【私の方丈記】ホーム・ライブラリー

 私が、前回の「私の方丈記/私の暮らしの再設計」に書いたとおり、私の部屋の、家具の配置を、動かすことができました。
 家具のうち、ベッドが動いたことによって、そのベッドによって、デッド・スペースができていた、私の本棚について、その全面に、本が収納できるようになりました。タテが6段、ヨコが12列。合計して、72の、収納のためのスペースができました。
 そこで、私は、この機会に、私の問題意識にそって、私の蔵書を、あらためて分類・整理してみました。
 その結果、私の部屋に、私なりの図書室(ホーム・ライブラリー)が、できあがりました。

1 分類・整理

 私のホーム・ライブラリーは、次のように、分類・整理してあります。

 まず、上段であるほど、私の「意識の表層」にのぼってきている問題に関する本が、並ぶようになっています。そして、下段であるほど、私の「意識の深層」にひそんでいる問題に関する本が、並ぶようになっています。

 また、右から、その段の扱う問題の、その基礎に関する本が、並ぶようになっています。そして、左へゆくほど、より発展した問題に関する本が、並ぶようになっています。

 なお、右の方に、基礎に関する本を、配置しているのは、右の方に、部屋に入るための扉があり、その付近に、読み書きのための机が、配置してあるためです。このように、本棚と、机とを、配置することによって、私が机に座ると、本棚のなかの、「基礎に関する本」が、いつも、目に入るようになりました。

 以下、各段にまつわる、私の問題意識について、大まかに、書き留めておきます。

(1)5段目(基幹)

 5段目には、私の問題意識の、その基幹となっている作家さんたちの作品を中心として、本を並べました。司馬遼太郎さん、宮崎駿さん、堀田善衛さん、開高健さん、大江健三郎さん。
 これらの作家さんたちは、私にとって、次のようなひとたちです。

――自分の「個人的な体験」から、自分なりの「知の体系」を、築き上げてゆく。
――その手本を、私に示してくれたひとたち。

 そして、このように分類・整理してみて、あらためて、私が思うことは、「私にとっての、知の体系の、その基幹は、文学にあるのだなあ」ということでした。

(2)6段目(根源)

 文学以前に、私の意識は、「動物的存在としてのヒト」である、私の身体が、ひいては、私の生命があってはじめて、存在しています。

 そして、私は、ことばによって、「理性的存在としての個人」である、自分の人格を、形成しています。また、私は、ことばによって、学び・調べ・書くことを続けています。そして、それらのことによって、私は、私の人格が、持続するよう、試み続けています。

(3)4段目(歴史)

 堀田さんたちが、私に教えてくれたこと。それは、「歴史に学ぶことの面白さ」でした。「いままで、どうなってきたか」が分かってこそ、「これから、どうなってゆくのか」についての、見通しを立てることができるようになります。
 「Back to the future!」(堀田善衛「未来からの挨拶」『天上大風』ちくま学芸文庫)

(4)3段目(専門知)

 私は、私の問題意識に対応する社会問題について、その問題にまつわる専門知を、私なりに習得することによって、対応しようとしてきました。
 そのための、最も基礎となる専門知が、法学知です。
 また、私は、法学の分野のなかでも、憲法・民法はもちろん、「基礎法学」という分野に、特に関心を持っています。「基礎法学」には、「法制史」や「法思想史」といった分野があります。これらの分野は、法について、歴史という観点から、研究する分野です。「Back to the future」という、歴史について、学ぶにあたっての方法論は、法学という専門分野においても、応用できるようです。

(5)2段目(現代)

 ここまで私が述べてきた、「基幹」「歴史」「専門知」。それらの知識を駆使して、私が、私の仕事を通して、現代の社会について見出してきた、問題群。それらは、大まかにいえば、「高齢化」「都市化」「単身化」でした。
 そして、これらの問題に対応するための、より絞り込んだ専門知が、「後見・遺言」「不動産法」「企業法務」ということになります。これらの専門知は、総合すると、「事業承継」に関する知として、まとまることになります。

 また、私の興味関心に関わらず、社会の「情報化」という問題も、現代の社会を生きてゆく上では、どうしても、私にまとわりついてくることになります。

(6)1段目(仕事と人生)

 以上の、5段階にわたる問題意識はありつつも、私は、普段は、「働いて、生計を立てる」ことによって、毎日を暮らしています。

 そして、私は、「起業」という「仕事と人生」を、選んだために、小さな規模ながら、「経営」についても、意識するようになりました。
 その「経営」が、「事業・組織・時間」によって、成り立っていること。そのことについて、私は、「私が仕事で見ている世界」の、「法人」編を、書くことによって、気が付きました。

