新井紀子「そもそも子どもの教育を経済成長の手段にしてはならないのです」スタジオジブリ『熱風』2021年11月号
https://www.ghibli.jp/shuppan/np/013510/
数学者・新井紀子さんへのインタビュー。新井さんは、『AIvs.教科書が読めない子どもたち』の著者でもあります。
第1 内容要約
1 公共事業としてのデジタル教材導入
学校教育へのデジタル教材の導入については、2009年12月から、検討が始まっていた。
導入の目的は、「全国の学校へ、デジタル教材を導入することに伴って、全国に、光ファイバーを導入する、公共事業ができる」。公共投資による経済成長が、デジタル教材の導入の、目的だった。
「そもそも子どもの教育を経済成長の手段にしてはならないのです」
2 タブレット教育――ひとつ前の写真を覚えていない
デジタル教材の導入について、検討が始まった当時、新井さんは、実証研究の対象となった学校へ、見学に行ってみた。
明治時代の写真について、生徒たちが、スワイプしながら、眺めている。
――気になった写真について、選んで、どのようなことが映っている写真なのか、想像してみよう。
新井さんは、その生徒たち、数人に、声をかけた。
「いま見ている写真の、前の写真、覚えてる?」
「ううん、覚えてない」
ひとつ前の写真を覚えていない、見比べが、何になるだろう。
3 図工の教科書にデッサンが入っていない
新井さんは、東京都・教育委員会の委員でもある。
委員会では、東京都の学校が使用する、デジタル教科書を、採択している。
その採択のために上がってきた、図工のデジタル教科書の、どれにも、「デッサン」が入っていなかった。なぜかといえば、「上手い下手で、差がついてしまうから。それは、良くない」。
いま、図工の学習では、「デッサン」ではなく、「インタレーション」が、流行っている。生徒たちに、テーマを与えて、そのテーマについて、アイテムを使って「自由に表現」させる。
「1~2年生の図工の時間に、目の前にあるものを画用紙に描く、落とし込む、ということをトレーニングしなかったら、3年生の算数で、急に図を描けと言っても、無理に決まってるじゃないですか」
「それができないと、算数の展開図でつまずくし、理科の観察や実験の報告をする時に必要な力も、養われないわけで…」
4 教材アプリには検定がない
紙の教科書には、検定がある。
一方、学習用のタブレットに入れる教材アプリには、検定がない。アプリから、生徒たちが、何を習っているのか、先生や保護者が、把握しにくい。
アプリから、生徒たちが習っている内容は、教科書に即しているのか?
5 気を散らすための機械
そもそも、スマホやタブレットは、広告収入のために、作ってあるもの。
どんどんスワイプしたくなり、その都度、広告が、目に入る。
そのような「気を散らすための機械」を、教育のために、使うべきではない。
6 「四則演算」よりも「読解」
教材アプリが提供しているドリルは、四則演算などが、主。
しかし、四則演算の段階で、つまずく生徒は、そういない。
つまずく生徒が多いのは、「読解」の段階。
たとえば、学校の授業では、『山月記』の「行間」を読もうとする。だが、そもそもの「行中」(本文)を読むことのできていない生徒が、相当いる。
7 学ぶ力
小中学校では、「学び続けるために必要な力」を身に付けることが、大事である。
たとえば、書く力、読む力、状況を理解する力。
書く力。先生の板書について、正確に・速く、書き取る力と、授業の内容に追いついてゆく力とには、相関がある。書くことは、単純作業どころか、学ぶために大事なこと。
タブレットの普及によって、画面に授業の内容が映ることで、生徒たちが、先生の板書を書き取る必要がなくなることは、生徒たちの書く力が、衰えてゆくことでもある。
状況を理解する力。
先生が板書を始めたときに、ノートへ日付を書いて、書き取り始めるか。先生の板書が終わってから、書き取り始めるか。板書が終わっても、ぼーっとしているか。
授業前の、数分間の、準備。帰りの、支度。夏休みの前に、物を、数回に分けて持って帰るか、一度に大変な思いをして持って帰るか。
そうしたことどもによって、その子どもの、生きる力が、違ってくる。
「まさに『もののけ姫』で言うところの『生きろ!』ですよね(笑)。宮崎駿さんや鈴木さんは、『生きろ』というメッセージにさまざまな思いを込められたのだろうと思いますが、漢字検定で1級になって、世界史の年号を暗記して、数学が解けましたということでは『生きろ』にならないわけです。その『生きろ』を分解すると、時間を守るとか、借りた本は返さなきゃいけないとか、人の話が聞けるとか、自分の意見が言えるとか、ほんとに細かい要素が全部つながって、『生きる力』になっていくと思うんです」
