【読書】フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』岩波少年文庫 ~子どものことが見えない大人~

フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』岩波少年文庫 041 新版 2000.6.16
https://www.iwanami.co.jp/book/b269516.html

 イギリス児童文学、その名作。初出は、1958年。

 著者、フィリパ・ピアス。1920-2006。
「私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ」

第1 あらすじ

 少年、トム。夏休みなのに、はしかが流行。弟のピーターが、はしかにかかった。
 「トムを、隔離しないといけない」。トムは、しばらく、地方の、おじさんの家に、居候することに。
 おじさんが、車で、迎えに来る。道中、車の窓から、イーリーの大聖堂が、見える。
「のぼりたいなあ」
「きみも、これから、はしかの症状が、出るかもしれない。だめだよ」

 おじさんの家。ホールのある、大きな邸宅を、アパートに改装した物件。
 ホールには、背の高い、箱入りの、大時計があった。
「この時計は、針は正確だけど、鐘はデタラメなのさ」

 おじさん、おばさんからの、歓待。ごちそう。
――おじさん、おばさんが、乱暴なひとたちだったら、お母さんに「助けて」って、手紙を送ることができるのに…
 おじさん、おばさんは、手厚くもてなす分、干渉もしてきた。
 夜、トムは、アパートを探検。食糧貯蔵庫に、潜り込む。おじさんと、おばさんが、気付いて、騒ぎに。
「子どもは、10時間は、寝るものだ。夜、ベッドから、起き出しては、いかん」
 窮屈な生活。退屈な一日。真夜中に、ベッドのなか、眠ることができないまま、縮こまっているトムの耳へ、鐘の音が、聞こえてくる。
 1回、2回、3回…
――そんな時間なわけないだろう。いったい、いつまで、鳴り続けるんだろう…
 13回。
――13回?
 鳴るはずのない、回数。トムは、ベッドのなかに潜り込んで、こらえようとするも、好奇心に駆られ、起き出す。大時計のあるホールへ。
 暗い。時計が見えない。月の光を入れよう。トムが、裏口のドアノブを、手で探り当てて、戸を開けると、思いがけず、夏の陽光が、さしこんできた。
 そこには、緑いっぱいの庭園が、広がっていた。
――おじさんたち、裏庭は、つまらない庭だって言ってたじゃないか。僕に隠していたな?
 すぐに庭を走り回りたくなった、トム。しかし、おじさんとの約束を、思い出す。「夜は、ベッドから、起き出してはいけない」。トムは、ベッドへ、戻ることにした。
 ホールに戻ると、古めかしい格好をしたメイドが、奥の戸から、出てきた。彼女は、トムに、気が付かない様子。トムが彼女に声をかけても、彼女はトムの前を、素通りしていった。

 翌日。裏庭のことについて、トムは、おじさん、おばさんに、会話のなかから、探りを入れる。しかし、二人は、本当に、あの庭園のことを、知らないらしい。
 日中、裏庭に出てみる、トム。そこは、小さな庭で、ごみ箱が転がっていて、別の部屋に住むおじさんが、駐車場にしていた。
 昨晩の庭園は、幻だったのだろうか?

 その夜、トムは、あらためて、ホールの裏の戸を、開ける。
 そこには、あの庭園が、広がっていた。庭園は、トムのことを、ちゃんと待っていた。
 探検。
 大人が通ることのできない小径。その小径を通り抜けると、牧場が広がっていた。牧場のほとりには、広く清らかな川が、流れていた。
 立派なイチイの木。木に登って、大きな邸宅を眺める、トム。メイドが、窓から、はたきをはたいている。こちらに、手を振っているみたい。トムが、手を振り返す。しかし、メイドには、やはり、彼が、見えないらしい。それでも、気のせいか、その部屋の、奥の方から、何やら、視線を感じる。
 庭園の、動物たちには、トムが、見えるらしい。トムが近付くと、小鳥たちは、飛び立っていった。
 庭園には、園丁の青年がいた。園丁についてゆく、トム。園丁は、邸宅や温室の戸を開けた後、間の悪いことに、トムがその中に入り込む隙を与えずに、すぐに戸を閉めてしまう。
――中に、入りたい。
 園丁が、煉瓦塀の戸を開けて、その向こうへと去っていった後、トムは、思い切って、戸に、自分の身体を、押し当てた。
――通れた!
 通り抜けてみると、園丁は、手押車を落ち着けて、その上に腰を下ろして、昼食をとっていた。サンドイッチを飲み込んだ後、園丁が、つぶやく。「神さま、どうかわたしを悪魔のすべてのたくらみからおまもりください」。このひとは、サンドイッチを、ひとつ平らげるたびに、祈りの言葉を、口にするのかな…?

 この庭園の、時の流れは、どうやら、トムの暮らしている世界とは、違うらしい。
 トムは、暴風雨の降りしきる庭園で、モミの木に雷が落ち、木が倒れる様を、目にした。そのとき、邸宅の方からは、「おお!」という、誰かの叫びが、聞こえてきた気がした。
 翌晩、トムが、また庭園に入ってみると、そのモミの木は、何事もなかったかのように、そびえ立っていた。

「おじさん、倒れたモミの木が、また元に戻ることって、ある?」
「時計を戻さないかぎり、できないね」
 この子は、何を言い出すのだろう。おじさんが、怪訝な表情を浮かべる。
 どうやら、この話について、おじさんたちを相手にすることは、できないらしい。
 トムは、この話を、弟・ピーターへの手紙にだけ、書くことにした。「読んだら、燃やせ」。
「はやく、おうちへ帰りたいでしょう。あと、十日の辛抱よ」
 あと、十日しか、ここにいることができないのか。
 トムは、家に、帰りたくなくなっていた。

 庭園では、いつも、3兄弟と、小さな女の子が、遊んでいた。
 3兄弟は、トムよりも年上らしかった。女の子は、トムよりも、幼い様子。
 トムは、3兄弟と、友だちになりたかった。でも、彼らには、トムのことが見えていない。
 どうせ、見えないなら… トムは、4人へ向かって、あっかんべぇを、してみせた。すると、小さな女の子――ハティだけが、あっかんべぇを、返してくる。
――この子、僕のことが、見えるのか?
 3兄弟は、ハティを置いてけぼりにして、庭園の、小径のなかへ、去ってゆく。彼らの後を、ハティが追う。ハティの後を、トムが追う。緑のなかを、進んでゆくうちに、トムの視界から、ハティの姿が、ふと、消える。
――ははん、隠れたつもりだな?
 かくれんぼが、はじまった。
 どうにもこうにも、見つからない。緑のなかを、トムがうろついていると、いつのまにか、ハティが、彼の後ろに、立っていた。
「さっき、君は、僕のことを、繁みのなかから、見ていたろう? お見通しだよ」
 トムが、からかう。ハティが、我慢できずに、声を出す。
「さっき、ですって? ずうっと、あなたのことを、見ていたわよ!」
 こうして、二人は、仲良しになった。

