【読書】小川洋子『シュガータイム』中公文庫 ~初恋の純情~

小川洋子『シュガータイム』中公文庫 1994.4.9
https://www.chuko.co.jp/bunko/1994/04/202086.html

 中村真一郎さんの、『芥川龍之介の世界』(岩波現代文庫)での、指摘。
「芥川は、若い晩年に、それまでの短編とは、打って変わって、長編の執筆を、試みた。
 長編の執筆。その試みは、芥川自身の、人格の統合への、試みでもあった。
 しかし、その試みは、失敗に終わった。芥川の、短編の執筆について磨き上げてきた手法は、長編の執筆には、適していなかった」

 それでは、小川洋子さんの場合は?
 そのことに、個人的に、興味を覚え、この作品を、読んでみました。
 『シュガータイム』。小川洋子さんの、初長編。初版当時、小川さんは、29歳。

第1 あらすじ

 主人公、かおる。大学生。女子。

「私は規則正しく大学に通い、講義を聴き、演習発表をし、レポートを書いた。時にはラグビーの試合を観に行き、養護施設でボランティア活動をし、スポーツクラブのプールで泳いだ。友達は皆いい人ばかりだった。その上わたしには、恋人までいた。どこから見ても、隙のない大学生活だった」

 春が来て、彼女は、4年生になった。

「(ああ、最後の春が始まる)と、不意に私は強く思った。どうして最後なのか、何の最後なのか、はっきりと意識していた訳ではなかった。ただその時、最後という言葉がとても大切なもののように思えてしかたなかった。ずっと時間がたってから思い出す時、あまりにも愛しくて泣いてしまいそうになるような、そんな大切な春の予感がよぎったのだった」

 その彼女に、異様な食欲が、とりつく。食べても、食べても、満足できない。
 食べ物を、口にし続ける生活のなか、彼女は、奇妙な日記を、つけはじめる。その日、食べた物を、記録するだけの、日記。その日記に並ぶ、膨大な食物の量。
「紙の上に並んだいろいろな種類の食べ物を指す言葉たちは、食べ物の実物よりもずっと迫力があった」
 たとえば、「ドーナツ」という言葉。その言葉から、彼女は、表面が油でしっとりと潤んでいる様子、指先についてくる粉砂糖の感触、生地の空気穴の繊細な模様などを、はっきりと思い描くことができた。

 彼女に、異様な食欲がとりついた、そのきっかけは、ふたつ、あった。

 ひとつめ。ホテルでの、アルバイト。そのレストランでの、ウェートレス。
 そのレストランにいる、オールドミスの、主任。上品ぶった仕草。その仕草に、かおるは、嫌悪感よりも、悲しみを、覚えた。
 あるとき、その主任の呼びかけで、レストランのスタッフ一同が、「アイスクリーム・ロイヤル」を、平らげることになった。その日の、披露宴で、手つかずのまま、残った、大きなアイスクリーム。そのアイスクリームを、口にしながら、かおるは、アウシュヴィッツ展で目にした、「ユダヤ人の死体の脂で作った石けん」を、思い起こした。彼女は、「胸が焼け付くように気持が悪くなった」。

 ふたつめ。小さな弟の、上京。
 かおるの実家、両親は、ある神道宗教の、信者だった。その宗教の運営する学生寮に、かおるは、下宿していた。
 かおるには、義理の弟がいた。「航平」。その航平が、高校を卒業してのち、自ら望んで、かおるの下宿の、大家さんのもとで、修行をすることになった。そのことを、嘆く、義母。その義母が、なぜ、嘆いているのか、かおるには、分からなかった。
 航平を最初に見た時、かおるは、「この子について何も感じないでいることは絶対に無理だ」と、直感した。
「彼のまばたきが印象的だった。わたしはこれほど美しいまばたきを見たことがなかった。航平の顔は決して美少年というタイプではなく、ごくありふれた顔のつくりをしていた。なのにそのまばたきのせいで、彼の表情はくっきりと光るようにわたしに迫ってきた」
 航平は、「背が伸びない病気」。背が伸びないということ以外に、障害は、ない。
 彼が、「背が伸びない病気」だと分かったとき、かおるは、小学校の6年生だった。当時の、かおるは、彼に、こう言葉をかけた。
「醜い大人になるくらいなら、今のままでいる方がずっといいよ」
 時が過ぎ、上京し、かおるの下宿に、顔を見せた、航平。彼は、彼女に、次のように、語った。
「僕が行こうとしているのは、無垢な場所さ」

 新学期、かおるは、大学へ出た。
 大学の学食の、メニューのレプリカ。それらは、ほこりをかぶっていたり、黒ずんでいたりして、かおるの食欲を、かき立てることは、なかった。
 かおるの友人、真由子。彼女に、かおるは、自分の食欲のことを、相談した。
「今日はとことん、かおるに付き合ってあげる。かおると同じものを同じ量だけ一緒に食べてあげる。そうしたら何か、正体がつかめるかもしれない」
 二人は、かおるの下宿の近くの、「サンシャイン・マーケット」へ。完璧な陳列。華やかな食べ物たち。
 かおるは、「サンシャイン・マーケットの中で、食事したり眠ったり思考したり笑ったり淋しがったりしたい」と、ひたむきに願う。
 真由子は、その日、本当に、自分がお腹いっぱいになるまで、かおるに、付き合った。