8 新井さんのジブリ観
スタジオジブリは、その時代その時代の子どもたちに、届けるべきものを、届けてきた。
たとえば、メイと千尋では、体格が違う。メイは、外で遊んでいるので、がっしりした体格。千尋は、外で遊ばないので、ほっそりした体格。
千尋のほっそりした体格は、ゲームばかりしていて、猫背の子どもたちの体格に、通じている。
そして、千尋の食が細かったからこそ、彼女は、両親とともに、ごちそうを貪り食うことはせず、豚にならなくて済んだのだろう。
新井さんの娘さんは、こう語っているという。
「こんなに子どものことを考えてくれる大人がいて、自分は救われた」
「将来、自分が子どもを持った時に、それだけ考えてくれる大人がいない気がする」
子どもたちが夢中になっている、「モンスターハンター」などの、オンラインゲーム。そのようなゲームにおいて、友達と一緒に遊ぶことによって、子どもは、そのゲームから、離れづらくなり、彼の・彼女の、睡眠時間、そして、一人でいる時間が、減ってゆくことになる。
9 便利さのために失うもの
ひとは、文字を手にすることによって、「長い話を正確に暗誦する力」を、失った。
ひとは、コピー機ができてから、ノートを取らなくなった。
ひとは、カメラができてから、見ているものを、その場で目に焼き付けなくなった。
そして、タブレットの導入によって、ひとは、子どもたちから、「何らかの力」と、「豊かな一人の時間」を、奪いつつある。
10 タブレットの活用用途
とはいえ、タブレットには、活用できる用途もある。
弱視の子どもたちのための、画面の一部を拡大できる、教材。
学習の遅れた生徒が、自習するための、ドリル。
体育での、動きの撮影。たとえば、飛び箱を飛べない子の、飛び方を撮影してみて、「ここを、こうすれば、飛べる」と、アドバイスする。
理科の実験。生徒たちの実験を、動画で撮影する。そして、その後で、見てみて、本来の手順・結果と、自分たちの手順・結果との、異同を、生徒たちが、自分で、文字に起こす。
第2 中島コメント
1 学び方――二種類の方程式
明治時代の写真について、スワイプしていた生徒たちが、ひとつ前の写真を、覚えていなかったこと。このことは、ツイッターのツイートや、フェイスブックの記事にも、当てはまるでしょう。
このことに関連して、私には、学び方について、二種類の方程式が、思い浮かんできます。
A インプット = アウトプット
B インプット + イマジン = クリエイション
A式は、ツイッターでの「リツイート」が、象徴しています。また、資格試験についての受験勉強にも、当てはまります。
学び方について、より重要な方程式は、B式の方でしょう。たとえば、作家・小川洋子さんの作品である『最果てアーケード』は、次のように、B式で、表すことができるでしょう。
『あしながおじさん』
+ 『源氏物語』
+ その他の諸作品
+ 小川洋子さんのイマジン(父を送る)
= 『最果てアーケード』
そして、「イマジン」のために必要な時間が、新井さんの言う「豊かな一人の時間」なのでしょう。
「豊かな一人の時間」の大切さについては、精神科医・宮地尚子さんも、『ははがうまれる』(福音館書店)において、指摘していました。
2 スワイプのような読書――表現が細ってゆく
スマホでのスワイプに関連して、個人的な体験を、ここに書き留めておきます。
私は、「私が仕事で見ている世界」を執筆するために、テキスト批評を、控えてみました。その結果、毎日の読書が、スマホでのスワイプのように、右から左へ流れるようになり、その読書によって得た知識や、浮かんできた感想が、残りにくくなりました。そして、そのように読書で得るものが細ってゆくにつれて、肝心の「私が仕事で見ている世界」を、構想する力も、表現する力も、細ってゆきました。
テキスト批評は、よりまとまった表現に備えるための、大事な訓練でもあるようです。
3 時間の過ごし方
そして、よりまとまった表現のためには、テキスト批評よりも、更にまとまった時間が、必要になるようです。
「私が仕事で見ている世界」は、私と一緒に仕事をしてゆくひとたちに、私の仕事についての見方を共有してゆく、その基礎とするための、表現でもあります。つまり、私にとっては、経営のための、その組織づくりのための、表現でもあります。
※ ただ、ずいぶん長い表現になりそうですので、すでに私と一緒に仕事をしてくれているひとたちに、私から「読んで下さい」と頼むことについては、気が引けています笑
そのような表現に、取り組んでゆくためには、私の、いままでの、技術者としての時間の過ごし方では、時間が足りなくなるようです。
技術者としての時間の過ごし方(9時-17時・10時-18時)
管理職としての時間の過ごし方(?)
