【映画】ラナ・ゴゴベリゼ『金の糸』

ラナ・ゴゴベリゼ『金の糸』
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 ジョージアの映画監督、ラナ・ゴゴベリゼさんによる、作品。ラナさんは、91歳。
 自らの若き日、ジョージアが社会主義国家だった時代の、思い出を、振り返る。

――信じて欲しい。
――壊れた過去も美しいと。

第1 あらすじ

 作家、エレネ。79歳。彼女は、最後の作品である『野の花』を、書いている。
――『失われた時を求めて』。なんて素敵な言葉だろう。
――私も、まさに、「失われた時を求めて」、自分の人生を過ごしてきた。
――人生は、短い旅。どんなに長いと思っていたとしても。

 今日は、彼女の誕生日。しかし、同居している娘夫婦は、そのことに気付いていない。
 ひ孫のエレネが、学校から帰ってきて、曾祖母のエレネに、人懐っこく、すり寄ってくる。ひ孫のエレネは、いま、10歳。
「ひいおばあちゃん、今日が誕生日なの?」
 ひ孫のエレネが、スカートを舞い広げながら、飼っているミニチュアダックスフンドとともに、のびやかに踊りはじめる。「Happy birthday to you…♪」。愛くるしい姿。
「私が絵を描いてあげる」
 曾祖母のエレネは、ひ孫のエレネに、家の前の通りを描くよう、リクエストした。

 突然、電話が鳴る。
 電話の主は、昔の恋人、アルテルだった。
「いまも、君は、私のなかで、あの頃の姿でいるよ」
 アルテルは、2か月前に、妻を亡くしていた。
「ひ孫の名前も、エレネというのか。いいな。命が続いてゆくようだ」
 エレネの脳裏に、アルテルと、家の前の、通りの上で、タンゴを踊った思い出が、よみがえる。
 エレネは、転倒して以来、杖をついて歩いていて、外へ出ることができない。
 アルテルも、車椅子にのって、生活している。
 それから、二人は、電話で、語り合うようになった。

 中庭を挟んだ向かいの家で、夜中に、若いカップルの、痴話喧嘩が始まる。
「あなたのことが信用できないの! 出てって!」
 DJとして、遊んでばかりいる男を、女が蹴り出す。
 男が出て行った後、エレネが手を振って挨拶すると、女が叫ぶ。
「もう、絶対に、家に入れない! ・・・私の男なんだから!」
 女が家に入ると、同じく、一部始終を見守っていた、近所の女性が、エレネに笑いかけてくる。
「ありゃあ、また入れるね。『私の男なんだから』だってさ笑」

――私は、このところ、死について考えていた。
――どのように死を迎えようか、考えていた。
――でも、考える必要は、なかった。
――死がやってきたとき、私は、そこに、いない。
――死は、「すべてとの別れ」ではなくて、「すべてとの出会い」なのだろう。

 エレネの家に、娘の姑、ミランダが、移り住んでくる。彼女に、認知症の症状が出始めていて、火事を起こしかけたためだった。
 ミランダは、ジョージアが社会主義国家だった頃の、高官だった。
 近所の住人が集まってきて、ミランダに、次々と、旧誼に対する挨拶を述べる。
「ひとり親だった私に、家を配給して下さり、ありがとうございました」
 エレネは、ミランダのことを、旧体制のことを、快く思っていなかった。
 食事の席で、ミランダは、「あの頃はよかった」、「孫がアメリカの大学へ行くことになるなんて…」と、繰り返し、往時を懐かしんだ。エレネは、「素晴らしい時代だったわね」と、言い放って、席を立った。

 曾祖母のエレネが、粘土を細工して、人形を作っている。ひ孫のエレネが、珍しがって、寄ってくる。
「これは?」
「極地へ流刑になった女性たちの人形よ。母も、そのなかの一人だった」
「色を塗ってないのがあるね」
「母が作ったものよ。10年間、会えなかった、幼い私を思って、作ってくれていたの」

 アルテルと、エレネとの、会話。
「私たちは、なぜ、結ばれなかったのだろう」
「あら、いまも、私たち、結ばれているじゃない」
 アルテルは、苛立たしそうに、電話を切る。「自分が求めていたのは、そういう結び付きではない」とでも、言いたげに…

