【読書】なだいなだ『アルコール問答』岩波新書
なだいなだ『アルコール問答』岩波新書 新赤版 548 1998.3.20
https://www.iwanami.co.jp/book/b268367.html
著者は、アルコール依存・専門の精神科医、なだいなださん。
1 内容要約
(1)程度の問題
診察室にて、よくある光景。妻が、夫を連れてくる。「このひと、アル中なんです」。「いいや、私は、アル中ではない」。押し問答。
しかし、「こういう症状があれば、アルコール依存である」とする、明確な基準は、ない。ただ、アルコール依存に関しては、「こうした症状が前兆となり、最後には、このような症状に至る」という、一連の過程についての、知見は、存在している。その知見から、「そのひとが、いま、どういう症状を呈しているか」をもとに、その後の展開についての、ある程度の予測が、つく。
――そのひとが、アルコール依存なのか、診断する。
ということよりも…
――そのひとが、いま、どういう段階にあって、これから、どういう段階が、待っているのか。
ということを、説明したほうが、患者の納得を得ることが、できやすい。
(2)断酒
アルコール依存への対応方法は、「酒を断つ」こと。医師は、そのために、「抗酒剤」(酒を飲むと気分が悪くなる薬)を、処方する。
患者が、酒を断ってから、しばらく経つと、「もう、これくらい長い間、我慢ができているのだから、少しくらい飲んでも、大丈夫なのではないか」と、誘惑に負けて、再度飲酒することが、ままある。そして、そうなると、ずるずると、酒量が増えていくことになる。
この失敗は、よくある失敗。たとえ、患者が、再度飲酒して、アルコール依存に戻ったとしても、そのことで絶望する必要は、ない。
(3)産業社会の発展 アルコール依存の登場
「産業社会の発展」と、「アルコール依存の登場」とは、軌を一にしている。
「産業社会の発展」は、「労働者」を、生み出した。そして、「労働者」の得る、賃金をあてにして、ジンなどの安い蒸留酒や、ビールなどの安い醸造酒を、企業が、大量生産するようになっていった。酒類の大量生産が、産業社会における、大勢のアルコール依存患者の登場に、つながっていった。
労働者たちは、日曜日には、酒を浴びるほど飲み、月曜日が来ることを、嫌がるようになっていった。「ブルー・マンデー」(青い月曜日)。実際、労働者たちが、二日酔いを月曜日に持ち越すことによって、無断欠勤しがちになることや、出勤したとしても労働災害が起こりやすくなることが、社会問題になっていった。
なお、社会における、酒類の普及に伴って、そうした酒類を提供する、バー・キャバレーといった店舗も、登場し、普及していった。
(4)意志・病気
登場当初、社会は、アルコール依存を、道徳の問題として、つまりは、「意志の弱さ」の問題として、取り扱った。しかし、いくら患者の意志を鍛えようとしても、その方法では、依存は、改善しなかった。
だんだん、社会は、アルコール依存を、「意志の弱さ」の問題としてではなく、「病気」として、取り扱うようになった。
(5)互助会
アルコールの普及。アルコール依存の増加。その増加の勢いに、医師の増員が、追いつかなかった。そこで、医師の不足を補うため、アルコール依存患者たちによる「互助会」が、登場した。
(6)アダルト・チルドレン
アルコール依存の問題は、本人にとっての問題であることはもちろん、家族にとっての問題でもある。
――アルコール依存の親を持った子どもたちが、大人になりきれない。
そのような問題の存在が、医師による治療、互助会による相互支援のなかで、分かってきている。
(7)宗教から心理学へ
「かつての社会での宗教も、もちろん社会に平和というか、平穏をもたらすためのものだった。そのために人間を社会の慣習的な秩序に、従わせるような道徳を、善として説いてきたんです。個人が、君に忠に、親に孝であれば、秩序は守られ、世の中は平和です。しかし、個人は、もっと自由に生きたいと思っている。だからその平和のために欲望が押さえつけられ、病気という形で爆発する場合もある。でも宗教は道徳的抑圧をした自分が、その爆発の責任者とは思えませんからね、悪魔のせいにした。そして、魔女狩りまでした」