 かおるの交際相手、吉田さん。吉田さんと、かおるは、久しぶりに、会う。
 映画館でのデート。古いイタリア映画。大道芸人に売られた、知恵の遅れた少女の、物語。少女のまたばきから、かおるは、航平のまばたきを、思い浮かべる。
 その夜を、二人は、吉田さんのマンションで、過ごした。
 二人に、性的な関係は、なかった。
「僕は君に、これだけのことしかしてあげられないよ」
 吉田さんのすることは、かおるの髪を、撫でることだけだった。
「これだけのことって、わたし、これ以外に何も感じる必要ありません」
 このときの、かおるの、気持ち。「もしそのとき、吉田さんが申し訳なさそうな媚びるような目をしていたら、わたしは取り返しがつかないくらい傷ついたと思う。しかし彼は、毅然とした目で真直ぐ前を見ていたので、私は安らかに眠ることができた」。

 性的な関係のない、二人。その二人を、「何とかしよう」と、お節介な、吉田さんの友人が、彼に、精神科医を、紹介してきた。
 彼の「カウンセリング」に、かおるも、呼び出しを受ける。「彼の不能を治療するためです」。
 かおるは、「そんな幻の〝不能〟を治療してほしいなどと思ったこともなかった」。

 二人で、ベッドの中で、寄り添いながら、吉田さんは、かおるに、不思議な写真を見せる。
「ステンレスの組織写真なんだ」
「アオツユクサの細胞みたいね」
 二人は、月明かりできらめくその結晶を、飽きもせず、じっと眺めていた。

 半袖の季節になった。
 かおるは、真由子の誘いで、大学野球を、観に行くことに。航平も、吉田さんも、来ることになった。
 当日、真由子と、その交際相手の森君と、航平は、来た。
 吉田さんだけが、来なかった。いくら、かおるが、電話をかけても、吉田さんには、通じなかった。
 帰り道、真由子、森君と別れた後、航平と歩きながら、かおるは、子どもの頃、航平と二人で、野球を観に行ったときのことを、思い出した。「初めて子供二人だけで遠出して、どきどきしたのを覚えてる」。「あの頃はまだ、二度と帰ってこれない場所がこの世にはあるんだって、信じていたから」。

 夜。下宿に戻った後も、航平は、かおるに、付き添ってくれた。
 大家さんが作ってくれた夕食を、二人で平らげた後、電話のベルが鳴る。
「きっと、吉田さんからだわ」
 果たして、その電話は、吉田さんからだった。彼は、その乗っていたバイクで、交通事故に遭っていた。彼のけがは、大したことは、なかった。しかし、「一緒にバイクに乗ってた人が、ちょっと大きなけがをしちゃってね。それで、付き添ってるんだ」。

 その夜、かおるは、眠ることができなかった。
 彼女は、眠ることをあきらめて、パウンドケーキを作りはじめる。
「サンシャイン・マーケットで買ってきた食料をそのまま食べるのと、こうして食べ物を自分で作り上げるのとでは、食欲の満たされ方の種類が違っている。袋を破るなり皮をむくなりして、すぐ口に放り込む時の安心感は、線香花火的だ。真っ赤な火の玉の周りで、か細い光が弾けている。いくら小さくても、色合いの鮮やかさや弾けるスピードは一人前で、もう終わったかなと顔を近づけると、まだけなげに光っていたりする。
 時間をかけて自分の食べ物を作っている時の気持は、打ち上げ花火を待っている時の気持に似ている。はやる心を引き止める押さえが、しっかりときいている。大切なその一瞬のために、浴衣に着替えたり、髪をアップにしたり、団扇を探したりする手間を惜しまない」
「生卵の黄色を見るたびに、わたしはひよこを思い浮かべる。黄身をかき回す時、ひよこを握りつぶしているような気分になって微かに胸が痛む」
 オーヴンの中で、パウンドケーキが、美しく焼き上がってゆく。
 いつしか、外は明け方になっていて、朝刊の届く音がした。
 朝刊には、吉田さんを巻き込んだ、交通事故のことが、載っていた。
 吉田さんのバイクに、同乗していた人物は、「32歳の女性」だった。

