【考えの足あと】3000時間の沈黙

吉本隆明さん「言葉の根幹には沈黙がある」

 沈黙から、言葉が、生まれてくる。
 うーん、鮮烈な指摘です。
 思えば、「沈思黙考」という四字熟語があるように、沈黙と、思考とは、表裏一体のもの。
 私も、もっと、沈黙の時間を、自分に対して、設けてみよう…

 いまの、私の課題は、自分の仕事に関して…
「事務所外の仲間たちと共有すること」
「事務所内の仲間たちと共有すること」

 これに対する解法が…
「ブログの記事として、自分の仕事を、書き出してゆくこと」

 ここまでのことは、前回の「考えの足あと/コロナ下でできること」において、書いたことでした。

 それで、実際に、私が、自分の仕事のことを、ブログの記事として書き出そうとしてみて、直面したことは…
「やみくもに書き出していっても、仲間たちに伝わるかたちには、ならない」
「仲間たちに伝わるかたちで書いてゆくには、自分の仕事について、『構造』と『要素』を、洗い出してゆくことが必要になる」
「その洗い出しには、沈思黙考の時間が、たっぷりと必要になる」

 そこで問題になってくるのが…
「いままでのように、読書感想文を書いていると、その分、沈思黙考の時間が、細切れになる」

 私の、全体的な仕事量が増えていくなかで、なおかつ、前記のような沈思黙考の時間を設けてゆくためには、読書感想文の型式を、しばらく、いままでのものよりも、単純にしたほうが、よさそうです。たとえば、その本のなかで、最も魅力のある言葉だけを、抜き出して、それに対して、個人的なコメントを、付けてゆく。いわば、宝石のかけらのような、「読書のかけら」。

 思えば、素寒貧な青少年だった私が、司法書士という専門職になるためには、おおよそ、3000時間の、「学習」の時間、つまりは「沈黙」の時間が必要でした。

 そして、私が司法書士になってから、10年以上が経ちました。
 今度は、「専門職」から「経営者」になるために、再度、3000時間の「沈黙」の時間を、仕事の時間とは別に、自分に対して、設けてもいいのかもしれません。

 宮崎駿さん「養老さんの解剖もぼくのアニメーションという仕事も大きくいえば専門職で、日々、目の前の手業に集中しなければいけません。それは一方で、マックス・ウェーバーのいう、『精神なき専門人』に成り下がる危険性も十分孕んでいます。それが世界の中でどういう意味を持っているのかも考えずに、ただ見事な腑分け、見栄えのするアニメーショを目指す人間に堕ちてしまうかもしれません。しかし場合によっては、いっとき専門の世界に籠ることによってこの世界を冷静に見ることができるようにもなるのです。自分の覗き穴から世界を眺める、とでも言えばいいでしょうか。アニメーションといえども、いろいろな動きをひたすら描き続けていくうちに『ああ、これが世界の秘密かもしれない』と思う瞬間があります。そして、そういう経験の積み重ねから自分なりのものの見方が形づくられていくのでしょう」(『虫眼とアニ眼』新潮文庫)

 宮崎さんが、自分が最も仕事をしたと考えている年代は、40代だったそうです。『ルパン三世・カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』。
 私も、40歳になるまでに、あと3000時間の、「沈黙」の時間を、再度、自分に対して、設けてみよう… その「沈黙」のなかから、仲間たちと共有することのできる、知識や経験の「結晶」が、生まれてくるはず…

 なお、私にとって、いままで、読書感想文を書いてきた時間は、宮崎さんの言葉を借りると、「それが世界の中でどういう意味を持っているのか」を、考えるための時間だったのでしょう。
〔第1段階〕自分の生まれた時代について、引き受けて生きるとは、どういうことか
 『路上の人』『ミシェル 城館の人』『堀田善衛さんの足あと』
〔第2段階〕男性として生きるとは、どういうことか
 『個人的な体験』『祈りと経営』『珠玉』
〔第3段階〕経営するとは、どういうことか
 『すいません、ほぼ日の経営。』『小倉昌男 経営学』『経営プリズム』
 段階ごとに、私は、自分の問題意識について、その照準を、絞ってきたようです。第3段階が過ぎて、私の筆が、読書感想文について、鈍ってきたのは、私の内面において、「照準を絞り切った」から、だったのでしょう。

〔参考文献〕
糸井重里『吉本隆明の声と言葉』HOBONICHI BOOKS 2008.7.20
https://www.1101.com/store/yoshimoto/voice.html

宮崎駿ほか『虫眼とアニ眼』新潮文庫 み-39-1 2008.2.1
https://www.shinchosha.co.jp/book/134051/

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