【読書】川上未映子『きみは赤ちゃん』文春文庫 ~生存の不安/母親の孤独~

川上未映子『きみは赤ちゃん』文春文庫 か-51-4 2017.5.10
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167908577

 作家・川上未映子さん。35歳で、妊娠・出産。その体験についての、エッセイ。
 川上さんの文章には、歯に衣着せぬ「大阪のおばちゃん魂」がこもっていて、面白いです。

――案ずるより生むが易し、という言葉がある。
――生むの、ぜんぜん易しくねえよ!
――案じさせろや!

 エッセイ全編を通じての、川上さん節は、ぜひ、この本を、実際に、手に取って、お楽しみ下さい。

第1 内容要約

1 出産編 できたら、こうなった!

 着床痛という痛みがある。
 川上さんは、赤ちゃんを授かろうとしていた時期、度々、ベッドに横になって、その痛みが来るか、身体の感覚を、研ぎ澄ませていた。
 ある晩、ふともものちょっと上あたりに、ちくちくする痛みが、はしった。いまのが?
 後日、生理は来ず、川上さんが、妊娠していることが、分かった。

 やがて来る、授乳に備えて、川上さんは、乳首のマッサージを、始めた。
 乳首をマッサージしているうちに、川上さんは、第二次性徴が始まったばかりの頃、乳首がにしこりができたことについて、自分が戸惑っていたことを、思い出した。
 あの頃は、「好き」が、単純な「好き」だった。その「単純な好きという感情」が、「自分とは別な生命へとつながってゆくことになる感情」に、意味を変えてゆくこと。そのことに、少女だった頃の川上さんは、戸惑っていた。

 つわり。嘔吐が、何度も、何度も、続く。食事ができなくなる。
 弱り切る、川上さん。ベッドの上で、身動きすら、できなくなることも、あった。
――病んでいるひとは、こういう気持ちなのかもしれない。
――そして、この弱さに似た弱さを、自分は、更年期、老年期にも、体験することになるだろう。
 この時期、川上さんは、仕事で外出したとき、移動の合間には、嘔吐していたけれども、たとえば、サイン会の最中などでは、嘔吐しなかった。サイン会のように、気を張る時間が、つわりの時期にも、あったことが、かえってよかった。

 つわりは、ある日、突然、止んだ。朝、起きたとき、身体が、だるくなかった。
 その後の川上さんを、とめどない食欲が、おそった。何を食べても、おいしい。全身が舌になったかのよう。その結果、体重が、3.5キロ、増えた。
――まあ、赤ちゃんの重さも、あるだろう。
 そう思い、川上さんが調べてみると、その時期の赤ちゃんの重さは、大体、100グラム。残りの3.4キロは、川上さん自身の、体重の増加だった。
――でも、これだけ食べても3.4キロしか増えないのか。それならいいや。
 この時期、川上さんの、自分の食欲、体重についての感覚は、麻痺していた。

 自分の、とめどない食欲。その欲の激しさから、川上さんは、男性の性欲を、連想した。男性は、その性欲から、社会での立場などを、容易く捨てて、痴漢にはしったりすることがある。男の子が生まれてきたときには、犯罪者にだけは、ならないでほしい。女の子が生まれてきたときにも、被害者には、なってほしくない。

 出生前診断。この診断を、川上さんは、受けることにした。その動機は、「生まれてくる子どもに、障害があるならば、その子を受け入れる、物心両面での準備をするため」。
――子どもは、親の意思で、親の都合で、生まれてくる。
――そうであるならば、親としては、子どもが、どのような状態で生まれてきても、その状態を、そのまま、受け入れるべきである。
 診断の結果は、「問題なし」だった。
 後から、振り返って、川上さんは、思う。もし、「問題あり」だった場合に、自分は、「子どもが、どのような状態で生まれてきても、その状態を、そのまま、受け入れる」との決意を、維持できていただろうか。

 無痛分娩。欧米では、普及している分娩方法。日本では、まだ、普及していない。
 痛みを伴う「普通分娩」。その費用は、健診まで含めて、約60万円。この金額は、出産手当金や、補助券(健診費用についてのもの)で、まかなうことができる。
 無痛分娩の費用は、健診まで含めて、約140万円。この金額は、欧米に比べて、高い。高いから、普及しない。そして、普及しないから、高い。悪循環。
 無痛分娩が、日本において、普及しない原因。その原因として、「痛み信仰」がある。そのように、川上さんは、考えている。
――おなかを痛めて、赤ちゃんを生むことこそ、貴い。
 そのような、根拠のない信仰が、日本には、根強いのだろう。
 しかし、無痛にできるのに、あえて、痛みを感じて、出産する必要は、ないだろう。

 川上さんが妊娠していた時期、野田聖子さんの妊娠・出産について、ワイドショーが取り上げていた。
――障害のある子どもが、生まれてくることになって、かわいそう。
 そのような論調に、川上さんは、与しない。生むという意思と、生まれてきた結果とは、別である。
 野田さんが、この行動によって、問題を提起したことには、意義があった。
 ただ、子どものプライバシーに、報道は、配慮するべきだった。

