【読書】成瀬岳人『組織力を高める テレワーク時代の新マネジメント』日経BP社
成瀬岳人『組織力を高める テレワーク時代の新マネジメント』日経BP社 2020.9.23
https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/20/280200/
著者は、成瀬岳人さん。テレワークを導入する企業の、コンサルタント。1978年生。
成瀬さんは、2011年、東日本大震災によって、帰宅が困難になり、また、電源を喪失したことから、テレワークに注目し、コンサルタントとして、その導入に取り組んできたそうです。
第1 内容要約
1 概要
テレワーク時代の、マネジャーの役割は、まとめると、次の通り。
「自律自走支援マネジメント」
「成果と成長に貢献するマネジメント」
「ひとを活かすマネジメント」
より具体的には、次の通り。
――チーム内の関係性を高める。
――心理的安全性を高める。
――情報の透明性を高める。
――チームでのコミュニケーションを実践していく。
――「チームの目標」と「メンバーの目標」とを接続する。
――「チームにとって必要となる成果」と「メンバーにとって必要となる成果」を可視化する。
――メンバー個々人の成果創出を1オン1で支援していく。
2 テレワークとは
テレワークについて、定義すると、次の通り。
「ICT(情報通信技術)を活用し、場所や時間を有効に活用できる、柔軟な働き方」
テレワークの方法は、主に、3通り。
・ 在宅
・ モバイル
・ サテライトオフィス
テレワークの導入により、企業にとっては、次の効果がある。
・ オフィスに出勤できないひとも、仕事ができるようになることによって、その分、その企業にとっての、人手が増える。
・ 災害などによる、環境の変化があっても、事業が継続しやすくなる。
・ 業務についての、「デジタル化」「成果重視」「メンバーの自律自走」によって、生産性が向上する。
・ オフィスが小さくて済み、紙も節約できるなど、コストの削減ができる。
3 テレワークの導入
まず、肝心なことは、マネジャーが、自分で、テレワークを経験すること。
テレワークの導入にあたっては、次の4つの壁がある。
(1)業務のデジタル化
そのチームで、いままで取り組んできた業務について、まずは、言語化する。
言語化することで、可視化できるようになる。可視化することで、共有化できるようになる。
言語化、可視化、共有化によって、いままで属人化していた作業(特定のメンバーが抱え込んでいた作業)を、誰もが、できるようになる。
そして、言語化、可視化、共有化した作業について、電子化し、クラウド化することによって、メンバーが、テレワークで、その作業をすることが、できるようになる。
(2)情報セキュリティ
テレワークでは、業務に関する情報の、社外への持ち出しについて、リスクが生ずる。
また、社外からの、社内の情報へのアクセスについても、リスクが生ずる。
(3)コミュニケーション
リモート前提でのコミュニケーションが必要になる。
チャット、モバイル、ウェブ会議。これらについて、活用してゆくことになる。
なお、ウェブ会議については、メンバーの私生活への配慮も、必要になる。ウェブ会議にあたって、画面をONにすることを、強制するべきではない。
(4)労務管理
テレワークでは、過重労働(働ぎ過ぎ)に、注意するべきである。
従来の、オフィスへの出勤が通常だったときのような、タイムカード等による、労働時間の管理は、できなくなる。
その代わりに、「従業員のパソコンからの、社内のパソコンへの、ログインの履歴」などが、労務の管理にあたっての、参考となる。
また、労働時間について、従業員が自己申告してゆくことも、ひとつの方法である。
4 テレワークの運営
(1)マネジメント・スタイル総論
従前から、その兆しがあったように、企業の組織は、「ピラミッド型」から「フラット型」になってゆく。
上司が部下を管理する、「上位下達」は、テレワークには、適していない。そのようなマネジメント・スタイルは、大量生産・大量消費の時代に、同じような商品・サービスを、同じように再現して、生産し提供してゆくための、スタイルだった。
一方、テレワークの時代の、マネジャーには、メンバーに対する「謙虚さ」「感謝の気持ち」「フィードバック」が必要になる。