 交通事故のあと、吉田さんから、かおるへは、しばらく、連絡がなかった。
 二人は、大学のキャンパスで、偶然に出会う。どこへ行くあてもなく、二人は、地下鉄へ。そして、地下鉄を、降りるともなく、降りて、ひたすらに歩く。「こんな奇妙なデートは初めてだった」。
「わたしは彼にくっついて歩きながら、ただ待つしかなかった。立ち止まると、彼はどんどん行ってしまいそうだった。野球観戦の日からずっと長い時間、わたしは待ち続けていた。それは息が苦しく、胸が痛むような時間だった。わたしは何度も何かにしがみつこうとしているのに、力を込めた瞬間、それは闇に溶けてしまう。わたしは両手の中の空白を眺め、指先から安らかなぬくもりが伝わってくるのを悲しい気持で待っていた」
 そして、二人は、たまたま見えてきた、ガラス美術館へ。
「彼は展示品について深く考えているようにも見えたし、全く別のことを考えているようにも見えた。彼は失語症の患者か聾啞者のように、何も喋らなかった。わたしは理由を詮索するのは止め、二人の間には最初から言葉など存在しなかったかのように、冷静に振舞うことにした。そうしないと、息が詰まりそうだった」
 美術館を出ると、吉田さんは、唐突に、急ぎの用事があるといって、かおるをその場に残し、帰っていった。
「時間がないのなら、どうしてこんな遠くの見知らぬ美術館なんかに来たのか。どうして野球観戦の日のこと、謝ってくれないのか。どうしてあんなに無口だったのか。わたし、どっちに向いて歩いて行ったら駅なのか分からない。自分がどこにいるのか、全然分からない」

 吉田さんとの出来事を、かおるは、真由子に、話した。
「一人にされたとき、たとえようもなく淋しかった。もし歳をとって、淋しさについて考えることがあるとしたら、きっとあの場面を一番に思い出すだろうなあって思ったくらい。空の色とか風の動きとか緑の匂いとか、そんなものも全部ひっくるめてね。空しい淋しさなの。自分が空洞になってしまったみたいな」
「恋人同士じゃなくても、友達でも兄弟でも、相手をそういう気持にさせるっていうのは、やっぱりよくないよ。吉田さん、どこかおかしいよ」
 かおるには、真由子が本気で吉田さんを責めているのが、分かった。「わたしが苦しい時、彼女はいつも本気になることでわたしを慰めてくれる」。
 真由子からの提案で、かおるは、吉田さんのバイクに同乗していた「32歳の女性」を、探し訪ねることにした。

 消防署。病院。真由子は、根気よく、「32歳の女性」の住所を尋ね、調べ上げた。
 二人は、炎天下、彼女の住むアパートを、探し当てる。彼女の部屋を、窓から覗くと、鏡台の下に、包帯が、ひっそりと転がっていた。「吉田さんにつながるものが、わたしの知らないこの小さな部屋に転がっていることが、たまらなく哀しかった」。
 二人は、彼女のベランダに、「お見舞いを装って、病院へ持って行った花束」を、投げ入れて、帰った。

 夏休みの間、吉田さんから、かおるへは、何も、連絡がなかった。
 かおるは、レストランでのアルバイトに、精を出すことにした。
 ある日、背の低い、初老の紳士が、客として、やってきた。彼が一生懸命に食べていること、一人ぼっちなこと、そして背がとても低いことが、なぜか、かおるの気持に、引っ掛かった。彼女を無条件に切なくさせる風景が、そこにある気がした。

 夏休みも半ばを過ぎた頃、真由子が、田舎に帰省することになった。彼女を、新幹線のホームまで、かおるが、見送る。
「東京から田舎に帰る時の気持って、毎回毎回違ってるの。晴れ晴れと澄み渡っている時、空しいくらい無感情な時、もちろんつらい時もあった。その時々の気持を思い出していると、その一つ一つが東京でのいろんな出来事に結びついているの。ホームで新幹線を待っている間、それまでの東京での出来事を全部おさらいして、ひとまとめにして、きゅっと紐で縛るみたいな感じ」
「そうか。新幹線ホームで、句読点を打つわけね」
「うん。反対に田舎からこっちに戻ってくる時には、紐をぱーっとほどいて自分を自由にして、またこの街に飛び込んでゆくの。
 田舎に帰ると、あらゆる感情が封じ込められたみたいに妙に穏やかになっちゃうのよね。だからすぐに飽きて、また東京が恋しくなるの」
「分るよ、そういう感じ。わたしもそうだもの。特にうちの場合、家族構成が複雑だしね。新しいお母さんが来た時、家族の間では何も感じないでいるのが一番だって直感したくらいだから」
「そう。だから東京に帰って、また泣いたり笑ったり、切なくなったり哀しくなったりしたくなるの。変ね」
「この街には、大切なものが一杯詰まっているのよ」
 そして、二人の話題は、吉田さんの「沈黙」に。
「もうここまできたからには、わたし、徹底的に吉田さんの無言に付き合おうと思うの。吉田さんは無言になることで何か重大なことを私に示そうとしているんじゃないかしら。わたしは今、その長い無言の中にいるの。もうそろそろ、吉田さんが示したいことに、気付いてあげなきゃならない時かもね」
「そんなのおかしいよ。お互いにちゃんと顔を見て、本当のことを話すべきだと思う。もし吉田さんが無言のままかおるに何かを伝えようとしているんなら、それはとってもずるいやり方だよ」
「わたしだって、ずるいやり方を選んでる。こっちから電話して傷つくより、電話をしないで傷つく方がましだって、ちゃんと頭で計算してるんだから。結局いつも、自分が一番無傷でいられる方法を選んでるのよ」
「自分を大切にするのは当然のことよ。そんなことで自分を責める必要はないよ」
「うん。わたし、自分を責めたりなんかしてない。ただ最近、一つとても重要なことに気付いたの。吉田さんを好きなのは、彼がわたしを必要だと思ってくれるからで、それ以外に理由はないんだってこと」