 マタニティ・ブルー。茫洋とした不安。その不安を、川上さんは、夫である「阿部さん」に、ぶつけることになった。
「どうして、私が、妊娠何週なのかも、知らないの?
 どうして、私のおなかのなかの赤ちゃんが、いま、どのくらいの大きさなのかも、分からないの?
 1日に、28時間くらい、ネットを見ているくせに! どうして、調べていないの?
 わあああー!」
 また、産院の方針で、夫婦の性交が禁止になっていたことも、川上さんが怒る、その火種になった。性交が禁止であることについては、問題は、ない。男性からの、性欲の、対象になること。そのことは、川上さんにとって、価値になることではない。ただ、阿部さんが、性交の禁止を、当然のこととして、最初から何もしてこないことが、川上さんの気に障った。「禁止するのは、拒否するのは、私でなければならない!」。

 マタニティ・ブルーの日々が続いたあと、出産が近づくにつれて、川上さんの感覚は、鈍くなっていった。
――頭のどこかが、鈍く甘く、麻痺している。ほえほえ。
 それでも、たまに、鋭い恐怖が、川上さんを、おそった。
――おなかのなかで、こんなに大きくなった赤ちゃんを、実際に、出産するのか?

 妊娠した後の、川上さんの、身体の、変化。
 体重。臨月の時点で、12キロ、増えていた。
 体毛。永久脱毛したはずの、わき毛が、また生えてきた。
 肌。顔には、しみ、そばかすが浮いてきた。ただ、肌質は、つるつる、ぴかぴかに、なった。
 乳房。おわん型に、大きくなった。「いい夢、見させてくれて、ありがとう」。しかし、乳首は、黒ずんだ。「液晶テレビの、画面のような、黒になった」。

 いよいよ、この週末には、入院して、出産、という夜。
「今週末には、産まないといけないんだ!」
 大きな不安が、一気におそってきて、川上さんは、取り乱した。
 驚いて起きてきた阿部さんに、川上さんは、愁訴を、じっくりと聞いてもらった。
 そして、その翌日、川上さんは、出産することになった。
 破水、陣痛。突然の産気について、川上さんは、明瞭に自覚することが、できなかった。「出産すると、しばらくは、外食できなくなるから、モスバーガーと、焼肉を、食べてから、産もう」。ただ、破水と陣痛とが、気にはなったので、ひとまず、産院へ行って、本格の産気なのかどうか、確認することに。そのまま、入院。
 無痛分娩のための、麻酔。麻酔をかけたとき、痛みを表すメーターは、28を指していた。上限は、100。28でも、もう、耐えきることができない予感がするほど、痛かった。麻酔をかけると、うそのように、痛みが消えた。
 子宮口に、バルーンを、装着。
――バルーンを膨らませて、子宮口を広げて、出産へ。
 その予定だった。しかし、いつまでたっても、子宮口が、開かない。痛みの数値が100で高止まりしたまま、川上さんは、48時間を、過ごすことに。院長先生、「このままでは、感染症の、心配も、出てきます。帝王切開しましょう」。
 帝王切開。川上さんのおなかのなかで、院長先生の手が動いていることが、分かる。無事に、赤ちゃんは、生まれてきて、産声をあげた。早く赤ちゃんに会いたい。しかし、帝王切開は、その後の処置に、時間がかかる。「いま、おなかの外に出ていた子宮を、戻しています」。
 処置が済んだ後の、安堵とともに、急激な寒気が、やってきた。身体を切開したための、39度の、高熱。ガタガタと震える、川上さん。川上さんに立ち会っていた阿部さんは、この川上さんの様子を見て、「恐ろしかった。未映子は、もう終わったと思った」。
 出産した後、はじめての、睡眠。その睡眠が、「世界が痛くて、目が覚めた」。顔を動かすだけで、物事を考えるだけで、切開した傷跡が、痛む。痛みで思考が雲散してゆく。それまで、川上さんは、メモを詳細にとっていた。そのメモには、この日について、「帝王切開まじやばい」との記録のみが、残っている。その後、数日については、白紙。
 痛む傷跡。それでも、赤ちゃんに、授乳しなければならない。川上さんは、ゆっくりと、やっとの思いで、身体を起こして、赤ちゃんのそばへと、近寄っていく。赤ちゃんと、川上さんとが、暗い病室のなかで、二人きり。赤ちゃんの、生命の、かよわさ。川上さんは、出産したばかりで、体力の消耗が、激しい。
――いま、赤ちゃんに何かが起こっても、自分は、何も、してあげることができない。
 生存の不安。母親の孤独。この不安と孤独とを、すべての母親が、きっと、体験してきた。不安だったろう。孤独だったろう。母親たちの心情を思い、川上さんは、涙した。

――この世界は、生きやすいとは、到底いえない。
――生まれて来ない方が、悲しむことがなくて、よかったのかもしれない。
――私は、とりかえしのつかないことを、してしまったのかもしれない。
――でも、たったひとつ、私には、これは本当だと言えることがある。
――きみに会えて、本当にうれしい。

2 産後編 生んだら、こうなった!

