【見聞】俵万智展 #たったひとつの「いいね」
角川武蔵野ミュージアム 俵万智展 #たったひとつの「いいね」
https://kadcul.com/event/42
歌人・俵万智さんの個展。
――短歌は、日記よりも手紙に似ている。
――読んでくれる人の心に届くことを願って、いま、そっと封をします。
第1 短歌抜粋
ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
第2 内容要約
1 略歴
俵万智さん。1962年生。早稲田大学、文学部、卒業。
最初は、高校の、国語の教師に。教師のかたわら、口語での短歌を、発表。『サラダ記念日』は、280万部の、大ベストセラーに。俵さんは、教師を辞め、本格的に、歌人になりました。
その後、俵さんは、男の子を授かり、シングルマザーに。
俵さんの発表してきた短歌には、その時々での、素敵な男性との、「結婚へは至らない恋愛」を、楽しんでいる様子が、うかがえます。
2011年3月、東日本大震災。福島第一原発事故のニュースに触れて、俵さんは、一路、西へ、西へ。石垣島へ、移住。石垣島で、小学生だった息子さんとともに、3年間、生活。現在は、宮崎市に、住んでいるそうです。
俵さんの歌う対象としては、大きく分けて、「恋愛」と「子育て」が、二本柱になっているようです。その観点から、この個展において紹介のあった、俵さんの歌を、抜粋してゆきます。
2 恋愛
食べたいでも痩せたいというコピーあり愛されたいでも愛したくない
愛することが追いつめることになってゆくバスルームから星が見えるよ
レシピ通りの恋愛なんてつまらないぐつぐつ煮えるエビのアヒージョ
不用意に捨ててはならぬ燃やしても恋は大地にかえらないから
3 子育て
抱きしめて確かめている子のかたち心は皮膚にあるという説
危ないことしていないかと子を見れば危ないことしかしておらぬなり
昼食のカレーうどんをすすりつつ「晩メシ何?」と聞く高校生
『君たちはどう生きるか』を読み終えておまえが生きる平成の先
あたりまえのことしか書いていないなと憲法読めり十代の夏
手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間
4 その他
優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる
「選ばれる地方」「選ばれない地方」選ばれなくても困らぬ地方
「前向きな疎開」を検討するという人よ田舎は心が密だよ
クッキーのように焼かれている心みんな「いいね」に型抜きされて
第3 中島返歌
去りしひと残してゆきしハンバーガーひとには出せずみづから食はぬ
第4 中島コメント
1 新しい短歌・新しい文学・新しい人生
俵さんは、「口語での短歌」について、その道を開いたひとであるようです。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
俵さんが20代だった頃の、この短歌について、選者である先輩歌人・岡井隆さんは、次のように評しています。
――こういうのは逆立ちしても僕らは作れないし、つかまえられないんで、くやしいんだ、読んでいると(笑)
また、俵さんが選んだ生き方である、「シングルマザー」は、言ってみれば、「個人として生きる女性」という、生き方でもあります。
――個人として生きる女性。
――地方の地域社会のなかで生きる女性。
――自然のなかで生きる女性。
このように、新しい短歌、新しい文学、新しい人生を、体現している、俵さん。俵さんのことを、作家・大江健三郎さんが、『新しい文学のために』(岩波新書)のなかで、新しい文学者として紹介していたことの意味が、あらためて、個人的に、分かったような気がします。
俵さんの、しなやかな生き方には、「たゆたえど沈まず」という言葉が、ぴったりです。
俵さんの発表してきた短歌・エッセイを、新しい生き方についてのヒントを得るために、これから、個人的に、読んでゆきたいです。
2 女性が望む男性からの愛情――おやつみたいな愛情
本稿の冒頭で紹介した、俵さんの短歌。
ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
この短歌から、私は、作家・小川洋子さんの『最果てアーケード』において、「輪っか屋さん」が揚げていたドーナツのことを、思い出しました。
小川さんの、ドーナツ。俵さんの、ハンバーガー。これらは、おやつのような、軽い食べ物です。これらの表現から、しますと…
ぬくもりのあるおやつみたいな愛情をいつでも出してくれる男性
このような男性を、そして愛情を、俵さん、小川さんは、望んでいるのかもしれません。
このような願望に対して、男性が示しがちな、「一生涯つづく愛情」は、俵さん、小川さんにとっては「フルコース」や「満漢全席」のようなもので、胃に重たいのかもしれません。
3 子どもさえいればいい
――男性からの愛情は、男性からすれば、「軽い」とも思える愛情で、いい。
そのように私が感じる、俵さんの印象は、俵さんが、配偶者としての男性を、必要としなかったことにも、通じてゆきます。
ひょっとすると、俵さんのように、しなやかに、個人として生きる女性には、子どもさえいれば、配偶者としての男性は、必要ないのかもしれません。
このことに関連して、私は、フリージャーナリスト・浅野素女さんの生き方を、思い出します。浅野さんも、シングルマザーとしての生き方を選んで、フランスにおいて、子どもとともに、長く暮らしていました。そして、浅野さんは、47歳になってから出版した、『フランス父親事情』(築地書館)において、次のように述べています。
――子どもには、父親の役割をする男性が、必要だ。
浅野さんの述べる、「父親の役割」とは、「子どもが、社会へと、何度もチャレンジしてゆくにあたっての、トランポリンになること」であるそうです。
この浅野さんの述べているような意見がある一方で、俵さんは、「父親の役割」ひいては「男性の役割」について、いま、どのような意見を、持っているのでしょう。そのことに、個人的な、興味があります。
なお、浅野さんの、上記の記述から、私は、詩人・黒田三郎さんの「紙風船」という詩をも、思い出しました。その詩を、ここに引用しておきます。黒田さんは、その娘さんへ向けた『小さなユリと』という詩集のある、「父親」でもありました。
落ちてきたら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように
4 余談 小川洋子さんとの共通点
1962年生。早稲田大学、文学部、卒業。
この俵さんのプロフィールは、小川洋子さんと、そっくり同じです。
当時の早稲田大学・文学部には、実力のある歌人さん・作家さんを輩出する、何かがあったのかもしれません。
ただ、俵さんと、小川さんとの間には、学生時代、特に、交流は、なかったようです。
交流はなかったにしても、この個展において、俵さんが小川さんの作品について詠んだ歌の紹介がありましたので、ここに引いておきます。
言葉数少し減りつつこの冬は『博士の愛した数式』を読む
最後に一言。それにしても冒頭の短歌は男心には衝撃です(笑)