 ある日、義理の母親から、かおるへ、電話がかかってくる。
「航平の病気について、『画期的な治療薬』が発見されたらしいの」
 その治療薬は、「ぶたの脳みそのホルモン」が原料だという。
 とはいえ、新しい治療薬が、実用化するには、まだ、長い年月がかかるだろう。
 かおるは、義母の、ひとまずの安心のために、航平と、その「画期的な治療薬」を発見した、病院へ。
「この病院のどこかで人が死んでいるなんて、信じられないね」
 医師による診察は、あっさりと終わった。
「ぶたの脳みその? あれは、まだ無理ですよ」

 病院を出てから、二人は、しばらく、歩くことにした。
 二人が交わす、思い出話。
 実家の裏庭に、輝くようなオレンジ色のきのこが生えたこと。二人で、それを炒めて、食べたこと。炒めると、きのこは、くすんだ灰色になって、二人は、がっかりしたこと。しかも、二人とも、お腹をこわしたこと。
 近所に住んでいた知恵遅れの女の子が沼で溺死し、その死体の引き上げ作業を見に行こうとして父に叱られたこと。彼女を、かおるは、一度だけ、棒切れでつついて、泣かせたことがあったこと。そのことが、その後、深い後悔となって、かおるを苦しめたこと。
「たとえ落胆や苦しみから芽生えた思い出でも、今ではすべてが淡い甘味を帯びている。そのことが私を安らかな気持にした」

 秋の深まったある日、吉田さんからの手紙が、かおるのもとへ届いた。彼女は、その手紙を持って、サンシャイン・マーケットへ。「そこしか、安らかな気持で吉田さんの手紙を読むことのできる場所はない気がした」。
――僕は来月、ソ連留学へ出発します。
――そしてソ連へは、ある女性と一緒に行きます。このことがあなたにとってどれだけひどい事実であるか、僕は分かっているつもりです。傲慢な言い訳だと非難されるのは承知の上で、でもどうしても言っておかなければならないことがあります。それは、どうかむやみに傷つかないでほしい、という僕の願いです。あなたの代わりに彼女を選んだとか、あなたを嫌いになって彼女を好きになったとか、そんな単純な方程式で片付けられる問題ではないのですから。
 その女性は、かつてのカウンセリングの後、精神科医が、彼に紹介したのだという。「彼女の対話療法のパートナーになってほしい」。
――手垢にまみれた、いわゆる恋愛関係とか肉体的な関係のことを言っているのではありません。何と言ったらいいのだろう。僕たちはお互いに、含まれあっているのです。
――対話療法などという不可思議な治療のもと、古びたビルの一室で、飲み物もBGMもなくただ二人だけで向かい合っているうちに、僕たちは気づいたのです。含まれあっている、と。僕は彼女に、彼女は僕に。
――宇宙のはずれの途方もなく遠いどこかで、僕たちは一人の人間だったのかもしれません。少女マンガじみて、あなたはあきれるでしょう。でも僕はどうしても、彼女について何も感じないでいることができないのです。うきうきと心はずむような感情ではありません。どちらかというと、哀しみに近いものです。いとしくあわれで、涙さえにじんできそうな……。

 吉田さんからの手紙を、かおるは、真由子にだけ、見せた。
「一人ぼっちでこれを読むなんて、辛すぎるわ。かおる、よくがんばったわね。わたしだったら我慢できない」
 かおるは、目を閉じて、真由子に、もたれる。真由子は、かおるを、長い時間、受け止めていた。

 吉田さんが、ソ連へ出発する月になった。
「皮を剝ぎ取られ肉屋に吊り下げられた豚の死骸、主任がオレンジ色の唇でなめるアイスクリーム・ロイヤル、サンシャイン・マーケットの冷蔵ケースに置かれた熊の掌などに惑わされない、ありふれた食事がしたいのだ。今一番欲しいのは、微笑みと満足に彩られた平和な食事なのだ」
 かおるは、航平を招いて、夕食会を開くことにした。

 夕食会の準備のため、かおるは、部屋中に散らばっていた、食べ物の残骸を、燃やした。
 燃えてゆく食べ物は、火葬される小動物の死骸のように、いたわしかった。

 夕食会。航平は、かおるの作った献立表を見て、アンネ・フランクの日記に載っていた献立表のことを、思い出す。
「とってもけなげで微笑ましいんだ」
 食前の祈り。航平は、とても長く深く祈る。航平の祈る姿を見つめながら、かおるは、自分が、航平のために祈っているかのように、錯覚する。
 和やかな夕食。かおるは、久しぶりに、満腹感を覚えた。食事が済み、ふっと落ち着いた瞬間に、不意に、かおるに、哀しさが舞い降りてきた。涙さえ、こぼれそうだった。
 かおるは、航平の手を、にぎる。ただどうしようもなく、航平に触れていたいだけだった。お互いが含まれ合っているかのように、彼の無垢な温もりを、心の奥で感じたいだけだった。