 ハティは、彼女の秘密を、トムに話してくれた。「私は、王女よ。囚われの身なの」。
「園丁のアベルはね、お兄さんを殺してしまったの」
「そのお兄さんの名前は、カインって言うんじゃないかい?」
「うん」
「それは、聖書のなかの話じゃないの?」
「もうっ! あなたには、話してあげないっ!」

 トムと、ハティとの、遊び。
 温室を探検。高温のなかでのみ育つ、植物たちを、見て回る。棚には、アベルの聖書が、置いてあった。「アベルは『聖書がいちばんいい書物だ』って言っているわ」。
 温室のなかには、金魚の泳ぐ水槽があった。トムは、ハティの手に、自分の手を重ねて、一緒に金魚を捕まえようと、水槽のなかを、かいさぐった。
 温室の戸には、色つきガラスが、はめこんであった。緑、赤、紫、黄。それぞれ、透かすと、庭園が、別な様相を帯びて、見えてくる。
 二人は、弓矢も作って、飛ばした。一本が、温室の屋根を突き破って、落ちた。アベルが、割れたガラスを、掃除してくれた。
「ありがとう。おばさんには、分からないわね」
「この前も言ったように、めんどうなことには、ならないように、してくださいね」
 それなら、庭園の中じゃなく、外を射よう。ハティの射った矢は、牧場へまで、飛んでいった。牧場で矢を拾った後、ハティが、つぶやく。
「私、牧場へ出てはいけないことになっているの。服が泥だらけになるかもしれないし、川に身投げするかもしれないからって」
 庭園へ戻る、二人の姿を、ガチョウの親子が、見つめていた。

 次に、トムが庭園へ立ち入ると、草木は、ガチョウたちによって、荒らされていた。
 アベルをはじめ、邸宅に暮らすひとびとが、みな、庭へ出てくる。ハティも、家主である、おばさんも。
――ハティ! おまえがいけないんだ!
――夫の姪だから、引き取ってやったのに、恩を仇で返したね!
 暴言の数々。
 トムは、聞いていられなくて、うずくまって、泣き出した。
――どうして、ハティのお父さん、お母さんは、子どもがこんなにひどい目にあっているのに、助けに来ないんだろう…!?
 泣きたいだけ泣いたトムが、よろよろと立ち上がると、庭園の様子が変わっていた。
 そこには、喪服を着た、幼い女の子がいた。
――おうちに帰りたい。
 女の子は、泣きじゃくっていた。
 それから、トムは、ハティの「囚われの王女」の話を、決して、からかわなくなった。

「もっと、ここにいたい」
 トムの言葉に、おばさんは、喜んだ。おじさんは、面食らった。
「じゃあ、あなたのお母さんに、電報を打ってくるわね」
「いてくれるのは、もちろんいいが… 退屈じゃないのかね?」

 トムは、トムなりに、庭園のことを理解しようと、考えはじめた。
――ハティって、ひょっとすると、幽霊なんじゃないかな?
 彼がハティと遊んでいると、ちょうどよく、彼女が、幽霊のことが出てくる歌を、歌いはじめた。「彼女の幽霊は、手押車をおしながら…♪」。
「幽霊になるって、どんな気持ちだろうね」
「ね! 教えて、トム!」
 しばしの、沈黙。
「僕、幽霊じゃないよ! 君こそ幽霊だろう?」
「私、幽霊じゃないわ! あなたこそ、幽霊でしょう? そんな格好、誰もしていないわよ! それが証拠よ!」
 ぐぬぬと、いったん言葉に詰まる、トム。
 ハティが、いつのまにか、どんどん大きくなって、知恵を身に付けてきている。
 言い争う、二人。おしまいには、ハティが、泣き出した。
「わかった、わかった。君は、幽霊じゃないよ。でも、僕も、幽霊じゃない。わかってくれるかな?」

 トムは、自分の世界に戻ってから、百科事典を、調べはじめる。
――ハティは、僕の格好を、「誰もしていない」と、言った。
――逆に、ハティの格好が、昔の格好なんだということを、示してやろう。
 調べてみると、ハティの格好は、ヴィクトリア女王の時代の格好であることが、分かった。その時代は、男性が、ズボンをはきはじめた時代。ヴィクトリア女王が即位した時代に生きていたひとが、いま、生きているはずがない。やっぱり、ハティは、幽霊だ。
 そのように得心がゆくと、トムには、もう、そのことを、ハティに示すつもりが、なくなった。また泣かせるようなことは、しなくて、いいだろう。

 トムが庭へゆくと、ハティが嬉しそうな顔をして、寄ってくる。
「アベルが、弓と矢を燃やす代わりに、ナイフをくれたの」
「小さいナイフだね。それじゃ、バターくらいしか、切れないよ」
「これで、木に、『ハティ・メルバン』って、名前を刻むわ」
「名前そのままだと、すぐにバレて、また、怒られちゃうよ。そういうときは、シンボルにするのさ。僕は、『トム・ロング』だから、胴体の長いネコの絵を、自分のマークにしているんだ。君はハティだから、帽子のマークにするのは、どうだい?」

 庭園の、長塀の上を、歩く、トム。
 彼の姿を、ハティが、うらやましそうに、見上げる。
「何が見える?」
「川が、はるか向こうまで、ずっと流れていっているね」
「いいなあ。私も上にのぼりたいなあ」
 ハティがうずうずしていると、どこからか、アベルが、必死の形相で、彼女に駆け寄ってくる。
「聖書の上に、手を置いて、『決して、塀の上にはのぼりません』と、誓いなさい」

 トムの家では、ピーターのはしかが、すっかり治っていた。
「トム、どうして帰って来ないのかしら」
「あのね、お母さん。僕も、トムのところへ行ってもいいよ」
 目をぱちくりさせる、お母さん。
 ピーターも、トムが手紙で伝えてくる、庭園の様子に、すっかり夢中になっていた。