 授乳の日々。24時間、ぶつぎり睡眠。その日々が、数ヶ月、続く。まとまった睡眠を、とることができない、毎日。まるで、拷問のようだった。
 赤ちゃんに、少しでも、よく眠ってもらうための、工夫。おくるみ。胎内の音を模した「赤ちゃんが眠る魔法の音」。
 まるで拷問のような、そんな毎日のなかにあっても、赤ちゃんは、かわいい。「この子のためなら、死ねる」。
 また、育児書に書いてあった言葉も、川上さんを支えた。
――いまは、辛くても、いつか、その時間が、かけがえのない時間だったと、思えるようになります。
 一方、眠ることができている夫が、憎い。「あなたは、この子のために、死ねる?」。答えよどむ、阿部さん。「誰も死ななくていいようにするよ」。

 おっぱいを吸う、赤ちゃん。おっぱいを通して、自分と、赤ちゃんとが、一体になったかのような、感覚。
 そして、その感覚から、立ちのぼってくる、別離の予感。
――この子が、死ぬまで、その人生を、共に歩んでゆくことが、私には、できないのだ。
 そのことが、いまから、悲しかった。

 母子一体の感覚から、川上さんは、赤ちゃんが夜泣きしているとき、阿部さんが赤ちゃんのおむつを替えているとき、阿部さんに対して、「ごめん」と言っていた。赤ちゃんの身体が、自分の身体でもあるような、感覚。その感覚から、赤ちゃんの身体を世話してもらっていることが、自分の身体を世話してもらっていることでもあるかのように、川上さんは、感じていた。
 しかし、赤ちゃんの身体を、川上さんの身体が生み出したとしても、赤ちゃんの人格と、川上さんの人格とは、別な存在。そのことに気が付いた、川上さんは、もう、「ごめん」とは、言わなくなった。
――無意識にしたがっていたものを、言葉にできたなら、しめたもの。
――なにが、なぜ、どのように苦しかったり悲しかったり不安だったりするのかを、言葉にしてみることって、大事なんだなと、あらためて思う。

 産後うつ。産後クライシス。
 激変する生活。ホルモンの、バランスの、崩れ。それらからくる、強迫観念。
――仕事も、家事も、産む前と、同じようにしなければならない。
――書き仕事は、書かなければ書かないだけ、勘も技術も鈍ってしまう。
 あのときの自分に、川上さんは、言いたい。「そんなに頑張らなくていいんだよ」。
 家事について、阿部さんは、洗濯、掃除を、担当していた。阿部さんは、もともと、料理を、しないひとだった。
「外で買ってくればいいじゃない」
「俺だって、色んなことを、犠牲にしているんだ」
 そのような、阿部さんの態度に、川上さんの不満が、爆発した。
 一般に、夫が、妻に対して、示す態度。「自分は、仕事をしている。だから、妻が、家事をするのが、当然」。このように、女性からの、助けを求める声が、男性の社会が形成してきた就労システムのなかでは、クレームにしか、なってこなかった。
 この産後クライシスの時期、川上さんは、メモに、次のように、書き留めている。
――出産を経験した夫婦とは、もともと他人であったふたりが、かけがえのない唯一の他者を迎え入れて、さらに完全な他人になっていく、その過程である。
 なお、阿部さんは、その後、「授乳以外ならば、何でもできる」父親になっていった。

 ベビー・シッター。川上さんの近所に、ベテランさんがいて、助かった。
 1日5時間で、1ヶ月25万円。しかし、5時間では、コラムは書くことができても、詩や小説は、書くことができない。それではと、保育園と同じくらいの時間、ベビー・シッターに来てもらうとなると、1ヶ月40万円。
 仕事で稼ぐお金を、ほとんど、ベビー・シッターの代金に、つぎこむことになっても、ベビー・シッターを雇って、仕事に集中するべきか、どうか。そのことについて、悩んでいた、川上さん。そこに、一本の、電話が。保育園からだった。
――4月から、空きがでました。
 川上さんは、保育園への入園は、あきらめていた。川上夫妻は、そろって、作家。そろって、在宅勤務。出勤のある、他の夫妻に比べて、優先順位は、低くなるだろう。
 しかし、保育園から、電話が来た。公立=認可ではなく、私立=認証の、保育園だった。
 せっかくの機会。しかし、川上さんは、悩んだ。赤ちゃんと、離れる、淋しさ。この、かけがえのない時間を、できるだけ、赤ちゃんと一緒に、過ごすべきなのでは?
 川上さんは、阿部さんとも話し合い、いったん、赤ちゃんを、保育園に、預けてみることに。「だめだったら、すぐ、退園しよう」。
 預けてみた結果は、すこぶる、よかった。
 赤ちゃんの時間、川上さんの時間、阿部さんの時間。それぞれの時間が、できた。その時間が、仕事に集中するための、まとまった時間に、なった。一日の、スケジュールに、メリハリがでてきた。
 保育園では、きちんとした食事が出て、お友達がたくさんいる。楽しい音楽、面白いおもちゃも、いっぱい。保育園に通っていくうちに、川上さんの赤ちゃんの表情が、しっかりしてきた。