マネジャーは、後方から、前方にいるメンバーを、支援するべきである。
つまり、マネジャーと、メンバーとの関係は、「前後」の関係になる。「上下」の関係では、なくなる。
そして、マネジャーにとって必要な能力は、「評価」よりも、「目標設定支援」となる。
なお、「評価」については、「成果」が基準になってゆく。
(2)チームビルディング
ア 関係の質
まずは、マネジャーとメンバーとの間で、メンバーとメンバーとの間で、よい関係ができあがってこそ、結果につながる。
関係の質が、思考の質に、つながる。思考の質が、行動の質に、つながる。行動の質が、結果の質に、つながる。そして、結果の質が、あらためて、関係の質に、つながってゆく。
このような、好循環を、マネジャーは、生みだしてゆくべきである。
マネジャーが、メンバーと、良好な関係をつくるためには、まず、マネジャーが、自分を開示するべきである。
マネジャーが、どのようなひとなのか、分からないと、メンバーは、何を相談すればいいのか、分からない。
その上で、マネジャーは、メンバーの「モチベーションの源泉」を、聴き取っていくことになる。
――何を大事にしているのか。
――どんな強みを持っているのか。
――苦手なことは何か。
――それはどんなときに自覚したのか。
――これからどうなっていきたいのか。
ひととひととが、関係をつくっていくためには、まずは、接触の時間は、短くていい。たとえば、15分。時間の長さよりも、頻度が、大事である。
マネジャーが、メンバー間を、つないでゆくことも、大事である。そのメンバーにとって、必要な知識やノウハウを持っている、他のメンバーが、誰なのかは、マネジャーが、通常、把握している。両者を、マネジャーが、つなげるべき。
イ 心理的安全性
チームのメンバーにとっては、心理的安全性が、必要である。
――お互いに何でも言い合えること。
――よりよくするために指摘し合えること。
――「間違っていること」を「間違っている」と言えること。
――「分からないこと」を「分からない」と言えること。
これらの、心理的な安全性の、確保のためには、マネジャーにとって、メンバーにとって、次のような態度が、重要である。
――仕事を「実行の機会」ではなく「学習の機会」として捉えること。
――自分が間違うということを認めること。
――好奇心を形にして、積極的に質問すること。
ウ 情報流通
テレワークにあたり、メンバーへ権限を委譲したとしても、そのための情報があってはじめて、そのメンバーは、判断ができるようになる。
そのための情報を、チャットで、共有してゆくこと。そして、ウェブ会議で、共有してゆくことが、大事になる。
ウェブ会議に関しては、マネジャー以上の役職が参加する会議について、メンバーが傍聴できるようにしてもよい。
(3)個別マネジメント
まずは、マネジャーが、チームの目的・目標を、言語化する。
そして、チームの目標と、メンバーの目標とを、接続する。
それらの目標の達成のために、チームにおいて必要な成果を、チームのメンバーたちで、設定する。
そして、メンバーの個々人が、そのチームにおいて必要な成果を生み出すために、自分が、どのような成果を生み出すべきなのか、考え、設定する。
メンバーが自分で設定した目標について、マネジャーは、1オン1で、反復してゆく。
チームでは、自分たちで設定した、チームの・メンバーの目標について、その達成の度合いを、チャット等によって、可視化して、共有してゆく。
なお、1オン1において、主役は、メンバーである。
1オン1における、マネジャーの役割は、次の通り。
――メンバーの目標達成を支援する。
――メンバーの内省・振り返りを促す。
――メンバーの主体的な取り組みを促す。
――メンバーのために集中して時間を使う。
たとえ、そのメンバーの「結果の質」が良くなくても、「結果を出すこと」を、焦るべきではない。
「結果の質」よりも、まずは、「関係の質」が大事であることは、先に述べた通り。
いま、目指している「結果」が、そのメンバーにとって、大きすぎるようであるならば、マネジャーとしては、その「結果」を、細分化して、より小さな「結果」を、目指すように、そのメンバーに促すとよい。