 また、私は、女性を雇用することになって、「女性と仕事」ひいては「ジェンダー/フェミニズム」の問題も、意識するようになりました。
 その問題意識についての学びのなかで、私は、漫画家・安野モヨコさんを、知ることになりました。安野さんは、その作品を通して、「理性的存在としての個人である女性」はもちろん、「動物的存在としてのヒトである女性」の、生き物としての生々しさも、私に教えてくれました。

 そのような「女性と仕事」等についての問題や、現代の社会にまつわる問題について、学びながら・働きながら、取り組んでいるうちに、私は、最終的に、次のように考えるに至りました。

――これらの問題の、その本質は、「自由と平等との均衡」にある。

2 意識が無意識になる

 今回の、私にとっての、ホーム・ライブラリーの、構築(以下、短くまとめて「構築」といいます)。その構築を通して、私が、気付いたこと。それは、「意識によって、じっくり考えたことが、無意識化して、身体による行動になってゆく」ということでした。

 というのは、こういうことです。

 テキスト批評『レポート・論文の組み立て方』において、私は、自分がテキスト批評を100本ばかり書いてきたことによって、自分なりの「知の体系」が、芽生えてきたことを、自覚しました。そして、その時点での、自分の問題意識についての、「見取り図」を、描きました。
 一方、私は、テキスト批評『芥川龍之介の世界』において、芥川が、短編を書き散らしていった果てに、その仕事と人生の、収拾がつかなくなったことを、知りました。その「収拾がつかなくなる」という問題は、芥川に比べて、規模は、ずっと、小さいながらも、テキスト批評について、書き散らしてきた、私にも、通じる問題でした。
 その後、私は、『法学テキストの読み方』についてのテキスト批評を書くことによって、「個人的な体験に基づいて、知の体系が構築できること」に、気が付きました。
 そして、私は、テキスト批評『宙の名前』において、次のように考えるに至りました。

――自分の書いた言葉について、あらためて、紙を主な基盤として、体系づけて、保存するようにしてゆきたい。

 これらの、テキスト批評によって、私が、アタマのなかで、意識して、じっくりと、考えてきたこと。それらのことが、いつのまにか、私のなかで、無意識化して、今回の、手作業による、紙の書籍でできた、「構築」に、つながっていったようです。

 これで、私がこれから書いてゆく、テキスト批評について、たとえば、「3-B/社会学」と、付番することによって、私の問題意識の、どの分野に関する、テキスト批評であるのかが、明確になるようになりました。そして、そのテキストが、私の本棚の、どのスペースに収納してあるのかも、明確になるようになりました。つまり、私が書き連ねてゆく、テキスト批評について、紙の書籍が並ぶ、私のホーム・ライブラリーを基盤として、収拾がつくようになりました。もっといえば、「しくみ」ができました。これからは、また、あらためて、「私が、この『しくみ』のなかで、どれほど、読んで・考えて・書いてゆくか」という、「はたらき」が、問題になってくるでしょう。

 なお、私にとっては、次のことも、興味深いです。

――今回の「構築」は、私が、スマートフォンを買い替えて、ソーシャル・ネットワーキング・サービスをインストールせずに、スマホを見る時間を減らしてから、進むようになった。

 ソーシャル・ネットワーキング・サービスは、やはり、「否応なく目に入ることになる、広告等によって、ひとの無意識に働きかけ、ひとの行動を操作するための、しくみ」なのでしょう。そして、その「しくみ」は、ひとにとって、より重要なはずの、「自分の意識を、無意識化して、行動にまで転化してゆくこと」を、妨げているのかもしれません。

 ちなみに、今回の「構築」は、私にとっては、誰からの「いいね!」も、もちろん付くことのない、地道な作業でした。そして、そのような作業こそが、現状の私にとっては、重要でした。

3 手入れ――「購入と構築」から「持続と更新」へ

 今回の「構築」によって、私の、問題意識の、分類・整理が、明確になりました。
 そして、「構築」が済んで、私が思ったことは、「これで、私は、一生、読む本に、困らないだろう」ということでした。
 私は、いま、38歳です。ほぼ、40歳。40歳については、「不惑の歳」という、呼称もあります。その「不惑」という言葉は、「自分の問題意識について、その範囲と内容が、分かってくること」を、意味しているのかもしれません。
 その年齢の私が、予感していること。それは、次のようなことです。

