【読書】林完次『宙の名前』〔新訂版〕角川書店 ~夜空に浮かぶ「平等」~

林完次『宙の名前』〔新訂版〕角川書店 2010.6.30
https://www.kadokawa.co.jp/product/201003000048/

 天体写真家である林完次さんによる、「星の歳時記」。
 星や星座の写真とともに、それらにまつわる、東西の古典を、紹介。
 初版以来、20年以上にわたる、ロング・セラー。

 遠出する機会があり、その道中に、拾い読み。

1 紫式部と『新古今和歌集』――200年にわたる「言葉の保存」

 紫式部が、月を、和歌に、うたっています。

  めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな

 この和歌は、『新古今和歌集』が、収録。
 紫式部の生年・没年は、推定で、973年・1014年。
 『新古今和歌集』の成立は、おおよそ、1200年。
 その間に、200年の歳月が、過ぎています。
 この間に、ひとびとは、どのようにして、彼女の和歌を、つまりは言葉を、伝承していったのでしょう。
 当時は、いまのように、指先ひとつでコピー&ペーストができたり、複合機から同じ文書を何部も印刷できたりする時代では、ありませんでした。
 写本するにも、またそれを保存するにも、相当な労力が必要であったはずです。
 「紙によって、言葉を伝承してきた、ひとびとの営為」について、私としては、あらためて学んでいってみたいです。

 というのも、私は、このところ、次のように考えるようになってきているからです。

――自分の書いた言葉について、あらためて、紙を主な基盤として、体系づけて、保存するようにしてゆきたい。
――そのようにした方が、インターネットを主な基盤として、保存することに比べて、より集中して、考えることできるようになるのでは。

 このように、私としては、仮説を立てています。
 実際、私には、スマホを買って、Facebookを始める前は、自分の思考について、紙へ書き出して、それらを結び直すことが、いまより濃密にできていた覚えがあるのです。

2 みずがめ座――付随する「少年」のイメージ

 さて、本書の内容に、話を戻します。

 みずがめ座は、「水瓶を担ぐ少年」のイメージ。
 この少年は、ギリシャ神話に登場する、「ガニュメデス」という少年とのこと。
 みずがめ座には、「少年」のイメージが、付随しているようです。
 このことからすれば、占星術が説いている、いまという「みずがめ座の時代」は、「少年の時代」ひいては「子どもの時代」でもあるのかもしれません。

3 おとめ座・てんびん座――「平等」の象徴

 おとめ座は、ギリシャ神話に登場する「正義の女神」である「アストレア」のイメージ。
 「アストレア」は、「天秤」を用いて、人間に関して、その正義について、量っていたとのこと。その「天秤」のイメージが、星座になったものが、「てんびん座」。

 おとめ座の「乙女」は、「正義の女神」だったのですね。
 そして、てんびん座の「天秤」は、「正義について量る天秤」だったのですね。

 このことに関連して、法思想史学者である中山竜一さんは、次のように述べています(『法学』岩波書店)。

――法についての哲学において、その基礎となっている哲学は、古代ギリシャの哲人であった、アリストテレスの哲学である。
――彼は、「正義」について、こう語っていた。
――「正義であること」とは、「平等であること」である。

 おとめ座の「女神」が持つ、てんびん座の「天秤」は、「平等」という「正義」について、量るためのものなのでしょう。
 本書の紹介で、私のなかで、「星の世界」と、「法の世界」とが、つながりました。
 「平等」の象徴が、夜空に浮かんでいたとは…

4 「星の理論」と「法の理論」

 ここまで書いてきて、私は、逆に、法学者さんが、法学のことを、天文学になぞらえて、語っていたことをも、思い出しました。
 行政法学者である藤田宙靖さんは、次のように述べています(『行政法入門』〔第7版〕有斐閣)。

――夜空にまたたく無数の星は、てんでんばらばらに散らばって、それぞれかってに動いているように見えますが、昔から、多くの人々がこれらをよくよく観察しているうちに、じつはこれらの星たちは、まったく無関係に存在しているのではなくて、太陽系とか銀河系というグループをかたちづくっており、このグループの中ではある決まったルールにしたがった動きをしているのだ、ということがわかってきたわけですね。こういったことを明らかにしてきた「万有引力の法則」とか、「相対性原理」といったものは、なぜこれらの星が現実にそういった動きをするのか、ということを矛盾なく説明するために人間の頭で考え出された、ひとつの「理論」であるにほかなりません。
――「行政法」と「行政法理論」の関係も、いわばこれとおなじことなので、先に見たようなたくさんの法令の規定を夜空の星と考え、「行政法」をいわば「太陽系」と考えるならば、「万有引力の法則」にあたるものとしての「理論」があるはずだ、ということになるわけです。こういった意味での「理論(法理論)」が、つまり、これから説明することになる「行政法理論」だ、ということになります。

5 意味を見出すこと

 「星の理論」にも、「法の理論」にも、共通していること。
 それは、「自分が見たものに意味を見出すこと」であるようです。
 このような、「意味を見出す」という、人間の働き。この働きは、文学における、作品の創造にあたっても、重要となる働きである旨を、作家・大江健三郎さんが、指摘しています(『新しい文学のために』岩波新書)。

 また、このことに関連して、数学者・新井紀子さんは、次の趣旨のことを、述べています(『AIvs教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社)。

――AIは、設問に対して、その文章が含んでいる記号に関して、統計上、次に表れる可能性が最も高い記号を、回答として、出力しているに過ぎない。
――つまり、AIは、設問の意味を理解して回答しているわけではない。
――「意味を理解すること」は、AIにはなく、人間にのみある、働きである。

 そして、これらの指摘をふまえた上で、新たに立ってくる問いは、次のようなものとなるでしょう。

――それでは、「意味」とは?

 いちおうの、答え。「意味」は、「価値」とも、読み替えることができそうです。

6 まとめ――自由と平等の相反する関係

 平等の象徴が、夜空に浮かんでいることが、分かったこと。
 そのことが、私にとって、今回の読書で得た、一番の収穫でした。

 人間は、自由と平等との間を、揺れ動いている存在です。自由が繁栄すれば、平等が衰退します。逆に、平等が繁栄すれば、自由が衰退します。

「新自由主義経済によって、格差社会が到来することになった」

 という表現があります。この表現は、因果関係としては、正しいのです。

 そして、このような見方からすれば、「正義の女神」が、夜空という「空想の世界」にあって、「自由の女神」が、地上(アメリカ)という「現実の世界」にあることも、私には、意味があることのように、見えてきます。両者は、同じ空間においては、完全には両立できないのです。
 作家・堀田善衛さんによると、人間は、「自然と理性との間を揺れ動いている存在」であるそうです(『ミシェル 城館の人』集英社文庫)。
 おそらく、「自由」は「自然」に属し、「平等」は「理性」に属しているのでしょう。
 人間が、自然な状態で、自由にしていると、不平等が拡大してゆくのでしょう。平等は、人間が、理性によって、自然な状態に、修正を加えることで、ある程度は、実現することができるようになるのでしょう。
 「平等」は、夜空に浮かぶ星座のように、人間が、「理性」によって、「意味を見出す力」によって、絶えず追求してゆくべき目標であるようです。

 最後に、星空にまつわる、岸田衿子さんの詩を引いて、この短評を、しめくくります(「星はこれいじょう」『いそがなくてもいいんだよ』童話屋)。

  星はこれいじょう
  近くはならない
  それで 地球の草と男の子は
  いつも 背のびしている

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