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【読書】大平健『顔をなくした女』岩波現代文庫 ~素顔の言葉――自分の人生を組み立てるために~

大平健『顔をなくした女』岩波現代文庫 S124 2005.11.16
https://www.iwanami.co.jp/book/b256373.html

 著者は、精神科医・大平健さん。その診療記録。興味深い症例の数々。
 論理や脈絡を、超えた話。そのため、内容要約が、いつにも増して、長文です――

 今日もまた、大平さんの診察室に、新たな患者が、やってくる。
 その患者は、自分の顔を、自分の手で、覆い隠していた。

「どのようなことで、お困りですか?」
「先生、私、顔がないんです…」

 彼女が手を外すと、そこには、彼女の顔が、ちゃんとあった。

第1 内容要約

1 顔をなくした女

 その女性は、40代。統合失調症の発症は、20代。
 数年前に、東北の、家族の前から、失踪。
 その後、九州の国道を、雨の中、ずぶ濡れになりながら、歩いているところを、保護。精神病院へ、入院。
 当時の彼女は、失語状態。身元についての手がかりは、なかった。
 ある日、外は雨。湿気で曇った窓ガラスに、彼女が、指で、数字を書き連ねていた。その数字を見た、看護師が、直感。その数字で、電話をかけてみると、彼女のかつての勤務先に、つながった。
 その勤務先を介して、彼女は、家族と、再会。実家へ帰り、地元の精神病院へ、通院。そして今度は、家族で東京に長期滞在することになり、大平さんの勤める病院へ、やってきたのだった。
 地元の精神病院での治療のかいがあって、彼女は、会話ができるほどには、回復していた。

「顔がないんです」
 統合失調症の患者は、「ない」ものを「ある」ということが、ままある。いわゆる「幻覚」。
 しかし、「ある」ものを「ない」という患者は、大平さんにとって、初めてだった。

 幻覚の他にも、統合失調症の患者には、特徴的な、言葉の使い方がある。
 たとえば、次のように話す、患者がいた。
「私は、死んだんです。だから、ご飯を食べることができないのです」
 その患者は、実際、絶食をしていた。
 その患者の、来院するまでの経緯を、大平さんは、調べてみた。彼は、会社を退職してから、絶食を始めていた。
――私は、会社を退職して、生計が立たなくなって、「死んだ」も同然の人間になった。生計が立たないということは、「ご飯を食べることができない」ということだ。
 このように、理解すると、つじつまが合う。そこで、大平さんは、その患者に、次のように言ってみた。
――死んだ(も同然)にしても、ご飯は食べて下さいね。
 この言葉が、通じた。患者は、ご飯を食べるようになった。周囲からしてみれば、意味不明な、やりとり。患者の家族は、彼がどうしてご飯を食べるようになったのか、首を傾げていた。
 このように、統合失調症の患者は、自分の考えを、言葉で上手く組み立てることができず、かえって、文脈が途切れている、自分の発した個々の言葉によって、自分の行動を規定して、あらぬ方向へと進んでゆくことがある。

 それでは、今回の患者にとって、顔がないとは、どういう意味なのだろう?
「顔がないと、どういうときに、困りますか?」
「誰かと話したりするときに、心がむき出しになっているような気がします」
 患者たちのなかには、診察の際に、表情をわざと崩して、医者とにらめっこするような態度をとるひともいる。そのようなひとは、医者と向き合うことに、気後れしているのだ。
 そのようなことからすると、この患者の言っている「顔がない」は、「自分の心を守るための顔つきができない」という意味になるのかもしれない。
 実際、よく見てみると、この患者には、本当に表情がない。能面のようだ。
 そこで、大平さんは、まず、患者に、マスクを着けるように、勧めてみた。マスクを着けてみると、患者は、ホッとした様子を見せた。そして、目の動き、あごの動きから、彼女の感情が、大平さんにも、分かるようになってきた。目の動き、あごの動きから、感情を表現することは、まさに、能の方法でもある。

「あなたの顔がなくなったのは、いつからですか?」
「9年前、兄の葬式のときからです」
 兄の葬式が終わった後、彼女は、その片付けを手伝い、お皿を洗っていた。そのお皿を、彼女は、誤って落として割ってしまった。
 兄嫁が、怒る。
「葬式の夜に、お皿を割るなんて!」
 その後、彼女が気付いたときには、病院にいた。全身が、あざだらけだった。自分が、大暴れしたことは、覚えていなかった。
 そして、鏡を見ると、自分の顔が、なくなっていた。
 そのように、話しているうちに、彼女のまなざしが、凄味を帯びてきた。その様子を見て取って、大平さんは、その日の診察を、終わりにした。

 診察を重ねるうちに、彼女が、兄嫁のことを、よく思っていなかったことが、分かってくる。そして、そのことが、彼女の、20代での発症にも、関係していた。
 都市から地方へ来た、兄嫁。化粧もバッチリで、華やか。人当たりもよく、如才がない。兄嫁に比べると、彼女は、自分が、田舎の小娘のように、思えた。
 当時、彼女は、地元の会社に、勤務していた。彼女に、言い寄ってきていた男がいた。その男が、他の女性と、ホテルへ入って行くところを、彼女は、目の当たりにする。その女性は、「兄嫁だ!」。
 それから、彼女は、その男を、尾行するようになる。そして、とうとう、彼が兄嫁とホテルへ入る現場を、取り押さえる。「捕まえたからね!」。しかし、「兄嫁は、他の女と、すり替わっていたんです」。これが、彼女の発症が明瞭になった、出来事だった。その出来事について、いまでも、彼女のなかでは、虚実が曖昧になっている。
 当時のことを、彼女は、振り返る。
――あれが兄嫁だったにしても、そうでなかったにしても、私が兄の顔を潰したことには、違いがありません。
――あれが兄嫁だったら、兄は「妻が浮気した夫」ということになります。
――あれが兄嫁でなかったら、兄は「頭のおかしい妹のいる兄」ということになります。
 そのような経緯があった上で、彼女は、更に、兄の葬儀の日に、皿を割ってしまった。
 彼女の言う「顔がない」は、「兄に合わせる顔がない」という意味だったのだ。

 話題のなかに、化粧のことが出てきたので、大平さんは、彼女に、化粧を勧めてみた。彼女は、いままで、素顔のままだった。化粧が、顔の代わりになるのでは?
 すると、次の診察の際に、彼女は、真っ白に顔を塗り、真っ赤な口紅をつけて、現れた。この「おてもやん化粧」は、患者たちのよくする化粧だ。

――化粧したお蔭で、私にも顔ができて、ひとの目が、気にならなくなりました。
――ひとの目が気にならなくなって、私は、私の本心に、気が付くことができました。
――私は、本当は、兄嫁ではなく、兄のことを、よく思っていなかったんです。
――家業を継ぐはずだったのに、継がないでおいて、それでもなお、家族からチヤホヤされていた、兄。
――彼のことを、私は、心のどこかで、許すことができていなかったのでしょう。

2 <子供>の死

「今日、これから、そちらへうかがってもよろしいですか?」
 唐突な、診察の、申し込み。ちょうど、その日の、その時間は、空いていたので、大平さんは、申し込みを受けることにした。
 現れたのは、40代の、快活な男性。彼は、広告代理店で働いているという。
――漠然と不安になったので、話を聞いてほしい。
 ということだった。
「先生、広告と宣伝って、違うんですよ。広告は、自分の主張を、広く告げること。宣伝は、商品の販売を、促進すること。僕ら、広告代理店の人間の、仕事の醍醐味は、スポンサーから依頼の来た宣伝を、どうやって巧みに広告に転換するかというところにありまして…」
 聞けば、彼は、自分の企画した広告で、業界団体から、賞をもらったこともあるという。結婚もしていて、可愛い娘が、二人いる。充実した、仕事と人生。
 悩みごとがあるようには、聞こえない。

――うーん、僕は、何が不安なのかなあ。
――何だか、僕がいま手にしている成功って、僕の人生にとって、本質的な意味を持たないような気がして…
――僕は、先生に、「君は、いまのままで、大丈夫だよ」って、言ってもらいたいのかなあ。

 その年は、偶然、彼のような、患者ともいえない患者が、大平さんの診察室に、たびたび、訪れた年だった。
 職業、肩書、地位。ひとかどの成功を、手にしているはずの、青年たち。彼ら彼女らが、何かに戸惑っている。自分のいま手にしている成功が、自分の人生にとって、本質的な意味を持たないような気がしている。この戸惑いを、大平さんは、「成功者の惑い」と、名付けた。
 彼ら彼女らに、共通している特徴は、「子供っぽい」こと。人懐っこくて、素直で、行動が面白いのだ。