 離乳食の、始まり。川上さんは、7か月くらいから、始めた。しかし、一般に、離乳食は、5か月くらいから、始めるらしい。離乳食についての書籍の内容と、川上さんの現状とに、2か月分、食い違いが生じた。
 そして来るであろう、断乳。母子一体感覚についての、大きな要素が、失われてゆく、予感。その淋しさを、川上さんは、阿部さんに、話した。
――おっぱいにアンパンマンを描いて、「もう、おっぱいじゃなくなっちゃった」とか言って、おっぱいをほしがる赤ちゃんを、拒まないといけないんだよ。
 阿部さんも、涙ぐむ。「断乳なんか、しなくていいよ。ずっと、おっぱいをあげれば、いいじゃないか」。
 そして、その時は、突然、やってきた。赤ちゃんが、おっぱいから、ぷいっと、顔を背ける。「もうええわ」みたいな、雰囲気。えっ、こんなに、あっさり… 時を同じくして、川上さんの母乳も、止まっていった。
 このように、川上さんと、赤ちゃんとの間の、断乳は、自然に、生じた。

 出産した後の、川上さんの、身体の、変化。
 体重は、12キロ、増えていたものが、産後、8キロ、減った。残りの4キロは、そのまま、固定した。
 歯。川上さんは、虫歯になったことがないほど、歯が強かった。しかし、産後、川上さんの歯が、一部、欠けて、口の中から出てきた。
 抜け毛。川上さんは、髪の毛も、強かった。その髪の毛が、入浴しているときに、ごっそりと、抜け落ちていった。「母親たちが帽子をかぶっているのは、抜け毛を隠すためだったんだ」。
 乳房。あんなに張っていたのに、断乳した後は、「使い切った」ように、しぼんだ。「打ちひしがれたナン」。

 赤ちゃんの、1歳の、誕生日。
 親戚が集まって、みんなで、お祝い。
 赤ちゃんが、何を手に取るかで、その将来の職業を、占う、遊び。赤ちゃんは、筆を、手に取った。川上さんは、阿部さんと、顔を見合わせる。出版不況。純文学・作家の、原稿料の、少なさ。わざわざ、文筆業を、目指さなくても…
 川上さんは、子どもの頃、誕生日を、なぜ、祝うのかが、分からなかった。1年、歳を取るということは、1年、死に近づくということなのでは。しかし、いまなら、分かる。
――1年、生きてきたということが、素晴らしいことなんだ。

――私は、母に、「どうして、私を生んだの?」と、尋ねたことがある。
――同じことを、この子が、私に尋ねてきたら、私は、こう答えよう。
――私が、きみに、会いたかったからです。

――きみは、少しずつ世界を広げて、すぐに大きくなってしまうだろう。
――そしてすぐに、私のそばから、いなくなってしまうだろう。
――きみがおなかにやってきて、そして、生まれてから、今日までの、この時間は、誰かが、なにかが、わたしにくれた、本当にかけがえのない宝物だった。
――生まれてきてくれて、ありがとう。

――たのしいこと、いっぱいあるよ!
――あしたはもっと、たのしいよ!

第2 中島コメント

1 表敬

 このエッセイは、赤ちゃんの生まれる家族にとって、そして、その家族の周囲の人々にとって、とても参考になります。
――川上さん。
――生んでくれて、ありがとう。
――育ててくれて、ありがとう。
――そして、書き留めてくれて、ありがとう。
 そのように、私から、川上さんへ、伝えたいです。

2 自分の身体を見つめるまなざし

 川上さんの書いた、エッセイや小説などの作品を、読んでいて、私が感じるもの。それは、川上さんの、「自分の身体を見つめるまなざし」です。
 着床痛の感覚からはじまって、妊娠中、そして出産後の、身体の変化のことまで。
 川上さんは、まるで、画家が、自分の裸体を、デッサンするかのように、自分の身体のことを、書き留めています。
 このように、自分の身体のことを、よく見つめている、川上さん。その川上さんの作品を、読んでいると、次のようなメッセージを、私は、感じることがあります。
――貴方には、貴方の身体があります。
――貴方の身体という、制約があることを、きちんとふまえた上で、物事を考えなさい。
 私がアタマでっかちに物事を考えているときに、私の身体をひっぱたいて、我に返る、きっかけを、与えてくれる。そのような作家さんが、私にとっての、川上未映子さんです。