なお、テレワークにおける、個別マネジメントについての、最大の問題として、「OJT」(オンザジョブトレーニング)がある。
従来、オフィスにおけるOJTには、様々な人々が、関わっていた。「近くで見ている先輩」「隣の部署の上司」「同僚」。
それが、テレワークでは、新入社員に、メンターを付けるのみと、なりがち。このように、「ひとり」を、「複数人」で、育てることが、できなくなってきている。
第2 中島コメント
テレワークの導入・運営について、ひとつの考えるヒントになる、よき一冊でした。
1 私のチームへの導入
(1)しくみ
私のチームでは、もとから、クラウドやチャットを導入してあります。その限りでは、テレワークに、移行しやすそうです。
なお、チャットは、「個々の業務についての、進捗の管理」には、適しています。ただ、「個々の業務について総合した全体についての、進捗の管理」には、適していません。後者の管理について、私のチームでは、大きな紙に、付せんを貼って、掲示することで、対応していました。後者の管理について、デジタルに移行するための工夫が、必要になるでしょう。
(2)うごき
また、私のチームにおける、テレワークへの移行にあたっては、「業務の言語化」が、問題になりそうです。
その問題について、私は、いま、ちょうど、「私が仕事で見ている世界」という文章を、書いています。ただ、その文章については、まだ、総論も、書き終わっていません。総論について、書き進めつつ、各論(個々の具体的な業務の流れ)についても、並行して書いてゆく方が、メンバーも、業務を分担しやすくなるかもしれません。
(3)デジタルにできない工程
そして、私のチームの、業務においては、どうしてもデジタルにできない工程も、あります。
・ 戸籍や住民票の職務上請求・PDF化
・ 押印書類のとりまとめ・PDF化
・ 登記申請にあたっての戸籍等や押印書類の法務局への提出
・ 登記完了後の依頼者の方々への戸籍等や押印書類の返却
・ 介護サービス・医療サービス等についての伝票による支払い(成年後見業務)
このような工程について、私のチームの、オフィスつまりは現場において、従事するメンバーは、どうしても必要になるでしょう。
(4)リアルとデジタルとの役割分担
以上、思案してきましたことについて、まとめますと、私のチームにおいて、テレワークを導入するにあたっては、次のようにすることが、必要になりそうです。
――基本となる業務について、言語化・可視化・共有化する。
――「デジタルにできる工程」と、「デジタルにできない工程」とを、区別する。
――「デジタルにできる工程」について、テレワークするメンバーが、担当する。
――すべてのメンバーが、「全体の進捗の確認」及び「個々の進捗の確認」ができる機会を、定期で、設ける。
(5)労務管理――特に労働時間管理
ただ、テレワークするメンバーと、テレワークしないメンバーとが、ひとつの企業のなかに、並存することになりますと、その労務の管理のなかで、どのように公平を図ってゆくかが、問題になるでしょう。
特に、テレワークしないメンバーについて、労働時間によって、その労務を管理する場合には、テレワークするメンバーについて、同じく、労働時間によって、その労務を管理するべきかどうかが、問題になります。
労働時間による管理をする場合、テレワークするメンバーについて、どのように、労働時間を把握するべきかが、また問題になるでしょう。その問題について、本書に紹介があったように、メンバーが労働時間を自己申告するようにしたとしても、オフィスに留まらずに、様々な場所において作業するメンバーの、一日の時間のうち、何時間が「業務した時間」で、他の何時間が「業務しなかった時間」であるのか、区別することは、おそらく困難でしょう。
それに、せっかく、テレワークについて、導入して、メンバーの、行動の自由が増えるようにするのに、「1日N時間は業務に従事するように」というように、その自由について制約してゆくことは、本末転倒でしょう。
(6)成果による評価
かといって、本書において成瀬さんが述べているように、「成果」で評価して、メンバー間の公平を図ってゆくことも、どこまで可能なのでしょう。
まず、「何が成果なのか」という問題があります。また、「成果と成果との性質が異なるときに、それぞれ、どのように評価するか」という問題もあります。