 そして、今度は、同じ「成功者の惑い」を抱えている、13歳の中学生が、大平さんの診察室に、やってくる。
 彼は、進学塾からの誘いを、数多、受けている、優等生だった。
――何だか、自分の人生が、先の先まで、見えてしまっているような気がして…
――このまま、頑張れば、いい大学へ行けると思うんです。いい就職もできると思うんです。
――でも、それだけでいいのかなって…
 彼は、健康保険証を常時携帯している、しっかりした子供だった。つまりは「大人っぽい」子供だった。

 「大人っぽい子供」が、「子供っぽい大人」になってゆく。そして、「成功者の惑い」を、抱えてゆく。彼ら彼女らは、どのような人生を歩んできているのだろう?
 大平さんは、先の広告マンに、彼の少年時代のことを、尋ねてみた。
 好奇心と、行動力。吹奏楽部に入部して、ラッパを手にしたことが嬉しくて、自宅のベランダで、吹き鳴らしていたら、近所から苦情が続出。「夕陽がどこに落ちるのか、辿っていってみよう」と、自転車で、果てしのない旅へ。
 委員長になろうと、立候補したところ、教師から「お前の成績じゃあダメだよ」。その言葉の通り、落選。一念発起して、勉強。委員長に当選した同級生の成績を、抜いた。
 失恋や金銭問題などによる、挫折も、あるにはあった。だが、持ち前の要領の良さと、運の良さとで、軽々と、乗り越えた。深刻な事態には、至らなかった。

 広告マンは、自分の少年時代を振り返るなかで、次のように語っていた。
「勉強してみて、分かったことがあるんです。成績がいいと、ちょっと無茶なことをしても、先生たちが大目に見るんです」
 このことについては、他の「成功者の惑い」を抱える青年たちも、一様に指摘していた。そして、同様のことは、学校での生活のみならず、企業での生活においても、指摘できるという。
 いい成績は取りつつ、天真爛漫に振る舞う。そのようにして、「世間を出し抜く」。「社会を上手く泳ぐ」。それが、学校生活と、企業生活を通じての、彼ら彼女らの、人生の歩み方であったらしい。
 そのような、人生の歩み方が、彼ら彼女らを、学校においては「大人っぽい子供」にし、企業においては「子供っぽい大人」にしている。
 学校における「いい成績」に注目すれば、彼ら彼女らは「大人っぽい」ことになる。企業における「天真爛漫」に注目すれば、彼ら彼女らは「子供っぽい」ことになる。
 「いい成績」と「天真爛漫」の相関関係が、学校にも企業にも、同じようにあるのであれば、学校(子供の場所)と企業(大人の場所)とには、本質においての違いはなくなる。
 そして、学校が「いい成績」に注目しているのであれば、学校は子供を「小さな大人」として、扱っていることになる。その結果、学校は「小さな大人の場所」となる。「子供の場所」では、なくなる。
 私たちの、この社会は、「子供」を「子供」として扱っていない社会なのではないか。
 そのように考える、大平さんの脳裏に、ペルーの貧民街にいた、子供たちのことが、思い浮かんでくる。大平さんは、若い頃、ペルーの病院に、海外赴任していた。ペルーの、貧民街にいた子供たちは、幼い頃から働かねばならない環境にいた。そのため、彼ら彼女らは、皆、「大人っぽい子供」だった。

 診察室からの去り際に、先の青年が、大平さんに、打ち明ける。

――人事異動で、営業職から、管理職になることになったんです。
――現場から管理に移るのって、ありがた迷惑なんです。現場の方が面白い。
――でも、独立しにくい業界ですから、これからの出世競争、頑張るしかありません。
――妻は「頑張って役員になってね」なんて言っています。

 管理職になり、出世してゆくとなれば、いつまでも「天真爛漫」でいるわけにも、いかなくなる。
 彼の抱いた「不安」とは、彼のなかの「子供」についての、その死の予感からくる「不安」だったのかもしれない。

3 男が上人になった経緯

 病院のなかで、中年の男性が、大平さんを、呼び止める。
「お久しぶりです、先生。胃が痛くて来たんですけど、診察を待っているうちに、むちゃくちゃ不安になってきて…」
 彼の顔に、大平さんは、見覚えがあった。10年前、診たことのある、青年だ。
 大平さんは、応急処置として、彼に、抗不安剤の注射を打った。その上で、あらためて予約して来るように、促した。

 彼は、20歳ごろ、発症。「自分は、〇〇上人の生まれ変わりだ」と、言い出した。
 彼は、心配する家族を引き連れて、その宗派の本山へ。
 高齢の管長が、彼らを、出迎えた。
「私は、〇〇上人の生まれ変わりです」
「ははあ」
 管長は、穏やかに、彼のことを拝んだ。すると、彼の妄言が、ぴたりと止まった。

 数年後、彼は、またしても「自分は〇〇上人の生まれ変わりだ」と、言い始めた。
 前回の経験から、家族は、彼のことを、拝んでみた。だが、彼の妄言は、おさまらない。
――管長が拝まないと、おさまらないのかもしれない。
 家族が、彼を、同じ本山へ、連れてゆく。本山では、管長の代が、変わっていた。新しい管長は、彼との面会を、拒んだ。彼は激昂して、手の付けられない状態になった。
 その彼を、大平さんが、治療した。なぜ、彼がこうなったのか、その原因が、分からない。対症療法で、薬の処方を続けて、3年後に、ようやく、症状が、おさまった。原因は謎のまま、治療が終わった。

 そして、いま。彼の顔には、3回目の病相が、表れていた。
 彼が、ラジカセでCDを聴いていたときに、妙な音が聞こえてきたのだという。
――緊急ホールド、緊急ホールド。
――カウントダウン中止。
――ミサイル点検。
――ラジャー。
 たまたま、彼のラジカセが、何らかの通信を傍受したらしい。誰かがミサイルを発射しようとしている。自分が傍受を続けなければ…
 彼は、トラックの運転手だった。その仕事を休んで、彼は、昼となく夜となく、ラジカセで、CDを聴き続けた。そうこうしているうちに、胃の調子が、おかしくなってきたのだった。
「聴いていた曲は?」
「リヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』です」
「クラシックが好きなんでしたっけ?」
「いや、そのあたりの事情については、いまは話せま」
 話している途中で、彼の動きが、静止する。彼は、そのまま、15分間、静止していた。
「・・・先生、僕はまた、病気が再発したんですかねえ」
「うん、その可能性がありますねえ」

 しばらく、大平さんは、彼に対して、対症療法的に、投薬を続けた。いきなり、患者の発症した原因について、核心に迫ろうとすると、危うい。彼も、自分のことを話す余裕は、まだ、なさそうだった。
 投薬している向精神薬には、反射神経が鈍る効果がある。トラックの運転は、危ない。大平さんは、彼に、仕事を休むよう、促した。「でも、貯金があんましありませんから、何かせな」。彼は、コンビニエンス・ストアで、アルバイトを始めた。
 そして、冬が過ぎ、春が過ぎ、梅雨にさしかかった頃、彼が口を開いた。
「そういえば、危険は」
 今度の静止は、20秒くらいで済んだ。
「去ったようです」
 彼は、占い師に、自分の運勢を、見てもらったらしい。「また、トラックに、乗れますか?」。「遭難の相が出ています。乗らない方がいいでしょう」。
「そう聞いて、ホッとしたんです」
「おや、あなたは、トラックに、また乗りたいのではないのですか?」
「うーん、そうですねえ、乗りたいけど、乗ったらまずいといいますか…」
 乗りたいけど、乗ったらまずい。いわゆる「葛藤」。この葛藤が、今回、彼が発症した、原因だろう。その葛藤について、大平さんは、まずは周辺の事情から、丹念に尋ねていった。

 診察を重ねて、尋ねてゆくうちに、分かったこと。「貴金属輸送」。それが、彼の葛藤の、原因となった仕事だった。
 その仕事のことを口にしても、もはや、彼の精神に、変調は、起こらなかった。変調が起こらなかったことに、彼自身、安堵している様子だった。
 「貴金属輸送」は、責任が重大。何か事件が起きれば、「自分もその一味だったのでは」との、疑いがかかる。かといって、その仕事を拒めば、「何か後ろめたいことがあって拒んだのか」との疑いもかかる。引き受けてもまずい、引き受けなくてもまずい。しかも、引き受けない場合には、仲間のうち、他の誰かが、その厄介な仕事を、引き受けることになる。
 そして、その仕事を、彼に強いてきた上司のあだ名は、「鬼軍曹」。
 引き受けるか、引き受けないか。思い悩みながら、歩いているうちに、彼は、勇気の湧いてくるような音楽を、耳にする。それが、「英雄の生涯」だった。
――そうだ、僕は「英雄」なんだ。厄介な仕事から、みんなを守らなきゃ。
 そのように思い、彼は、その曲を聴いて、自分を励ましていた。そのうちに、「緊急ホールド」という通信を、傍受した気になったのだった。
「いまにして思えば、神様が、僕に『英雄の生涯』のCDを買わせて、僕を救ってくれていたんですねえ。僕が通信を傍受した気になって、つきっきりでCDを聴いている間、僕はトラックに乗らなくて済んでいたんですから。よく考えてみると、『カウントダウン中止』って、『攻撃中止』ってことですよねえ。僕には、怯える必要なんて、ひとつもなかったのに」
 つきっきりでの通信傍受。その後の、大平さんからの、ドクター・ストップ。偶然にも、彼には、貴金属輸送のもたらす葛藤から離れる口実が、続けてめぐってきていたのだった。
「言い忘れていましたけど、僕、トラックの運転手の仕事、こないだ、辞めたんです。先生がストップを出したことや、占い師が『トラックには乗らない方がいい』と言ったことに、ホッとしている自分に、気が付いたからです。それで、アルバイトしていたコンビニの、正社員になりました」

