【考えの足あと】私の方丈記 ~わたしのくらしの再設計~

 『方丈記』の著者である、鴨長明。彼は、住まいの図を描いて、そこでの暮らしを思い浮かべ、楽しんでいたといいます(堀田善衛『方丈記私記』ちくま文庫)。
 私も、彼を、真似してみることにしました。

1 はじめに――問題意識としての「休むこと」

 私は、以前、テキスト批評『山椒魚』において、次のように書きました。

――ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
――よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。
――世の中にある人と栖と、またかくのごとし。
――この『方丈記』の言葉は、「ひとを雇うこと」にも、当てはまるのでしょう。

 この自覚から、私は、次のような問題意識を抱くようになりました。

――私としては、人様の力は借りつつも、いざとなれば、自分一人ででも、働き続けてゆくことができるよう、自分の仕事と人生の環境を、整えておく必要がある。

 このような問題意識から、私にとって、まず取り組むべきこととして、思い浮かんできたこと。それが、「休息のための環境を整えること」でした。
 私は、いま、38歳です。40代が、目の前に迫ってきました。そのような年齢にある、私の身体は、「回復しようと、意識してはじめて、回復する」ようになってきています。
 そのために、自分で自分の世話を、よりよくしてゆくこと。
 そのようにできるように、自分の生活の本拠を、整備してゆくこと。
 いわば、「わたしのくらしの再設計」を、進めてゆくこと。
 それらのことについての、私なりの方針なり要点なりが、いったん、まとまりましたので、ここに書き留めておきます。

2 方針についての参考例――宮崎駿さん・庵野秀明さん・安野モヨコさんの「休み方」

 「わたしのくらしの再設計」にあたっては、宮崎駿さんをはじめ、庵野秀明さん、安野モヨコさんたち、私の敬愛する表現者さんたちを、参考にしてゆくことにしました。
 宮崎さんたちに共通している、働き方・休み方は、次のようなものです。

――働きたいときに、存分に働く。「平日出勤」や「9時5時」に、こだわらない。
――休みたいときに、存分に休む。「土曜日曜祝日」に、こだわらない。

 このような、働き方・休み方は、「まとまったアウトプットをする」ことと、「まとまったインプットをする」ことに、適しているでしょう。そのような「仕事と人生」が送りたいのであれば、逆に、「平日出勤」「9時5時」「土曜日曜祝日」という、働き方・休み方は、適していないことになるでしょう。

 そして、「はじめに」において述べた、私の問題意識から、私は「わたしのくらしの再設計」にあたって、宮崎さんたちの「休み方」に、注目しはじめています。
 その「休み方」のなかでも、いまのところ、私は、次のことに、興味を特に持つようになりました。

――安野モヨコさんが、働き過ぎて「うつ」になったあと、鎌倉での暮らしのなかで、どのように回復していったのか。
――そして、回復したあと、いまは、どのように、働いて・休んでいるのか。

 安野さんの、回復の過程については、その作品である『オチビサン』(朝日新聞出版)に、描写があるようです。
 また、安野さんは、インタビューのなかで、いまの働き方・休み方について、次のように語っています(スタジオジブリ『熱風』2020年9月号)。

――今はそのときの失敗と長い療養期間で疲労のコントロールを学んだので、とにかく何もしないで寝ている日というのを作りますが、当時は若いのがかえって仇となりましたね。

 安野さんは、休むために、「とにかく何もしないで寝ている」ことのできる環境を、設けているようです。

 なお、宮崎さんたちの働き方・休み方は、「表現者」に特有の働き方・休み方では、ないようです。このような、働き方・休み方について、考えているうちに、私は、このような働き方・休み方が、「漁業」にも類似していることに、思い至りました。たとえば、経済学者・大竹文雄さんが、『競争と公平感』(中公新書)において、漁業の、このような働き方・休み方について、紹介しています。漁期には、思う存分に働いて、漁期以外には、思う存分に休む…

 漁業、農業、林業。これら、一次産業の、働き方・休み方について、詳しく学んでみると、私たちの働き方・休み方について、得るものがあるかもしれません。
 なお、「一次産業ならではの、働き方・休み方」は、「三次産業よりも、『自然』に近い、働き方・休み方」でもあります。