たとえば、「依頼者との相談」と「書類の作成」とを、それぞれ、成果としたときには、前者に関して・後者に関して、それぞれ、どのように評価して・どのように比較するのかについて、評価するひとの主観が、どうしても入ることになるでしょう。そのような主観での評価について、「特定の人間による、基準の定立」を、避けるために、チームで協議して、基準を定立したとしても、その後の運用において、メンバーの皆が、納得できるような評価を、その基準から、実際に導き出すことができるとは、限りません。
そして、私は、次のことも、気になっています。
――メンバーによる作業について、「成果」によって評価することとしたときに、それが商品やサービスの品質について、どのような影響を及ぼすのか。
このことについて、映画監督・宮崎駿さんは、そのインタビューにおいて、次の趣旨のことを、語っています(『風の帰る場所』文春ジブリ文庫)。
「私の作ってきた映画については、『魔女の宅急便』までは、制作のたびに、チームを結成しては解散していた。そして、そのメンバーが描いた絵の枚数によって、その賃金を、決定していた。それが、だんだん、一枚ごとの、絵の品質が高まり、描くための時間が、よりかかるようになっていった。その結果、映画一作において、メンバーが絵を描く枚数が、減っていった。その分、賃金も、減っていった。つまり、品質の良い絵を描こうとすればするほど、メンバーが貧乏になってゆくようになった。これではいけないので、チームの結成・解散の繰り返しは止めて、会社を設立し、それまでのメンバーを、正社員として、雇用することにした。雇用することによって、メンバーの待遇が、改善した。ただ、メンバーの作業は、絵をたくさん描かなくても、収入が確保できるようになったので、自ずと、遅くなった」
この宮崎さんの言葉からは、次の教訓を、得ることができます。
――「成果」には、少なくとも、「品質」と「数」の2種類がある。
――「品質」を優先すると「数」がおろそかになり、「数」を優先すると「品質」がおろそかになる。
この教訓からは、業務において、「品質」と「数」との両立が、必要であることが、分かってきます。そして、成果による評価について、導入するならば、「品質」と「数」とを、両立できる、基準を定立することが、必要であることが、分かってきます。
その定立は、容易では、ないでしょう。容易ではないからこそ、宮崎さんも、仲間たちに対して、「業務委託による成果」という基準ではなく、「雇用による労働時間」という基準によって、報いてゆくことを、選んだのでしょう。
ただ、労働時間によって報いることについて、テレワークにおいて、問題が生じることは、上記の(5)に述べました通りです。
(7)私見
――テレワークの導入により、労働時間が把握しにくくなる。そのことによって、労働時間に対する賃金が、計算しにくくなる。かといって、成果についての基準も、定立しにくい。
――そのような状況において、私のチームのように、小さな企業は、どのように、給与原資を、メンバーに分配するべきか。
このことに関しての、いまの時点での私見について、ここに書き留めておきます。
ひとくちに言えば、最初から、行き届いた、詳細な基準を立てようとするよりも、原点に立ち返る方が、いいのかもしれません。
そもそも、ひとは、まず、次のような目的があって、働いているはずです。
――いまの生活の成立のため。
――未来の生活の準備のため。
これらの目的について、それぞれのメンバーにとって、必要な金額を、まずは、話し合い、算出します。そして、算出した各個の金額、それらについて合計した金額を、チームにとっての、最低限の、目標金額とします。その目標の達成のために、メンバーが協力し合って、それぞれの担当する工程に、従事してゆきます。
まずは、このように簡素な計算によって、目標を設定して、給与原資を確保して、それを分配してゆくことで、いいのかもしれません。そのなかで、具体的な問題が、たとえば、労働時間、品質、数について、出てくるでしょう。そして、ひいては、やりがい、生きがいなどの、抽象的な問題が、出てくるでしょう。それらの問題を、取り込んで、評価基準や役割分担について、調整してゆく。このような方法が、有効かもしれません。
