【読書】今野浩一郎『人事管理入門』<第2版>日経文庫 ~見えてくる「儒教」~
今野浩一郎『人事管理入門』<第2版>日経文庫 B33 2008.10.17
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著者である今野浩一郎さんは、経営工学者。
1996年の初版以来、26年以上にわたり、増刷の続く、ロング・セラー。
先日紹介しました『プレップ労働法』は、法学の観点から、人事管理について、解説していました。実務の観点から解説する書籍も、個人的に読みたくなり、本書を、手にとってみました。
このテキスト批評においては、本書と、『プレップ労働法』とで、意味内容が重複する記述については、内容要約を、省略します。
なお、本書の方が、『プレップ労働法』よりも、ボリュームがコンパクトで、内容が基本的です。本書を読んでから、『プレップ労働法』を読んでも、いいかもしれません。
第1 内容要約
1 戦後日本の人事管理
(1)世界の先端――「安い労働力」から「高い付加価値」へ
「安価な労働力を武器に、標準的な製品を大量生産し、日本から世界に売っていく時代」
そのような時代は、終わった。日本の労働力は、高賃金化した。
これからの時代は、次のような人材の育成が、必要である。
「技術の集約によって、付加価値の高い、製品とサービスを、作り出すことのできる、創造的で、高度な専門能力を有する、人材」
ただ、日本の企業は、すでに、世界の先端に立っている。先端に立っているということは、市場の面でも、技術の面でも、不確実性の大きい状況に、直面しているということでもある。このような状況のもとでは、いままでと同じように、能力の向上に努め、高い能力を獲得しても、その能力が生み出す価値は、低下する。
(2)人材育成の歩み――企業特殊能力の形成
戦後、経済成長が始まると、企業は、人手不足に悩むようになった。
欧米では、生徒・学生に対する学校教育のみならず、社会人に対する公共教育によっても、技術者が育ってゆくしくみが、できあがっている。
これに対して、戦後の日本においては、そのような学校教育・公共教育が、不足していた。
そこで、企業は、自社のなかで、技術者を育成するようになった。その企業が育てた技術者は、その企業のなかでのみ通用する、「企業特殊能力」を、身に付けることになった。
そのような「企業特殊能力」の形成には、終身雇用制度が、影響していた。終身雇用であるため、「その企業において、必要な、特殊な能力」を身に付けさえすれば、労働者は、その能力によって、働き続けることができた。
「企業特殊能力」を、その身に備えた労働者が、その利害を共通する仲間は、同じ企業において、同じ「企業特殊能力」を、その身に備えた、他の労働者である。そのため、戦後日本において、労働者たちは、企業別の労働組合を、形成していった。
なお、「企業特殊能力」の対義語として、「社会通用能力」がある。
(3)現在の問題――人手不足なのに管理職ポスト不足
日本企業の人手不足は、ずっと続いている。人手不足についての、いったんの緩和があった時代は、団塊世代、団塊ジュニア世代が、それぞれ、就職する世代となった時代。
そのような人手不足が続いている一方、日本の企業は、いま、「管理職ポスト不足」に、悩んでいる。
「管理職ポスト不足」の原因は、労働力の、高学歴化と、高齢化である。
この「管理職ポスト不足」に対して、日本の企業は、まず、「ポストの多層化」を、試みた。たとえば、「部長、課長」を、「部長、部長代理、課長、課長代理」に、増やした。しかし、「ポストの多層化」は、「意思の決定の遅延」を、もたらした。
そこで、「ポストの多層化」に代えて、日本の企業は、「職能資格制度」を、導入した。この制度は、次のような制度。「ひとを能力で評価して、能力に見合った賃金を、支払う」。この制度によれば、管理職に就いていない社員にも、「本当は管理職に相当する能力がある」という名目で、相当な賃金を、支払うことができる。しかし、「職能資格制度」は、社員が「高い賃金に見合った仕事をしていない」状況を、生みだした。
