日仏会館 パリ・コミューン150年-大佛次郎記念館カリカチュアコレクション
https://www.mfj.gr.jp/actualites/2021/11/08/exposition_commune/index_ja.php
作家・大佛次郎さん。新人作家だった頃の、松本清張さんに、励ましの手紙を送ったひと。
その大佛さんの大作、『パリ燃ゆ』。フランスの、歴史上の出来事、「パリ・コミューン」を舞台とした、小説。
その『パリ燃ゆ』の、執筆にあたっての取材を通して、大佛さんが集めた、カリカチュア(風刺画)の展覧会。
「パリ・コミューン」に関しては、映画監督・宮崎駿さんが、次のように語っています。映画『紅の豚』についての、インタビューから、抜粋(『風の帰る場所』文春ジブリ文庫)。
――〝赤い豚〟っていうふうに決めたときに、それはどういう意味を持ってるかっていうのは最初から予感がありましたから。なぜ〝さくらんぼの実る頃〟っていう歌を使ったかっていったら、それはやっぱり空想社会主義と言われようとなんだろうと、とにかく一番ピュアに理想が出たのが〝パリ・コミューン〟ですからね。やっぱりその歌が好きだっていうのは、屈折のかたまりで……だから人間ではなく豚を出すっていうのは、大体もう決まってるんですよ、それは(笑)
「パリ・コミューン」とは、具体的には、どのような出来事だったのでしょう。
そのことについて、個人的に、興味を持って、この展覧会を、訪ねてみました。
第1 内容要約
フランス革命以降、紆余曲折の末に、ナポレオン3世が、皇帝に。
帝政のもとで、国民の不満が、高まってゆく。
――国民の不満を散らせるために、ドイツと、戦争をしよう。
ナポレオン3世は、国民のナショナリズムを煽って、ドイツに対し、宣戦布告。そして、敗北。自らも捕虜になった。
パリを、ドイツ軍が、取り囲む。籠城する、パリ市民たち。
食料、物資の不足。そのことからくる、インフレ。
市民たちは、窮乏に、何ヶ月も、耐えた。
彼ら彼女らに対して、フランス中央政府は、次のように宣伝した。
――必ず、ドイツ軍に、反撃する! 勝利する!
宣伝とは裏腹に、フランス中央政府は、内密に交渉を進め、ドイツに対して、降伏。
巨額の賠償。領土の割譲。
――もう、たくさんだ。私たちの政治を、政治家たちには、任せておけない!
パリ市民たちは、自分たちのなかから、選挙によって、代表を選出して、自治政府を樹立した。
その自治政府のことを「パリ・コミューン」という。
――パリは、何を望むか。共和制である。
――パリは、フランスの自治体(市町村)における、権利の平等を尊重しつつ、自らの自律性に、自らの運命を託したいと、切望しているだけである。
――私たちは、自発的な実り多き連帯のもと、権利と正義、すなわち全員による全員の幸福、また全員と一人ひとりにとっての自由を体現しているのである。
無償教育。政教分離。パリ・コミューンの打ち出した政策は、先駆的なものを含んでいた。
しかし、フランス中央政府(マルセイユ政府)は、パリ・コミューンの樹立を、認めなかった。
パリ・コミューンへの、マルセイユ政府軍の、進攻。
パリ・コミューンは、たった72日間の存立のあと、数万人の犠牲者とともに、歴史のなかに消えた。
なお、パリ・コミューンにあっても、女性の参政権は、まだ、実現していなかった。
ただ、パリ・コミューンのなかで、女性たちも、自分たちを自治するために、立ち上がり、活動していた。
第2 中島コメント
政治がもたらした窮迫のなかで、「自暴自棄になって、暴動を起こす」のではなく、「自分たちで自分たちを自治しようとした」ひとたちが、いたのですね。
たしかに、彼ら彼女らの行動は、輝かしいです。
大佛さんが、宮崎さんが、なぜ、パリ・コミューンに対して、好感を抱いているのか、その気持ちが、個人的に、少し分かったような気がします。
歴史上の、痛ましくも輝かしい出来事に触れることのできた、よき展覧会でした。