 葛藤の解消。もう、彼のことは、治療しなくても、よさそうだ。そのタイミングになって、彼は、自分が初めて発症したときのことを、大平さんに、話してくれた。
 そのときも、貴金属輸送が原因だった。
 彼は、何も知らずに、トラックを運転していた。運転しているうちに、頭痛がひどくなってきた。無線通信で助けを求めると、仲間が運転を代わってくれた。
 その後、そのトラックが、放置状態で、見つかった。
 職場の上司が見たところ、「荷物に異常はなし」。警察は「運転手だけが消えたのか」と、あっけにとられていた。
 帰り道、助手席の上司が、長い沈黙の後、口を開く。
「あのトラックにはな、120キロの金塊が積んであったんだ。それが、無くなっていた。いわくつきの品だから、被害届は、出せない」
 彼は、驚愕して、その後、辞職届を出した。
「アホ。いま辞めるんじゃ、『自分も一味だ』と言っているようなもんだ。しばらくじっとしていろ」
 彼は、平静を装って、仕事を続けた。しかし、その状況に、耐えることができなくなってきた。事務員たちが、疑いのまなざしで、自分を見ている気がする。他の運転手が、「俺らトラック運転手は、みんな仲間だからなあ」と、聞えよがしに、大声を上げる。「お前も一味なんだろう」ということか?
 そんなある日、またしても、無線通信で、彼の動揺するような、出来事が起こる。トラックの運転手どうしでの「高速券の交換」。お互いの運賃を浮かせる、違法行為。その交渉を、彼が、無線でしていると、第三者の声が、割り込んできた。
「バカヤロー! 無線は全部、公団が傍受しているんだぞ!」

――そうか、あの日の、あの事件があったときの無線通信も、誰かが傍受していたんだ。
――頭痛のしていた僕と、運転を代わってくれた、あの男。彼は、いい奴だった。悪人だったわけがない。
――彼は、通信を傍受した何者かによって、僕の身代わりになって、金塊とともに、消される羽目になったんだ。僕が彼を助けなきゃ。

 苦悩する、彼の耳に、ラジオから、アナウンサーの声が聞こえてきた。
「このように、ご自身ばかりか信徒たちまでもが迫害を受けるようになって、そのことを悲しまれた〇〇上人は、ひとびとの供養のために…」
 これが、彼が自分のことを「〇〇上人の生まれ変わりだ」と言い始めた、きっかけだった。

 彼が、当時を、振り返る。
――僕、「自分が〇〇上人だ」と言って、本山を上っていくときに、このままじゃまずいなっていう気も、していたんです。
――だって、僕が本当に〇〇上人だっていうことになったら、本当にそのように生きていかなきゃならなくなりますから。
――そんななか、管長さんが、僕のことを拝んでくれて、「ああ、許してもらえた」って、思えたんです。
――管長さんは、僕の言っていることを、本当のことじゃないと分かっていても、本当のことだと認めてくれたんです。
――いま思えば、あの管長さんこそが、〇〇上人の生まれ変わりだったのかもしれません。
 相手の苦悩に、即座に寄り添う。技術を超えた知恵。
 その管長さんに、大平さんは、敬意を覚えた。

――僕は、今度こそ、立派な「ショウニン」になってみせます。
――アハ!
――「あきんど」の方の「商人」ですがな。

4 テレホン・ストーリー

 大平さんのところには、相談の電話も、かかってくる。
 多くは、他の精神科医にかかっている患者からの、電話。彼ら彼女らは、本当に、その精神科医の、その治療方針でいいのか、大平さんの意見を、仰いでくる。
 大平さんは、余程の見当違いな方針でなければ、その精神科医の、その方針を、肯定する。
 患者が、電話で、他の精神科医に、意見を仰ぐこと。そのことは、おそらく、「自分を担当している精神科医との間にたまってきた鬱憤を、晴らそうとする行為」。いわゆる「ガス抜き」。こうしたガス抜きを、大平さんの患者たちも、他の精神科医との間で、しているかもしれない。お互い様だ。

 電話相談してくる、他の精神科医の、患者たちの特徴。それは、「名乗らない」こと。大平さんが名前を尋ねると、そのまま電話が切れることもある。
 どうやら、そのような患者たちは、自分の名前を明かすと、大平さんとも医者・患者の関係ができて、二重での診療を受けることになるように、感じるらしい。

 面接すること、お互いの名前を明かし合うことは、精神科医の仕事において、大事。
 大平さんは、自分の患者からの、電話での相談は、断る。面接を、促す。
 また、偽名を使って診察を受けていたことが分かった患者について、その診察を、それ以降、断ったこともある。
 面接でしか、分からないことがある。たとえば、診察室に入ってくる様子から、その日の患者の状態が、ある程度、分かることもある。

 一方で、電話という通信手段は、面を接して、相手と話すよりも、緊張が少なくて済む手段なので、これを好むひとたちがいる。
A 電話で、愚痴を話して、聞いてもらい、それだけで満足するひと。
B 電話が好きで、「電話するため」に、ひとに電話をかけるひと。
C 知らない相手に、無言電話をかけて、それで満足するひと。
 Aは、「ひと」と「ひと」との関係が、あるにはあるが、薄い。
 Bは、「もの」が「ひと」に優先している。
 Cは、「もの」だけがあって、「ひと」との関係が、消えている。

 このように、通信手段の発達は、「ひと」が「もの」に劣後してゆく過程でもある。

 通信手段の発達によって、精神科医の仕事は、これから、どうなってゆくだろう。

5 多重人格という記憶

 大平さんのもとに、患者の妹が、患者を連れてくる。
 しばらく、音沙汰のなかった、姉。彼女の勤務先から、「様子がおかしい」と、連絡があったという。彼女の勤務先は、紙の卸問屋。
 確かに、姉は、視線が宙にぼやけ、虚ろな表情をしている。話しかけても、反応がない。
 患者の名前は、「オカムラ・ミエコ」。

 妹には外で待ってもらい、大平さんが、面談を始める。
「さて、オカムラ・ミエコさん。言葉が出せなくなったのは承知していますが…」
「ちょっと、何で私が言葉が出せないとか言うわけ? ひとの名前もパロったりして」
「これは失礼しました。あなたのお名前は?」
「ムラオカ・エミー」
 多重人格。大平さんは、治療が長引くことを、覚悟した。

 多重人格について、大平さんは、先にも、治療した経験があった。
 折しも、当時は、精神医学の学界において、多重人格に、注目が集まっていた。
 100人格。200人格。発見した人格の多さを競うように、症例の報告が、相次いでいた。
 大平さんが治療した患者についても、次々と、新しい人格が現れた。大平さんが、相手にしていた人格から、聴き取りたいことを聴き取りきった後に、タイミングを合わせるようにして、新しい人格が現れてくる。
 そして、遂には、「コダイラ・ケン」という人格が、現れた。
――これは、僕の名前の、もじりじゃないか。
――しかも、「大」が「小」になっている。
――患者の人格が、僕の人格を、小さくして、取り込もうとしているみたいだ。
 大平さんは、このままではいけないと、直感。このまま、既存の症例報告にならって、治療していると、患者が医者を翻弄し続けることになりそうだ。
 大平さんは、自分の直感を信じて、自分なりに・相手なりに、治療を進めた。治療が終わった後も、これでよかったのか、分からなかった。大平さんにとって、深い徒労感の残る、治療だった。

 なお、その後、この『顔をなくした女』が、単行本から文庫本になるまでの間に、精神医学の学界において、多重人格に注目の集まるきっかけとなった『シビル』の主人公が、そもそも多重人格ではなかったことが、判明した。