――これからは、ホーム・ライブラリーにまつわる問題が、「購入と構築」から、「持続と更新」に、移ってゆくだろう。

 たとえば、法学テキストは、法令の改正等に伴い、版が新たになってゆきます。法学テキストでなくても、単行本が、文庫本にあらたまることも、ままあります。そして、単行本が文庫本になるときには、初出後の知見を反映して、その内容が、いっそう充実することも、ままあります。
 蔵書が、ある程度の冊数を超えると、その内容の更新についても、ある程度の費用がかかるようになってくるのです。いわば、「手入れ」が必要になってくるのです。

 余談。「手入れ」といえば、私は、今回、「構築」のために、それぞれのスペースに本を挿し入れてゆくうちに、「田植え」をしている気分になりました。そういえば、私の本棚は、「田」という字が、18個、並んでいるようにも見えます。
 「田」になぞらえて、私のテキスト批評についても、「100本ノック」という「打ちっぱなし」から、「田植え」による「栽培」(読書)と「収穫」(批評)へ。そのように、イメージとしては、切り替えてゆきたいです。そして、ゆくゆくは、「栽培」と「収穫」というイメージも超えて、すべての「田」を根拠とした、大きな樹を育て上げて、そこに棲む精である「トトロ」のような、ひとつの作品を書き上げてみたいです。そのような作品に、近いものとして、私にとっては、たとえば、鴨長明の『方丈記』があります。

 なお、老年心理学によると、ひとは、年を重ねるにつれて、そのときの、自分の力に適うように、自分の問題意識を絞り込んでゆくそうです(佐藤眞一ほか『老いのこころ』有斐閣アルマ)。
 そのような知見からすれば、私のホーム・ライブラリーにおいても、これから、私にとっての、問題意識の、「絞り込み」や「取捨選択」が、ますます、起こってくるのでしょう。
 ちなみに、鴨長明は、その終の棲家である方丈に、本としては、仏経典の小冊子のみを、置いていたそうです。このような、長明の、老い方も、私にとっての、ひとつの手本です。

4 定住すること/貯蔵すること/資本を蓄積すること

 今回、私が、私なりに「構築」をしてみて、思ったこと。そのことが、もうひとつ、ありますので、ここに書き留めておきます。

――自分が、いまの住まいに、12年間、定住していたからこそ、このように、たくさんの蔵書が、貯蔵できたのだろう。

 もし、私が、数年ごとに移住していたとすれば、その都度、私は、荷を軽くするために、蔵書を処分していたでしょう。その結果、私の蔵書は、現状と比べ、少なくなっていたでしょう。
 「定住すること」は、「貯蔵すること」を、促進するようです。このようなことからすれば、「定住すること」は、「資本を蓄積すること」をも、おそらく、促進するのでしょう。

 そして、ここまで貯蔵ができたからには、私には、もう、大型の書店のない地方へ移住しても、読む本に困らない予感も、してきています。

 なお、定住による貯蔵は、この現代日本社会/大量消費社会においては、行き過ぎることもあるようです。
 今回の「構築」を通して、生じたこと。それは、「重要度の高い本が、重要度の低い本に、埋もれないようにするために、本棚に並ぶ、本の量を、減らすこと」でした。私の貯蔵している本の量が、私の問題意識にそって、あらためて分類・整理するためには、多過ぎたのです。

 ※ 重要度の低い本については、私は、下駄箱を、靴が少ないため、ほとんど使っていなかったので、その下駄箱を、書庫として代用することにして、収納しました。

 このようなことからすれば、現代日本社会/大量消費社会は、分解すると、少なくとも、次の4種類の要素のある、社会であるようです。

  大量生産社会
  大量購入社会
  大量貯蔵社会
  大量廃棄社会

 そして、このような、現代日本社会/大量貯蔵社会においては、ひとの住まいの狭さともあいまって、「ひとのための空間」(居住空間)を、「モノのための空間」(収納空間)が、圧迫する、という状況が、生じてきているようです。

5 まとめ

 以上、今回の「構築」によって、私が、40代の10年間を、学んで・働いてゆくための基盤が、またひとつ、整いました。

 最後に、あらためて、私が学んでゆくこと・働いてゆくことの、その目的を、ここで確かめておきます。

――自分が、他者とともに、生きてゆくために。
――そして、生きることを、楽しんでゆくために。

 これらのために、私は、これからも、私のホーム・ライブラリーを基盤として、学び続け・働き続けてゆきます。

 このことに関連する、詩人・石垣りんさんの詩を引いて、本稿を、しめくくります(「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」『石垣りん詩集』岩波文庫)。

  お芋や、肉を料理するように
  深い思いをこめて
  政治や経済や文学も勉強しよう、

  それはおごりや栄達のためでなく
  全部が
  人間のために供せられるように
  全部が愛情の対象あって励むように

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