 その日の夜、かおるは、自分の日記を、最初から最後まで読み返した上で、はさみを入れた。彼女は、全部の言葉が、ばらばらになるまで、はさみを入れ続けた。全部の言葉が、ばらばらになった後、彼女の掌には、航平の感触が残り、それが彼女の中に、満ちていた。

第2 中島コメント

1 言葉の乏しさ 想像の豊かさ

 この物語を読んでいて、私は、主人公のかおると、学生時代の小川さんとを、重ね合わせました。
 その、かおるが書いた日記は、「食べたものについて、列挙するだけの日記」でした。
 その日記の内容は、そのときまでに彼女の獲得していた言葉が、まだ乏しかったことを、示しているでしょう。
 そして、彼女は、言葉の乏しさとは関係なく、豊かな「想像する力」を持っていました。そのことは、ドーナツについての、読んでいて食べたくなるような描写から、個人的に、分かるような気がしています。

2 大人になることの怖さ

(1)上品ぶった女性

 レストランの「主任」。オールドミス。その「主任」の上品ぶった仕草に、「かおるは、嫌悪感よりも、悲しみを、覚えた」。
 かおるが、「悲しみを覚えた」のは、「『主任』が、そういう大人になりたくて、なったわけではない」ということを、分かっていたからでしょう。そして、「自分も、なりたいような大人に、なることができるとは、限らない」ということも、彼女は、分かっていたのでは、ないでしょうか。
――自分が、なりたいような大人に、なることができるとは、限らない。
 このことは、子どもが、大人になってゆくにあたって、感じる怖さの、ひとつでしょう。

 余談。この物語における、「主任」の台詞を、読んでいるうちに、私は、小川洋子さんの声を、思い出しました。
 小川洋子さんは、現在、東京FMで、ラジオ番組を、持っています。そのラジオ番組を、初めて聞いたとき、私は、小川さんが、思いのほか、「甘ったるい声」(この小説の題名から言葉を借りると「シュガーな声」)をしていることに、意外な印象を受けました。小川さんの小説から、私は、静謐で澄明な印象(「シュガーレスな印象」)を、受けてきたからです。
 ひょっとすると、小川さんは、自分が「主任」のような声の大人になることを、予期していたのかもしれません。

(2)恐ろしい世界

 かおるには、「アイスクリーム・ロイヤル」が、「ユダヤ人の死体の脂で作った石けん」に、見えました。
 このことは、これから、かおるが、大学を卒業して、出てゆくことになる社会が・世界が、「恐ろしい出来事が起こることのある社会である・世界である」ことを、暗示しているでしょう。
 社会に出てゆくことの怖さ。世界に出てゆくことの怖さ。そして、恐ろしい出来事に遭うことの怖さ。その怖さも、子どもが、大人になってゆくにあたって、感じる怖さの、ひとつでしょう。

 余談。「アイスクリーム・ロイヤル」に限らず、かおるは、大学の学食のメニューにも、食欲を、感じませんでした。
 この表現から、私が連想したイメージは、『千と千尋の神隠し』の、「ハクが千尋に、異界の食べ物を、食べさせる場面」でした。
「この世界の食べ物を食べないと、消えてしまう」
 ホテルの食べ物では、満足しない、かおる。大学の食べ物は、食べない、かおる。彼女は、ホテルのある世界、大学のある世界に、順応することが、できていない、人物であるようです。

(3)小括――大人になりたくない

 総じて、この物語の主人公、かおるは、「大人になりたくない」という気持ちを、持っている。そのように、私は、見受けました。

3 大いなるものとのつながり

(1)小さな弟

 かおるの、「小さな弟」である、航平。
 彼は、「背が伸びない病気」であり、子どものままの姿で、物語に登場します。
 その彼が、神道を、修めることになります。
 これら、「子どものままの姿」及び「神道」という言葉から、私は、次の言葉を、思い出しました。
――7歳までは、神のうち。
 子どもは、幼いうちは、まだ、神様とのつながりを、有している。異界とのつながりを、有している。大いなるものとのつながりを、有している。
 このことからしますと、航平は、かおるにとって、家族として、「神様」「異界」「大いなるもの」とのつながりを、開く、存在なのかもしれません。
 この物語のなかで、かおるは、最後に、航平とのつながりを確かめることによって、満腹感、満足感を、得ます。彼女を、とめどない食欲から、解放したもの。それは、吉田さんという「異性とのつながり」ではなく、航平という「異界とのつながり」でした。彼女は、とめどない食欲を通じて、「神様とのつながり」「異界とのつながり」「大いなるものとのつながり」を、求めていたのかもしれません。