このような方法の、その基礎となる発想について、言い表しますと、次のようになります。
――不安定な時代には、まず、自分たちで、自分たちの安定を、確保してゆく。
――安定が確保できた上で、その安定について洗練したり、更に高次の目標について設定したりすることを、始める。
(8)自律自走――もはや雇用ではない
「雇用」は、「ひとがひとに指示をする関係」でした。つまり、「ひとがひとを支配する関係」でした(法令用語研究会『有斐閣法律用語辞典』第5版)。
従って、本書において成瀬さんが想定するような、チームにおけるメンバーの働き方である「自律自走」が、実現してゆく場合には、そこには指示・支配の関係はなく、その働き方は、もはや、「雇用」ではなくなってゆくことになります。
チームとメンバーとの関係は、「委任」や「請負」に、近くなるでしょう。
メンバーたちが、そのチームを形成してゆく関係は、「組合」に近くなるでしょう。
このような「委任」「請負」「組合」という、人間関係に基づく、ひとの行動は、本書において成瀬さんが述べている、「自律自走」に、よく当てはまります。
ただ、このような関係の形成にあたって、問題になることは、「現状、日本では、雇用契約に連動するように、社会保険制度が設計してある」ということです。
そのような状況において、チームとメンバーとの関係が、雇用契約ではなくなることは、メンバーが、社会保険の適用を受けなくなることにも、つながります。
このことについて、マネジャーは、メンバーに対して、示唆した上で、その代替となる民間の保険を紹介する等して、配慮してゆくべきでしょう。
なお、司法書士業務においては、司法書士がメンバーを指揮・監督する必要があります。そのような指揮・監督の関係が、全くない場合には、その業務に関しての作業は、「他人による業務の取り扱い」という、違法行為になりかねません。そのことには、注意しておく必要が、あるでしょう。
以上、私のチームにおいて、テレワークを導入するために、私が考えたことについて、書き留めておきました。まだ、手探りで、粗削りな考えです。思考の展開のために、経験者さんたち、識者さんたちの知見を、引き続き、個人的に得てゆきたいです。
2 社会・時代――企業がオフィスから労働者を放出してその自宅へ侵入する
以下、社会の観点から、そして、時代の観点から、テレワークの普及について、私が考えたことを、書き留めておきます。
(1)自宅への侵入
――まず、肝心なことは、マネジャーが、自分で、テレワークを経験すること。
この記述について、私が抱いた感想は、次の通りです。
――モバイルでの、サテライトオフィスでの、テレワークは、経験してもいい。
――でも、在宅での、テレワークは、できれば、経験したくない。
といいますのは、私は、自宅には、パソコンを常には置かないように、そして、インターネット回線を引き込まないようにしているためです。
私にとって、自宅は、デジタル機器の提供してくる情報を遮断して、ぼーっとするための場所であり、ゆったり休むための場所です。
そのような場所について、イギリスの作家であるヴァージニア・ウルフが、次のように、書き残しています。
「女性が自立するためには、『自分ひとりの部屋』が、必要である」(『自分ひとりの部屋』平凡社ライブラリー)
このことは、女性に限らず、男性にも、つまりは人間一般に、言えるでしょう。
新しくはあるけれども断片的な情報には、反応せずに、ぼーっとしたり、ゆったり入浴したり、就寝したりしているうちに、頭脳(意識)において、とりとめもなく考えていたことについて、身体(無意識)において、いつのまにかに整理がついていることが、あるのです。
テレワークの導入による、自宅への仕事の侵入は、このような「自分ひとりの時間」の減少に、つながるでしょう。
このことについての配慮は、チームにおいて、自分に対しても、他者に対しても、必要でしょう。
なお、私はいま、ワンルーム・マンションに住んでいます。
そのような状況から、「自分の部屋からのデジタル機器の排除」が、「自宅からのデジタル機器の排除」に、直結しているのかもしれません。
その状況を、変えてみても、いいのかもしれません。2部屋以上ある物件に、引っ越す。その物件において、「デジタル機器のある部屋」と、「デジタル機器のない部屋」とを、設ける。
