては、個人的な動機が、はじまりにあっていい。ただ、個人的な問題については、学問的文脈・社会的背景・歴史的背景のなかに位置づけることによって、公共性を持たせる必要がある。
問いを立て、議論をして、答えを出す。それが論文である。
これらの順序は、そのまま、序論・本論・結論に、対応している。
5 問題の設定
問題の設定にあたっては、テキスト批評を通して得た、自分にとっての主要文献を、自分の対話相手とすることが、有効である。
そして、自分の議論に関して、その根拠づけについて参照する、補助文献も、テキスト批評を通して、集めておくべきである。
6 本文の組み立て方
本文は、「章」を立てて、「章」のなかを「節」で区分することによって、組み立てる。
「章」・「節」、それぞれを組み立てる順序については、「並列」と「進展」とがある。
7 注・引用・文献表
レポート・論文の執筆にあたっては、自分が参照した文献について、読者が同じように参照できるようにしておくことが、重要である。そのために、注があり、引用方法があり、文献表がある。
また、注・引用・文献表は、その意見について、執筆したひとの、著作権に配慮するためにも、必要である。
第2 中島コメント
1 内容への応答
(1)テキスト批評
――レポート・論文の準備にあたって、有効な方法として、「テキスト批評」がある。
私は、これまで、好んで、テキスト批評をしてきましたので、このような河野さんの意見については、我が意を得たりでした。
(2)ものの見方を学ぶ
――テキスト批評によって、ものの見方を学ぶこと。
このことについては、経済学者・内田義彦さんも、『読書と社会科学』岩波新書において、指摘しています。
なお、同書は、「自然法」という概念の有用さについても指摘していて、個人的に、印象に残り続けている書籍です。
(3)短文の積み重ね
――テキスト批評の積み重ねが、本格論文のための、準備になる。
このことは、社会学者・清水幾多郎さんが、『論文の書き方』岩波新書において、指摘しています。
また、論文ではなく、映画作品についてではありますけれども、映画監督・宮崎駿さんも、ジブリ美術館の展示「映画の生まれる場所」において、ひとつひとつ書き連ねる、スケッチやイメージボードが、映画作品へと結実してゆく様子を、紹介しています。
短文の積み重ね。小さなイメージの描き留め。それらが、長大な論稿や、壮大な作品へと、結実してゆくのでしょう。
そうであるとしますと、短文や、小さなイメージは、ひとつところに、まとめておいたほうが、よいのでしょう。そのためには、たとえば、ブログは、有効な保管場所であるかもしれません。
(4)要約ばかり 意見ばかり
――学生さんたちのレポートには、「内容の要約で終わっている」または「内容とは脈絡のない、自分の勝手な意見が書いてある」ことが、ままある。
このことについては、上野千鶴子さんが『サヨナラ、学校化社会』ちくま文庫において、指摘していました。
要約・意見。これらの、どちらもが、備わっていることが、レポートにおいては、たしかに大切でしょう。「著者からの問いを、受けとめること」(要約)そして「著者からの問いに対して、答えること」(意見)。これらの両方があってはじめて、著者との「対話」が成立するといえるのでしょう。
(5)個人性 公共性
――問題の設定にあたっては、個人的な動機が、はじまりにあっていい。ただ、個人的な問題については、学問的文脈・社会的背景・歴史的背景のなかに位置づけることによって、公共性を持たせる必要がある。
河野さんの、この意見については、「そこまで、個人性と公共性とを、区別しなくてもいいのではないか」と、個人的には、考えました。なぜならば、「個人の集合が公共であるから」です。
個人+個人+個人… = 公共
このように、個人は公共を含み、公共は個人を含んでいます。
このことからすると、「優れて個人的な問題は、優れて公共的な問題である」とも、言うことができるのではないでしょうか。
大江健三郎さんの『個人的な体験』新潮文庫が、そうでしたように。また、安野モヨコさんの『鼻下長紳士回顧録』祥伝社が、そうでしたように。
・ 個人と公共とは、別なものである。
・ そして、公共の問題は、個人の問題に、優越する。
これらの判断基準を、社会において、設定する場合、その社会は、公共を個人に優先する、全体主義社会へ行き着くことになるのではないでしょうか。
なお、「他者の関心を惹くために、問題を設定すること」は、「自分の問題意識を探求してゆくために、問題を設定すること」から、離れてゆくことにも、つながります。
