【読書】サン=テグジュペリ『星の王子さま』新潮文庫
サン=テグジュペリ『星の王子さま』新潮文庫 サ-1-3 2006.4.1
https://www.shinchosha.co.jp/book/212204/
宮崎駿『本へのとびら』岩波新書 新赤版 1332 2011.10.20
https://www.iwanami.co.jp/book/b226119.html
「仕事の対価は『星』である」。素敵な言葉を遺した、サン=テグジュペリによる名作。
宮崎駿さんによる書評。『本へのとびら』(岩波新書)から。
「最初に読みおえた時の気持が忘れられません。言葉にすると何か大切なものがぬけ出てしまうような気がして、だまりこくってシーンとしていました。一度は読まなければいけません。大人になったら、同じ作者の『人間の土地』も読んで下さい」
34歳にして、初めて読みました。
最初、岩波少年文庫を読んでみました。しかし、訳者の内藤濯さんが、明治の生まれ。訳文の文体が硬かったので、新潮文庫、河野万里子さんによる訳の方に、切り替えました。好訳でした。
そうか… 王子さまは、自分の住んでいた星で、バラの花と、うまくいかなくなって、星をめぐる旅に、出たんですね…
1 絆を結ぶこと 世話をすること
この本に出てくる考え方。「絆を結ぶこと」。それは、「相手を世話すること」。
「相手を世話すること」は、より本質へ突き詰めていえば、「ひとを生かすこと」でしょう。
学生時代に読んだ、赤司道雄さん(立教大学名誉教授)による『聖書――これをいかに読むか』(中公新書)には、「キリスト教にいう『愛』とは、『ひとを生かすこと』である」という趣旨の記述がありました。
絆を結ぶこと。相手を世話すること。ひとを生かすこと。ひとを愛すること。これら一連の行いは、その本質を同じくするものなのでしょう。
2 結んだ絆への責任
「いったん絆を結んだら、その絆に対して、責任を持ちなさい」
この本に出てくる言葉です。
一方…
「付き合う相手に関しては、条件を設定して、条件に合うひとを探しなさい」
「相手は、乗り換えれば、乗り換えるほど、条件が良くなる」
これらの言葉を、先輩(女性)が後輩(女性)に対して、かけている場面に、出くわしたことがあります。これらの言葉は、裏返してみると、こうした意味になりえます。
「相手が条件に合わなくなったら、結んだ絆は解消していい」
「いったん結んだ絆に対して、責任は持たなくていい」
この恋愛観。『星の王子さま』に出てくる考え方とは、正反対の考え方です。
これらの考え方について、その良し悪し、好き嫌いは、いったん置いておいて、個人的に、気が付いたことがあります。以下、書き留めておきます。
「いったん絆を結んだら、その絆に対して、責任を持ちなさい」。この考え方から、「戦後しばらくまで、フランスにおいて、裁判以外による離婚が禁止されていたこと」を、個人的に連想しました。
いったん結婚したら、裁判によらない限り、離婚してはならない。なぜなのでしょう。ひょっとすると、この考えには、宗教が関係しているのかもしれません。
ヨーロッパにおいて、国家が結婚について管理するようになる前には、結婚は、教会が管理していたはずです。たとえば、現代日本社会においても、結婚式を教会で挙げることは、その名残りでしょう。教会による結婚。キリスト教に基づいた結婚。結婚は、神による、絆の結び合わせ。だから、「離婚してはいけない」。そういう結論になるのではないでしょうか。要検証。
備考。もし、仮に、上記のような考えによって、離婚が禁止されているのだとしたら、神による絆なのに、「なぜ、教会が許可すると、離婚していいことになるのか」そして「なぜ、国家が許可すると、離婚していいことになるのか」という疑問が、浮かんでくることになります。
3 モノとの絆 「消費」との対比
この本に出てくる「絆を結ぶ」という考え方は、対象を、ヒトに限っていません。モノについても、同じく、「絆を結ぶこと」、「世話をすること」が、大事だとしています。
「ぼくは、花の持ち主だったから、毎日水をやっていた。三つの火山の持ち主だったから、毎週煤のそうじをしていた。火の消えたのも、そうじしていた。用心にこしたことはないものね。だから火山にとっても花にとっても、ぼくが持ち主で、役に立っていた。でもあなたは、星の役には立っていない……」
王子さまからの、「実業家の星に暮らす、実業家」への言葉です。モノについて、「消費」の対象とは、しない言葉。
現代日本社会では、「モノ」という言葉は、「商品」という言葉に置き換えやすくなっていて、「商品」という言葉には、「消費」という言葉が、表裏一体のものとして、くっついています。