いま、日本の企業は、「職能資格制度」に代えて、「専門職制度」を、導入し始めている。この制度は、次のような制度。「社員を『管理職』としてではなく『専門職』として扱って、その『専門能力』に見合った、高い賃金を支払う」。しかし、「管理職ポスト不足」に対応するために導入した「専門職制度」は、「専門能力のない、肩書きばかりの、専門職」を、生み出すことになった。更に、社員たちや、社会は、「専門職よりも、管理職の方が、偉い」と、専門職に重きを置かないことも、分かってきた。
なお、「出向」という制度も、企業が、自社の内部では管理職のポストを十分に用意することができなくなり、そのポストを他社に求めるようになったことの、現れである。
2 人事管理のしくみ
(1)職務の設定
人事管理は、「その企業の、その事業において、どのような職務が必要か」を、考え出すことから始まる。この作業は、大変な作業。
欧米では、それらの職務について、厳密に定義して、組み立てる。そのような組み立てに携わった人間が、トップとなり、トップダウンで、事業を運営してゆく。「職務主義」。
日本では、「コア職務」と「周辺職務」とを、設定する。職務と職務との、境界は、曖昧。その職務に従事する人間には、広い裁量がある。そのような、広い裁量を持つ、現場の人間たちが、ボトムアップで、事業の運営について、改善してゆく。「属人主義」。
(2)求める人物像
企業は、設定した職務から、更に、「求める人物像」を、設定することになる。その「求める人物像」を基礎に、基準を定立して、ひとを、採用し、評価することになる。
基準があることは、公平のために、大事である。
(3)社員区分制度
また、企業は、社員の区分を、設定する。総合職、一般職、パートタイマー等。それぞれの区分に応じて、採用、能力開発、労働時間、賃金、昇進、福利厚生についての基準を、またそれぞれ、定立することになる。
(4)社員格付け制度(職能資格制度)
企業は、同じ区分の、社員のなかで、彼ら彼女らを、格付けしてゆく。
昇格に、昇給が、連動している。
同じ格付けのなかにおいても、一定の、昇給は、ある。ただ、その社員が、同じ格付けのなかにとどまっていると、昇給は、その一定の金額で、頭打ちになるようになっている。
ある企業の、社員格付け制度を、紹介する。「新入社員」から「部長」まで、10段階。この格付け制度のなかでは、おおむね、次の順番で、評価が高まってゆく。
ア 単純で定型な仕事ができる
イ 複雑で非定型な仕事ができる
ウ 部下を指導できる
エ 上司を補佐できる
オ 係・班の業務について企画に参画でき・運営できる
カ 係・班の業務について統轄できる
キ 部・課の業務について企画に参画でき・運営できる
ク 部・課の業務について統轄できる
ケ 会社の政策・方針の企画・立案・決定に参画できる
3 賃金
(1)社会性・企業性
賃金の設定に関しては、観点として、社会性と、企業性が、必要である。
社会性とは、「世間並みの水準を、確保すること」。
企業性とは、「その企業の支払能力からみて、適正な水準を、確保すること」。
(2)賃金の内容
賃金には、現金での給与と、現金以外での給与とがある。
ア 現金での給与 一覧
所定内給与 基本給・諸手当
諸手当1 生活関連手当(例 通勤手当・家族手当・住宅手当)
諸手当2 職務関連手当(例 役付手当・技能手当・精皆勤手当)
所定外給与 残業代
賞与・期末手当
イ 現金以外での給与 一覧
退職給付
法定福利費(健康保険・年金・雇用保険)
法定外福利費(主に住宅関連費用)
その他(教育訓練費など)
(3)基本給・賞与
賃金のなかでは、特に、基本給と賞与とが、重要である。
基本給は、生活給と、職能給から、成り立っている。
賞与については、日本の企業において、その金額が大きいことが、特徴。
その平均の金額は、基本給の、5ヶ月分。
その金額の大きさから、日本の企業は、賞与を、「業績が良かった年度の成果の配分のため」に、また、「貢献が特に大きかった個人へ報いるため」に、活用している。このような活用は、賞与の、金額が大きいときの、総労働費用への影響が、基本給に比べて、少ないため、生じている。