※ ここまで書いてきて、個人的に、次のことを、思い出しましたので、書き留めておきます。河合隼雄さんが『日本文化のゆくえ』のなかで、学校教育における、生徒たちひとりひとりについての「物語の喪失」を、問題にしていました。「物語の喪失」は、学校教育が、「公共の問題」を「個人の物語」に優越するものとしていることが原因で、起こっているのかもしれません。
・ 個人の集合が公共である。
・ 優れて個人的な問題は、優れて公共的な問題である。
これらの判断基準を、私としては、自分について・社会について、設定しておきたいです。
このことに関連して、余談です。
前回紹介した『アルコール問答』岩波新書において、なだいなださんは、(人は)「自由だからといって、勝手に社会の他の人に迷惑をかけられない。」ということを、書いていました。
この文章は、より厳密には、「ひとは、他者の人権を、侵害してはならない」に、書き変えるべきでしょう。「迷惑」は、意味の曖昧な言葉です。「人権」は、法学において、意味についての吟味を、受けてきた言葉です。
先の、なだいなださんの文章について、「ひとは、他者の人権を、侵害してはならない」という文章に、書き変えることによって、ひとが自由に行為できる範囲が、より明確になるでしょう。
――ひとにとって、「公共」とは、「他者」である。「集団」ではなく、「国家」でもない。
この定義は、ひとの自由について、人権について、論じるときに、大事な定義です。
2 テキスト批評 個人的な体験
(1)100本ノック
テキスト批評、やってみると、面白いもので、私自身、100本以上の批評を、書いてきました。
その結果、実際に、私にとっての主要文献を、見つけることができました。私にとっての「主要文献」、そして、主要文献から派生してくる、これからの「課題図書」についての、見取り図(興味分野という観点から整理したもの)を、本稿の末尾に、掲げておきます。
テキスト批評は、私の個人的な体験からしましても、たしかに有効な方法でした。
(2)寄り道の効き目
私にとっての、テキスト批評の道のりを、振り返ってみますと、大まかな問題意識はありましたけれども、その問題意識からの、寄り道によって、かえって、主要文献に行き当たることになるという、不思議な経験も、しました。その道のりについての例を、以下、挙げておきます。
自分の問題意識について、あまりにも、重厚で詳細な本に、いきなり取りかかろうとはせずに、手の着きやすい本から、寄り道しているうちに、目的の場所へ、行き当たる。それが、私が、テキスト批評で、たどった道でした。まさに「学問に王道なし」でした。
[人間観・世界観]
司馬遼太郎ほか『時代の風音』朝日文庫(寄り道)
⇒ 宮崎駿『風の帰る場所』文春ジブリ文庫(寄り道)
⇒ 堀田善衛『時代と人間』徳間書店(補助文献)
⇒ 堀田善衛『方丈記私記』ちくま文庫(補助文献)
⇒ 堀田善衛『ゴヤ』集英社文庫(補助文献)
⇒ 堀田善衛『ミシェル 城館の人』集英社文庫(主要文献)
[社会観]
濱口桂一郎『働く女子の運命』文春新書(補助文献)
⇒ 『エセルとアーネスト』※映画※(寄り道)
⇒ 山之内靖『総力戦体制』ちくま学芸文庫(主要文献)
※ 前提読書 宮本みち子『リスク社会のライフデザイン』放送大学教育振興会
(3)方法の模索
なお、テキスト批評、その100本ノックを経た先で、私が、いま、「テキスト批評・レポート・論文」では、克服できない課題に、別途直面していることも、ここに書き留めておきます。
末尾の、見取り図において、赤く網を掛けておいたとおり、私が、いま、実際に直面している問題としては、次のものがあります。
・ 依頼者さんたちとの、よりよい関係づくり。
・ スタッフさんたちとの、よりよい関係づくり。
これらの問題は、学問上の問題ではなく、経営上の問題です。
これらの問題に、取り組んでゆくためには、次の営為が、必要になるでしょう。
・ 自分の経験に基づいて、理論と実務とを、統合する。
・ その結果を、依頼者さんたちに案内する。
・ また、その結果を、スタッフさんたちと共有する。
――いままでの人生において、用いてきた方法が、これ以上は、通用しなくなり、新しい方法を模索して、四苦八苦する。
このような時期は、誰しもが、経験するようです。
たとえば、司馬遼太郎さんは、「四十の関所」というエッセイにおいて、このような問題に、触れています(『風塵抄』中公文庫)。また、糸井重里さんは、このような問題について、自分自身の経験をもとに、「ゼロになって、ちゃんともがく。」というエッセイを、書いています(https://aera.1101.com/itoi.html)。
私も、また、このような問題について、模索を続けてゆきます。