【考えの足あと】起業の方程式
専門職としての開業
+ 資本家としての起業
= 経営者(家父長)
〔解説〕
1 概説
私が、起業にあたって、してきたこと。それは…
① 専門職としての技能を習得すること
② 起業のための資金を蓄積すること
③ 人様に働いて頂くにあたり父親のような行動様式を身に備えること
でした。
なお、技能については、何も、司法書士のような業務独占資格でなくてもよいでしょう。
ひらたく言えば、「そのひとにしか、なかなか、できないこと」。
たとえば、個人的に印象に残っているものとしては、「熱帯魚の水槽を、美しくレイアウトすること」。
2 技能と資本の必要
技能と資本とが、十分にはない状態で、開業・起業するとなりますと、「労働法の保護が及ばない労働者になる」という危険が、その分、大きくなります。
その危険とは、具体的には、次のようなことです。
「他の誰にでもできることであるほど、相手との価格の交渉において、不利な立場になる」
「資本が小さいほど、たとえ不利な交渉であっても、目先の収入のために、応じざるを得なくなる」
「不利な交渉の結果、低い価格を設定すると、たくさんの仕事を受けざるを得なくなる」
「たくさんの仕事を受けざるを得なくなると、価格以外でも、不利・不当な条件・内容の仕事であっても、受けざるを得なくなる」
危険が危険を呼ぶ、悪循環です。
このような悪循環については、映画監督のケン・ローチさんが、その作品である『家族を想うとき』において、題材として扱っているようです。
3 身分制――資本家・家父長
私は、自分のことを、「専門職」として認識している時期が、これまで、長かったです。
というのも、私の敬愛する作家さんたち――堀田善衛さん・開高健さん・宮崎駿さんたちが、社会主義に共感していた作家さんたちだったからです。
社会主義運動の、目的の、そのひとつは、次のようなことでした。
「この資本主義社会において、資本家に偏在している自由を、労働者にも、普及してゆくこと」
そのことからしますと、私にとって、自分を「資本家」として認識することは、「社会問題――労働者の不自由――の原因となっている立場に立つこと」でした。
また、「家父長」も、「社会問題――女性の不自由・子どもの不自由――の原因となっている立場」です。
家父長による、女性の自由への・子どもの自由への介入は、人権の世界においては、「パターナリズム」(父権保護主義)という言葉で、問題になっています。
「私は、お前を保護するために、お前の自由を、制限するのだ」
ただ、実際には、家父長よりも、優秀で余裕があり、家父長からの「保護」という「制限」が、かえって、そのひとにとっては、自由の障害となる、そのような女性が・子どもが、この世界には、数多、いることでしょう。
私が、開業・起業して、私なりに一所懸命に働いてきた結果、いつのまにか、資本家・家父長の立場に、立っていたこと。
そのように、この社会のしくみが、できあがっていたこと。
そのことは、この社会には、いまだに「資本家――労働者」「家父長――女性・子ども」という身分が、色濃く残っていることを、意味しているでしょう。
資本家になること。家父長になること。そのことは、私なりに、振り返ってみると、「この資本主義社会において、最大限の自由を、獲得すること」でした。
思えば、現代社会における「自由・平等」の原点となった「フランス革命」も、「ブルジョワ」(資本家)による革命、という一面を、有していたのでした。
4 「金力」と「権力」という「魔力」
「資本家」の「金力」。
「家父長」の「権力」
これらの「力」は、「自分も他者も、破滅させかねない力」。つまりは、「魔力」であるでしょう。
これらの「力」について、私は、これまでよりも、自覚して・見つめ直して、扱ってゆく必要があるでしょう。
5 これから――更なる平等を目指す
それでは…
「私が、いつのまにか、資本家・家父長の立場に、立っていたこと」
そのことを、ふまえた上で、私は、これから、どうするか。
その指針は、先に紹介した堀田さんたちが、既に、示しています。
「資本家の自由を、労働者に」
「家父長の自由を、女性に・子どもに」
これらのことについて、ひとくちに表現するとすれば、「この社会において、更なる平等を、目指す」ということになるでしょう。
このような運動のことを、人権の世界では、「アファーマティヴ・アクション」または「ポジティヴ・アクション」というそうです。
6 目標設定 ????
ただ…
「資本家の自由を、労働者に」
「家父長の自由を、女性に・子どもに」
このような運動は、一時的なものであって、永続的なものではないはずです。この運動が永続するとなると、それはそれで、身分が固定することになるからです。
この運動の目標は、どのように、設定するべきなのでしょう。もっと言えば、社会が、どのような状況になれば、「資本家――労働者」「家父長――女性・子ども」という身分が、解消したことになるのでしょう。
このことについて、私には、まだ、定見は、ありません。
ここに、個人的に、問いを、立てておきます。