3 要点:休息のための空間/自由な空間――無目的は多目的に通じる

 以上、私が述べてきたことを主眼に、いまの私の自宅について、その現状を確認してみます。
 いまの私の自宅は、ワンルーム・マンションの、ひと部屋です。ちなみに、この部屋に、私が入居してから、12年が経っています。
 ワンルーム・マンションの、ひと部屋ですから、私の部屋は、狭いです。「狭い」ということは、「自由な空間」が小さい、ということでもあります。
 その「自由な空間」の確保が、さしあたりの、私にとっての目標になりました。
 というのは、こういうことです。
 私なりに、住まいに関する本(平井聖『日本人の住まいと住まい方』左右社)を、読んで考えてみた結果。私は、次の結論に達しました。

――ひとの自宅には、「自由な空間」が必要だ。

 「自由な空間」は、「何でもない空間」です。または、「自分が好きなように居ることのできる空間」ともいえます。
 何しろ、家の外には、「目的を設定して、目的を実行する」という原理のある社会が、広がっているのです。ですので、その対極としての、家の内には、「目的のない空間」が、あるべきことになるでしょう。「目的は、置いておいて、ぼうっとできる空間」。そのような空間が、ひとの休息には、ひいては、ひとの自宅には、必要となるようです。
 このような考え方についてのヒントは、日本家屋における「畳の敷いてある部屋」から、得ました。「畳の敷いてある部屋」は、「どこにでも座ることができる部屋」です(宮地尚子『ははがうまれる』福音館書店)。そのような「自由な部屋」が、ひとにとって、「目的は、置いておいて、ぼうっとできる空間」となるようです。
 また、「畳の敷いてある部屋」は、ちゃぶ台を置いて、「茶の間」にもできます。布団を敷いて、「床の間」にもできます。つまり、「無目的」は、「多目的」にも、通じるようです。もしかすると、「目的は、置いておいて、ぼうっとすること」は、「また新しい目的を見出すこと」にも、通じることになるのかもしれません。つまり、「目的のない空間」は、「無意識の可能性をひらく空間」にも、なりうるのかもしれません。このことに関連する、臨床心理学者・河合隼雄さんの言葉があります。「灯を消す方がよく見えることがある」(『こころの処方箋』新潮文庫)
 一方、欧米家屋においては、「ダイニングならダイニング」「寝室なら寝室」「書斎なら書斎」というように、それぞれの部屋の「目的」が決まっていて、それ以外の目的では、その部屋に滞在しにくい造りになっているようです。

4 具体案――Before

 さて。「自由な空間」の確保。その観点から、具体的に、いまの私の自宅の、家具の配置について、検討してみます。
 いまの私の自宅の、家具の配置は、図面の左手、「Before」のとおりです。この配置は、入居して以来、ほぼそのままになっています。
 入居当初、その後の私の生活について予想して、配置してみた家具。その予想と実際について、齟齬が、やはり、生じることになりました。

(1)衣類

 まず、ハンガーラックが、部屋の奥にあるために、外出時・帰宅時に、出入口から、余分な移動が必要になっています。

 そして、ハンガーラックは、1段で十分でした。
 もともと、私は、衣服には、こだわりを、あまり、持っていません。衣服に関する、私の好きな言葉があります。『旧約聖書』の「伝道之書」に、出てくる言葉です。

――汝の衣を常に白からしめよ。

 衣服には、清潔感があればいい。豪勢でなくていい。たくさんでなくていい。そのように、私としては、この言葉を、解しています。

 また、ハンガーラックは、2段になると、1段目の棒が邪魔になって、ロングコートを掛けることができなくなります。そのことで、私は、いま、困っています。

 洋服棚も、ベッドの下の収納等が、代替できそうです。

(2)本棚

 本棚については、図面の右手にある、本棚Bが、ベッドに接しているために、その接している部分が、デッド・スペースになっています。ベッドを動かして、スペースを空けることによって、本棚Aが、本棚Bに、統合できそうです。