(4)昇給
ア 昇給総額決定
昇給にあたって、日本の企業は、春闘の結果として出てくる、賃上げ率を、参考とする。
賃上げ率を参考として、その企業における、昇給の総額が、決まってくる。
なお、給与原資に関しては、事業が拡大して、新たに人員を増やすこととなったときに備え、ある程度の金額を残しておくことも、大事である。
イ 個別昇給
先に述べたとおり、基本給は、生活給と、職能給から、成り立っている。
その内訳に応じて、昇給に関しての判断基準も、立つことになる。
生活給は、一律昇給の対象として、毎年、上がってゆく。
職能給には、査定昇給と、昇格昇給とがある。査定昇給は、「同じ格付けのなかでの昇給」。昇格昇給は、「格付けが上がったことによる昇給」。
これらの昇給の他に、「ベース・アップ」がある。「ベース・アップ」とは、インフレに対応するため、または、人材の確保のため、社員の生活の改善のための、「底上げ」。
(5)退職給付
ア 支払金額
退職給付は、「永年勤続を奨励するため」にある。
そこで、退職給付金額に関する、次の計算式にも、その観点からの、操作が及ぶ。
退職給付金額=算定基礎給×支給率×退職事由係数
算定基礎給は、年功制による賃金のもとでは、勤続年数が長いほど、高くなる。支給率も、同様である。
退職事由係数は、退職事由が「定年」ならば、最も高くなる。「自己都合」ならば、低くなる。
イ 支給方法
退職給付の支払方法には、「一括」と「年金」とがある。
かつては、「一括」が、主流だった。しかし、「一括」による支払いがかさみ、企業の財務へ、キャッシュフローへ、影響を与えるようになってきた。そのため、企業は、支払方法を、「年金」へ、切り替えるようになってきている。
(6)法定福利費
法定福利費。つまりは、健康保険・年金・雇用保険。これらの費用は、日本の社会における、高齢化の進行のため、費用が膨らみ続ける、見通し。その費用の増大に、どのように備えるかも、人事管理において、重要である。
4 人事評価
(1)方程式
ひとは、「能力」と「姿勢」とを、「仕事」に投入して、「業績」を出す。
(能力+姿勢)×仕事=業績
日本の企業においては、「能力」と「姿勢」、そして「業績」に、主に注目して、社員を評価している。
一方、欧米では、「仕事」に、主に注目して、社員を評価している。
(2)目標管理
人事評価の前提として、企業と社員とで、協議の上、その社員の目標を設定することが、必要になる。
協議することで、その企業の目標と、社員の目標とを、すり合わせ、共有することができる。
なお、簡単な目標を設定するほど、その達成は、簡単になる。そこで、その目標の「難易度」に応じて、達成したときの、評価の大小をも、設定しておく必要がある。
(3)昇給・賞与
賞与は、通常、年2回以上ある。
昇給は、通常、年1回である。
そこで、人事評価においても、短期での評価(賞与のため)と、長期での評価(昇給のため)とが、必要になる。
短期での評価については、「姿勢」と「業績」を、その対象とする。これらは、短期に変化する可能性があるためである。
長期での評価については、「姿勢」と「業績」に加え、「能力」をも、その対象とする。「能力」の伸長については、ある程度の期間をみて、評価する必要があるためである。
5 教育訓練
(1)OJT――オン・ザ・ジョブ・トレーニング
OJTは、上司の能力や熱心さによって、効果が大きく違ってくる。また、上司が忙しくなり、部下を教える余裕がなくなることも、ままある。
そのため、OJTの前提として、上司の、「部下を育成する能力」の向上が、必要になる。
また、標準実施計画書を作成するなど、OJTの制度化も、必要である。
(2)自己啓発――主に通信教育
企業は、社員の自己啓発に関して、次のような援助を、与えている。
・ 受講料等の金銭援助
・ 講座・図書等による情報提供
・ 就業時間についての配慮
第2 中島コメント
1 私の事務所の人事管理
(1)個人的な体験