 トムとハティは、木のなかに、隠れ家を作りはじめた。
「ここが、私の家!」
 ハティは、はしゃいでいた。
――ここを自分の家にするって言っても…
――汽船ごっこがしたいなあ。ここは船長室なんだ。
 はしゃいでいるうちに、ハティの足をかけた枝が折れて、彼女は落ちていった。
 悲鳴を聞きつけて、アベルが駆けつけてくる。
 気を失ったハティの、そのエプロンには、血がにじんでいた。
 アベルが、トムを、にらみつける。
「おまえが出てきた地獄へさっさと帰れ!
 見えないふりをしていたんだ。聞こえないふりをしていたんだ。
 おまえは、父も母もいない、そして罪もない、無邪気なこの子を、あの手この手で、殺そうとしてきただろう。
 神さま、どうかわたしを悪魔のすべてのたくらみからおまもりください」
 アベルがハティを邸宅の中へと運んでゆく。戸が閉まる。トムが追いかけて、「開けてくれ」と、いくら泣き叫んでも、その戸は、開かなかった。動転していた、トム。泣き疲れて、自分が、戸を潜り抜けることができることを、思い出す。しかし、彼には、そのための、体力と気力とが、もう、残っていなかった。

 しばらく経って、アベルが、戸から出てきた。
「ハティは? 死んでいないだろう?」
 アベルが、怒鳴ってくれるなら、まだよかった。しかし、彼は、トムを、無視した。
「ねえ、お願いだよ! 教えてよ!」
 アベルに、とりすがる、トム。その両頬には、涙の筋ができていた。純朴な少年の表情。アベルが、心を許す。
「ああ、生きてるよ」
 去ってゆく、アベル。
 トムは、ハティを探して、邸宅のなかへ、入っていった。彼は、はじめて、この世界のなかで、邸宅の2階以上へ、上がってゆくことになった。
 どの戸が、ハティの部屋の戸なのか、分からない。
 トムが、戸に、聞き耳を立てていると、階下から、立派な身なりをした男性が、のぼってきた。彼が、ひとつの戸を、ノックする。「ジェームズです」。ジェームズは、3人兄弟の、長兄。いつのまにか、彼は、大人になり、実業家になっていた。ジェームズと一緒に、トムは、おばさんの部屋のなかに入り、二人のやりとりに、聴き入った。
「まったく、木から落ちるなんてね。いつまでも子どもみたいなことをして…」
「それは、母さんが、あの子を、ひとりっきりにしているからですよ」
「もう、私からは、あの子に、何もするつもりはないよ」
「じゃあ、あの子は、自分で稼ぐか、結婚相手を見つけるか、しなければならなくなります。そのためには、あの子を、外へ連れ出す必要があります。あの子は、あの子で、私の友人が来ても、すみっこに引っ込んでいます。それでも、あの子を、私たちの輪の中に入れていかないと、あの子の行く末は…」
「好きにすればいいさ」

 ジェームズに、ついてゆく、トム。ジェームズは、ハティの部屋へ入って、長いこと、話をしていた。
 ジェームズと入れ替わりに、トムは、ハティの部屋へ入る。
「わあ、本当に戸を通り抜けてる! ゆっくり、見せて!」
 医者の見立てでは、ハティの頭に、傷は残らないらしかった。
「ジェームズが、これからは、もっといろんなことをするように言ってきたわ」
「僕を仲間はずれにして?」
「そんなことないわ。いつでも来てちょうだい」
 ハティの言い方は、トムを、あやすようだった。
「君だって、窓に横木をわたしてある部屋に、住んでいるのに…」
 窓に、横木を、わたす。それは、子どもが窓から落ちないようにするしくみだった。
「君の窓からの景色の方が、僕は好きだな。家が建ち並んでいなくて…」
「おかしなことを言うのね」
 ハティが、笑う。
「それじゃあ、この家が、町の中に建っているみたいじゃない」
 そう、ハティが生きている、この時間の、ずっと後、この邸宅は、町の中に、飲み込まれているのだ。
――この時間って、何なんだろう。
「ホールにある大時計には、何か、文字が書いてあるよね」
「うん、聖書の言葉が書いてあるんだって」
 次に、トムが庭へ来たときには、二人で、その言葉を、調べに行こう。そのように、二人は、約束する。
「そうは言っても、あなた、何か月も、何か月も、来ないじゃない」
「僕は、毎晩、来ているんだけどなあ」
 ハティは、自分の部屋の、秘密の場所も、教えてくれた。床板をはずした、その下に、彼女の、両親の写真が、しまってあった。
 またね。トムは、ハティの部屋を、後にする。しかし、帰り方が、分からない。
――もう、戻れないのかもしれない。
 彼は、また、ハティの部屋へ、戻る。彼女は、すっかり寝入っていた。ベッドのわきに、うずくまって、トムも、寝入った。
 トムが目覚めたとき、彼は、自分の寝室にいた。その寝室の窓には、横木がわたしてあった。

 トムのお母さんからの、手紙が届いた。土曜には、帰ってくるようにと、書いてあった。
 今日は、火曜日。日にちは、残りわずか。夜が、早く、来てほしい。でも、土曜日は、遅く来てほしい。
 その後、おばさんと、散歩する、トム。「このあたりに、川はあるの?」。川へ行ってみると、その川面は、狭かった。橋の上に、看板が立っている。「汚染注意」。釣り糸を垂らしている、おじさん。「何も釣れないよ」。

 その夜、トムは、庭園へ。
 庭園には、冬が訪れていた。池が、凍り付いている。その上で、ハティが、イスを支えにして、スケートの練習をしていた。
「ああ! トム! ずいぶんと薄く見えるようになってきたのね」
「約束だよ。時計の文字を、見に行こう」
「あなた、こんなに長いこと待っていてくれたのなら、私が滑るのも、待っていてよ」
 スケートに、すっかり夢中になっている、ハティ。彼女は、たくさんの友人の名前を、口にするようになっていた。彼女を、引っ張るようにして、トムは、大時計のもとへ。二人は、文字盤の蓋を、鍵で開けて、中を覗き込む。
――もう時がない。
 そこには、そう書いてあった。
「黙示録の言葉ね」
 二人は、温室へ。アベルの愛読する聖書のなかから、その言葉を、探し出す。
「もう時がない。世界のおわりがやってくる、その時のことを、言っているのね」
 二人の姿を見止めて、アベルが、開いた口が塞がらないといった表情を、浮かべる。悪魔の化身だと思っていた少年が、聖書を読んでいる。
 ハティは、早く、また滑りたいようだった。彼女と離れ、トムは、自分の世界へ帰った。

