【映画】ジャスティン・ペンバートン『21世紀の資本』
ジャスティン・ペンバートン『21世紀の資本』
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フランスの経済学者、トマ・ピケティによる、『21世紀の資本』(みすず書房)。その映画化。ピケティ自身も、監修。経済学と、アートとの、融合。
第1 内容抜粋
1 消える中間層(ミドル)
第二次世界大戦後、欧米諸国は、福祉国家に。福祉国家は、「富の再配分」を、重視する国家。
この再配分によって、中間層にあたるひとびとの人数が増え、その層が、厚くなった。
厚くなった、中間層のひとびとによる働きによって、戦後、欧米諸国の経済は、発展してきた。
しかし、オイルショック後、各国の福祉は、退潮。福祉国家による、「富の再配分」は、少なくなった。その結果、中間層のひとびとが、増えなくなり、減りはじめ、その層が、薄くなっていった。
2 相続の時代
中間層が消えた結果、社会における、ひとびとの構成は、「支配層」(エリート)と、「貧困層」(アンダー)とに、二極化した。
支配層は、社会における富について、少数により、その大半を、保有することに。
そのようになった、支配層において、現状、最も重要な問題は、「相続」。「自分たちの富を、どのように、十全に、円滑に、次の世代に、受け継がせてゆくか」。
なお、この「相続の時代」という構図については、中世ヨーロッパにおける支配層、いわゆる「貴族」たちにおいても、同様の構図があった。彼らにとっては、家産の、相続による承継が、最も重要な問題であった。
3 資産課税・国家連携課税
社会において、支配層に、富が偏在している現状、その富の再配分のために、有効な経済政策は、「資産課税」である。「資産課税」とは、資産を保有しているひとびとに対して、その保有している資産の豊かさに応じて、税を課すこと。
また、国家単位での課税が、有効に機能しない、グローバル企業への課税も、課題である。
グローバルな企業は、その本社を、租税のほとんどない国家のもとにおく。「租税回避」。この「租税回避」については、国家と国家とで連携して、次に述べる方法で、課税してゆくことが、有効である。「国際連携課税」。
「その企業が、売上げを上げた地域ごとに、その地域を管轄する国家が、その地域での、その企業の上げた売上げについて、課税してゆく」
第2 中島コメント
1 動きの良いミドル(プレイング・マネジャー)
「消える中間層」。この問題については、リクルートワークス所長・大久保幸夫さんも、「マネジャーの減少」という問題として、指摘しています(『マネジメントスキル実践講座』経団連出版)。
いま、社会において、不足している人間、つまり、必要な人間は、「動きのいいミドル」、大久保さんの言葉でいえば、「プレイング・マネジャー」なのでしょう。
これに対し、現状、大学のカリキュラムは、公務員・大企業正社員、いわば「エリート候補」の養成に、重点を置いているように、個人的には、見えます(※1・※2)。
大学が、「エリート候補」の養成に、重点を置いた結果、「エリート候補」の人数が多すぎて、その数に見合った「席」がなく、エリートになることのできない「エリート候補」が増えて、彼ら彼女らは、鬱屈を抱えながら、生きてゆくことになる。そのような構図が、現代日本社会にもあるように、個人的には、見えます。
なお、「このように見える」という、私の意見は、私が、複数の職場を渡り歩いてきた、その個人的な経験に、基づいています。この意見を、一般論にするためには、更なる検証が必要でしょう。
※1 たとえば、私が大学で受けてきた授業については、「法解釈学」に、その重点を置いていた印象が、個人的に、あります。その、大学で学ぶ「法解釈学」の視点は、教授さんたちによって、様々ではありましたけれども、おおむね、次のようなものでした
「既成の、法令の体系を、前提として、そのなかで、いかにきちんと、その法令の運用に、携わっていくか」