 「ムラオカ・エミー」は、「オカムラ・ミエコ」のことを、よく知らないという。
「それでは、彼女のことを、よく知っているひとに、大至急、ここに来てくれるよう、伝えてくれませんか?」
「・・・私に用があるんですって?」
 彼女の声色が、変わる。ホステスの「タドコロ・ルリコ」が、現れた。
 「タドコロ・ルリコ」は、「オカムラ・ミエコ」と同棲して、助け合っているという。
「オカムラ・ミエコさんに、この薬を、届けてあげて下さい」
「でも、あの子、医者からいきなりもらった薬なんて、のむかどうか…」
「そうですね。まずは、『お役に立ちたい』という気持ちが伝われば、それでいいです」
「ええ、伝えるだけなら、お安い御用ですよ」
 彼女の顔に、安心したような笑みが、浮かんだ。

 次の診察には、本人である「オカムラ・ミエコ」がやってきた。薬が効いて、体調が楽になったことで、彼女は、大平さんのことを、信用する気になったらしい。
 大平さんは、診察の回数を重ねて、少しずつ、彼女の来歴を、聴き取っていった。

 彼女は、北陸出身。
 父は、漁師。酒とギャンブルで、身を持ち崩した。船を手放し、陸の仕事も、長続きしなかった。
 事実かどうかはさておき、彼女は、父と、母方の叔母とが、不倫している光景を、見たことがあるという。二人は同衾していて、「お前も、裸になって、おいで」と、言われたらしい。
 母は、父が働かない分、生計を立てるために、水産加工工場に、勤務。母が働いている間、彼女と妹は、飲んだくれの父から離れて、近くの祖母の家で、過ごしていた。祖母の家は、煙草屋だった。
 父は、彼女がごく幼い頃は、優しかった。酔っぱらいながら、馬のように、彼女を背中に乗せてくれたりした。
「あの頃は、仕事が終わった母に、手を引かれて、家に帰るのが、楽しみでした」
 しかし、父のアルコール依存は、深刻になっていった。母に、「お前は、家をほっぽりだして、男遊びかよぅ」と、絡むようになった。コップや皿を、投げつけてくるようになった。
「家に帰るのが恐くて、私も妹も、母の後ろに隠れながら、帰るようになりました」
 借金取りも、彼女の家に、押しかけるようになった。借金取りが、罵詈雑言を浴びせながら、母の髪をつかんで、頭ごと、ねじり上げる。母が、苦悶の表情を、浮かべている。
――お母さんを助けなきゃ!
――でも、恐い…!
 そのとき、彼女は、自分の魂が、身体から抜け出る感覚を、体験した。借金取りと、母と、自分とを、天井から、自分の魂が、見下ろしていた。
 母は、日に日に、瘦せ細っていった。そして、入院。入院先へ、彼女は、妹を連れて、母の世話をしに行った。妹は、母にべったりと甘えていた。彼女は、母の洗濯物を片付けたり、見舞いの客に、茶を出したり。
「3回も、見舞いに来た、男性がいました。あのひと、母のことが好きなんだろうなって、子供心に、感じていました」
 母が亡くなった。乳がんだった。葬儀の日、ふとんに横たわる母から、白い魂が、立ち上る様子が、彼女には、見えた。
――お母さん! 私も連れていって!
 母の魂を追おうとする彼女に、甘えん坊の妹が、まとわりついてきた。彼女は、妹のために、踏みとどまった。
「あのままだったら、私も、母と一緒に、昇天していたかもしれません」
 父は、葬儀には、参列していた。その後、行方が知れなくなった。
 その父のことを、彼女は、気に留めなかった。もともと、当てにならない父だったのだ。
 彼女と妹のことを、母方の叔母が、引き取った。「今日から私が母ちゃんだからねっ」。叔母のことを、妹は、「今母ちゃん」と呼んで、甘えた。「私には、妹と同じようなことは、とてもできませんでした」。
 叔母は、ホステス。祖母の家に、出戻り。祖母は、その頃には、既に、亡くなっていた。
 叔母が働いている間、彼女は、商業高校へ通いながら、煙草屋の、店番。そして、家事。「学校での料理実習が、役に立ちました」。彼女は、妹の世話を、甲斐甲斐しく、焼いた。
――幼くして母を亡くした妹のために、私、意地でも世話を焼こうとしていたんです。
 この頃、彼女は、漫画を描き始めた。クリスタル星の王女が、地球に降り立って、地球人のふりをしながら、生活し、冒険する、漫画。主人公の名前は、「ムラオカ・エミー」。
 商業高校を卒業して、彼女は、母と同じ水産加工工場へ、就職。先輩たちは、「オカムラさんの娘さんなのね」と、親切にしてくれた。工場には、本社から、月に一度、経理課長が来ていた。「そうか、あなたが、あのひとの、娘さんか…」。彼は、目を細めた。
――このひとが、お母さんの入院していた病院に、3回も来てくれたひとなんじゃないかって、思いました。
 ある日、彼女は、会社を早退。帰宅の際に、叔母が男性を自宅へ連れ込む場面を、目の当たりにする。いったん、彼女は、友人の家に上がって、時間をつぶした。夕方、彼女が家に帰ると、キッチンには、コップ酒が、空になって、置いてあった。
――ああ、叔母さんとお父さんの関係は、いまも、続いていたんだ。
 この頃、彼女を、ひどい偏頭痛が、襲うようになった。偏頭痛の後、彼女は、夢を見た。母と恋仲だったはずの経理課長と、「ムラオカ・エミー」として、不倫する夢だった。
 その後、妹も、進学。妹は、普通高校へ、進んだ。今度は妹が煙草屋の店番をするのかと思いきや、叔母は、煙草屋を、廃業した。「妹が可愛くて、働かせたくなかったんでしょう」。
 叔母と、妹の、仲の良さ。その仲の良さが、彼女にとっては、家の中での、居心地の悪さに、つながった。彼女は、家を出て、ひとり暮らしを始めた。彼女のことを、叔母が、からかう。
「男ができたんじゃないの?」
 そういうことではなかったけれども、ちょうど、その頃、彼女に言い寄ってきていた男性が、いた。彼は、彼女より、年下だった。「お姉さん、僕と結婚して下さい」。彼女が、笑って、いなすと、彼は、妙なことを口にした。
「僕、あなたの過去は、気にしません」
 彼女は、彼の顔を、よく見る。あの経理課長に似ていた。
――彼は、自分が夢のなかで不倫していた相手の、息子なのか?
――彼は、私の夢のことを、知っているのか?
 彼女の意識が、混濁する。
 彼女は、家に帰り、夢中で漫画を描く。「ムラオカ・エミー」が、悪人に毒を盛られ、幻覚を視て、その幻覚の中で、悪人を毒蛇だと勘違いして、焼き殺す。
 それからまもなく、彼女らのもとに、父の訃報が届く。父は、灯油ストーブに間違えてガソリンを入れ、焼死していた。遺体の損傷がひどく、身元の確認に、時間がかかったという。
――焼死だなんて… 私が、あの漫画を、描いたから…?
 彼女の意識の混濁が、更に進む。彼女は、「ムラオカ・エミー」となって、水産加工工場を離れ、紙の卸問屋に、勤務するようになった。
――私、自分が「ムラオカ・エミー」のつもりで、「オカムラ・ミエコ」になりすまして、新しい勤め先に、勤めている気になっていたんです。
――その頃、私の住まいには、ホステスの女性も、住みついていました。叔母のような、頼りになる女性でした。

 ひととおり、大平さんによる聴き取りが済んで、治療は終盤にさしかかっていた。
 そのホステスの女性が、きっと、「タドコロ・ルリコ」だろう。
 大平さんは、彼女に、その女性の名前を、尋ねてみた。
「うーん、思い出せません。お世話になったけど、もう卒業した気持ちです」
 それならば、それで、いいだろう。
 彼女が大平さんの診察室へ来るきっかけになった出来事も、また別にあったはず。その出来事も、本人の症状が落ち着いてきたいま、あえて、尋ねておく必要は、もはや、ないだろう。

 彼女は、複数の人格を見せなくなる代わりに、わがままを言い、駄々をこねるようになってきた。たとえば、「この病院に泊めて下さい」。
 ある日、彼女は、思い詰めた様子で、大平さんに、言い募る。
――私、思いっきり甘えたいんです。
――とことん甘えさせてくれるひと、見つけたら、私、やり直せる気がするんです。
――できますよね、先生。
 大平さんは、返事に迷う。意を決して、大平さんは、彼女に告げる。
――あいにく、もう遅いんですよ。
――25年か30年、遅すぎたんです。
――残念ですけど、ね。仕方ないんです。
 子供時代は、二度とやり直しがきかない。そのように、あきらめるところからしか、彼女は、再出発することができないだろう。
 彼女は、大きく目を見開いた後、ふーっと溜め息をついた。
「私の人生って、何だったんだろうなあ」
 その日の、その時から、彼女は、落ち着きを、取り戻した。
 その代わりに、彼女は、物憂げな表情を、浮かべるようになった。