私は、勤務司法書士時代、おおむね、小さな事務所にばかり、勤務してきました。それらの事務所は、勤務司法書士が独立開業してゆくことを見越して、労働条件を、低賃金、短期間に、設定していました。
そのような私からしますと、本書が紹介している、一定の規模のある企業の、人事管理の方法からは、様々、得るものがありました。
(2)社員区分制度
私は、働き方としては、おおむね、フルタイムの正社員のみ、経験してきました。そのため、「社員を区分する」という発想、「区分ごとに基準を設ける」という発想は、あらためて、新鮮でした。
私の事務所に、「フルタイムではない正社員さん」や「パートタイマーさん」がいる、いま。私には、「フルタイムの正社員」ではない働き方についても、想像力を具体的に働かせる必要が生じてきています。
(3)昇格
職能資格制度のなかでの、昇格による、昇給。そのような昇給の方法があることを、私は、正直な話、はじめて知りました。
私の事務所は、小さな事務所ですので、このような職能資格制度を、そのまま導入する必要までは、なさそうです。
ただ、この制度についての知見から、私は、次の2点について、意識するようになりました。
毎年の、小刻みな、一律昇給では、年功平均賃金(昇格による昇給を含んでいる)との間に、差が生じるおそれがあること。
職能資格制度の代わりに、教育訓練による資格取得を、昇格と同視して、「この資格を取得した場合には、〇円、昇給する」という制度を、構築してもよいかもしれないこと。
(4)退職給付制度
本書では、退職給付制度について、「一時金」または「年金」、いずれにしても、企業が給付してゆく前提での、紹介がありました。
ただ、私は、個人事業主であり、生身の人間です。自分から死ぬつもりは、もちろんありませんけれども、急病、急死といったことが、あるかもしれません。そのようなことがあったときに、スタッフさんたちの、将来の生活への備えを、スタッフさんたちが、そのまま蓄えておくことができるようにするためには、本書が紹介する制度とは違う、制度の設計が、必要になりそうです。
その設計としては、個人型・確定拠出年金や、個人年金保険に関しての、拠出金、保険金についての、手当を支給してゆく、といったことが、ありえそうです。
このように、私は、「永年勤続を奨励するため」ではなく、「スタッフさんたちの将来の生活への備えのため」に、退職給付制度を、設計してゆきたいです。
(5)求める人物像
企業が、社員に対して、求める人物像。その設定にあたっても、企業と社員との協議があった方がよいでしょう。
そこで、本稿においては、私が私に対して「求める人物像」について、書き留めておきます。この人物像は、私が大学へ入学する頃に、思い描いた人物像です。この人物像の形成にあたっては、作家・司馬遼太郎さんからの影響が、大きくありました。
その後、20年ちかく働いてみて、その人物像には、変容も、生じました。その変容のことも、合わせて、書き留めておきます。
ア 社会的な意義のある仕事をする
司馬さんは、1990年・前後、バブルの時代における、「土地ころがし」を、批判していました(『土地と日本人』中公文庫)。「土地ころがし」とは、次のような行為です。「土地の値上がりが続く状況のなかで、土地を購入して、何も活用しないで保有して、また値が上がったときに、転売する」。このような行為を、司馬さんは、「健康な経済の活動ではない」と、批判していました。
仕事をするからには、社会的な意義のある仕事をすること。それが、私が私に対して求める人物像の、第一項目です。
いま、私がしている仕事である、「成年後見」は、超高齢化社会において生じてきている問題に対応する、意義の十分ある仕事です。また、「登記」も、この社会の、基本システムの運営に、関与する仕事ですので、十分に意義があります。
そして、実際に、「成年後見」の仕事に従事してみて、私には、いまこの社会が、健常者を中心として動いている社会であることが、あらためて分かってきました。その社会が、子どもや高齢者を排除するような動きを示していることも、分かってきました。そして、その排除が、介護離職や育児離職の原因となっていることも、分かってきました。