このような変化には、「自分の生活する環境を改善してゆく」という観点からも、魅力があります。
(2)企業からの労働者の放出
上記の(1)において述べましたように、「テレワークの導入」には、「労働者の自宅への侵入」という側面があります。
どうして、このようなことに、なったのでしょう。
きっかけは、コロナウイルスの蔓延でした。しかし、このようになるための素地が、この社会には、従前から、あったのかもしれません。
戦後。高度成長期。情報通信技術が未発達だった時代。
そのような時代には、大きな組織の形成のためには、大きな人数が、一ヶ所に集中する必要がありました。そのことから、都市への人口の移動が起こり、その都市においては、大きな建築物が、増えてゆきました。
大都市、大規模建築物、大企業。このような構図が、いったん、できあがりました。
このような構図について、年月が過ぎ、少子高齢化という内憂、グローバル化という外患により、その維持が、難しくなってきていました。
そのような状況のなかで、コロナウイルスが、蔓延しました。
――その機会に、大企業が、抱え切ることができなくなってきていた、労働者たちを、放出した。
それが、テレワークの普及の、実態なのかもしれません。
このことについて、もう少し、詳しく、ここに私見を書き留めておきます。
ア 企業がひとの居場所を縮小した
コロナ下において、電通が本社ビルを売却したように、企業は、労働者をテレワーク化し、オフィスを縮小しています。
縮小したオフィスの規模は、将来、コロナの蔓延が終息したときに、元に戻るのでしょうか。
この動きは、私には、「企業が、ひとの居場所を、縮小した」ように、見えています。
イ 企業がひとを管理しなくなった
――企業の組織は、「ピラミッド型」から「フラット型」になってゆく。
このような本書の記述からも、コロナ下、テレワーク下、企業が労働者を管理しなくなってゆく動きが、個人的には、見えるような気がしています。
管理しなくなるということは、支配しなくなるということでもあります。
そして、支配しなくなるということは、手放してゆくということでもあります。
この動きは、私が上野千鶴子さんの『女の子はどう生きるか』(岩波ジュニア新書)についてのテキスト批評において述べました、「『支配の原理』から『契約の原理』へ」という方向へも、合致する動きです。
「支配の原理」は、「タテ社会の原理」とも、言いかえることができます。「契約の原理」は、「ヨコ社会の原理」とも、言いかえることができます。
「タテ社会」から、「ヨコ社会」へ。一見、望ましい動きです。あとは、その「ヨコ社会」が、どのような社会であるのかについて、私たちが、展望を持つことが、大事でしょう。私たちは、私たちで、「既存の企業」という「タテの組織」を介さずに、お互いに、つながってゆく必要が、あるでしょう。
そのことについての展望がないままですと、むしろ、上記の(1)において述べました、「労働者の自宅への侵入」という動きが、「タテ社会が、ひとびとの自宅へまで、浸透してゆく」という動きに、つながってゆくかもしれません。
上記の展望については、社会学者・山之内靖さんが『総力戦体制』(ちくま学芸文庫)において示唆していました「戦後の社会の変化」が、参考になりそうです。なお、その示唆に関しては、私の、同書についてのテキスト批評において、「Before」と「After」の、2枚の図にしてあります。
ウ ひとびとが企業からの放出を受け入れた
また、私にとっては、ひとびとがテレワークを簡単に受け入れたことも、不思議です。
――自分の生活を、成り立たせるため。
――顧客に対して、一定の品質の、商品やサービスを、提供するため。
そのために、オフィスに出勤し続ける動きが、もっとあっても、よかったでしょう。
ひとびとの、企業に対する、従順さ。その従順さも、先に述べました「支配の原理」から、来ているのかもしれません。
「支配の原理」は、ひとびとの「意思を抑圧」して、「代理で決定」する、原理です。
その原理のなかで生きてきたひとびとに、いきなり「自律自走」を求めることは、難しいかもしれません。
まずは、そのようなひとびとに対して、「言葉の獲得」や「意思の形成」について、支援する段階が、あってもいいのかもしれません。
