【考えの足あと】これからの時代――崩壊・解体・再建
『ははがうまれる』についての、テキスト批評において、私は、「いまは、解体の時代だ」という趣旨のことを、書きました。
そのことについて、その後、若干、自分の考えが進みましたので、ここに書き留めておきます。
1 これからの時代――崩壊・解体・再建
これから、2025年になると、団塊の世代が75歳を迎え、社会保障支出に関しても、介護・医療についてのマンパワーに関しても、「崩壊」せずに切り抜けることができるか、正念場となる時代が、やってくるでしょう。
この見通しに対して、私の仕事(後見・相続)は、「先人たちが築き上げてきたものを、崩壊するまで放置せずに、管理・解体して、次の世代へ引き継いでゆく仕事」です。つまりは「解体」する仕事です。こうしたイメージは、特に、「空き家」の問題に取り組むときに、私の脳裏に、浮かんできます。
「崩壊」の時代に、なるべく「崩壊」させずに「解体」して、その価値を、次の世代へ、引き継いでゆく。この仕事には、これからの時代も、取り組んでゆく価値が、十分に、あります。そのように、個人的には考えています。
そして、「崩壊」の時代の、その先に、「再建」の時代が、やってくるでしょう。「再建」の時代に生きる、次の世代のために、私たちができること。そのひとつは、「この社会の基本的なしくみ」について、次の世代の、参考のために、書き残しておくことでしょう。私が、いま、書いている、「私が仕事で見ている世界」も、そうした作業の、一環と言えます。
2 立地の問題――高齢化への対応+少子化への対応
上記1に書いたように、私の仕事は、「高齢化」に対応する仕事です。
そして、「高齢化」に対応しているうちに、私には、「高齢化」と表裏で一体の問題として、「少子化」の問題が存在しているように、見えてきました。
より具体的に言えば、社会が、「成年者」(健常者)を基本として、設計してあるため、特に、人口が集中している都市部に、「高齢者の暮らしにくさ」の問題と、「子どもの育てにくさ」の問題とが、並存して現れているように、見えてきました。
ですので、私は、都市部において、「高齢者の暮らしにくさ」に対応する仕事(後見)に取り組むのと同時に、「子どもの育てにくさ」に対応する職場を作ることにも、取り組もうとしてきました。
ただ、都市部においては、「高齢者の暮らしにくさ」による、後見の仕事についての需要は、多々ある反面、「子どもの育てにくさ」については、そもそもの保育所数が少ない等、困難が、多々あることが、個人的に、分かってきました。
本当に「子どもの育てにくさ」に対応する職場を作るためには、たとえば、東京都外、子育てのための施設・サービスが充実している地域に、別に職場を設ける等、更なる工夫が必要になりそうです。
3 職能の問題――高齢化への対応+少子化への対応
また、「高齢化」に対応する仕事に取り組んでいるうちに、私には、「職能」に関する問題も、見えてきました。
「空き家」問題に取り組む仕事をはじめ、「高齢化」に対応する仕事(後見・相続)には、「複数の問題が絡み合っている状況に対し、複数の手続を組み合わせて、解決すること」が、必要になることが、ままあります。また、複雑な案件でなくても、賃貸経営の問題、介護保険の問題、健康保険の問題、税金の問題など、様々な問題に対応することが、必要になることも、ままあります。これらの仕事には、「多能工」としての能力が、必要になってきます。
一方、「子どもの育てにくさ」に対応する職場を作るためには、労働時間について、柔軟に対応したり・限定したりすることはもちろん、そのために、職務内容についても、限定することが、望ましい、ということになってきます。つまり、あえて、「単能工」(または「その組み合わせ」)に、職務内容を限定することが、望ましい、ということになってきます。
※ なお、この考えとは、逆の考えが書いてある本として、武田佳奈さんの『フルキャリ・マネジメント』(東洋経済新報社)があります。
職務内容についての、限定。そのこと自体は、いま、働き方に関して、「ジョブ型」の正社員が議論の対象になっていることからしましても、十分に検討するべきことでしょう。そもそも、いままでの日本の社会において、雇用契約のなかに、職務内容についての限定が、あまり無かったことが、問題だったのです。職務内容について、限定することは、従業員の自由を、確保するためにも、大事でしょう。
本来、「多能工」としての能力が、必要となる仕事に対して、「単能工」(または「その組み合わせ」)によって、対応する。このような対応が、どのようにすれば、実現できるのか。そのことが、いま、個人的に、気になっています。
現時点において、個人的に、思い浮かべている対応としては、次のような方法があります。
――多能工としての仕事を、言葉にして、分解して、単能工としての仕事の対象にできる状態にした上で、従業員と、どの仕事を、その職務の対象とするか、合意する。
この方法について、実施するためにも、「私が私の仕事について言葉にすること」は、大事であることになります。
ここまで書いてきて、もう一点、個人的に、気になったことが、あります。
個人として、これからの時代を、生き抜いていくためには、「多能工」としての職能は、必要でしょう。「単能工」としての職能を、積み重ねていった上で、「多能工」としての職能を、身に付けることが、できるようにすること。そのことも、大事でしょう。
4 子ども・若い人の「無気力」
最後に、個人的に、思い浮かべたことを、ここに書き留めておきます。
――これから、「崩壊」の時代が、やってくる。
そのように書いてみると、私には、学生さんたちを支援してゆく活動のなかで、中高年のひとたちから聞いた「子ども・若い人が『無気力』に見える」という、その子どもたち・若い人たちの気持ちも、少し、分かってくるような気がします。
――大人と同じように努力しても、結局、大人と同じように行き詰まることになるのでは?
――それなら、大人と同じように努力する意味は、無いのでは?
そのように、子どもたち・若い人たちは、感じているのかもしれません。
もし、実際に、子どもたち・若い人たちが、そのように感じているのだとしたら、個人的には、次のような言葉を、届けたいです。
――大人と同じような努力は、しなくていいです。
――しかし、大人と同じような努力でなくても、自分が生きるために、努力してゆくことは、必要であるはずです。
――大人が、どうして行き詰まったのか、見て・聞いて・調べて・考えてみましょう。そのようにすれば、自分は、同じ轍を、踏まなくて済むかもしれません。