3 生存の不安 母親の孤独

(1)母親の閉じ込め

――人間の母親の、その身体は、出産した後、不安と孤独とを、感じやすいように、できている。
 そのようなことが、このエッセイから、伝わってくるような気が、個人的には、します。
 そして、子どもを育てるために、周囲からの助力を求めることは、母親にとって、自然なことでしょう。そのために、母親は、不安と孤独とを、感じやすくなっているのかもしれません。
 そして、その母親を、戦後日本社会は、核家族化した「家」のなかに、閉じ込めてきました。そのような状況では、子どもが育たなくて、然るべきでしょう。そして、そもそも、子どもが生まれてこなくて、然るべきでしょう。

(2)父親の育児参加

 上記(1)において述べた観点からは、まずは、父親が、もっと育児に参加してゆくことが、大事になってくるでしょう。
 父親の育児参加は、日本よりも男女平等が進んでいる、フランスにおいても、いまでも、引き続き、問題になっているそうです(日仏会館セミナー「日本とフランスにおける女性の権利、性差別と労働法」)。
 ただ、このエッセイにもあるように、父親が、育児に、なるべく参加するようになっても、人手が、父親と母親の二人では、まだ、足りないようです。

 現在、日本の社会においては、「介護」についての人手不足が、問題になっています。その問題と、同等以上に、「育児」についての人手不足も、問題にするべきなのでしょう。

(3)地域での子育て

 父親が育児に参加しても、まだ、人手が足りないとなれば、更に、地域の住民が、育児に参加してゆくことも、あっていいでしょう。
 たとえば、歌人・俵万智さんが、石垣島に住んでいた頃の歌集、『オレがマリオ』(文春文庫)からは、地域の住民たちが、地域の子どもたちを、みんなで育てている様子を、読み取ることができます。
 いわば、「地域での子育て」が、「育児」についての人手不足を、解消するために、大事になってくるかもしれません。
 ただ、地域の組織にも、色々あります。たとえば、明治以来、続いてきている経済組織などには、社会学者・上野千鶴子さんのいう「オレサマ男子・オッサン」(女性を男性よりも劣位に置きたがる男性たち)が、所属していることも、ままあります。そのような男性に出くわしたときには、敬して遠ざかることも、大事でしょう。人間関係は、「相手から選んでもらう関係」であると同時に、「自分から選ぶ関係」でも、あるからです。

4 仕事の再開

(1)まとまった時間

――書き仕事は、書かなければ書かないだけ、勘も技術も鈍ってしまう。
――川上さんが、赤ちゃんを、保育園に預けたことによって、川上さんが、仕事に集中するための、まとまった時間ができた。そして、一日の、スケジュールに、メリハリがついてきた。
 このことは、ひとの親になったひとにとって、示唆のある指摘でしょう。
――書き仕事は、書かなければ書かないだけ、勘も技術も鈍ってしまう。
――仕事に集中するためには、まとまった時間が、必要である。
 この、川上さんの指摘に、私も、私自身の経験から、同意します。

(2)ブランクからの再度就職――感覚の取り戻し

 私自身、仕事をしていない時期(ブランク)があって、再度就職してからの、感覚の取り戻しに、苦労したことがあります。
――それまで勤務していた事務所を、退職。
――自分のしてきた仕事について、学び直す期間を、3ヶ月間、確保。
――そして、あらためて、就職活動を始めた矢先に、東日本大震災が、発生。
――求人が、減少。
――次の就職先が決まるまでに、更に、3ヶ月が、かかった。
 このように、私には、合計で6ヶ月のブランクを経て、再度就職した経験があります。そして、再度就職したときに、困ったことは、実際の、仕事についての感覚が、なかなか戻ってこないことでした。
 仕事についての感覚。その感覚には、大きく分けて、次の2種類がありました。
――「くみたて」についての感覚
――「やりとり」についての感覚
 これらの感覚について、以下、それぞれ、説明してゆきます。

 「くみたて」についての感覚。この感覚は、次のような感覚です。
――とるべき手続について、必要な情報、必要な資料、必要な押印を、分解して、整理する。
――そして、どのような手順で、それらを収集してゆけば、手続が進行できて、完了できるのか、組み立て直す。
 この作業についての、詳細は、「考えの足あと/司法書士のアタマのなか」に、書いてあります。
 この作業、私は、それまで勤務していた事務所においては、身体にしみついていたかのように、自然にできていました。それが、6ヶ月のブランクの後、再度就職した事務所においては、自然にはできず、あらためて、いちいち考えてゆくことが、必要になっていました。

 「やりとり」についての感覚。この感覚は、次のような感覚です。
――組み立てた手順について、その手続についての関係者、それぞれの立場・性格に応じて、相手に伝わりやすいように、説明の仕方を、適宜、変えてゆく。
 たとえば、同じ手続であっても、説明する相手が、「その手続について初めて経験する一般市民」なのか、「専門職」なのか、「申請先行政庁」なのかによって、説明の濃淡は、異なってきます。
 また、同じ「一般市民」であっても、同じ「専門職」であっても、同じ「申請先行政庁」であっても、「冗談を言い合いながら、和やかに手続を進めてゆきたいひと」であるのか、「淡々と、円滑に手続を進めてゆきたいひと」であるのかによっても、説明の温度、長短が、異なってきます。
 面談で、電話で、メールで。相手に応じて、説明の濃淡、温度、長短を、変えてゆく。この感覚も、私は、再度就職した事務所において、当初、取り戻すことができず、困りました。