(2)サンシャイン・マーケット

 かおるが、とめどない食欲を通じて、「神様とのつながり」「異界とのつながり」「大いなるものとのつながり」を、求めていたこと。そのことは、彼女が、「サンシャイン・マーケット」の売っている食べ物に、食欲を主に示すことからも、個人的には、分かるような気がしています。
 「サンシャイン・マーケット」の、「サンシャイン」という言葉に、私は、注目します。
 小川さんの実家は、実際、「金光教」という、神道の一派の、信徒であったそうです。
 「金光教」の、「金光」は、「サンシャイン」と、英訳できるでしょう。「サンシャイン」は、「太陽」をも、もちろん意味しています。
 「太陽」という、「大いなるもの」の発する陽光のなかで、肉・魚・野菜・果物、あらゆる生命が育ち・実り、人間をはじめとする、他の生命のための、糧となってゆくこと。そのことを象徴する場所が、「サンシャイン・マーケット」なのかもしれません。
 だからこそ、「サンシャイン・マーケット」の食べ物を、食べることによって、かおるは、そのとめどない食欲について、いったんの満足を得ることが、できたのでしょう。
 そのことからしますと、かおるが、吉田さんからの手紙を、読む場所として、「サンシャイン・マーケット」を選んだことも、個人的には、得心がゆきます。自分のことを包み込む、「大いなるもの」の、懐の中で、かおるは、未熟な自分が、一人で受け止めるには、大き過ぎる衝撃を、受け止めようとしたのでしょう。

(3)小括――「子どものままでいたい」

 以上、検討してきたことからしますと、かおるは、「大人になりたくない」という気持ちから、更に進んで、「神のうちにいたい」「子どものままでいたい」という思いを、持っている人物であるのでしょう。

4 子どもどうしの恋愛

(1)男性に父親を期待する女性――かおる

 かおるが、「神のうちにいたい」こと、「子どものままでいたい」こと。そのことは、かおるの、吉田さんとの関係についても、当てはまる気が、個人的には、しています。
 かおると、吉田さんとの間には、性的関係は、ありませんでした。
 吉田さんは、ベッドの中で、かおるを抱き締め、髪を撫でるだけでした。
 この、吉田さんと、かおるとの関係から、私は、「父と娘との関係」を、連想します。
 「娘を、包み込む、父」。かおるが、吉田さんに期待していた男性像は、そのようなものだったのでしょう。
 そのようなものなのであれば、二人の間に、性的な関係がなかったことは、むしろ、当然でした。といいますのは、吉田さんの、「性的不能」は、「近親相姦回避」という意味で、捉えるべきことになるからです。

(2)女性に母親を期待する男性――吉田さん

 かおるの吉田さんに対する期待と、同様のことが、吉田さんの、年上女性に対する期待にも、言えます。
――僕たちは含まれあっている。
――宇宙のはずれの途方もなく遠いどこかで、僕たちは一人の人間だったのかもしれません。
 このように、吉田さんは、その年上女性との関係について、かおるへの手紙に、認めています。
 その年上女性は、32歳。24歳の吉田さんとは、無視できない、年の差があります。
 無視できない、年の差のある、年上の女性について、「僕たちは含まれあっている」。「僕たちは一人の人間だったのかもしれません」。
 このように認める吉田さんは、年上女性に、「母親と息子との関係」を、期待しているように、私には、読めます。
 といいますのは、息子は、かつて、母親に「含まれていた」からです。また、息子は、母親とは、かつて、「一人の人間だった」からです。
 このように読んでみますと、かおるのみならず、吉田さんも、「子どものままでいたい」人物であったことが、分かってきます。そのような気が、個人的には、しています。

 そして、吉田さんの、年上女性との、次なる恋愛は、おそらく、上手く行かなかったでしょう。
 なぜならば… 自分の人格と、相手の人格とは、あくまでも、別々であること。「人格の合一」は、ありえないこと。そのことを前提として、はじめて、人間関係は、成り立つものであるからです。

(3)子どもどうしの恋愛――甘い恋愛

 男性に父親を期待する女性――かおる。
 女性に母親を期待する男性――吉田さん。
 このように、二人について並べてみると、二人の恋愛は、「子どもどうしの恋愛」でした。
 そして、お互いが、自分のことは、子どもだと思っているのに、相手には、「親であること」を、期待していました。
 この通り、この恋愛には、最初から、立ち行かなくなる構図が、潜んでいました。
 このような恋愛を経てゆくなかで、女性においても、男性においても、相手への期待感は、小さくなってゆき、その分、自分の包容力が、大きくなってゆくのでしょう。
 そのような、「大人」になった女性・男性から見ますと、この物語における、二人の恋愛は、題名の通り、「甘い恋愛」だったと言えるのかもしれません。認識の「甘さ」。覚悟の「甘さ」。
 その「甘さ」について、自覚すること。自覚して、内省してゆくこと。そのことによってこそ、ひとは、自分の内面を、形成してゆくことができるのでしょう。

(4)子どもどうしの恋愛――純愛

 ただ、子どもどうしの恋愛だからこそ生まれる、純情の通じ合う時間は、お互いに、その人生において、一度しか経験することのできない、かけがえのない時間でもあるでしょう。
 子どもが、相手に寄せる、無邪気な愛情。その愛情が通じ合ったとき、そこには、お互いにとって、とても幸せな時間が、生まれるでしょう。
 小川さんが、29歳のときに書いた、この物語において、書き残しておきたかったもの。それは、そのような、20歳そこそこの頃に、小川さんの味わった、「純愛時間」(シュガータイム)だったのかもしれません。
 そのような、「純愛時間」の経験は、その後、そのひとが生きてゆくにあたっての、人間への信頼の基礎に、なってゆくはずです。たとえ、その「純愛時間」が、裏切りによって終わることになったとしても、その「純愛時間」は、消えないからです。