 治療が、終わった。

――私、病気になったこと、それはそれでよかったのかもしれないと、思っています。
――もう、大丈夫です。
――私、「ムラオカ・エミー」ちゃんのお面を被らなくても、生きてゆけます。

6 プレゼントの系譜

 患者は、医者に、贈り物をしてくる。
 この贈り物には、あいさつ以上の意味が、あるらしい。

 ある時期から、大平さんの診察室の、机の上に、度々、お菓子が置いてあるようになった。
 大平さんが取って食べても、誰も何も言ってこない。
 大平さんが食べないでいると、いつのまにか、お菓子が消えて無くなっている。
 ある日、大平さんは、診察室の机の上に、患者がお菓子を置こうとしているところに、出くわした。
「これは、お供え物なんです」
 彼から、話を、よく聞くと、「病魔様」へのお供え物なのだという。このお供え物は、大平さんが食べれば、大平さんのものになる。大平さんが食べなければ、病魔様のものになる。病魔様のものになったお供え物は、お下がりとして、他の患者が食べていい。
――一定の回数、病魔様へ、お供え物を捧げることができると、病気が治る。
 そのような俗信が、大平さんの勤務する病院のなかに、できあがっていた。

 また、次のようなこともあった。
 大平さんに、患者が、ニヤニヤしながら、洗面器を、差し出してくる。それを、大平さんが受け取ると、その患者は、次に、石鹸を差し出してくる。
「ふむ。これを受け取ると、あなたの、この病院での生活に、差し支えが出ますね。ということは、これを受け取ると、私は、あなたの退院を、許可したことになる。そういうことですね?」
 患者は、いっそうニヤニヤしながら、洗面器と石鹸を「返して」と言ってきた。
「マーアの分も、返して」
 マーアの分? その意味が、大平さんには、分からなかった。そばにいた、別の患者が、アドバイスをくれた。
「洗面器にね、もうひとつ、石鹸を返したふりを、してあげて下さい」
 大平さんが、そのようにすると、患者は、自分の病室へと、立ち去ってゆく。
「マーア。つまり、病魔様のことですね?」
 去ってゆく患者は、その質問には、答えなかった。

 患者たちのなかには、医者を介して、病魔と、つながっているイメージが、あるらしい。
 確かに、病院は、生の世界と、死の世界との、狭間にある。
 医者は、病院のなかで、生の世界と、死の世界とを、仲介する役割をも、担っているのだ。
 だから、患者たちは、医者を通して、病魔に、お供え物を届けようとしているのだろう。

7 偽患者の経歴

 ある日、大平さんが、診察室から、予約のある患者たちを送り迎えしていると、外のソファに、見慣れない、初老の男性が、座っていた。彼の身なりは、くたびれてはいたが、きちんとしていた。
 診察室が空いた頃合いを見計らって、その男性が、大平さんに、直談判してくる。
「先生、不安なんです。お薬を下さい」
 大平さんの、直感。このひとは、統合失調症に、「なったことがある」。いまは、症状は、なさそうだ。
 このように、統合失調症の診察に慣れた医者は、かつてその症状のあったひとのみが有する、かすかな「病の跡」を、感じ取ることがある。「病の跡」について、強いて、具体的に言えば、「妙なまとまりのなさ」。
 大平さんは、まずは、男性から、話を聞いてみることにした。
――数か月前から、家の周りの様子が変なのです。
――家の前の道を行くひとが、私のことを、「最低な奴だ」と言っているのです。
――無言電話もかかってきて、かすかに「シ」「シ」と、聞こえるのです。これは「死体」の「死」という意味です。
 症状のないはずの男性が、重度の統合失調症のような幻覚を、口にする。
 おかしい。大平さんは、違和感を抱きつつも、少量の薬を、処方した。

 次の日。男性が、またも、大平さんの診察室に、押しかけてくる。
「あの薬は、効きません。もっと強い薬を下さい」
 大平さんの違和感は、ますます強くなる。大平さんは、自分の違和感を確かめるために、統合失調症についての診断のためのマニュアルを引っぱり出して、そのマニュアルにそって、男性を診断してみた。
――このひとは、統合失調症だ。
 診断結果は、明白だった。その結果を、大平さんは、男性にも、見せた。
「先生は、どのように、お考えですか?」
「私は、あなたに、いま、統合失調症の症状があるとは、思えないのです」
 そう聞くと、男性は、なぜか、嬉しそうな表情を浮かべた。
「先生のようなお医者様に、巡り会うことができ、たいへん幸いです」

 男性は、大平さんの診察室に、通うようになった。
 大平さんは、彼から、発症(といっていいのかどうか)に至るまでの、身の上話を聞いた。
「母は、精神病院で、死にました」
 その後、大平さんの処方する薬の量は、重度の症状がある患者のために処方する量にまで、増えていった。薬の処方は続けながらも、大平さんには、男性が、そのような重い症状のある患者であるとは、やはり、思えなかった。
 そして、とうとう、大平さんが、男性の語る、身の上話のなかから、核心へと至る、綻びを、見つけ出す。
「あなたは、『母が亡くなった』『妻が死んだ』と、言葉を使い分けていますね」
「ええ、私の生きてきた時代は、そういう言葉の使い方をする、時代でしたから」
「それでは、最初に、『母は、精神病院で、死にました』と、おっしゃっていたのは?」
 男性が、顔色を失う。
「精神病院で死んだのは、あなたの奥さんだったのですね。そしてたぶん、いま、統合失調症の症状が出てきているのは…」
「先生、お察しの通りです。症状が出てきているのは、私の息子なのです。後生です、先生。このまま、お薬の処方を続けて下さい。私は、息子を、統合失調症の患者に、したくないのです」
 大平さんは、男性からの、たっての願いを、断った。
「本人と面接した上でなければ、薬を出すことは、できません」
「残念です。とてもいい先生に、巡り会うことができたと、思っていたのですが。仕方ありません。他の先生に、あたってみることにします。3年かけてみて、それでも息子が治らなかったら、また、先生のもとに、うかがいます」
 彼が診察室を去ってから、3年どころか、もう7年になる。

第2 中島コメント

1 素顔の言葉――自分の人生を組み立てるために

(1)言葉の用途――自分の内心の葛藤に気付く

――兄へのわだかまり。
――辞めるに辞められない仕事。
――誰かに甘えたい思い。

 本書では、患者たちが、内心の葛藤に、大平さんとの「対話」を通して、つまりは「言葉」を通して、気付いていっていました。
 このように、言葉は、自分の歩んできた道を振り返り、また、これから歩んでゆく道を見い出すために、重要な道具となるのでしょう。
 試験のための言葉、成績のための言葉。それらの言葉とは、また違う、言葉の用途があること。そのことが、本書の内容から、伝わってくるような気が、私には、します。
 このことに関連して、臨床心理学者・河合隼雄さんが、次のように述べています(『日本文化のゆくえ』岩波現代文庫)。

――これからの教育においては、一人一人の子どもが、どのようにして生きていこうとしているのか、その物語に寄り添っていくことが必要になるだろう。

 ひとが、自分の物語を紡いでゆくためには、そのために用いることのできるような言葉を、習得しておくこともが、重要になってくるでしょう。

(2)言葉に潜む危険――迷走

 一方、本書においては、言葉に潜む危険についての紹介もが、ありました。

「私、顔がないんです」
「私は、死んだんです。だから、ご飯を食べることができないのです」

 これらの症例が示すように、ひとが、自分の人生を、自分の言葉で組み立てそこなったときには、そのひとが、他者との関係を構築できない状況に陥ったり、生命に関わるまでに困窮する状況に陥ったりすることが、あるようです。
 言葉によって、ひとの思考が・行動が、あらぬ方向へ進んでゆくこと。場合によっては、袋小路に入り込んで、行き詰まること。
 これらのことからしますと、「言葉を使うこと」には、「自動車を運転すること」にも類似するような、便利さの反面の危険さが、潜んでいるようです。

 上に述べたような危険さからしますと、私には、葛藤を抱えたときに、沈黙して、忘れ去って、その葛藤をやり過ごそうとするひとの気持ちも、分かるような気がします。
 ただ、そのようなやり過ごしの方法では、そのひとが、自分の人生を組み立ててゆくことは、難しくなるでしょう。そのひとは、そのときの気分次第で、彷徨うような人生を、送ってゆくことになるでしょう。迷走する人生。そのような人生も、またひとつの人生ではあります。
 そのような人生もありうることをふまえた上で、それでも、ひとは、言葉で、自分の人生を、組み立てた方がよいでしょう。言葉で、自分の人生を組み立てておいてこそ、ひとは、葛藤を抱えたときに、自分の人生を、あらためて、組み立て直すことができるようになるでしょう。

(3)役割の言葉

 さて、ひとが、言葉で、自分の人生を組み立てるときには、どのような言葉を使うべきでしょう。
 そのことに関しては、本書が紹介している、広告マンの事例が、参考になるでしょう。
 彼は、自分の職業、肩書、地位には満足しつつも、漠然とした不安を、抱えていました。