3 人間はデジタル化できない――生活基盤としての人間関係
上記しましたように、ひとびとが、テレワークを受容していった態度についての、根底には、「ひとと会いたくない気持ち」もまた、あるように、個人的には、感じています。
デジタル機器でのコミュニケーションは、生身の人間と相対しないコミュニケーションです。
そのようなコミュニケーションにおいては、極端な場合、ひとにとっての他者は、「人間」ではなく、「タスク」×「報酬」という、数式・記号になるでしょう。
ひとにとって、相対するものが、生身の人間ではなく、抽象の記号になればなるほど、たとえ、問題が発生しても、それは、数式の操作により、記号の操作により、解決しやすくなります。その分、そのひとは、葛藤を抱えることが、少なくなります。その意味では、生きることが、楽になります。
ただ、ひとにとって、生身の人間と、相対することは、やはり、大事でしょう。
私個人の経験からしても、コロナ下の2年間、いままで、何とか、自分たちの生活を、成り立たせることができたのは、コロナ前に、顔と顔とでつないだ、仲間たち、若者たち、先人たちとの、関係が、続いたからでした。
――生身の人間が、お互いに、葛藤も抱えながら、信頼し合う関係を、作ってゆくこと。
そのことは、ひとが、自分と他者とで、その生活の基盤を、お互いに形成してゆくために、大事なことでしょう。
そして、そのことは、上に述べたように、この「企業が労働者を放出する時代」には、なおさら、大事になるでしょう。
上に述べたような観点からしますと、たとえば、「地方移住」と「テレワーク」とが、組み合わさっている場合には、そのひとにとっては、「その地方の、その地域で、生身の人間との、信頼し合う関係を、作ってゆくこと」こそが、大事でしょう。「テレワーク」は、「そのひとの、その地域での、生活の基盤が、できあがるまでの、支援のための方法」ということに、なるでしょう。
そもそも、ひとが、自然がいっぱいの地方へ、移住するときには、デジタル機器の画面よりも、その地方に広がる、豊かな自然へ、その目を向けるべきでしょう。
4 非言語コミュニケーションのゆくえ
本書にも指摘がありましたように、「業務のデジタル化」は、「業務の言語化」でも、あるようです。
一方、人間には、言語によるコミュニケーションの他に、非言語によるコミュニケーションがあります。
このことについて、劇作家・平田オリザさんは、『わかりあえないことから』(講談社現代新書)において、次のように述べています。
――社会的弱者は、言語的弱者でもあることが、ままある。たとえば、子どもが「宿題、忘れたのに、田中先生、怒らなかったよ!」と、嬉しそうに走ってきたとする。子どもの発言のなかに直接には表れていないが、このとき子どもが親に伝えたかったものは、田中先生への好意であろう。これからのリーダーは、弱者のコンテクストを理解することのできる人間であってほしい。
テレワークが、普及してゆく社会。デジタル化が、いっそう進展する社会。言語化が、いっそう進展する社会。そのような社会は、社会的弱者、言語的弱者を、いっそう置き去りにしてゆく社会かもしれません。つまりは、社会的排除が進展してゆく社会かもしれません。
一方、私は、少子高齢化に対応する仕事がしたい、つまりは、社会的包摂に関わる仕事がしたい、そのような人間です。そのような考えからしますと、私にとっては、テレワークに対応しつつも、子どもたち、認知症高齢者さんたちに、目配りし続けることが、大事なことであり続けるでしょう。そして、彼ら彼女らによる、「非言語コミュニケーション」に、なるべく対応できるように、自分の経験と知識とを積み重ねてゆくことも、大事なことであり続けるでしょう。
5 若者の前途
子どもたちのこと、認知症高齢者さんたちのことに加えて、若者たちのことも、私には、気にかかります。
――テレワークにおける、個別マネジメントについての、最大の問題として、「OJT」(オンザジョブトレーニング)がある。
このように、いま、日本の企業においては、若者が、経験を獲得してゆくための、機会の提供が、十分ではないようです。
更に、先に2-(2)において個人的に指摘しましたように、企業は、若者を含めての、ひとびとの居場所を、縮小してきています。
――経験を獲得する機会がない。
――居場所がない。