――僕は、幽霊じゃない。ハティも、幽霊じゃない。庭も、幽霊じゃない。
――僕の時間と、ハティの時間とが、時を超えて、つながっているんだ。

 水曜日の夜。トムが庭へ出ると、また冬だった。
 氷結した池の上を、青年たちが、滑っている。そのなかのひとり、輪には加わらずに、気ままに滑っていた女性が、トムに近寄ってくる。ハティだった。
「やっぱり、あなたね。ときどき、あなたに会いたかったわ。もちろん、いまも」
 ハティが、一緒に滑ろうと、トムを誘う。トムには、スケート靴がない。
 トムは、いいことを、思い付いた。
「ハティ。何も聞かないで、約束して。あの秘密の場所に、君のスケート靴を、ずっと、しまっておいてほしいんだ」
 不思議そうにしつつも、ハティは、トムに、約束した。
 トムが、自分の世界へ帰り、自分の部屋の床板をはがすと、そこには、スケート靴が、しまってあった。
「ある男の子と、約束したので、このスケート靴を、ここに、しまいます」
 メモは、古びていて、年月日が、よく見えなかった。
――早く、ハティと、一緒に滑りたい。
 庭へ戻ろうとする、トム。そこへ、おじさん、おばさんたちが、トムの部屋へ、近付いてくる音が、聞こえる。はしゃいで、物音を、立て過ぎた。トムは、ベッドにもぐりこみ、寝たふりをした。そして、そのまま、寝入ってしまった。

――もう時がない。あの大時計に書いてある通りだ。
――土曜日まで、もう、時間がない。
――ハティに、「君と、ずっと一緒にいたい」って、言おう。

 木曜日の夜。庭園には、かつてないほどの寒波が、訪れていた。
 トムは、庭園で遊びたかった。
 しかし、ハティは、「凍り付いた川の上を、遠くまで滑ってゆきたい」という。
 ジェームズの御する馬車に、便乗する、ハティ。彼女に、トムも、ついてゆく。
 玄関を出るとき、そこにいたアベルが、トムの姿を、見止める。「また会えるとは!」。そのように言いたげに、アベルは、嬉しそうな表情をした。
 町に着くと、氷結した川面の上で、すでにたくさんのひとびとが、滑っていた。
 ジェームズが、ハティに、問いかける。
「帰りは、どうするんだい?」
「いつ、どこから帰ることにするか、決めていないの」
「じゃあ、汽車で、帰っておいで」
 ハティとトムとが、凍り付いた川の上を、滑りはじめる。トムのスケート靴は、ハティの滑り方を、覚えているかのようだった。
 長い道のり。途中、川岸の酒場から、男たちが、ハティのことを、からかってくる。
「お嬢さん、つれあいが、ほしくはないかね?」
「わたし、こう見えて、ちゃんとつれあいがいるのよ」
 男たちも、ハティも、トムも、笑った。
 滑る二人の、リズムが、揃う。二人は、話すことも、考えることも、やめて、一緒に滑っていった。
 しばらく、時が過ぎ…
「イーリーの大聖堂が見えてきたわ。こんなに遠くまで来たの、はじめて」
 二人は、大聖堂に、のぼることにした。

 トムからの手紙が途切れて、ピーターは、退屈していた。
 彼は、ベッドのなかで、眠るために、数を数えはじめる。
 1、2、3…
 数えているうちに、彼のまぶたの裏に、イーリーの大聖堂の、白い階段が、一段一段、浮かび上がってくる。

 イーリーの大聖堂の上で、トムとハティは、自分たちの旅してきた道のりを、見渡していた。気が遠くなるような距離だった。
 トムに、後ろから、声がかかる。ピーターだった。
「庭は、どこにあるの? ハティは、どこにいるの?」
「庭は、遠くさ。ハティは、ここにいるよ」
「・・・あのひとは、大人じゃないか」
 ハティも、ピーターに、気付く。
「あなたは、だあれ?」
 ピーターは、しりごみして、消えてしまった。

 帰り道。日が、暮れてきていた。
 川面に降りて、滑り出す準備をする、ハティと、トム。ハティに、川辺から、ひとびとが、声をかけてくる。
「いまから、そんなに遠くへ? 危ないよ。氷が溶けて、穴が開いて、落ちたひとも、いるそうだ」
「ありがとう。でも、ここからだと、電車賃が、足りないの」
 滑り出し、無言で、先を急ぐ、二人。
 その行く手の、川辺に、背の高い影が、見えて来る。じっと、こちらを、見つめている。
「ハティさん! 私ですよ! バーティ・ジュニアです」
 彼は、ハティと親しく付き合っている、紳士だった。
「この時間に、スケートは、危ない。私の馬車で、駅まで送りましょう」
「遠回りをなさるんじゃなくて?」
 彼の馬車に、やむを得ず、トムも乗り込む。
 バーティと、ハティとが、談笑する。ハティは、トムのことが、あまり気にならなくなってきている様子。彼女の身振り手振りが、トムの身体を、通り抜ける。
 馬車が、駅に着く。最後の電車が、出た後だった。電車に乗れば、トムには、ハティと話す時間が、できたのに…
「ご自宅まで、送ってゆきましょう」
 ハティを送ることができないトムには、ハティに反対の意向を告げることが、できなかった。
 バーティとハティの会話は、大人の会話だった。その会話に、トムは、ついてゆくことが、できなかった。
 トムの心は、空っぽになっていった。空ろな心持ちのなか、彼は、眠りに落ちていった。

 金曜日の夜。最後のチャンス。
――もう、絶対に、あの世界のなかで、眠ったりしない。
――きっと、今夜の庭園で、ハティは、小さな女の子に、戻っていることだろう。
――ハティと、ずっと一緒に、遊ぶんだ。
 庭園へ通じていた戸を開ける、トム。そこは、狭い裏庭だった。庭園を求めて、暗い裏庭を、さまよう、トム。彼の足が、ごみ箱に、ぶつかった。
――ここは、あの庭園じゃない。
 トムは、ついに、泣き出した。
 アパートに暮らすひとびとが、何事かと、目を覚ます。
 おじさんが、トムを、アパートのなかに、引っ張り込む。
「ハティ! ハティ!」
 トムの声が、繰り返し、ホールに、響き渡った。