――職業の言葉。
――肩書の言葉。
――地位の言葉。

 これらの言葉は、総じて、「役割の言葉」ということができるでしょう。このような「役割」の言葉も、あっていいでしょう。「役割」は、この社会において、他者と関係を結び、生活してゆくための「仮面」です。「役割」という「仮面」なくして、この社会で、ひとが生きてゆくことは、難しいでしょう。

(4)素顔の言葉

 それらの「仮面」の言葉に対して、ひとには、「素顔」の言葉も、あった方がいいでしょう。素顔の言葉とは、「自分は、自分の人生を、このように生きてきました」という、自分の体験から発することのできる、等身大の言葉です。誰しもが、その身に備えることのできる、素朴な言葉です。
「自分は、自分の人生を、このように生きてきました」
 そのように、素朴な言葉で、自分の人生を振り返ることができれば、ひとは、きっと、自分の人生に、得心がゆくようになるでしょう。また、他者に対して、自己紹介ができるようにもなるでしょう。

 たとえば、素顔の言葉で書いてある、自分の人生の振り返りの見本として、作家・吉本ばななさんの『おとなになるってどんなこと?』(ちくまプリマー新書)があります。

(5)身分の言葉――素顔の言葉を攪乱するもの

 素顔の言葉が育ってゆくこと。そのことを妨害する言葉に、「身分の言葉」があるでしょう。

――お前は、この職業でないと。
――お前は、この肩書でないと。
――お前は、この地位でないと。

 これらのような言葉で、ひとに対して、親をはじめとする、周りのひとびとが、そのひとの「素顔の言葉」を、書き変えようとすることが、往々にして、あるようです。これらの言葉は、相手を、その「役割」に固定して、その「役割」を「身分」にまでしようとする言葉でしょう。つまりは「身分の言葉」と呼ぶことのできる言葉でしょう。

 人格 + 役割 = 身分

 このように、本来は別のものであるはずの、「人格」に、「役割」が結合すると、それは「身分」となり、「役割」が「人格」を規定するようになるのです。

 ひとにとっては、「身分の言葉」で、「素顔の言葉」の書き変えを受け続けると、いつまでたっても、自分の人生を組み立てることのできない状況が、続くことになります。
 このような状況に、相手を陥れる、「身分の言葉」を発し続けるひとたちの所業は、賽の河原にて、子供たちの積む石を崩し続ける、悪鬼の所業にも、たとえることができるでしょう。

(6)身分の言葉からの解放――遊ぶ言葉

 上に述べたような状況から、ある程度の年齢になってはじめて、自由になり、自分の人生を、素顔の言葉で組み立て直しはじめるひとも、また往々にして、いるようです。
 そのようなひとは、まずは、言葉で物語を楽しむところから、はじめてもいいかもしれません。
 「身分」の言葉は「強制」の言葉でもあります。「強制」の言葉は、「余裕のない」言葉、つまりは「遊びのない」言葉でもあります。
 「遊びのない」言葉のなかで育ってきたひとは、「遊ぶように」楽しむことのできる、物語の言葉から、言葉を味わいはじめても、いいでしょう。「遊ぶように」楽しむことのできる言葉で、組み立ててある物語としては、児童文学が、うってつけでしょう。たとえば、『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)での、トムとハティとのかくれんぼは、読んでいて微笑ましく、言葉を楽しむことができます。
 そして、あらためて組み立て直す、自分の人生についても、まずは、「のびのびと日本文学を楽しみたい」とか、「のびのびと『ポケットモンスター』や『星のカービィ』を楽しみたい」とか、そのような遊びから、組み立て直しはじめても、いいでしょう。

(7)交響――素顔の言葉での響き合い

 私は、自分の文章を、なるべく、素顔の言葉で書くように、心がけています。
 その言葉を、やまびこのように、そのまま響き返してくれるひとも、います。
 響き返してくれることも、うれしいです。そして、もっとうれしいのは、響き返しに加えて、相手の素顔の言葉も、聴かせてもらうことです。
 お互いの、素顔の言葉が響き合って、お互いの考え方・価値観が変わってゆく関係を、形作ることができれば、それが、私にとっては、いちばんうれしいです。

 ここに述べたことに関連する、作曲家・武満徹さんの言葉を、引いておきます(「暗い河の流れに」『武満徹 エッセイ選』ちくま学芸文庫)。
「音と音とは、響き合うと、お互いの波長を変え合い、お互いを違う音に変え合う。そこから音楽が生まれてくる。人間も同じ。ひとの考え方・価値観は、他者との出会いによって、変わることがある」

2 循環――「沈黙・無為」「発言・有為」「沈黙・無為」

(1)成人の儀式 瀕死の体験

 「<子供>の死」に登場する広告マンは、「素顔の言葉」を、一応は、持っていました。ラッパを吹き鳴らす話。夕陽を追いかける話。
 それでも、彼は、自分の人生について、「漠然とした不安」を抱いていました。
 このことに関連して、私は、河合隼雄さんの、次の趣旨の言葉を、思い出しました(『大人になることのむずかしさ』岩波現代文庫)。

――バンジージャンプは、もともとは、成人の儀式だった。
――ひとは、そのような儀式で、瀕死を体験することで、成人する。
――現代日本社会には、そのような儀式が、ない。
――この社会では、ひとびとは、成人の儀式を、自ら行わねばならない。

 「子供っぽい大人」である広告マンの抱いていた「漠然とした不安」は、「自分が、瀕死を体験するような、成人の儀式を、経て来ていないことからくる不安」だったのかもしれません。

(2)「生きねば」の世界 「生きれる」の社会

 ひとが、瀕死を体験すること。
 そのことは、「この世界は、自分が生きようとしなければ、生きてゆくことができない世界なのだ」ということを、身をもって知ることを、意味します。

 そのような世界のなかで、ひとびとは、次のような社会を、形成してきました。
「自分が生きようとしなくても、生きることができる社会」

 「生きねば」の世界のなかで、ひとびとが「生きれる」の社会を、形成していること。そのこと自体は、貴い営みです。
 ただ、戦後の日本において、ひとびとが「生きれる」の社会を形成して、その社会が一応は安定すると、次に、ひとびとが、広告マンの抱えていたような問題を、抱えることになったのでしょう。その問題とは、次のような問題です。

――最初から「生きれる」の社会に生まれてきたひとびとには、その育ちのなかで、「生きねば」の世界を自覚するために必要な、瀕死を体験する機会が、めぐってこない。

 ひとは、「生きねば」の世界について、自覚してこそ、生きている実感が、湧いてくるものでしょう。生きていることに、充実を見い出すことが、できるものでしょう。
 そのような観点からしますと、広告マンが抱いていた「漠然とした不安」の正体は、より具体的にいえば、「瀕死を体験していないがための、生きている実感のなさ」だったのかもしれません。

(3)I was born/I will live/I am dead

 ここまで書いてきて、私は、詩人・吉野弘さんの詩である「I was born」を、思い出しました。その詩のなかで、吉野さんは、人間が誰しも、受動態で、この世界に生まれてくることを、指摘していました。確かに、自分の意思で、この世界に生まれてくる人間は、いないでしょう。ですので、人間が、生まれてからしばらくは、受動態で生きることは、当然といえば当然のことでしょう。

 そして、人間には、受動態から能動態に、自分の人生を引き受け直すときが、本来やってくるはずであるようです。能動態は、「I was born」と対比していえば、「I will live」。そのきっかけとなる出来事が、「瀕死の体験」(成人の儀式)なのでしょう。「この世界は、自分が生きようとしなければ、生きてゆくことができない世界なのだ」ということを、自覚する体験なのでしょう。

 「I was born」の生き方は、受動態、「沈黙・無為」の生き方です。
 「I will live」の生き方は、能動態、「発言・有為」の生き方です。

 余談。私も、18歳の頃に、偶然の事件から、「このまま、私が両親に依存していると、私も親も、共倒れになる」と、自覚したことがありました。瀕死の予感。その事件が、私にとっては、「I was born」の生き方から、「I will live」の生き方に、切り替わるための、成人の儀式でした。

(4)循環――「沈黙・無為」「発言・有為」「沈黙・無為」

 そして、私の目には、「I will live」という生き方の、更にその先に、「I am dead」という生き方が、やってくることが、見えてきています。
 ひとは、自分の意思で生まれてくるわけではないのと同様に、基本、自分の意思で死んでゆくわけでもないのです。このことに関連する、思想家・吉本隆明さんの言葉。「死は自分事ではない」(『悪人正機』新潮文庫)。
 つまり、ひとは、受動態から能動態になった後、再び、動かない状態になるのです。「沈黙・無為」から、「発言・有為」へ。そしてまた、「発言・有為」から、「沈黙・無為」へ。
 そのような生き方がやってくることについて、私は、成年後見業務において接してきた、おじいさんおばあさんたちから、教えて頂きました。