 中庭の向かいの家には、DJをしている男が、戻ってきていた。
「また、私の物を、質に入れるのね! 出て行ってよ!」
「分かった、分かったよ…」
 すったもんだの挙句に、二人は、抱きしめ合う。
「もう、どこへも行かないよ…」

 再び、アルテルと、エレネとの、会話。
「二人で最初に過ごしたクリスマスのこと、覚えているかい?」
「覚えているわ。その後、あなたの母親が、逮捕された。まもなく、私の両親もね」
「あんな状況だったのに、どうして、あの頃、私たちは、あんなに笑っていたんだろう」
「私の母も、作家だった。彼女は、こう書いているわ」

――ジョージアには、その長い歴史のなかで、たくさんの悲劇があった。
――しかし、ジョージアには、「生きることを喜ぶ」文化があった。
――ひとは、生きることを喜ぶ力を失ったとき、創造する力をも、失ってしまう。

 ミランダが、エレネの家に、近隣の住人を招き、老婦人ピアニスト二人によるコンサートを、開催する。素晴らしい演奏に、喝采。
 その後、食卓にて、ミランダが、近くに住む男性へ、話しかける。
「あなた、毎朝、中庭を、掃除してくれているでしょう」
 話しているうちに、彼女の意識が、混濁してくる。
「あ、あなたに、会議で、感謝を表明する、決議をします」
 ミランダも、自分の意識が混濁していることに、気が付く。彼女が、悲しそうに、こめかみに手を当てて、うつむく。男性は、温かな笑みを浮かべて、うなずいている。
 ミランダの息子が、場をとりなし、ひ孫のエレネに、ミランダひいおばあちゃんのために、歌を歌ってあげるように、促す。ひいおばあちゃんへの、素直な愛情のこもった歌声が、響き始める。
――朝よ、来ておくれ。
――君が来ると、嬉しいんだ。
 苦悩のうちにあった、ミランダの表情に、穏やかな笑みが、浮かんだ。

 エレネが、ノートパソコンに向かって、キーボードを叩いている。
――重い過去も、ひとつの財産。
――捨てるでもなく、抱えるでもなく。
――日本人が、砕けた陶器を、金で、つなぎ合わせるように。
――過去を、金の糸で、つなぎ合わせよう。

 アルテルが、テレビに映ることになった。
「昔のことを知っている建築家として、インタビューを受けることになったんだ。観てくれ。よぼよぼのじいさんが出てくるぞ(笑) ところで、衣装は、何色がいいだろう?」
 テレビに映る、アルテルの姿を、エレネが、食い入るように見つめていると、後ろから、ミランダの声が、聞こえてくる。
「あら、昔、私に言い寄ってきていた男性だわ」
 何十年もの歳月を超えての、色恋沙汰が始まる。言い争う二人。その果てに…
「私の初めての作品は、あなたの党から、発禁処分を受けたのよ!」
「ええ、私が決定したの! 党への中傷だったから!」
「あなたが決定したの? 私は、それから20年間、一行も発表できなくなったのよ…!」
 ミランダが、自分の口走ったことの、重大さに、気付く。青ざめる。
「いえ… 私じゃなく、会議が決めたのよ…」
 うろたえて、部屋から出てゆく、ミランダ。
 彼女は、身支度を整えて、家からも出てゆく。
「大事な決定を、しなければ… 秘書が、外に、車を待たせているはず…」
 それきり、彼女は、戻ってこなかった。

 ミランダが去ってから、近くに住む男性が、エレネに話しかけてくる。ミランダの意識が混濁したときに、温かくうなずいていた男性だった。
「ミランダが話さなかったから、私も話さなかった。だが、事がこうなった以上、あなたにも、知っておいてほしい。ミランダは、あなたの家に来てから、かつて、お偉方からもらった、象牙などの褒賞を、売り払って、方々の慈善団体へ、寄付していたんだ。私は、その手伝いを、していた」

「大事な決定を、しなければ…」
 さまよい歩いていたミランダが、かつての会議場に、辿り着く。そこは、石の壁が剥き出しになった、がらんどうの、廃墟と化していた。
「あの頃、ここは、輝いていた…」
 往時を偲び、涙を落とす、ミランダ。
 彼女は、朽ちた大きな椅子に、憔悴した様子で、腰を落とす。
「大事な決定を…」
 深呼吸を、繰り返す、ミランダ。しかし、彼女の口からは、「エレネに対する決定を、取消す」との決定は、ついに、出てこなかった。