 そして、私が、「くみたて」の感覚、「やりとり」の感覚を、取り戻す過程のなかで、感じたこと。それは、次のようなことでした。
――これらの感覚を、取り戻すためには、基本的な仕事に、ひとつひとつ、じっくりと、考えながら取り組む、まとまった時間が、必要である。いわば、「熟練し直す時間」が、必要である。
 これらの感覚を、取り戻そうとしているひと。そのようなひとを、急かして、次から次へと、仕事をさせようとすると、かえって、感覚を取り戻すことができないまま、その状態が、ずっと続いてゆくことに、なりがちです。

 このことに関連して、映画監督・宮崎駿さんが、その作品である『千と千尋の神隠し』についての、インタビューのなかで、次の趣旨のことを、語っています(『風の帰る場所』文春ジブリ文庫)。
――ひとが育ってゆくとき、周囲のひとびとは、そのどんくささに、付き合ってゆかねばならない。
 同様に、出産を経て、再度就職するひとを、迎え入れる職場としても、まずは、そのひとが、基本的な仕事の、ひとつひとつに集中して、熟練し直すための、育ち直すための、まとまった時間を、確保することが、大事なのでしょう。
 そして、私自身の経験から、言えることは、「いったん、できなくなっても、また、できるようになる」ということです。

(3)収入についての目標の設定

 このエッセイでは、川上さんが、どの時期に、どのような費用がかかったかについて、詳しく書き留めていました。
 この観点は、ひとが、再度就職するときにも、大事でしょう。
 いま、そして、これから。どの時期に、どれくらいの費用が、かかるのか。そのことについて、計算すること。そして、そのように計算した結果に基づいて、「自分は、どれくらいの収入を、得るとよいのか」についても、更に計算すること。これらのことが、大事でしょう。
 「自分は、どれくらいの収入を、得るとよいのか」。その金額について、見当がつくと、「自分は、どれくらい働くとよいのか」についても、自ずと、見当がつくはずです。
 これらの計算について、参考となる資料がのっている教本として、たとえば、ファイナンシャル・プランニング技能検定(2級)の教本があります(金融財政事情研究会)。

5 前半生の生きがい・後半生の生きがい

 出産した後の、川上さんの、身体の、変化。
 その変化から、私は、次のことを、個人的に、感じました。
――赤ちゃんが、母親の生命を、自分の生命として、吸い上げてゆくこと。
 そして、このことについては、精神科医・神谷美恵子さんが、次の趣旨のことを、書き残しています(『神谷美恵子 島の診療記録から』平凡社STANDARD BOOKS)。
――母親の役割は、幼い生命を守り育てる、そのための土壌となることである。
 ますます元気に、ますます成長してゆく、子どものために、親が、自分の生命を、分け与えてゆくこと。このこともまた、ひとつの、生きがいでありうるでしょう。
 いわば、人間には、その前半生における、「上昇してゆくときの生きがい」とは、対照をなす、その後半生における、「下降してゆくときの生きがい」もが、あるのでしょう。
 そして、ひとびとが、そのひとりひとりの人生のなかで、上昇・下降を繰り返してゆくうちに、大きなひとつの流れとしての、「生命の円環」が、できあがってゆくのでしょう。

 このことは、「子育て」に限らず、「職場において、ひとを育てること」にも、当てはまるかもしれません。
――経営者が、その従業員について、新社会人の頃から、その育ちを見守ってきて、その職場から、その従業員が旅立ってゆくときに、感じる、充実した虚脱。ひとことでいえば、達成感。
 言葉の組み合わせとしては、矛盾しているかもしれませんけれども、「充実した虚脱」という「達成感」を、味わったことのある経営者は、一定数、いるでしょう。きっと。
 自分が抜け殻になって、白い美しい蝶が、旅立ってゆくような、感覚。その抜け殻の、空虚のなかに、不思議と、「生」の充実が、残っているのです。

 そして、「ひとを育てること」が、「ひとに、自分の生命を、分け与えてゆくこと」であるならば、ひとりの人間が、育てることのできる人数は、その一生のなかで、自ずと、限られてくるでしょう。

 以上、述べてきましたように、「ひとを生み、育むこと」は、一般にいう「生産すること」とは、意味が異なるようです。
 一般にいう「生産すること」は、次のことを、含意しています(含意A)。
――生産したものが、自分のものになること。
――生産すれば生産するほど、自分のものが蓄積していくこと。
 一方、「ひとを生み、育むこと」は、次のことを、含意しています(含意B)。
――ひとに自分の生命を分け与えること。
――分け与えた生命によって、ひとを成長させてゆくこと。
 そして、本来、「生産」という言葉は、「生」と「産」、すなわち「生むこと」と「産むこと」からできていますので、含意Bを、意味していたはずです。
 「生産」という言葉は、いつから、含意Aを、意味するようになったのでしょう。