(5)子どもの裏切り

 子どもの無邪気さは、子どもの気の変わりやすさにも、通じています。

 いままで、個人的に考えてきたことからしますと、吉田さんの裏切りは、「子どもの裏切り」でした。
――このことがあなたにとってどれだけひどい事実であるか、僕は分かっているつもりです。
 このように、吉田さんは、手紙に、書いてはいます。しかし、吉田さんは、本当には、そのひどさを、分かっていなかったのではないでしょうか。本当に、分かっていたならば、吉田さんは、かおるのことを、裏切らなかったはずです。

 なお、「子どもの裏切り」について、ここで、一点、個人的に気が付いたことを、書き留めておきます。
 民法の世界では、子ども(未成年者)は、自分の結んだ契約について、基本、自由に取り消しができることになっています。
 すなわち、民法の世界は、「子どもの裏切り」を、許容している世界でもあるようです。
 なぜ、そうなっているのでしょう。そして、逆に、なぜ、大人(成年者)は、裏切ってはいけないことに、なっているのでしょう。そのことに、個人的に、興味があります。
 そして、その謎を解く手がかりは、「記銘」そして「信頼」という言葉に、あるのかもしれません。

5 小川洋子さん――子どものままでいたかったひと

 かおると、吉田さんとの、「子どもどうしの恋愛」を、初めての長編の主題として、大切な経験として、書き残したこと。このことからしますと、小川さん自身も、「子どものままでいたかったひと」だったのかもしれません。
 このことに関連して、小川さんが、よく引用している、アンネ・フランクの言葉を、私は、思い出します。
――私の望みは、死んでからもなお生き続けること!
 この言葉を、小川さんが引用するとき、そこには、次の言葉が埋まっているように、個人的には、感じています。
――私の望みは、死んでからもなお「少女として」生き続けること!
 小川さんが、アンネ・フランクに対して寄せる、親しみには、彼女が「少女のままで、その生涯を終えたこと」、つまりは、「永遠に少女であること」への憧れが、こもっているのかもしれません。

 上述のように考えたとき、小川さんの紡いできた物語について、読み解いてゆくための、ひとつの糸口が、見えてくるような気が、個人的には、しています。
 まず、前提として、小川さんは、『物語の役割』(ちくまプリマー新書)において、次のように書いています。
「たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです」
 その、小川さんは、「子どものままでいたかったひと」でした。そのひとにとって、この現代日本社会において「標準のこと」「当然のこと」となっていた、次のことは、「非常に受け入れがたい困難な現実」だったのではないでしょうか。
――結婚すること。
――妊娠すること。
――生まれてきた子どもが男の子であったこと。
――男の子を育てることになったこと。
 これらの、「非常に受け入れがたい困難な現実」を、自分の心の形に合うように、変形させ、物語を作っていったひと。それが、小川さんというひとなのかもしれません。
 そのように考えてみると、小川さんの紡いできた物語は、この現代日本社会において、「女性が大人になってゆくこと」についての、一例を示す、物語となっているのかもしれません。
 たとえば、私には、小川さんの『密やかな結晶』は、「男性を懐胎した女性の物語」のように、見えています。

 なお、この現代日本社会が、女性を(男性も)「子どものままでおく」社会になっていて、それがそもそもの問題となっていることも、ここに、個人的に、書き留めておきます。

6 イメージたち

 この『シュガータイム』には、その後の、小川さんが紡いでゆく物語に出てくるイメージが、いくつも出てきます。それらを、個人的に、気が付いた限りで、ここに書き留めておきます。

(1)まぶた・またたき

 航平の見せる、美しい「まぶた」「またたき」。
 「まぶた」は、そのまま、後年の物語の、題名になりました。
 「またたき」も、後年の『琥珀のまたたき』という物語の、題名に、入りました。

(2)野球

 小川さんは、野球観戦がお好きなようで、様々なエッセイに、そのことを、書いています。
 『博士の愛した数式』では、少年であるルートと、博士とが、キャッチボールを、しています。

(3)結晶

 かおると、吉田さんは、ベッドの中で、ステンレスの結晶、その写真を、見つめます。その「結晶」のイメージは、後年、『密やかな結晶』に、昇華したのかもしれません。

(4)沈黙

 この『シュガータイム』において、吉田さんが、かおるに対して示した、「沈黙」。
 その「沈黙」は、後年の、小川さんが紡ぐ物語の、重要な主題の、ひとつになりました。小川さんには、『沈黙博物館』という物語も、あります(ちくま文庫)。その果てに、小川さんは、言葉を持たない、動物たちの物語にまで、辿り着いたようです。『ブラフマンの埋葬』(講談社文庫)『いつも彼らはどこかに』(新潮文庫)。
「もうここまできたからには、わたし、徹底的に吉田さんの無言に付き合おうと思うの」
 この物語に出てきた、かおるの言葉の通り、小川さんは、その後、「徹底的に吉田さんの無言に付き合」っていったようです。