 余談。
 図面にあるように、私は、ワンルーム・マンションの部屋には大き過ぎるような、壁一面の本棚を、設置しています(本棚B)。この本棚があったおかげで、私は、コロナウイルスの感染拡大騒動が起き、ジュンク堂・池袋本店や、立教大学・池袋図書館が、それぞれ一時的に閉店・閉館した時期も、読書に・調べものに、困らなくて済みました。
 私は、この部屋に入居して以来、12年間のうちに、意識的にも無意識的にも、蔵書のコレクションを、進めてきたようです。その蔵書を、よりたくさん読んでゆくための環境を、作ること。そのこともまた、今回の「わたしのくらしの再設計」の、目的です。
 「休息のための空間」は、「読書のための空間」にも、なるでしょう。「読書のための空間」は、より広い意味で、「インプットのための空間」にも、なるでしょう。

(3)テーブル――読み書き

 私が読み書きするためのテーブルは、いま、窓際に置いてあります。「日光が当たりやすい場所に、置いた方がいい」。そのような予想から、この場所になりました。
 ただ、この場所は、冬には、窓ガラスからの冷気が、ほとんどそのまま伝わってきて、座るには適さない場所であることが、分かってきています。また、読み書きのためには、窓からの日光では足りずに、結局、明かりを点けることになりました。

 そして、ひとは、読み書きするにあたって、「イスに座ってテーブルに向かう」以外にも、様々な姿勢をとりたくなるようです。床に座ったり、寝転んだり。このことは、宮崎駿さんも、指摘しています(『本へのとびら』岩波新書)。
 なお、いまの私の自宅の床は、フローリングです。そのため、座りにくく・寝転びにくいのです。

(4)食事

 図面の、出入口のすぐ先に、キッチンがあります。そのキッチンで作った料理を、私は、いま、部屋の奥の、机の上にまで運んで、食べています。
 このように、ハンガーラックと同じように、「余分な移動」という問題が、食事に関しても、生じています。

5 具体案――After

 私が、図面「Before」において、確認した、問題点。それらの問題点について、解決するために、図面「After」を、思い描いてみました。

 ハンガーラックは、1段の、背の高いものを、既に発注してあります。
 その新しいハンガーラックを、出入口のすぐそばに、設置する予定でいます。

 テレビ台は、ハンガーラックと入れ替えるように、窓際へ、移します。この配置では、その画面が観にくくはなります。しかし、私が、いま観ている番組は、毎朝の、「おはよう日本」(NHK)くらいです。ですので、画面の観にくさは、あまり問題にはならない見込みです。
 ただ、私としては、いずれは、テレビで、映画も、観て楽しめるようになりたいです。この願望についての実現は、次回以降の「わたしのくらしの再設計」において、図ることにします。

 洋服棚も、中身を、ベッドの下の収納等へ移した上で、処分します。

 そして、「自由な空間」の確保として、出入口のそば、そして、ベッドの脇に、カーペットを、それぞれ敷くことにします。
 カーペットは、畳の代替となるものです。
 便宜、出入口のそばに敷く、カーペットを、Aとします。ベッドの脇に敷く、カーペットを、Bとします。
 カーペットAの上で、次の3パターンの生活が、できるようにしてみます。

ア 折り畳みテーブル + 折り畳みイス
イ 折り畳みローテーブル + クッション(座布団)
ウ 寝転がる

 このように、生活のパターンが選べるようにすることによって、この空間が、「自由な空間」「何でもない空間」「自分が好きなように居ることのできる空間」になるように、仕組んでみます。

 また、パターンのうち、「ア」または「イ」のように、テーブル等を設置すれば、キッチンで作った料理について、出入口からすぐそばのテーブルに、それらを落ち着けることができるようになります。

6 その他――耐久消費財の買い替え

 なお、私としては、これからのインフレの昂進を見越して、耐久消費財の買い替えも、今回、合わせて実行するつもりでいます。
 いまの私の自宅にある、洗濯機や冷蔵庫。それらを、私は、12年間、使ってきました。それらの耐用年数は、既に経過しているはずです。いつ、故障しても、おかしくありません。
 また、洗濯機に加えて、私は、今回、電気乾燥機も、購入することにしました。電気乾燥機によって、これまで、洗濯した衣類の乾燥のために、注ぐことになっていた、労力や手間が、省略できるようになるはずです。
 付記。このように、「便利さの拡充」は、やはり、「電力の消費の拡大」を、伴っているようです。