6 ふたたび『シュガータイム』

 このエッセイを読んでいて、私は、たびたび、作家・小川洋子さんの作品である『シュガータイム』のことを、思い出しました。その思い出したことについて、以下、書き留めておきます。

(1)性欲につながらない好意

――あの頃は、「好き」が、単純な「好き」だった。その「単純な好きという感情」が、「自分とは別な生命へとつながってゆくことになる感情」に、意味を変えてゆくこと。そのことに、少女だった頃の川上さんは、戸惑っていた。

 小川さんの『シュガータイム』も、「単純な好きという感情」のままに交際する、肉体関係のない、学生二人の物語でした。
 そして、その物語を執筆したときの、小川さんは、お子さんを生んだばかりでした。

 女性は、子どもを生むことになったとき、かつて、少女時代に、ひとに対して抱いていた、「性欲につながらない好意」を、懐かしく思い出すのかもしれません。

 そして、私は、思います。小川さん、川上さんが懐かしむ、少女時代の「性欲につながらない好意」は、成人した男女の間にも、あっていいでしょう。その方が、男性も、女性も、人間関係が豊かになるでしょう。

(2)とめどない食欲

 川上さんが、このエッセイにおいて、書き留めている、つわりの後の、とめどない食欲。
 この食欲から、私は、『シュガータイム』の主人公が示した、とめどない食欲を、思い出しました。
 『シュガータイム』は、小川さんが、自分が学生だった頃のことを、振り返るための作品であったと同時に、自分が妊娠していた頃のことを、振り返るための作品でも、あったのでしょう。

(3)小さな弟――小川さんの息子さん

――『シュガータイム』は、小川さんが、自分が妊娠していた頃のことを、振り返るための作品でも、あった。
 そのような観点から、『シュガータイム』の物語について、見直しますと、最後に、主人公が、「小さな弟」と、手をつないだことが、私には、また別な意味に、見えてきます。
 最後に、主人公が、手をつないだ、「小さな弟」は、新たに生まれてきた、「小川さんの息子さん」だったのでしょう。
 つまりは、『シュガータイム』は、小川さんが、もともとあった「自分と血のつながった家族」から離れて、また新たに、「自分と血のつながった家族」と、出会い直した物語でも、あったのでしょう。
 『シュガータイム』の、物語のなかで、「小さな弟」は、いつ、「小川さんの弟さん」から、「小川さんの息子さん」に、変わったのでしょう。そのことについて、個人的に、興味があります。

(4)夫の存在感のなさ

――『シュガータイム』は、小川さんが、もともとあった「自分と血のつながった家族」から離れて、また新たに、「自分と血のつながった家族」と、出会い直した物語でも、あった。
 そして、『シュガータイム』においては、「夫」に相当する役割の人物は、最後まで、登場しませんでした。この「夫の存在感のなさ」が、私には、また、気になります。
 このことに関連して、川上さんは、このエッセイにおいて、次のように、述べています。
――出産を経験した夫婦とは、もともと他人であったふたりが、かけがえのない唯一の他者を迎え入れて、さらに完全な他人になっていく、その過程である。
 このように、小川さんも、川上さんも、夫を、無視するなり、突き放すなり、しています。
 このような関係は、男性が女性に対して抱きがちな、願望としての関係である、「愛情によって結び合う関係」とは、対照的です。
 このことをふまえて、私は、可能であれば、男性として、小川さん、川上さんに、次のことを、うかがってみたいです。
――それでは、男性は、夫は、女性に対して、妻に対して、どうあった方がいいのでしょう?
 この問いに関しては、小川さんが、次の、一連の作品によって、ひとつの答えを、提示しているようです。これらの作品も、いずれ、個人的に、読んでみたいです。

『やさしい訴え』文春文庫――夫から逃げる妻
『凍りついた香り』幻冬舎文庫――夫を追いかける妻
『博士の愛した数式』新潮文庫――夫を受容する妻子

7 その他

 以下、このエッセイを読んでゆくうちに、私が思い浮かべたことを、拾い上げ、書き留めてゆきます。

(1)犯罪者にならないでほしい

――犯罪者にならないでほしい。
 この、川上さんが、お子さんに対して願っていることは、当たり前のようでいて、実は、難しいことでもあります。
 「犯罪者にならないこと」は、言い換えると、「自分の生きる社会のなかで、自分の立ち位置を、確立すること」でもあります。このことは、容易いことでは、ないでしょう。
 このことについての参考として、「自由論」についての、基本となる、考え方を、ここに紹介しておきます(加藤尚武『現代倫理学入門』講談社学術文庫)。

――判断能力のある大人なら、
――自分の生命、身体、財産にかんして、 
――他人に危害を及ぼさない限り、
――たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、
――自己決定の権限をもつ