「しかし、人間の社会は、徐々に変わってきた。個人は自由に行動していいことになったんです。でも、自由だからといって、勝手に社会の他の人に迷惑をかけられない。個人は社会に、自分から調和していかねばならない。でも、それができなくて社会に反した行動をとったり、社会から自分を疎外してしまうものが当然でる。それを説明したり、治療したりする役目をもって、心理学は生まれてきたんです。フロイトやユングが出てきたのが、アルコール中毒が話題になり始めた直後だ、というのも理由のないことではないのです」
2 中島コメント
(1)社会が生み出す病気
産業社会の形成、労働者の登場、酒類の普及、アルコール依存の登場。
社会が、アルコール依存を生み出してきたこと。そのことが、この本においては、個人的には分かりやすく、書いてありました。
このことから、連想。精神科医・中井久夫さんは、統合失調症も、社会の生み出した病気であることを、指摘しています(『分裂病と人類』東京大学出版会)。
アルコール依存も、統合失調症も、「精神疾患」です。
私たちの暮らしている、この社会は、「精神疾患を生み出しやすい社会」なのかもしれません。
(2)勤勉・労働者/消費者・享楽
社会は、「労働者」に対して、「勤勉」を美徳として、「よく働くこと」を、促しています。
その反面、社会は、「労働者」に酒類を販売して、その酒類によって「消費者」として「享楽」することを、促してもいます。
二律背反。社会は、私たちに対して、同一の人格のなかで、ある場面においては「勤勉な労働者」であり、別な場面においては「享楽的な消費者」であるよう、促していることになります。
真逆の方向からの、引っ張り。
ひとが、この社会において、統合失調症など、精神疾患になりやすい、その原因は、このような、一個の人格に対する、真逆の方向からの引っ張り・引き裂きに、あるのかもしれません。
この社会において、精神の平衡を維持することは、実は、大変なことなのかもしれません。
(3)売春・買春の普及
「社会における、酒類の普及に伴って、そうした酒類を提供する、バー・キャバレーといった店舗も、登場し、普及していった」
このことからしますと、安野モヨコさんが『鼻下長紳士回顧録』祥伝社において取り上げている「売春・買春」の普及も、産業社会の形成、そして、賃金で生計を立てる「労働者」という「大衆」の登場と、軌を一にしているのかもしれません。
(4)アダルト・チルドレン
「アダルト・チルドレン」の抱える問題については、松本俊彦『アルコールとうつ・自殺』岩波ブックレットにも、同様の指摘がありました。
「アダルト・チルドレンが、自分の経験したことに、どのように、向き合っていくか」。そのことについては、鳥山敏子『居場所のない子どもたち』岩波現代文庫に、詳しいです。
なお、安野モヨコさんのお父さんも、アルコール依存患者だったとのお話です。安野モヨコさんもまた、アダルト・チルドレンとして、自分の経験に向き合い、その向き合いによって生まれた作品が、『鼻下長紳士回顧録』だったとも、言うことができるのかもしれません。
(5)青い月曜日
余談。「ブルー・マンデー」については、サントリーのコピーライター、開高健さんが、『青い月曜日』集英社文庫という作品を、執筆しています。この題名、酒類メーカーに勤めていたひと、ならではです。実際、開高さんは、サントリーのコピーライターとして勤務しながら、その時期、酒に浸っていたといいます。この作品、「酒に浸る男性」という視点から、読んでみても、面白いかもしれません。
(6)魔女狩り
かつての宗教が、社会問題の解決方法を、魔女狩りに求めたことは、記銘しておくべきでしょう。
宗教で対応できること、法で対応できること、その他の方法で対応できることの区別にとって、魔女狩りという時代経験は、参考になりそうです。
なお、宗教と心理学とを比較してみますと、「道徳=宗教=他主判断」、「調和=心理学=自主判断」という相違が、個人的には見えてきます。