 窓から、通りを眺める、エレネ。その手の電話機は、アルテルに、つながっている。
 彼女の視界の、左端から、ひ孫のエレネが、溌溂とした足どりで、駆けて来て、右端へと、風のように去ってゆく。
「ミランダが、家にいた頃、私は、彼女のことを、うとましく感じていた。でも、彼女がいなくなって、私は、孤独を感じている」
「私も、孤独さ。ミランダも、また、孤独だったろう」
「ミランダは、過去を、つなぎ合わせることが、できなかった。でも、私たちは、つなぎ合わせなければ…」

 エレネと、アルテルとの、最後の会話。
「原理原則と、思いやりと。どちらが大切だと思う?」
「思いやりだろう。『他者を理解すること』もまた、ひとつの原理原則だ」
 二人は、電話ごしに、想念のなかで、タンゴを踊り始める。
 かつて、若き日に、通りの上で、そうしていたように…

第2 中島コメント

1 金の糸

(1)重い過去

 この映画のパンフレットによると、監督であるラナ・ゴゴベリゼさん自身、旧体制から、迫害を受けていたそうです。
 父は、処刑。母は、流刑。自身は、活動を抑圧。これらの迫害は、この映画において、エレネと、その両親が受けた迫害に、重なります。
 その重い過去について、ラナさんは、この映画の制作を通して、まさに、捨てるでもなく、抱えるでもなく、金の糸で、つなぎ合わせようとしたのでしょう。

(2)過去への温容

 この映画が描いていたのは、そのような重い過去を、ラナさんに背負わせた、旧体制の高官に対する、温容でした。
 この映画には、同様の人物として、ミランダが登場します。そして、彼女は、ついに、その原理原則を変更することなく、その姿を消します。
 なぜ、彼女は、自分の基づいていた原理原則を、最後まで、変更しなかったのでしょう。それは、一度、変更すると、同じ原理原則に基づいた、過去の全ての決定を、変更するべきことになるからでしょう。
「エレネに対する決定を取り消すならば、私に対する決定も、取り消すべきだ」
 そのように主張するひとびとが、当然、たくさん出てくるでしょう。
 そして、自分の決定について、次々と取り消してゆくことは、最終的に、彼女の人生そのものを否定することに、つながってゆくでしょう。
――ひとが、ある原理原則に基づいて、他者の人生に、重大な影響を及ぼしたならば、自分もまた、その原理原則に基づいて、生き続けるべきである。
 そのような考えからしますと、最後まで、自分の原理原則を変更しなかった、ミランダの態度は、ひとつの正当な態度では、ありました。
――彼女は彼女で、あのように生きるしか、なかったのだ。
 そのような「思いやり」を、「他者への理解」を、この映画から、私は感じます。

 逆に、ミランダが、旧体制の崩壊後、自分のした決定のことを忘れて、たとえば、アメリカの生活文化のことを、礼賛する人物になっていたとすれば、この物語は、どうなっていたでしょう。
――結局、人間は、周囲のひとびとに、迎合して生きてゆけばいい。
 そのような態度しか、ミランダの生き方からは、見て取ることができなくなっていたでしょう。そうなりますと、この物語には、理解も、温容も、無くなり、かえって、収拾がつかなくなっていたでしょう。

 上に述べましたことに関連して、心理学者・河合隼雄さんの言葉を、ここに引いておきます(『こころの処方箋』新潮文庫)。
――他者を理解することは、命がけの仕事である。
――他者の生き方を、本当に理解しようとするならば、その生き方と対比して、自分の生き方が、その根幹から揺らいでくることになる。

2 すべてとの出会い

――死は、「すべてとの別れ」ではなくて、「すべてとの出会い」なのだろう。

 この表現、素敵な表現です。
 この表現には、私が、いままでの文章のなかで、たびたび書いてきた、「ひとは自然をめぐる生命である」という表現とも、意味として、重なる部分があります。
 「すべて」は、「大いなる自然」と、読み替えても、いいでしょう。