 本書において、大平さんは、「プレゼントの系譜」にて、医者が、現実と異界との狭間に立っていることを、指摘していました。同様に、成年後見人も、現実と異界との狭間に、立っているのでしょう。

(5)力を尽くして生きた後に

 私が、旧約聖書・伝道之書の言葉である「力を尽くして生きなさい」を、度々引用していても、そのことを他者に促さないでいるのは、私もが、長い人生の先に、やがて「I am dead」の生き方になってゆくことを、自覚しているからです。

 私の見てきた、力を尽くして生き切ったひとたちの姿を、ここに書き留めておきます。

――のどが弱る。
――言葉を発しなくなる。
――口から食事ができなくなる。
――胃ろうを造設する。
――胃から直接に摂った食事が、食道から肺に逆流する。肺が炎症を起こす。
――胃ろうによる食事ができなくなり、経管栄養になる。
――経管による摂取では、栄養が十分ではないので、痩せ細る。骨と皮になってゆく。
――ベッドの上から、意識の混濁したまなざしで、私を見つめてくる。

 このようなひとたちは、もう、力を尽くして、十分に生き切ったひとたちでしょう。
 このようなひとたちに、「力を尽くして生きなさい」とは、もう、促す必要は、ないでしょう。

(6)第2の成人の儀式

 「I was born」から「I will live」へ。
 「I will live」から「I am dead」へ。

 前者の場合には、「成人の儀式」としての「瀕死の体験」が、ありえます。
 後者の場合にも、「第2の成人の儀式」ともいうべき「瀕死の体験」が、ありうるようです。
 というのは、こういうことです。
 ひとは、年齢が高まり、心身が弱ってきても、「住み慣れた、自分の家で、暮らし続けたい」と思うものです。そのため、ひとが、周囲のひとびとからの説得を聞き入れず、介護を受けながら、何とか、自分の家で暮らし続けようとすることが、ままあります。その状況が続いてゆくうちに、得てして、事件が起こります。そのひとが、転んで骨折するなどして、自宅で暮らし続けることができなくなるのです。そして、その状況にまで至って、はじめて、そのひとは、施設への入居に応じるようになるのです。
 上に述べたような事件は、そのひとにとって、「成人の儀式」での「瀕死の体験」にも、類似する体験です。
 そして、その「瀕死の体験」は、そのひとにとって、次のような自覚を、促すでしょう。
「自分は、この世界で、いくら、生きようとしても、もはや、生きてゆくことが、できなくなってきているのだ」
 このように、ひとの人生においては、「I will live」から「I am dead」へ、その生き方を切り替えるときにも、「第2の成人の儀式」ともいうべき「瀕死の体験」が、ありうるようです。
 なお、このような、ひとの心の動きについては、老年心理学についてのテキストである、佐藤眞一ほか『老いのこころ』(有斐閣アルマ)に、紹介があります。「1次的制御・2次的制御」。

3 死の淵を共に見る――依存すること・させること

(1)ひとに依存できない世界

 「<子供>の死」に登場する広告マンは、「生きれる」の社会でのみ、生きてきたひとでした。
 一方、「多重人格という記憶」に登場する「オカムラ・ミエコ」は、「生きねば」の世界でのみ、生きてきたひとでした。「生きねば」の世界は、「ひとに依存できない世界」でもあります。彼女は、ひとに十分に依存することのできなかったひとでした。甘えることのできなかったひとでした。

(2)自立と依存は表裏一体

 このことに関連して、河合隼雄さんは、次のように述べています(『こころの処方箋』新潮文庫)。

――自立は依存によって裏づけられている。
――自立と言っても、それは依存のないことを意味しない。
――そもそも人間はだれかに依存せずに生きてゆくことなどできない。
――自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していること。
――依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になる。

(3)ひとを依存させる――自分を賭ける

 自律と依存は表裏一体。そのような見方からしますと…

――私、思いっきり甘えたいんです。
――とことん甘えさせてくれるひと、見つけたら、私、やり直せる気がするんです。
――できますよね、先生。

 このような思いを、ひとに依存できないできた「オカムラ・ミエコ」が抱くことは、仕方のないことだったでしょう。この彼女の思いに対して、大平さんは、「あいにく、もう遅いんですよ」と、答えました。この問答について、私は、第一印象としては、「大平さん、『できますよ』と、答えてあげても、よかったのでは」と、思いました。その思いは、彼女の歩んできた人生への、同情からくるものでした。
 ただ、よくよく考えますと、大平さんに彼女が甘えたがっている状況において、大平さんが彼女に「あなたは、ひとに、思いっきり甘えることができますよ」と答えることは、彼女からの、より大きな甘えを、呼び起こすことに、つながったかもしれません。彼女から、「病院に泊まりたい」以上の要求が出てくることに、つながったかもしれません。そうなった場合には、大平さんは、自分のみならず、自分の勤務する病院も、彼女からの要求に対処することに巻き込むことになり、その結果、自分の職を賭することになったかもしれません。
 ひとを依存させることは、「子供を甘やかすと、わがままな人間になる」という結果を超えて、依存させるひと(依存するひとが依存する相手)の、その生存に関わるような結果をも、もたらすことがあります。そのことを、大平さんは懸念して、彼女に、「あいにく、もう遅いんですよ」と、答えたのかもしれません。

(4)死の淵を共に見る

 ひとに、思いっきり依存したいひと。一方的に依存したいひと。そのようなひとは、「沈黙・無為」の生き方がしたいひとです。そのようなひとは、自分で生きようとするどころか、依存させるひとの生命をも、消費してゆくことがあります。黙り込む、動かない、それでも食事は摂る。そのような状況においては、依存させるひとは、「このままでは、自分の生命もが、尽きてゆく」という気持ちを、味わうことになります。その気持ちは、自分が体温を失って、心臓が冷えてゆくような、気持ちです。
 それでも、依存しているひとが、「生きねば」の世界について、自覚するためには、依存させるひとが、その状況に、耐え続けてゆく必要があります。依存しているひとが、「このままでは、二人とも、共倒れになる」と、感じるまで、付き合う必要があります。
 死の淵を共に見ること。
 それが、「ひとを依存させること」の、本質なのでしょう。
 そして、肝心なことは、依存しているひとが、死の淵から、死の谷へ、そのまま落ちてゆくこともある、ということです。そのときには、依存させるひとの賭けてきた、自らの生命もが、空しく消えることになります。そのような、空しい結果に終わることをも、ふまえた上で、ひとは、ひとを依存させるべきでしょう。

 余談。ときに、ひとは、相手に対して「距離を置く」ことで、自分を「沈黙・無為」の状態に、置くことがあります。そのとき、そのひとは、本当に、死の谷へ落ちる覚悟があって、そのようにしているのかが、問題になるでしょう。

(5)死の淵を見た後に

 依存しているひとが、依存させるひととともに、死の淵を、見る。「この世界は、自分が生きようとしなければ、生きてゆくことができない世界なのだ」ということを、自覚する。そして、生きるために、死の淵、つまりは「異界」から、「現実」へ、戻ってくる。
 その「現実」へ戻ってくることは、ゴールであり、スタートでもあります。
 依存しているひとは、「異界」にいた分、「現実」の、他者との関係が、希薄になっています。他者と関係を結ぶ能力も、減退しています。たとえば、ひきこもりをしていたひとが、意を決して、就職して、出勤した際に、その職場で働いているひとびとが、きびきびと動く様子を見て、「自分には、とても無理だ」と、怖気づくことが、ままあるそうです(本田由紀『軋む社会』河出文庫)。
 このように、依存しているひとには、「生きねば」の世界についての自覚ができた後にも、他者と関係を結んでゆくことについての支援が、しばらくは、必要になるようです。そのような支援が必要であることについても、依存させるひとは、ふまえておくべきでしょう。

(6)「生きれる」の社会 その内実

 いままで書いてきたように、ひとが、ひとに一方的に依存している状態(「I was born」)から、自立した人間として、他者と相互に依存する関係を結ぶことのできる状態(「I will live」)になるまでには、そのひとと向き合っての、生命をも賭けての、相当な援助が必要になるようです。
 そして、そのような援助が必要になるのは、主に、子供です。
 その子供に対する援助について、戦後日本社会では、専業主婦である妻と、学校教師(一人で多くの生徒を担任する)に、任せてきました。援助のための人員や労力は、足りていたのでしょうか。子供の教育を担ってきたひとたちに、敬意は、重々、表しつつ、そもそもの「ひとを育てる体制」(ひとを依存させる体制)に、構造上の欠陥があったのではないでしょうか。その欠陥が、「<子供>の死」に登場する、広告マンのような、「成功者の惑い」を抱くひとを、輩出することに、つながってきたのではないでしょうか。
 広告マンには、「死の淵を共に見る」相手は、きっと、いなかったでしょう。
 「死の淵を共に見る」相手が、いないこと。そのことは、「オカムラ・ミエコ」にも、共通する問題でした。
 「死の淵を共に見る」相手を、増やしてゆくこと。確保してゆくこと。そのことが、「生きれる」の社会における、ひとびとの人生の充実のために、重要になってくるかもしれません。
 そして、そのためには、少子化による、子供人口の割合の縮小と、大人人口の割合の増大は、大人が子供に向き合う気さえあるのであれば、かえって好都合な状況をもたらすことになるかもしれません。