 土曜日の朝。
 午後には、トムは、帰らなければならない。
「家主の、バーソロミューおばあさんが、トムを、自分の部屋に呼んでいるんだ」
「そんなこと、させませんわ。あなたが謝ったから、それでいいじゃありませんか」
「僕、行くよ。僕が謝るべきだもの」
 意気消沈しているトムが、おばあさんの部屋の、戸を叩く。
 戸を開ける、おばあさん。おばあさんについて、トムは、「偏屈なひとだ」と聞いていた。しかし、そのまなざしは、思いがけず、懐かしむかのように、優しかった。
「あの、きのうの夜は、ごめんなさい」
「あんたは、本当に、いたんだね。幽霊じゃなかったんだね」
 おばあさんの言っていることが、トムには、分からなかった。
「あんた、昨日の夜、私の名前を呼んだね。
 私、ハティですよ」
――このひとは、何を言っているんだろう?
「だって、ハティは、ヴィクトリア女王の時代に生きていたひとですよ」
「私は、その時代の末に、生まれたのさ」
 半信半疑のまま、トムは、おばあさんの部屋のなかに入り、彼女から、話を聞いた。話の内容よりも、おばあさんの身振り手振りから、トムにも、そのことが、分かる。彼が、はしゃぎ出す。
「ハティ! あなたは、ハティだ!」

 トムは、ハティと会ったのは、一緒にスケートをした日が最後だと、思っていた。
 しかし、その後も、ハティは、トムの姿を、目にしていた。トムが、はじめて庭へやってきたとき。モミの木に、雷が落ちたとき。

「あんたが教えてくれたとおり、私は、ナイフで、イチイの木に、『帽子をかぶった、胴体の長いネコの絵』を、刻んだよ。その木だけは、いまも、庭に、立っているよ」

 ハティは、その後、バーティ・ジュニアと、結婚した。
 一方、ジェームズは、家業が傾き、外国へ移住。そのとき、この邸宅も、その敷地も、切り売りした。
 ハティは、夫に頼んで、この邸宅と、わずかに残っていた庭を、買い取った。
 その後、ハティには、二人、息子ができた。そして、彼らを、第一次世界大戦で、失った。
 老後、夫をも亡くして、彼女は、この邸宅に、移り住んできた。
 その彼女が、夜に見る夢と、トムの夢とが、くっつくことによって、トムが、あの庭園に、足を踏み入れることになったのだった。

「トム。あんたがわたしぐらいの年になればね、むかしのなかに生きるようになるものさ。むかしを思いだし、むかしの夢を見てね。
 今度は、ピーターも、連れておいで」

 別れの時が、来た。
 トムは、おばあさんと、礼儀正しく、ぎこちなく、握手して、階段を下りてゆく。
 そして…

 振り返る、トム。

 また階段を、駆けのぼる。

 彼は、おばあさんを、まるで小さな女の子みたいに、抱きしめた――

第2 小川洋子さんによるコメント

(1)『物語の役割』ちくまプリマー新書

「自分だけの秘密の庭園を持つこと、自分が自分であることを支えてくれる居場所を作りあげること、その居場所をちゃんと胸の中に持っていられること、それらのことが、その人にとっての特別なのだ。そして自分にはそれが出来る、と理由もなく確信したのです。全く理由は説明できないのですが、自分にも異界へ通じるドアが見わけられるはずだし、それを開けることが出来る、とこの本は感じさせてくれました」

(2)『遠慮深いうたた寝』河出書房新社

――子供の頃、トムが羨ましくてならなかった。ドア一つ隔てたところに物語が隠れているのだとしたら、自分にも探し出せるのではないだろうか、という気がした。家なき子や小公子やハイジやネロたちは、本の中だけでしか出会えない人たちだと信じ込んでいたけれど、もし彼らが私のいる場所とつながり合った、すぐ向こう側の世界の住人ならば、きっと私もトムと同じようにドアノブを回せるはずだ。なぜか根拠もなく、そんな自信を持った。
――『最果てアーケード』にはドアノブ屋さんが登場する。皆からノブさんと呼ばれ、丸く結い上げた白髪がまるでドアノブのように見えるおばあさんが、店主をしている。店の中は壁一面ドアノブが並び、一個一個全部回して開け閉めの調子が確かめられるよう、工夫されている。
――もし子供の私がここへ紛れ込んだら、全部のノブを回してみないではいられないだろう。回した途端、この世界すべてを転回させてしまう秘密のノブがきっとあるはずだと信じ、根気強く端から順番に手をのばしてゆくはずだ。今、私はそんなふうにして小説を書いているのだから。

第3 中島コメント

1 はしか・コロナ

 この物語のなかでの、はしかの流行が、私には、現今の、コロナウィルスの流行に、重なって見えてきます。
 コロナウィルスの流行を、きっかけとして、地方へ移り住んでゆく、子どもたちの行く先に、素敵な庭園が、広がっていますように。

2 庭園――子どもが生きる力を発揮する場所

(1)子どもたちの元気さ

 庭園を、探検して、楽しむ、トムと、ハティ。
 二人の姿から、私は、立教大学の庭園の、芝生の上で、先輩方のお子さんたちが、はしゃいでいた姿を、思い出しました。

 ひとりでに、踊り出す。
 お腹をくすぐって、逃げてみると、満面の笑顔で、追いかけてくる。
 握りこぶしで、ポコポコと、叩いてくる。それでも、「よしよし」と、抱きしめると、嬉しそうな顔をする。
 おじさんのポケットから、スマホやら、サイフやらを、抜き出す。「こらーっ」と、声で追いかけると、一所懸命に走って逃げてゆく。
 そのスマホで、好き勝手に、写真を撮りはじめる。「ハイ、チーズ」と、スマホを向けてくるので、全力の笑顔で応じたところ、ズームがわざと最大にしてあって、肌色しか写っていない。おじさんの、あの笑顔を返せ!
 サイフの中身を、全て、抜き出す。入っていたレシートを、破りはじめる。「そのレシートは、仕事で使うレシートだから、破らないで」と頼むと、じっと、おじさんの顔を見つめながら、わざと、破いて見せる。レシートよりも、その子の人格の方が大事なので、「ああ、悪い子だ」と、頭を撫でると、それからは、ベタベタに、甘えてくるようになる。「抱っこ!」「おんぶ!」。
 女の子は、「お姫様みたいに抱っこして」と、寄ってくる。そのように、抱っこしてみると、その格好は、胎児の格好でもあることが、抱いている感触から、分かる。
 大学の門が閉まる時間になると、「公園に行こう」と、引っ張ってくる。おじさんが、他の大人と話していると、「もう行くよ!」と、お腹にパンチを見舞ってくる。それでも、話を止めないでいると、全身の力を使って、おじさんの手を引いて、連れ去る。
 公園では、鬼ごっこがはじまる。子どもは、短時間のうちに、何回も、全力で走ることができる。
 かくれんぼも、はじまる。子どもが本気で草むらに隠れると、おじさんの目では、見つけることができなくなる。他の子どもが、その子を、見つける。その子は、「なんで、教えるの!」と、怒り出す。おじさんに見つけてもらいたかったらしい。
 「滑り台から、滑り落ちる勢いのまま、ジャンプして」などという、無茶な要求をしてくる。そのとおり、やってみると、勢いがつきすぎて、おじさんは地面に転がって、靴が脱げて、飛ぶ。その靴を拾い上げて、「見て見て」と、雨の後の、水たまりの水を、その靴で、すくい上げる。
 小さい子が、走っているうちに、水たまりを踏んで、水しぶきがあがり、濡れる。すると、「おじさんも濡れて!」と、腕をつかんで、振り回して、水たまりに投げ込もうとする。「やだっ」と、おじさんが、しゃがみ込むと、小さな体で、全体重をかけて、体当たりしてきて、おじさんを、水のなかへ、突き転ばそうとする。