 「すべて」と出会うときのために、私も、あまりにも見苦しくはならないように、小ぎれいに、人生を歩んでゆきたいものです。

3 喜ぶ力

――ひとは、生きることを喜ぶ力を失ったとき、創造する力をも、失ってしまう。

 「生きることを喜ぶ力」。確かに、大事な力です。
 「生きることを喜ぶ力」は、「自分の人生に、充実を感じる力」でも、あるでしょう。
 この力は、きっと、動物としての人間が、その内奥に秘めた、生命の根源からくる、力でしょう。

 動物としての人間が、「生きることを喜ぶ力」を、失うのは、どのようなときでしょう。
 おそらく、「動物園の檻のなかのような、自由のない、閉塞した状況にあるとき」でしょう。
 この映画で、ラナさんが表現した、旧体制における状況は、「動物園の檻のなか」のような状況であったはずです。
 それでも、ラナさんが「生きることを喜ぶ力」を失わなかったのは、どうしてでしょう。アルテルとの愛情、母親との愛情が、あったからかもしれません。

 ちなみに、「生きることを喜びなさい」という表現は、旧約聖書・伝道之書にも、出てきます。
 なお、作家・司馬遼太郎さんによると、仏教の一派である「華厳宗」にも、同様の表現が出てくるそうです(「花祭」『風塵抄』中公文庫)。

4 孤独な時間も喜ぶこと

 この映画においては、アルテルが、妻を亡くしてから、2か月という、短い期間のうちに、エレネへ電話をかけていました。
 このことが、個人的には、印象的でした。

 男性は、その妻を失ったとき、強い孤独を感じるそうです。
 このことについては、たとえば、ヤマト宅急便の創始者である、小倉昌男さんという、実例があります(森健『祈りと経営』小学館文庫)。
 また、このことについて示す、統計を、精神科医・松本俊彦さんの『アルコールとうつ・自殺』岩波ブックレットが、紹介しています。

 ただ、アルテルの場合、電話を受けたエレネに、その電話を受けるための、人格と器量とが、あったことが、幸いでした。そのような、唐突な電話に、対応して、話し相手になってくれる女性は、珍しいかもしれません。
 そのような考えからしますと、男性には、「孤独な時間も喜ぶ」ための準備が、必要なのかもしれません。

 このことに関連して、私が、このところ、考えていることを、ここに書き留めておきます。
――ひとは、孤独な時間があってこそ、自分の思索を、深めることができる。
 といいますのは、こういうことです。
 私は、よく、フェイスブックに、自分の考えを、書いて、投稿しています。その投稿には、人様からの「いいね」が付くので、また投稿したくなります。
 ※ 「いいね」して下さっている皆様、ありがとうございますm(_ _)m
 ただ、一方で、そのような、他者とのつながりのある、フェイスブックは、主に、短文を投稿するための、ソーシャルネットワークサービスでもあります。
 そのため、私には、正直な話、「いいね」が付くことについて、楽しみに、投稿しているうちに、思索がまだ浅いのに、早まって、投稿したくなることが、たびたびあるのです。
 しかし、そのような短慮による投稿は、トリビアのように、「後には残らない投稿」になりがちです。このようなことからしますと、他者とつながっているフェイスブックは、テキスト批評や、論文の、執筆、投稿には、やはり、向いていないのでしょう。そして、他者とのつながりのない環境において、じっくりと、思索に耽ることが、テキスト批評や、論文の、執筆には、大切なのでしょう。つまりは、「孤独な時間」が、テキスト批評や、論文の、執筆には、必要なのでしょう。

5 ウクライナ侵攻――現代の問題

 この映画は、ソビエト社会主義共和国連邦、その時代について、振り返る映画でした。
 そして、いま、同じ連邦のなかにあった、ロシアが、ウクライナへ、侵攻しています。
 このことについて、私の考えていることを、ここに書き留めておきます。

――社会主義の崩壊。
――新自由主義の台頭。
――ロシア・中国をはじめとする、(旧)社会主義諸国へ、新自由主義に基づく経済主体が、進出。
――新しい経済体制のなかで、ロシア・中国の、経済力ひいては軍事力が、発展。
――一方、アメリカをはじめとする新自由主義諸国においては、新自由主義による経済に内在する欠陥によって、リーマン・ショック等が起こり、経済力ひいては軍事力が、衰退。
――ロシア・中国の、再度の台頭。そして、アメリカの、衰退。
――その結果、アメリカからの、ロシアに対する抑止力が小さくなって、ロシアからウクライナへの侵攻が生じた。

