【考えの足あと】夫婦同姓合憲判断に触れて――女性・言葉・社会
1 言葉を奪う――物語
映画『千と千尋の神隠し』。
「ここで働かせて下さい」
そのように言葉を発する千尋に対して、湯婆婆は、まず、口を塞ぎ、更には、労働者になった彼女の「姓」と「名」とを、奪いました。
湯婆婆もまた、家父長であり・資本家である、権力者でした。
2 言葉を奪う――日本社会
日本の社会が、女性から「姓」を奪うしくみに、なっていること。
そのことは、日本の社会が、女性から、「言葉」を奪うしくみになっていることの、象徴なのかもしれません。
言語学者・中村桃子さんの研究によると、日本社会における「女性らしい言葉づかい」(いわゆる「女ことば」)は、女性が沈黙しやすくなるように、できているそうです(『女ことばと日本語』岩波新書)。
たとえば、作家・川上未映子さんが、大阪弁で、書いたり・話したりしているのは、女ことばが、自分にかけてくる制御から、自分を、解放しようとしているのかもしれません。
3 言葉を奪った結果 言葉が通じなくなる
権力者が、非権力者を支配するために、非権力者の言葉を、奪う。
「言葉」を奪うことによって、「考える力」をも、奪う。
この手段は、一見、支配のための、有効な手段です。
ただ、非権力者から、言葉を奪うと、ゆくゆく、権力者も、困ることになります。
4 一例――小倉昌男さん
ジャーナリスト・森健さんの『祈りと経営』は、ヤマト宅急便の生みの親、小倉昌男さんが、その妻と娘との、果てしなく続く、母娘の葛藤について、為す術がなかったことを、紹介しています。
小倉さんにとって、妻と娘とは、どちらも「言葉の通じない相手」だったようです。
そして、「言葉の通じない相手」に対して、暴力で圧伏するかというと、小倉さんは、そのようなことも、しませんでした。
小倉さんは、その著書である『経営学』を、個人的に読む限り、言葉によって、精密に、自分の事業と組織を、作り上げたひとだったようです。
そのような小倉さんにとっては、暴力で相手を圧伏することは、それまでの、自分の仕事と人生とを、否定することであったでしょう。
――言葉が通じない。
――暴力で圧伏することもできない。
ですから、小倉さんは、「言葉の通じない母娘」の、果てしない葛藤について、為す術がなかったのでしょう。
5 言葉がなくなる 社会がなくなる
日本の社会において、女性から言葉を奪った結果、女性の抱えることになった葛藤について、男性もが、為す術がなくなる。
そのことを、小倉さんのエピソードは、示しているでしょう。
社会の成員から、言葉を奪うと、社会が、成り立たなくなるのでしょう。
「言葉を大事にする」という立場から、私は、夫婦別姓に、賛成します。
余談。冒頭で紹介した『千と千尋の神隠し』において、湯婆婆が、千尋の「名」をも、奪ったことによって、千尋の名前が、「千」という、「数字」つまりは「番号」になったことも、個人的に、興味深いです。