もちろん、「法解釈学」も、大変重要です。しかし、そもそもの、既成の、法令の体系について、その根拠を問う、「基礎法学」も、同等以上に重要でしょう。「基礎法学」が、十分にあってはじめて、ひとは、「法解釈学」を、十分に、駆使できるようになります。「基礎法学」と「法解釈学」とには、このような、連関が、あるのではないでしょうか。
※2 この問題に関連して、教育学者・本田由紀さんは、「職業教育」の、社会における、重要さを、指摘しています(『社会を結びなおす』岩波ブックレット)。
2 新しい中世
中世ヨーロッパと同様に、現代においても、「相続の時代」が、やってきている。いわば、「新しい中世」。この指摘、個人的には、たいへん興味深いです。
作家・開高健さんの言葉。「変われば変わるほど、いよいよ同じ」。
作家・堀田善衛さんの言葉。「歴史は繰り返さず、人これを繰り返す」。
そして、中世ヨーロッパにおいては、富が蓄積して、文化が爛熟して、その蓄積と爛熟とをもとに、新しい時代が、始まってゆきました(ホイジンガ『中世の秋』上・下 中公文庫)。
中世ヨーロッパの状況と、現代の状況とが、同様の状況であるならば、現代から、どのような、新しい時代が、始まってゆくのでしょう。このことについても、個人的には、たいへん興味があります。
なお、現代における相続について、最近、個人的に気がついたことを、ここに書き留めておきます。
個人的な印象では、「支配層」、といいますか、「富裕層」、つまりは、「財産を豊富に保有しているひとびと」の相続について、ある程度、共通して存在している問題は、次の通りです。
(1)全体把握
そもそも、財産が、たくさんありすぎて、何がどうなっているのか、分からない。
(2)個別問題発見
(1)のような状態なのだから、どの財産に、どのような問題があるのかも、分からない。
「全体把握」及び「個別問題発見」ができてはじめて、「遺言」ひいては「相続対策」の必要に、「富裕層」のひとびとは、気が付くことができるのでしょう。
「全体把握」及び「個別問題発見」が、「相続の時代」における、ひとびとの根本にある、需要のひとつなのかもしれません。
そして、「全体把握」及び「個別問題発見」は、相続という機会に限らず、日常の財産の管理においても、必要なことであるはずです。
このような「財産管理」について、必要な知見、いわば「財産管理教育」を、大学は、公務員・大企業正社員という「エリート候補」の養成に、重点を置いていたがために、提供できてこなかったのかもしれません。
3 資産課税
たとえば、日本における「マイナンバー制度」も、資産課税の前提としての、意味をも有しているのかもしれません。
この映画においては、「支配層に対する資産課税が必要であること」についての指摘のほかに、次のような指摘も、出てきました。
「中世ヨーロッパにおける、支配層の役割のひとつに『戦争』があったこと」
支配層の役割のひとつが「戦争」であること。このことから、私が考えたことを、ここに書き留めておきます。
現代日本の支配層は、「集団的自衛権」など、外国を脅威として、世論を煽り、戦争に関する制度について、その整備を、更に進めてきました。この煽動は、彼ら彼女らにとっては、「戦争」という、彼ら彼女らの役割・存在意義について、被支配層たちに対して、強調する意味をも、有しているのかもしれません。
そして、思想家・吉本隆明さんは、そのインタビューのなかで、フランスの哲学者、シモーヌ・ヴェイユの言葉を引いて、次のように語っています(糸井重里『吉本隆明の声と言葉』HOBONICHI BOOKS)。
「戦争は、支配層にとって、増えすぎた被支配層を、減らす手段である」
日本においては、被支配層としての、中間層は減っているものの、高齢層が増えていることが、問題になっています。
現代欧米社会における、現代日本における、支配層による選択としては、次の二つが、ありうるでしょう。
A 資産課税を選択して、自分たちの富を手放すのか
B 戦争を選択して、被支配層を減らすのか
これらの選択は、被支配層にとっても、重要です。
被支配層においては、支配層からのナショナリズムによる煽動に、安易にのって、支配層による、外国の敵視に同調することは、支配層による、戦争の選択を、支持することにも、つながります。
支配層が鼓吹する、ナショナリズムには、安易には、のらない方が、よさそうです。