この状況、若者たちにとっては、不安でしょう。
――経験を獲得する機会の提供。
――居場所の提供。
これらのことが、いま、若者たちにとっては、従来よりも、いっそう重要なのでしょう。
そして、若者たちの、地方への移住は、これらのことも、目的としてあって、進んでいるのかもしれません。
6 地方進出についての留意事項
地方進出については、私も、「第二の拠点を設置する」という意味で、以前から、興味を持っていました。
地方進出について、私が考えている留意事項を、ここに書き留めておきます。
日本の社会には、戦前から戦後にかけて、次のような構図がありました。
――中央が「管理」して、地方が「生産」する。
その、地方での「生産」が縮小したことが、近年の、中央へ人口が移動してゆくことに関しての、再度の増加についての、原因となりました。
いま、その中央が、「管理」ができない状況に、なっています。
そのために、中央から地方への、人口の移動が、始まってきています。
ただ、その移動する先である、地方での、生産は、回復していません。移動していった先に、どのような仕事が、あるのでしょう。
そのことが、個人的に、気になっています。
ただ、「地方」の、そのまた先には、海が広がっています。つまりは、「海外」があります。
「地方」を拠点として、「海外」と取り引きしてゆくことが、ひとびとにとっての、ひとつの活路となるかもしれません。海外との取引によって、外貨を得てゆくことは、日本円が、これからどうなってゆくか分からない、いま、なおさら、大事なことであるかもしれません。言うは易く、行うは難しですけれども…
また、地方においても、都市においても、大企業からの、商品・サービスの、大量の提供が、滞ることによって、その代わりとなるものについての、潜在での需要が、増してゆくことも、あるかもしれません。
そのような、潜在での需要を、発見することができれば、それは、新たな事業を起こすための、手がかりになるでしょう。
7 その他
(1)人間関係の形成方法――まずは自己を開示すること
――マネジャーが、メンバーと、良好な関係をつくるためには、まず、マネジャーが、自分を開示するべきである。
この指摘、個人的に、興味深いです。
――ひとは、まずは、自分から、自己を開示するべきである。そのようにすることで、はじめて、ひとは、相手からも、自己の開示を、受けることができるようになる。
このような、人間関係の形成方法は、一読、なるほどです。
一方、たとえば、臨床心理学者・河合隼雄さんは、「相手の言葉を掴まえないで、聴き続ける」ことの大切さを、強調しています。
成瀬さんの指摘と、河合さんの指摘とは、どのように、整理するべきなのでしょう。
(2)心理的安全性
戦後、日本の企業が、労働者に提供してきた「心理的安全性」は、「待遇」による、「心理的安全性」だったのでしょう。
――勤め続ければ、いまの生活も、未来の生活も、ともに安泰である。
だからこそ、「待遇」のために「心情」については「我慢」をさせるような、つまりは、労働者の意思を抑圧するような、コミュニケーションが、のさばってきたのでしょう。
しかし、いま、日本の企業は、労働者に対して、「待遇」による「心理的安全性」を、提供することが、なかなかできない状況です。
そのような状況であるからこそ、成瀬さんが、本書において紹介しているような、「心情」についての「心理的安全性」が、大事になってきているのでしょう。
(3)結果の細分
――いま、目指している「結果」が、そのメンバーにとって、大きすぎるようであるならば、マネジャーとしては、その「結果」を、細分化して、より小さな「結果」を、目指すように、そのメンバーに促すとよい。
この指摘は、業務のみならず、資格試験についても、当てはまるでしょう。
たとえば、司法書士事務所に、未経験者であるメンバーを、迎え入れるにあたって、個人的に問題として感じていることは、「司法書士試験の難易度が、働きながら受験するにしては、高すぎる」ということです。
このことについては、ファイナンシャル・プランニング技能検定3級から始めて、徐々に知識を習得してゆくことができるような、資格試験についての受験方法が、有り得るでしょう。
そのような受験方法について、おって、稿を改めて、個人的に書いておきたいです。