 このように、私は、現状について、見て取っています。まるで、冷戦の構図が、再び現れたかのようです。
 かつての、冷戦の構図のなかでは、大国どうしの衝突は起こらず、その代わりに、小国の、国内での対立・衝突が起こりました。1950年の、朝鮮戦争。1955年の、ベトナム戦争。
 今回の、ロシアの、ウクライナへの侵攻も、もともとは、ウクライナ国内での対立が、衝突にまで発展したことが、きっかけでした。
 このように、歴史に鑑みますと、これからも、小国のなかでの、背後にロシア・中国を控えた、また、背後にアメリカを控えた、対立・衝突が、複数回、起こってくるのかもしれません。

 ただ、過去の構図と、今回の構図とには、もちろん、違う点もあります。
 違うのは、過去の構図においては、社会主義VS自由主義という、「どちらが人間を幸せにできるか」という問題についての、イデオロギーの対立があったのに対し、今回の構図においては、剥き出しの暴力が、ぶつかり合っているのみであるということです。
――社会主義は、崩壊した。新自由主義もまた、自壊した。それでは、ひとびとが共通して目指すべき目標は、どこに?
 このことについての、見通しが立たない限り、暴力の応酬が、ずっと続いていくことになるのかもしれません。

 この問題についての、私のイメージは、次のとおりです。
 冷戦時代、思想について、振り子は、左右に、小さく、振れていました。それが、まずは、社会主義の崩壊によって、左の重心が失われ、振り子が、大きく右へ振れることになりました。その果てに、新自由主義の自壊によって、振り子が、右の重心をも失うことになりました。いま、振り子は、無重力になりかけています。
 ただ、この振り子は、もともとは、左右に振れていた、振り子です。左である「社会主義」の失敗、右である「新自由主義」の失敗、両方の失敗について、振り返ること。そのことによって、振り子の揺れを、適度な左右の揺れに、再び、戻すことができるかもしれません。
 そして、振り子の真ん中に位置するはずの、左右の思想に共通する、それらの基礎となる思想。そのような思想を示す、基礎文献――つまりは古典に触れることもまた、有益かもしれません。
 このことに関連して、作家・堀田善衛さんが、次のように述べています(『天上大風』ちくま学芸文庫)。
「社会が、時代が、混乱のなかにあるときには、右往左往せずに、ゆっくり、古典を読むとよい」

6 社会主義の失敗

 社会主義の失敗については、この映画にも出てきたとおり、「原理原則に固執して、少数意見を、認めなかったこと」が、大きくあったでしょう。

(1)原理原則への固執

 私のいままで読んできた文献からしますと、大まかに言えば、社会主義とは、次のような考えであったようです。

――人間の理性を、信じる。
――人間が、理性によって、唯一の原理原則に到達できることを、信じる。
――従って、その原理原則と異なる意見は、悪となる。

 このような見方からしますと、社会主義の、大きな失敗のひとつは、「人間の理性を、過信したこと」にあったようです。
 「人間は、どんなに理性を発揮したとしても、間違えることがある」。当たり前と言えば当たり前の話です。そのことについて、あらためて認識することが、社会主義思想について振り返ることから得ることのできる知見の、ひとつでしょう。

(2)少数意見の容認

 「少数意見を認めること」は、「思想・良心の自由を認めること」でもあります。

――ひとが設定した原理原則である以上、その原則は、変更することが可能である。
――そして、今日の少数意見は、明日の原理原則であるかもしれない。

 このような考え方は、人権のなかの、「思想・良心の自由」ひいては「表現の自由」として、自由主義諸国には、広く見ることのできる考え方です。
 同じく、人権の基礎となる「個人の尊厳」を重視していたはずの、社会主義諸国において、上に述べましたような考え方が、なぜ、失われていったのか。なぜ、社会主義諸国は、人間の理性を、過信したのか。そのことについて、個人的に、興味があります。

 なお、少数意見を認めることによって、次のような問題が、派生してくることになります。
――少数意見ばかり存在している場合に、民主主義による決定のために、多数意見を、いかに形成するか。
――原理原則について、変更する可能性を認めるとしても、あまりにも簡単に変更できるとなっては、その原理原則は、もはや、原理原則では、なくなる。

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