 なお、「沈黙」に関連して、個人的に考えていることを、ここに、書き留めておきます。
 「沈黙」には、「偽の沈黙」と、「真の沈黙」とが、あるようです。
 「偽の沈黙」は、「言いたい言葉があるのに、あえて黙る、沈黙」です。この場合、沈黙するひとは、相手に対して、問いがない状態で、答えを出すよう、求めていることになります。問いがないのでは、答えようがありません。この「偽の沈黙」に対しては、真由子の言葉が、そのまま、当てはまります。
「そんなのおかしいよ。お互いにちゃんと顔を見て、本当のことを話すべきだと思う。もし吉田さんが無言のままかおるに何かを伝えようとしているんなら、それはとってもずるいやり方だよ」
 「真の沈黙」は、「言葉のない沈黙」です。この場合、沈黙するひとのなかにすら、問いがないこととなります。そして、問いがないひとに対して、他者が、問いになるように、言葉を与えたとしても、それは、本当の意味での、そのひとからの問いには、ならないでしょう。この場合には、沈黙しているひとに対して、寄り添うこと、待つことが、大事な態度となるでしょう。

(5)ひよこ

「生卵の黄色を見るたびに、わたしはひよこを思い浮かべる。黄身をかき回す時、ひよこを握りつぶしているような気分になって微かに胸が痛む」
 この、生卵の黄色から、ひよこを連想する、イメージは、後年、「ひよこトラック」の中に、再度登場しました。

(6)初老の紳士

 かおるがアルバイトをしているレストランに、客として、やってきた、「初老の紳士」。彼は、『シュガータイム』には、それきり、登場しませんでした。
 しかし、この「初老の紳士」が、おそらく、その後の、小川さんの紡いだ物語である、『ホテル・アイリス』に登場する老人であったり、「ガイド」に登場するおじいさんであったり、『博士の愛した数式』に登場する博士であったり、するのでしょう。
 彼が、『シュガータイム』という物語、その単体において、登場した意味は、あまりなかったかもしれません。しかし、彼が登場した意味は、その後の、複数の物語へ登場してゆく伏線として、重要だったのかもしれません。

7 まとめ――イメージの到達点かつ出発点

 『シュガータイム』は、小川さんにとって、20歳そこそこの頃に味わった、大切な「純愛時間」について、書き留める物語でした。いわば、「20代の到達点」でした。

 同時に、『シュガータイム』は、小川さんにとって、その後に紡いでゆく物語の、基礎となるイメージを、書き留めるための物語でも、あったようです。いわば、「20代の出発点」でも、あったようです。

 芥川龍之介が、挑戦して失敗した、「自分が、その人生において得てきた経験について、いったん、統合すること」。
 そのことについて、『シュガータイム』は、よき手本となるような、まとまりのよい作品でした。
 この作品は、個人的には、読んでいて、腕のよい画家の、若かりし日々の、デッサンを眺めているようでした。
 「いったんの統合」は、デッサンのような、素朴なもので、よいのでしょう。その素朴なデッサンが、後々には、精緻な作品へ、結実していくものなのでしょう。

 そして、小川さんが、「いったんの統合」において、「純愛時間」を、その核に置いていることが、個人的には、とても素敵だと思います。

8 新しい物語の方向性

 小川さんは、上記5において述べた通り、「結婚して」「子どもを生んで」「子どもを育てる」ことについて、それらを物語の形にして、大切に書き留めてきたひとであるようです。
 小川さんによる、物語の蓄積は、同じ生き方を辿るひとたちにとっての、よき蓄積となるでしょう。

 そして、現代日本社会においては、また別な物語の方向を、見出すことも、大事になってきているのかもしれません。
――働け。産め。輝け。
 このような、現代日本社会において、新たな「標準」「当然」となったことどもについて、純真に取り組んで、心身ともにズタズタになり、病を得た女性たち。彼女たちの人数は、私の個人的な知り合いを、いま、思いつくままに数えても、五指に届きます。
 彼女たちの経験は、これからの、現代日本社会において必要となる、新たな物語の、主題のひとつに、なりうるでしょう。
 このような主題についての、先駆者としては、たとえば、詩人・石垣りんさんがいます。石垣さんの他にも、私が知らないだけで、先駆者は、たくさん、いるのかもしれません。

9 追補――大江健三郎さんからの影響

 小川洋子さんへの、大江健三郎さんからの、影響。その影響について、個人的に、気が付いたことを、ここに書き留めておきます。
 『シュガータイム』に登場した、「小さな弟」である、航平。彼の存在から、私は、大江さんの物語に、よく主要人物として登場する、「障害のある息子」のことを、連想しました。
 実際、小川さんは、学生時代から、大江健三郎さんの物語を読み、その物語から学ぶことが、様々、あったようです。たとえば、小川さんの『妖精が舞い下りる夜』(角川文庫)や『博士の本棚』(新潮文庫)などのエッセイに、そのことが、書いてあります。
 思えば、大江さんは、「子どもを育てること」を、その物語の主題としてきた作家さんでした。同じく、小川さんも、「子どもを育てること」を、その物語の主題としてきました。
 二人が、それぞれ紡ぐ、物語には、親和性が、あるようです。
 小川洋子さんへの、大江健三郎さんからの、影響。その影響について、読み取ってゆくこと。そのことにも、個人的に、興味があります。

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