しかし、「モノ」は、本当に「消費」するべきものなのでしょうか。
「モノを大切に扱うこと」。「モノを手入れすること」。その大切さを、王子さまの言葉は、指摘しています。
この言葉から、私は、個人的に、自分が買いためている書籍たちのことを、思い起こしました。書籍たちについて、本棚に積んでいるばかりでなく、きちんと読んで、絆を結ばないと… 自分にとって、大事な気付きでした。
なお、冒頭にて紹介しました宮崎駿さんは、「消費」という行いについて、つねづね、批判しています。『本へのとびら』にも、そうした趣旨の発言が載っていましたので、抜粋しておきます。2011年3月11日に発生した、福島第一原子力発電所事故を受けて、そのときの心情、今後の見通しについて語った、インタビューです。
「生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終わりの第一段階に入ったのだと思います」
4 人間の消費
ここで、上記2において触れた、女性の語った恋愛観に、立ち返ります。
あの恋愛観は、男性を消費の対象として見る、恋愛観ではないでしょうか。そして、この恋愛観は、たまたま語ったひとが女性であっただけで、男性のうち一部のなかにも、共通して存在している、恋愛観ではないでしょうか。
ここで見えてくる現象は、「人間が人間を消費している」という現象です。
ことは、恋愛のみならず、仕事にも、及んでいます。たとえば、正社員×専業主婦という、「標準的」な生き方。まず、企業が、正社員である夫(男性)を、消費する。正社員である夫(男性)は、専業主婦である妻(女性)を消費する。こうした構図が、個人的には、見えてくる印象があります。
連想。宮崎駿さんによる、映画『風立ちぬ』。この映画においては、主人公である二郎が、病身である妻・菜穂子を、自分の仕事を中心とした生活に、付き合わせていました。この物語は、夫による、妻の若さ・美しさ・人生、それらの消費の物語でもあったのではないでしょうか。
一方、原作である、堀辰雄さんによる、小説『風立ちぬ』においては、主人公が、パートナーである節子に対して、サナトリウムでの生活に、寄り添い、世話をしていました。
同じ『風立ちぬ』であっても、男性と女性との関係性が、正反対です。
『星の王子さま』に感動した宮崎駿さんが、映画『風立ちぬ』のような物語を紡いだこと、意外です。
また、企業においても、「人間の消費」という構図がありうるのであれば、私自身、私の事務所において、働いて頂いているひとたちの人生を、消費していないか、十分内省する必要がある、ということになります。
「人間の消費」といい、「モノとの絆」といい、この本からは、大事な示唆を、得ることができました。
なお、「男性による女性の消費」「女性による男性の消費」の典型事例として、「キャバレー・クラブ」「ホストクラブ」が、あるでしょう。これらの消費形態に関しては、一方通行ではなく、お互いがお互いを消費し合っている印象も、個人的には、受けます。
5 葛藤のほぐし方
『星の王子さま』において、サン=テグジュペリは、「絆を結ぶこと」の大切さを、強調していました。
ただ、「いったん強く結んだ絆のなかで、葛藤が起こったときに、それを、どのように、ほぐせばいいのか」ということについては、明確な記述が、ありませんでした。
王子さまは、花との葛藤をほぐすことができずに、星をめぐる旅に出ました。そして、地球に辿り着き、最後には、自ら蛇に噛まれ、星空へと昇ってゆきました。また、花のいる星へ、帰るために。「蛇に噛まれ、星空へと昇ってゆく」。このことは、「死んだ」ということでしょう。
(おそらくは、神さまが結び付けた)強い絆。その強い絆は、強いだけに、いったん解消すると、その回復は、死にでもしない限り、ほぼ不可能となるのでしょうか。
しかし、実際には、私たちにとっては、死んでしまうと、葛藤をほぐすどころでは、なくなってしまいます。
(おそらくは神さまが結び付けた)強い絆、そのなかで起こった葛藤のほぐし方について、問題を残したまま、この物語は終わりました。
しかし、現代日本社会においては、「家族は、強い絆で結び付き合い、愛し合うべし」という規範だけが独り歩きして、「そのなかで起こった葛藤については、このように、解きほぐしましょう」という、具体的な生活方法の伝授が、なされていないのではないでしょうか。そして、そうした生活方法を伝授できるだけの知恵を有したひとが、十分な数、いないのではないでしょうか。
このような問題意識が、私のなかで、頭をもたげてきました。
魅力的な規範の提示があり、そこから、問題意識が膨らんでくる、いい一冊でした。さすがは、名作でした。