 このとおり、実際、子どもたちは、庭園で、公園で、大人がびっくりするような元気を、発揮するようです。

 それにしても、あの子たちは、可愛かった…笑

(2)庭園――その場所の力

 この物語が表現している庭園は、上に述べた庭園・公園のような、「子どもが、その身体の内奥に秘めた、『生きる力』を、存分に発揮できる場所」なのでしょう。
 そして、子どもたちは、そのような場所のなかで、ハティが木から落ちたように、自分の力を試して、危ない目にも遭って、生きる知恵を、だんだん身に付けてゆくものなのでしょう。
 そのような観点からしますと、現代日本社会において、これから、更に不況ひいては衰退が進んで、「空き地」や「ひまな時間」が増えていった先に、「それなら、子どもの遊び場を、たくさん、作ろう」と、動き出す大人たちが、出て来ても、いいのかもしれません。そのような大人たちは、たとえて言えば、「アベルのような大人たち」でしょう。

 もっと言えば、学校や企業も、この物語の庭園のような場所であることが、望ましいでしょう。学校という場所、企業という場所は、ともすると、「人間を養殖する場所」、「人間を飼育する場所」に、なりがちです。

3 子ども・高齢者――異界とのつながり

 この物語においては、子どもであるトムと、高齢者であるハティとが、夢という異界において、出会っていました。

 子どもが、高齢者が、異界とのつながりを、有していること。このことは、臨床心理学者さんたちが、指摘してきていることでもあります(河合隼雄『子どもの宇宙』岩波新書/岩宮恵子『生きにくい子どもたち』岩波現代文庫)。

 なお、園丁でもあり、宗教者でもある、アベルにも、トムのことが、見えていました。アベルは、宗教書である、聖書を、愛読していました。宗教は、人間にとって、異界とつながるための、方法でもあります。宗教を通じて、異界とのつながりを、アベルが有していたからこそ、彼には、トムのことが見えたのでしょう。そのような、宗教の意義をも、この物語は、暗示しているようです。

4 大人になること

(1)身体の言葉 精神の言葉

 トムとハティの関係から、私は、作家・吉本ばななさんの言葉を、思い出しました(『おとなになるってどんなこと?』ちくまプリマー新書)。

――言葉には、2種類がある。「身体の言葉」と、「精神の言葉」。
――たくさんの時間を共有して、お互いの匂いや、いやなところを知っている、「身体の言葉」。
――精神的に同じ価値観を共有している、「精神の言葉」。
――両方の言葉で、通じ合っていてこそ、「友だち」。だから、ひとの人生において、本当の意味での「友だち」は、できたとしても、数人くらいだろう。

 吉本さんの述べている「友だち」は、「配偶者」と、言いかえることも、できるでしょう。

 トムとハティは、庭園のなかで、一緒に遊んでゆくうちに、「身体の言葉」で、通じ合うようになっていました。
 二人が、最後に、スケートで滑ってゆくうちに、リズムが揃うことは、そのことを、象徴しているようです。
 トムが、バーソロミューおばあさんの、身振り手振りから、彼女がハティであることが分かったことも、同様です。

 しかし、トムには、まだ、「精神の言葉」が、ありませんでした。
 「精神の言葉」とは、次のような、言葉でしょう。「過去を振り返り、未来を展望し、どのように生きてゆきたいか、語る言葉」。
 その言葉のない、「毎日を楽しく過ごしたい」のみである、トム。彼のことを、ハティは、配偶者として、選ぶことまでは、できなかったのでしょう。

 このような見方からしますと、著者であるピアスは、この物語を通して、トムのような子どもたちへ、次のようなメッセージを、届けているのかもしれません。

――ハティのような相手と、パートナーとして、一緒にいたいのならば、「身体の言葉」のみならず、「精神の言葉」をも、身に付けなさい。

(2)実業家――ジェントルマン

 そして、ハティが配偶者として選んだ相手は、彼女を馬車で運ぶことができ、彼女の求めるものであれば、家までも買うことができる、「実業家」である「大人」でした。「実業家」は、「ジェントルマン」と、言いかえることも、できるでしょう。

――――ハティのような相手と、パートナーとして、一緒にいたいのならば、「ジェントルマン」になりなさい。

 そのような、ピアスからのメッセージをも、私は、この物語から、感じ取ります。

(3)問題――子どものことが見えない大人

――「ジェントルマン」になりなさい。

 ピアスからの、このようなメッセージについて、私には、気になることがあります。
――ピアスが、この物語において、「ジェントルマン」を、「子どものことが見えない大人」として、表現していること。
 そのことが、私には、気になります。
 「子どもが、『子どものことが見えない大人』になること」は、「子どもが、子どもであった自分のことを、見失うこと」をも、意味することになるはずです。

 なぜ、ひとは、大人になると、ジェントルマンになると、子どものことが、見えなくなるのでしょう。なぜ、そのことが、この物語においては、当然の前提に、なっているのでしょう。
 子どものことが、見えないこと。そのことは、「存在の無視」をも、意味します。「存在の無視」は、「ネグレクト」(育児放棄)にも、つながってゆく可能性があります。

 そして、ハティもまた、ジェントルマンと結婚することで、トムのことが(子どものことが)見えなくなっています。
 更に、彼女は、自分の息子たちを、戦争で、死なせてもいます。

――子どものことが見えない大人。
――子どもであった自分のことを、見失う大人。
――子どもを戦争で死なせる大人。

 これらのことを、当然の前提とする、「ジェントルマン」という、大人像、ひいては、人間像。そのような人間像が、欧米諸国、そしてその社会システムについて輸入した日本における、少子化の、原因になっているのかもしれません。
 イギリスにおいて、その後、このような人間像に、何かしら、反省は、生じてきているのでしょうか。そのことについて、個人的に、興味があります。