(7)私の人生――「沈黙・無為」に付き添う

 以上、本書のテキスト批評を通して、「沈黙・無為」や「依存」について、個人的に考えてきました。
 その締めくくりとして、私が、自分の人生について、いま考えていることを、書き留めておきます。

 私は、主に成年後見業務を通して、「I am dead」という生き方へ、自分の人生を切り替えてゆくひとに、付き添っています。そのためか、私には、「I am dead」という生き方と同様に、「沈黙・無為」の属性を有する、「I was born」という生き方をしているひとが、近寄ってくる傾向があります。その傾向は、この業務に取り組むようになる以前、ボランティア活動をしていた、学生時代から、すでにありました。

 私が学生時代に交際していた相手も、まさに「I was born」という生き方をしているひとでした。
――沈黙する。
――無為でいる。
 その上で、「貴方は私を愛していない」という理由で、相手が私に別れを促してきたことが、ずっと、私にとって、納得できないこととして、残っています。沈黙も受け入れて、無為も受け入れて、それでもなお「貴方は私を愛していない」ということに、どうしてなるのか。それが、私には、ずっと、腑に落ちないでいるのです。
 この状況のまま、私が他の相手と交際するとなると、私は、その「貴方は私を愛していない」という言葉を肯定することになり、その結果、「私は貴方を愛しています」という、自分にとっての、素顔の言葉を、否定することになります。そのようなことをする、私からの愛情は、他の相手にとっても、説得力を持たないでしょう。
 一生涯つづく愛情は、「神」ではない「人」には、本来、有り得ないのかもしれません。それでも、「少なくとも、あの頃、私は貴方を愛していた」ということは、信じてもらいたいのです。このような思いから、私は、「男が上人になった経緯」に登場する男性の気持ちが、分かるような気がします。「本当のことではないかもしれないけれども、信じてほしい」のです。
 ただ、思えば、「I was born」という、受動態の生き方からすれば、相手から私に対して「私は貴方を愛していない」という「意思の表示をすること」は、真逆の、能動態の生き方をとることを、意味します。そのことは、彼女にとっては、難しいことだったのでしょう。
 それならば、最初から、私に、近寄ってきてほしくなかった。それが、私が相手に対して、いま抱いている、考えです。
 できれば、私としては、相手に、私の人生を、言葉で組み立て直すことに、付き合ってもらいたいです。しかし、相手は、「I was born」という生き方、「沈黙・無為」という生き方をしているひとですから、そのようなことを期待することも、難しいでしょう。
 実際、一度、連絡したときに、相手は、私には、面を接しては、向き合いませんでした。

 上に述べた、振り返りからしますと、私の人生は、次のような人生であるようです。

――「I was born」という生き方、そして「I am dead」という生き方をしているひとたちの、「沈黙・無為」に付き添い、そのひとたちの分まで、「I will live」(発言・有為)という生き方で、生きてゆく。

 このことに関連して、作家・小川洋子さんが、その作品である『シュガータイム』に、次の言葉を、書きつけています。
「もうここまできたからには、わたし、徹底的に吉田さんの無言に付き合おうと思うの」
 この言葉に、私も、共感を覚えます。

4 統合失調症――情報過多による精神疾患

 本書において、大平さんは、統合失調症について、その症例を、複数、紹介していました。
 そのことに関連して、統合失調症について、私が考えていることを、ここに書き留めておきます。

(1)統合失調症の急性症状

 精神科医・中井久夫さんは、統合失調症の急性症状について、次のように紹介しています(『最終講義 分裂病私見』みすず書房)。

――急性症状が発症すると、患者は、この世界の、全ての情報を、自分のこととして、感得しようとすることになる。
――その結果、患者は、自他の区別が、つまりは、自分と世界の区別が、つかなくなる。
――自他の区別がつかないので、患者は、動くことが、ほぼ全くできなくなる。
――その上、患者は、この世界の、全ての情報を、感得しようとし続けるので、覚醒し続けることになる。眠ることが、できなくなる。
――このような、急性症状が発症したときには、患者は、「ついに自己を実現した」と、感じる。
――この「自己実現」という、急性症状による感覚の体験は、患者が二度と体験したがらない、恐怖の体験である。

 この急性症状は、本書において、「偽患者の経歴」にて、偽患者が語っていた、彼の息子の症状とも、重複します。

――家の前の道を行くひとが、私のことを、「最低な奴だ」と言っているのです。
――無言電話もかかってきて、かすかに「シ」「シ」と、聞こえるのです。これは「死体」の「死」という意味です。

 このように、偽患者の息子は、この世界の、全ての情報を、自分のこととして、感得しようとしている様子です。

 他にも、たとえば、統合失調症の患者には、外出を恐がるひとがいます。人混みを恐がるひとがいます。人混みは、見るひとが見るときには、相当な密度で、情報が、詰まっているように、見えるのでしょう。

(2)ネットサーフィンとの類似(情報の過多)

 中井さんによる、急性症状の紹介について、私なりに、更に要約してみます。

――人間は、平素、意識的に・無意識的に、自分が感得するべき情報を、選別している。
――その選別のための機能が働かなくなることが、統合失調症の、急性症状の、特徴である。
――その結果、ひとは、感得する情報が過多になり、眠ることができなくなる。

 これらの、急性症状の状態は、私たちが、夜中に、ネットサーフィンが止まらなくなり、何時間もの時間を費やすことになったときの状態にも、似通っているでしょう。
 ネットサーフィンにおいても、私たちは、次々と情報を求め、自分が感得するべき情報の選別ができなくなり、眠ることができなくなっています。
 インターネットの普及、スマートフォンの普及によって、私たちの精神の状態は、統合失調症に、近似してきているのかもしれません。

(3)マスクでの生活の定着――顔をなくした私たち(情報の喪失)

 本書において、大平さんは、患者との面接を、重視していました。
 大平さんによると、患者が診察室に入ってくる様子から、その日の彼・彼女の状態が、ある程度、分かることもあるそうです(「テレホン・ストーリー」)。
 また、大平さんは、面接を通しての、自分の実感によって、マニュアルによる診断では、統合失調症となるはずの、偽患者の詐病を、見抜いていました。

 一方、私たちの生活においては、コロナウイルスの感染拡大がもとで、ひとと面接しない習慣が、定着してきました。私たちは、マスクを着けて、他者と面を接するようになりました。更に、私たちは、パソコンの画面を通して、他者と面を接するようにもなりました。
 マスクの普及、パソコンでの面接の普及を通して、私たちは、本来、感得するべき情報を、感得できない状態に、陥っているのかもしれません。

(4)アタマがカラダを置き去りにしている

 上に述べましたように、私たちの生活においては、一方では「情報の過多」の状態があり、他方では「情報の喪失」の状態があるようです。
 これらについて、まとめて、表現すると、「アタマがカラダを置き去りにしている」ということに、なるのかもしれません。
 一方では、アタマが、カラダが感得し切ることのできない量の、情報を、感得しようとしている。
 他方では、アタマが、カラダが感得できるはずの情報を、遮断している。
 このように、インターネットの普及、スマートフォンの普及、コロナウイルスの感染拡大によって、私たちの生活は、どんどん、アタマが中心に、つまりは「アタマでっかち」に、なっていっているようです。
 ただ、カラダの限界は、そのまま、アタマの限界でも、あるはずです。いくら、アタマが「頑張ろう」と考えても、カラダがついてゆかないことが、人間には、ままあるでしょう。たとえば、テレワークを続けていると、カラダが凝り固まってきて、体調が優れなくなるということも、私には、分かってきました。
 私たちのアタマの状態が、統合失調症の急性症状に近似してきている、いま。私たちは、私たちのカラダを、あらためて、生活の基礎に、据え直していくべきなのかもしれません。

5 まとめ

 本書は、患者たちの、内心の葛藤の、解きほぐしについて、読むことを通して、読者も、自分の、内心の葛藤の、解きほぐしについての、ヒントを得ることができる、好著でした。
 この本を開くと、そのまま、大平さんの、診察室の扉をも開いて、大平さんと面接をしているような、気分になります。
 大平さんに、お礼を述べて、診察室を辞し、この本を、閉じることにします。

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