経営者としての時間の過ごし方(?)
9時-17時。10時-18時。それらの、人間の身体が元気に動く時間に、技術者がするような、現場の作業とは、違う作業を、よき管理職、よき経営者は、おそらく、しているのでしょう。
そのような、管理職としての時間の過ごし方や、経営者としての時間の過ごし方を、個人的に、学びたいです。
ということで、試みに、いつも土日に書いていたテキスト批評を、まずは、水曜の夜に、書いてみて、私のいつもの時間の過ごし方に、少し変化を起こしてみました。
4 手で書くこと――デッサン・ノート
数学者の新井さんが、抽象の問題ではなく、デッサンすること、ノートすることなど、具象の問題を、重視していることが、個人的に、印象的です。
このことに関連する、私がいままで触れてきた言葉を、列挙してみます。
漫画家・安野モヨコさん。
――表現するためには、まず、体験すること。
――体験したことのみ、ひとは、本当に表現できる。
『表現する仕事がしたい!』岩波ジュニア新書
工学者・畑村洋太郎さん。
――「わかる」とは、そのことを、自分の手で、再現できるようになること。
『技術の伝え方』講談社現代新書
労働経済学者・玄田有史さん。
――自分の仕事を、言葉にしよう。
『仕事のなかの曖昧な不安』中公文庫
自分の目の前にやって来た物事・現象を、自分の手で、描き取ること。書き取ること。そのことが、そのひとが、そのひとなりの表現をしてゆくための前提として、必要なのでしょう。
そして、その基礎訓練としても、図工でのデッサンや、教室で板書を書き取ることが、大事になるのでしょう。
5 親が教える・子どもが学ぶ
――教材アプリが、生徒たちに、何を教えているのか、先生や保護者が、把握しにくい。
そうなのであれば、これからますます、学校での教育に頼らずに、親が子どもを教えてゆくこと、子どもが自ら学んでゆくことが、大事になってくるでしょう。
そのとき、親は、「自分から子どもへ、何を伝えることができるのか」そして「何を伝えたいのか」という問題に、直面することになるでしょう。
――表現するためには、まず、体験すること。
――体験したことのみ、ひとは、本当に表現できる。
この安野モヨコさんの言葉は、「親から子どもへ伝える表現」についても、当てはまるでしょう。
――親が、それまでに、何を体験してきたか。
そのことが、親から子どもへ、物事について伝えるときに、問題になるでしょう。
大変です。
かく言う私自身について、何を、子どもたちへ、若いひとたちへ、伝えることができるか、伝えたいか、考えてみますと、次のようなことが、思い浮かんできます。
――自分なりの社会観を持つこと。
――自分が生きるために必要な学びを続けること。
――個人として生きること。
――次の社会について構想すること。
そして、これらのことについて、私自身が、どれほど、体験することができてきたかと言えば、はなはだ心許ないです。正直な話、これらのことについて、私は、「達成してきた」といいますよりも、「取り組んでいる最中」です。
そして、そのような心許なさからしますと、一番大事なことは、「その子どもは、何を学びたいのか」について、汲んでゆくことなのでしょう。
6 まとめ
「学び」について、様々、思うことの浮かんでくる、よきインタビューでした。
新井紀子さんには、『ほんとうにいいの? デジタル教科書』(岩波ブックレット)という著書も、あるそうです。この著書にも、個人的に、興味が湧いてきました。