 余談。「その後」とは、時系列において、逆方向の、個人的な興味。
 「ジェントルマン」という、経済的合理的人間像の、その原形は、この物語から、更に遡った時代の、イギリス児童文学作品に、表れているそうです。その作品とは、ダニエル・デフォーによる、『ロビンソン・クルーソー』。初出、1719年。このことについては、経済史学者である、大塚久雄さんが、指摘しています(『社会科学における人間』岩波新書)。

(4)小括――トムのそれから

 トムは、この物語の後に、どのような大人に、なっていったでしょう。
 私としては、いままで書いてきましたことをふまえて、次のように、思います。
――子どものことが見える大人に、なってくれたらいいなあ。

 このことに関連して、臨床心理学者・河合隼雄さんが、次のように述べています(『子どもの宇宙』岩波新書)。
――ピアスの言葉に、私は、このように、付け加えたい。
――「子どもはみんな、じぶんのなかに大人をもっているのだ」
――子どもと大人とは、一般に考えられているよりはるかに相互に支えあっているのである。

 子どもと、大人とを、区別する場面を、現状よりも、少なくしてゆくこと。そのことが、今後ありうる方向性の、ひとつなのかもしれません。

(5)ジェントルマン余談1 都市化・自動車・少子化

 この物語にも、表れているとおり、戦後、欧米諸国、日本では、都市化が、更に進みました。郊外にあったはずの邸宅を、町が、飲み込んでゆきました。
 また、ジェントルマンの御する馬車は、自動車に変わりました。自動車は、都市化のなかで、耐久消費財として、普及しました。そして、そのための道路も、拡幅しました。その結果、子どもたちの遊び場となる空間が、小さくなりました。庭園がないことが、都市の家屋においては、当たり前になりました。
 そのような、都市化の進展、自動車の普及のなかで、少子化もまた、進んでゆきました。

 なお、経営者・小倉昌男さんは、都市化の進展、自動車の普及を、その基盤として、宅配システムを、構築しました。そのシステムは、子どものみならず、女性をも、主婦として、家庭に閉じ込める役割を、担ったようです(『経営学』日経BP社/森健『祈りと経営』小学館文庫)。

(6)ジェントルマン余談2 配偶者とのきずな

――――ハティのような相手と、パートナーとして、一緒にいたいのならば、「ジェントルマン」になりなさい。

 「ジェントルマン」は、「資本家・家父長」とも、言いかえることが、できるでしょう。
 「資本家」は、「富」を、表しています。「家父長」は、「地位」を、表しています。
 「富」と「地位」のみでつながる、配偶者との、きずな。そのようなきずなは、味気ないでしょう。更に言えば、配偶者が、相手と「富」と「地位」のみでつながるひとでした場合、更に多くの「富」と高い「地位」のある相手が現れた場合に、その配偶者は、その新しい相手に、乗り換えることになるでしょう。

 そのようなことからしますと、配偶者とのきずなにおいては、やはり、吉本さんの述べていますとおり、「身体の言葉」と「精神の言葉」とが、大事になってくるでしょう。

5 時間

 再び、吉本ばななさんの言葉(前掲書)。

――別な世界の「時間の流れ」は、私たちの世界の「時間の流れ」とは、違うらしい。

 この物語における、庭園(別な世界)での「時間の流れ」は、まさに、私たちの世界の「時間の流れ」とは、違っていました。

(1)時間からの自由

――1日が、24時間であること。
――時間が、過去から未来へ、一方向に、流れてゆくこと。

 これらのことから、庭園は、自由でした。
 トムを、庭園へ誘う、大時計。その大時計は、1日が24時間であることを無視して、13回も、鐘を鳴らしました。
 庭園のなかでは、モミの木が倒れた後に、元に戻っていたり、ハティが幼児の姿に戻っていたりしました。

(2)時の終わりからの自由 死からの自由

 上に述べました、「時系列」という感覚からの解放は、「時には、終わりがあること」からの解放、ひいては、「物事には、しめきりがあること」からの解放を、意味しているでしょう。物事に、しめきりを設けるからこそ、ひとびとの生活は、慌ただしくなるのです。
 そして、「時には、終わりがあること」からの解放は、更に言えば、「いつかは、死が訪れること」からの解放をも、意味しているでしょう。
 子どもならではの、幸福感。その根幹には、子どもならではの、時間についての感覚である、「しめきりを意識しないこと」や「死を意識しないこと」が、あるのかもしれません。そして、そのような幸福感から、トムが抱いたような、「ずっと、子どものままでいたい」という気持ちが、生まれてくることは、無理もないことであるかもしれません。
 なお、このような、子どもならではの、時間についての感覚は、児童文学作家・湯本香樹実さんもが、その作品において、表現しています(『くまとやまねこ』河出書房新社)。

6 原点――イメージのどんぐり

 私の脳裏には、この『トムは真夜中の庭で』を読んでいるうちに、様々な作品についてのイメージが、思い浮かんできました。それらのイメージについて、ここに書き留めておきます。

(1)作家・小川洋子さん

 上記・第2において紹介しました通り、小川さんの小説である『最果てアーケード』は、『トムは真夜中の庭で』から、イメージを更に膨らませた作品であったようです。
 ドアノブ。園丁。色つきガラス。百科事典。ナイフ。私が読み取ることのできた限りでも、これらのイメージが、『トムは真夜中の庭で』にも、『最果てアーケード』にも、共通して、表れています。

 また、あらすじにはのせませんでしたけれども、『トムは真夜中の庭で』には、トムとハティとが、金網のなかから、小鳥を逃がすイメージが、出てきます。このイメージは、小川さんの小説である『ことり』(朝日文庫)において、「小父さん」が小鳥を逃がすイメージに、重なります。

(2)映画監督・宮崎駿さん

 宮崎さんの制作した映画にも、『トムは真夜中の庭で』と、共通するイメージが、様々、表れてきます。

 このことに関連して、宮崎さんが就職したアニメーション制作会社には、その本棚に、その当時、入手できる、岩波少年文庫が、ひととおり、揃っていたそうです。そして、宮崎さんは、それらの作品を、片っ端から読んだそうです(『本へのとびら』岩波新書)。そのなかに、『トムは真夜中の庭で』も、入っていたのかもしれません。

ア 風の谷のナウシカ

 ナウシカは、温室のなかで、腐海に植生する植物を、育てていました。この温室のイメージは、『トムは真夜中の庭で』における、温室のイメージに、重なります。

イ となりのトトロ

 トムの姿が、大人には、見えない。このイメージは、「トトロにくっついて飛んでいる、サツキとメイの姿が、大人たちには見えない」というイメージと、似通っています。

 トムがハティの後を追っているうちに、ハティが姿をくらますイメージ。このイメージは、メイが小さなトトロの後を追っているうちに、そのトトロが姿をくらますイメージと、似ています。