7 わたしのくらしの行く先――引っ越しも視野に

(1)あらためての狭さの実感

 以上、「わたしのくらしの再設計」について、その内容を、ここに書き留めてきました。
 ここまで、考えてきて・書いてきて、私は、次のように感じています。

――よくもまあ、こんなに狭い部屋に、12年間も、住んできたものだ。

 この部屋に、住み始めてから、2年後に、私は、独立開業しました。それからの10年間は、私にとっては、「仕事に夢中になって取り組んできた10年間」でした。
 10年間が過ぎて、やっと、私は、自分の「仕事」のみならず、「生活」にも、目が向くようになってきたのかもしれません。

(2)狭さの原因?――賃借人が長居しないようにする?

 そもそも、東京の、ひいては、都市の、賃貸物件は、なぜ、こんなにも、住むための面積が、狭いのでしょう。
 『日本人の住まいと住まい方』によると、敗戦直後、住宅難の時代には、政府は、やむを得ず、住面積は最小限に、住戸の供給を、とにかく急いでいたそうです。
 そして、その後、借家法の制定、更には借地借家法の制定によって、賃借人の保護が、進んでゆくことになりました。賃借人を、賃貸人は、簡単には退去させることが、できなくなりました。
 その保護への対策として、賃貸人が、賃貸物件の住面積について、狭いままにして、賃借人が、長居しないように、仕向けるようになったのかもしれません。
 このような、住面積と賃借人の関係性については、投資用のワンルーム・マンションならば、なおさら、実際にありうるでしょう。賃借人が、長居はしないで、度々、入れ替わるのであれば、その度に、「家賃について増額する」等の、賃貸条件についての調整も、しやすくなるはずです。ただ、あまりにも入れ替わりが頻繁になるように仕向けると、退去時の改修費が、嵩むことには、なるでしょう。

(3)ここではないどこかへ

 いまの私の自宅は、投資用の、ワンルームマンションの、一室です。
 そのことから考えて、私は、将来、この自宅から引っ越してゆくことになると、見込んでいます。
 私は、一時は、この部屋について、所有者から購入することも、検討しました。
 しかし、私が、たとえば65歳になったときには、このマンションは、築50年を、優に超えているはずです。そのために、大規模な修繕や、場合によっては、建て替えが必要になったときに、各戸の所有者たちが、合意を形成することは、できるでしょうか。各戸の所有者たちは、別個の投資家たちです。その投資家たち自身が、このマンションに、住んでいるわけではありません。そのような立場にある、投資家たちによる、合意の形成は、居住者たちが合意を形成する場合に比べて、難しくなるでしょう。
 そのようになりそうなのであれば、私は、自分にとっての、将来の引っ越し先を、これから、探してゆくべきことになります。せっかくですから、私としては、「まちあるき」も楽しみながら、3年から5年くらいかけて、そのような引っ越し先を、探してゆくことにします。
 ただ、私は、いまの私の部屋について、その「立地」を、とても気に入っています。職住近接。ですので、まずは、「引っ越し先」というよりは、「アトリエ」等にするための、「セカンドハウス」を、探すことになるかもしれません。

 以上、「私の方丈記」でした。また、続きを、書くことになるかもしれません。

8 追記 振り返ってみる「考えの足あと」

 私が、「まち・すまい・くらし」について考えてきた、その経過を、振り返ってみました。すると、次のような順番が、見えてきました。

 鴎外の東京の住まい
 ⇒ 江戸東京博物館コレクション
 ⇒ 豊島大博覧会
 ⇒ 私の方丈記

 まずは、自分にとって、面白い切り口から、問題意識を、立てる。
 その上で、その問題の全体を、概観する。
 そして、その問題についての、焦点を、絞ってゆく。カメラのレンズを、絞るように。
 自分でも、意識しているような・意識していないような、その両方であるとも言えるようなかたちで、私は、自分の問題意識について、育ててきているようです。
 自分のことながら、思考の軌跡が、興味深かったので、ここに書き留めておきます。

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