 これらの諸条件のなかでも、特に、「他人に危害を及ぼさないこと」が、重要です。この条件があることによって、ひとりひとりの自由が、最大化することになります。
 そして、「他人に危害を及ぼさないこと」は、「犯罪者にならないこと」でもあります。
 このように、川上さんの、お子さんに対する願いは、この社会において、生きてゆくにあたっての、その基本を、言い当てています。

(2)野田聖子さんの妊娠出産

――生むという意思と、生まれてきた結果とは、別である。
 この、川上さんのいう、「意思」と「結果」とには、「因果関係」というものが、介在しているでしょう(問題1)。全く別な話では、ないでしょう。

 また、親は、「生む」という、自分の意思の決定と、同時に、「生まれてくる」という、子どもの意思の決定の「代理」をも、行っています。
 そして、「生まれてくる」という、意思の決定の「代理」について、その結果を、子どもがどうしても引き受けることになり、親が代わりに引き受けることができないならば、その意思決定代理について、十分に検討する「倫理」があったほうがいいでしょう(問題2)。

 私は、野田聖子さんの妊娠出産について、その詳細を知りませんので、川上さんが、このエッセイにおいて述べている範囲で、上記の通り、コメントしました。これ以上のコメントは、このテキスト批評においては、差し控えます。

(3)求めるのは男性・拒むのは女性

――禁止するのは、拒否するのは、私でなければならない!
 この川上さんの記述から、私は、あらためて、『古事記』における、「男性から女性へ求婚するべき」との挿話を、思い出しました。その挿話の詳細については、テキスト批評『或る「小倉日記」伝』第2-4-(3)に、書いてあります。
 求めるのは、男性。反応するのは、女性。そのような構図が、続く限り、男性が女性を支配する、社会の構図も、変わらないかもしれません。
 このような、男性による女性の支配について、意識して、変革しようとしている、川上さんにしても、その支配の構図を踏襲するような、行動を、無意識に、とることがある。そのことは、その支配の構図が、ある程度、人間の、自然な、本性に、適ったものであることを、示しているのかもしれません。
 ただ、川上さんが、このエッセイにおいて、記しているように、「無意識にしたがっていたものを、言葉にできたなら、しめたもの」。たとえ、人間の本性からくる行動様式が、本当に、「男性が求めて、女性が反応する」であったとしても、その行動様式を、言葉にして、意識して、理性によって、変えていくことが、大事でしょう。

(4)母子一体感覚からの脱却

――赤ちゃんの身体を、川上さんの身体が生み出したとしても、赤ちゃんの人格と、川上さんの人格とは、別な存在。そのことに気が付いた、川上さんは、もう、「ごめん」とは、言わなくなった。
 この川上さんの記述から、私は、精神科医・宮地尚子さんが、その著書である『ははがうまれる』福音館書店において指摘していたことを、思い出しました。
――この世界には、他者という存在が、あること。そのことに、気が付くことによって、子どもは、社会的存在になる。そして、子どもにとっての、その気付きは、「父による母子一体感覚の切断」ではなく、「母が自分自身であること」によって、もたらすべきである。
 川上さんの、上に引いた行動は、まさに、「母が自分自身であること」を示す、行動でした。

(5)料理

――阿部さんは、もともと、料理を、しないひとだった。
 このエッセイにおいて、川上さんが、家事のなかでも、特に、料理を重視していることが、個人的には、印象的でした。
 そして、確かに、「ひとを生かすこと」「ひとを世話すること」についての、最も大切な行為のひとつが、「料理をして、ひとに、食事を、与えること」でしょう。
 料理の大切さ。そのことに、川上さんの指摘を通して、私も、気が付くことができました。

(6)子どもに絶望を説くな

――たのしいこと、いっぱいあるよ!
――あしたはもっと、たのしいよ!
 この川上さんの言葉から、私は、宮崎駿さんの言葉を、思い出しました(『本へのとびら』岩波新書)。
――「子どもにむかって絶望を説くな」ということなんです。子どもの問題になったときに、僕らはそうならざるを得ません。ふだんどんなにニヒリズムとデカダンにあふれたことを口走っていても、目の前の子どもの存在を見たときに、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」という気持ちが強く働くんです。
――子どもが周りにいないと、そういう気持ちをすぐ忘れてしまうんですが、僕の場合は隣に保育園があるから、ずっとそう思ってなきゃいけない(笑)。この時期に隣に保育園があってよかった、とほんとうに思います。子どもたちが正気にしてくれるんです。
 このテキスト批評において、先程、私は、人間の後半生における、「下降してゆくときの生きがい」について、触れました。そのような生きがいが、後半生にはある一方で、川上さん、宮崎さんが示しているように、子どもが周りにいることによって、大人が、かえって、自分の人生を、肯定するような、生きがいを得てゆくことも、また、確かにあるようです。
 このようなことからしますと、大人から、子どもへは、やはり、川上さんも書いているように、次のように、語りかけるべきなのでしょう。
――生まれてきてくれて、ありがとう。

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