 トムとハティとが、金魚を捕まえようと、水槽のなかを、かいさぐる、イメージ。このイメージは、メイが、「おじゃまたくし」を捕まえようと、水たまりのなかを、かいさぐるイメージに、そっくりです。

 トムが、ハティが床下に隠しておいたスケート靴を、見つけるイメージ。このイメージは、サツキとメイが、夢のなかで、トトロと一緒にどんぐりを植えて、翌日、本当に、その場所から芽が出ていたイメージと、通じ合います。「夢だけど、夢じゃなかった!」。

ウ 千と千尋の神隠し

 トムとハティとが、イーリーの大聖堂から、帰る途中。川辺から、ハティのことを、見つめてくる影。この影の登場する場面は、カオナシの登場する場面と、構図が同じです。

 「偏屈なひと」であるはずの、バーソロミューおばあさんが、思いがけず、優しくトムを迎える場面。この場面は、銭婆が、優しく千尋を迎える場面と、重なります。「人間、会ったことは、忘れないものさ」。
 ちなみに、『トムは真夜中の庭で』の挿絵が描いている、バーソロミューおばあさんの格好は、銭婆に、そっくりです。

 なお、銭婆の家からの帰り道、ハクが龍になって千尋を乗せてゆく場面は、トムがハティを連れて帰ることができなかった、その悔しさを、宮崎さんが、晴らそうとして、描いたのかもしれません。
 このような見方が、もしも、当を得ているならば、宮崎さんは、トムと同じような、「ハティと、子どものまま、ずっと遊んでいたかった」ひとであったのかもしれません。

 ちなみに、『トムは真夜中の庭で』と、『千と千尋の神隠し』との、大きな違いは、「子どもが働いていること」でした。児童労働。児童労働については、イギリス児童文学作家でした、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(1934-2011)も、その作品である『アーヤと魔女』(徳間書店)において、題材として、取り上げていました。

エ 風立ちぬ

 トムとハティの夢がくっついたのと同じように、カプローニおじさんと二郎の夢も、くっつきます。

――我々の夢と夢がくっついたというのかね。
――不思議です。あなたはカプローニさんですね。お会いできて嬉しいです。
――フッ、面白い。この世は、夢…

(3)作家・司馬遼太郎さん 歌人・俵万智さん

 先に、私は、俵さんが、その歌集『チョコレート革命』(河出書房新社)において、大人の返事をする男性に、子どもとして恋愛を楽しもうと呼びかける、短歌を詠んでいることを、紹介しました(テキスト批評『おとなになるってどんなこと?』)。
 その短歌の、発想のもとになった文章は、司馬さんの文章であったそうです(『あなたと読む恋の歌百首』文春文庫)。その文章のなかで、司馬さんは、「子どもは大人の父」という言葉を、紹介しています。その言葉は、お知り合いの英文学者さんから、教わったといいます(『風塵抄』中公文庫)。その言葉の原点は、『トムは真夜中の庭で』であったのかもしれません。

(4)小括――イメージのどんぐり

 このように、この『トムは真夜中の庭で』は、その後の、様々な小説作品・映画作品の、イメージが膨らんでゆく、その原点となるようなイメージを提供する、作品であったようです。
 このことについて、私の脳裏には、次のようなイメージが、浮かんできます。フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』という、クスノキから、イメージのどんぐりが、小川さん、宮崎さんの、胸の内へ落ちて、彼女ら彼らの胸の内から、また新たなクスノキが、立ち現れる。
 このように、「ひとを魅了するイメージ」は、伝承について意図するまでもなく、自然に、ひとからひとへと、伝わってゆくものなのでしょう。

(5)余談――原点への回帰

 このところ、私は、自分が読む本について、無意識に、「自分が親しんできた作品の、原点となっている作品」を、選んでいるようです。
 このような傾向は、コピーライター・糸井重里さんの書いています、「ゼロになって、ちゃんともがく」という言葉にも、通じます。
 そのような観点から、自分の無意識に、意識を任せて、しばらく、自分の読みたくなった本を、読んでゆくことにします。

7 言葉の魅力

 この『トムは真夜中の庭で』は、言葉の魅力を、読み手に伝える、作品でもありました。

(1)くりかえし読む面白さ

 私は、この作品について、あらすじを書き留めるために、再三四読しました。そのように読んでいるうちに、この作品は、「くりかえし読んでも面白い」作品であることに、気が付きました。次のように、トムに、呼びかけたくなるのです。

――君には、誰も見えていないけれど、ハティが、君のことを、見ているんだよ。
――その声は、ハティの声だよ。
――アベルには、君が見えているんだよ。

 最初に読んだときには、読み流すような文章のなかに、再読したときに、はじめて分かる意味が、こもっているのです。よくできています。

(2)作り込む面白さ

 この作品は、1958年、子どものための本が、おそらくまだ十分には出て来ていなかった時代の、作品です。そのような時代であったことを反映して、著者であるピアスは、この作品を、くりかえし読むことができるように、作り込んだのでしょう。
 そして、その作り込みの面白さ、くりかえしの面白さから、私は、かえって、いまの時代、インターネット上の記事を一読して忘れ去る時代において、大切なことを、あらためて教わる思いがしています。
 この面白さは、法学にも通じる、面白さです。たとえば、民法は、ベーシックな内容のテキスト(日評ベーシックシリーズ)であっても、全部で7巻を要するような、ボリュームのある、学問分野です。そして、各々のテキストにおいては、一読したのみでは、意味が通じない文章も、まま出てきます。それらの文章も、いったん全部のテキストを通読すると、相互の関連が、だんだん分かるようになり、面白くなってくるのです。
 このように、私は、不思議と、児童文学から、法学の面白さを、あらためて思い出すことになりました。
 この作品は、児童文学にも、法学にも、共通した、言葉の魅力を、読み手に伝える、よき時代の、よき作品でした。

8 まとめ

 私は、先日のテキスト批評『おとなになるってどんなこと?』において、次のように書きました。

――私としては、「イメージの世界」や「ことばの世界」への導入のために、ひとに紹介できる、健やかで・穏やかな児童文学を、見つくろっておきたいと、かねがね考えています。

 そのために、うってつけの作品が、今回の読書を通して、見つかりました。
『トムは真夜中の庭で』
 子どもたちには、もちろん。あらためて、言葉に親しみたい、大人の方々にも。
 おすすめします。

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