その知見から、私にとっての「社会的な意義のある仕事をすること」に、「育児できる職場、介護できる職場を、つくる」ということが、加わりました。
イ 学問で身を立てる
司馬さんの小説、『花神』(新潮文庫)。その主人公である、大村益次郎の生き方から、私は、影響を受けました。
大村益次郎の通称は、「蔵六」。蔵六は、幕末の、長州藩の、村医者でした。彼は、大阪の、緒方洪庵塾で、まずは、オランダ語を学びました。そのオランダ語によって、次に、西洋医学を、学びました。そして、西洋機械工学をも学んで、宇和島藩に雇われ、蒸気船を作りました。更に、西洋軍事学をも学んで、討幕軍の、参謀になりました。
このような、大村益次郎の生き方は、私にとって、魅力的でした。「私も、学問で、身を立てよう」。そのように考え、私は、大学へ進学する際に、学問を通じて、実務家になることのできる、法学部を、選びました。
そして、実際に、司法書士になってみて、私が感じていることは、「学問で身を立てる方法は、司法書士には、もちろん限らない」ということです。
――働きながら学ぶひとのために、司法書士の他にも、行政書士、宅地建物取引士、ファイナンシャル・プランナー、簿記検定などの、分野も難易度も様々な学びを、そのひとの興味分野・得意分野に応じて、選ぶことのできる、教育訓練制度。
そのような制度が、私の事務所にも、あったほうがよさそうです。
ウ 個人として生きる
司馬さんは、その晩年の講演である「訴えるべき相手がないまま」において、「個人として生きること」の重要さを、説いていました。たとえば、バブルの時代の「土地ころがし」について、健康な経済の活動ではないと知りつつも、「勤めている企業が決めた方針だから」と、不本意ながらも従事していた社員が、いたかもしれません。しかし、そのようなときに、企業の方針には従わずに、個人として生きてゆくことが、これからは、大事である。そうした趣旨のことを、司馬さんは、語っていました。
個人として生きる。その言葉を手がかりに、私は、独立開業して、自分の方針で、仕事ができる、司法書士の資格を、目指すことになりました。
このように、当初、私は、「個人として生きる」という問題を、「個人と組織」という観点から、捉えていました。
その後、私には、次のような世界が、見えてきました。
――この社会は、個人と個人とが、契約することによって、成り立っている。
そのような社会においては、ひとにとって、次の能力が、必要になります。
――自分の名前で、他者と、契約することができる能力。
――その前提としての、「自分の意思を、他者に対して、表示することができる能力」。
このように、「個人として生きる」という問題は、「契約」及び「意思表示」という観点からの問題でもあることが、私には、分かってきました。
その一方で、私には、次のことも、分かってきました。
――どうしても、自分からは、意思を表示しないひとがいる。
――自分からは、他者と、契約しようと、しないひとがいる。
そして、私は、そのようなひとたちに、付き合ってみることにしました。どうやら、そのようなひとたちは、意図的に、消極的であるようにしているわけでは、ないようなのです。そのようなひとたちには、「自分の意思を表示するたびに、他者から否定を受けてきた」等の、そのひとたちなりの、事情があるようです。
また、私は、「個人として生きる」ことを肯定する以上、私の事務所から、スタッフさんたちが独立開業してゆくことも、肯定します。
本書において、今野さんの述べている、「社会通用能力」を、私の事務所での仕事を通して、身に付けて、独立開業して、個人として生きてゆくひとが、出て来てくれるのであれば、それは、そのひとにとっても、社会にとっても、意義があることでしょう。
なお、私は、スタッフさんたちが、長い期間、勤務してくれることも、もちろん歓迎します。
独立開業するか、長期勤務するか。それらの選択について、私は、個々のスタッフさんたちの、都合に合わせて、意向に合わせて、応じてゆきます。
(6)人事評価
――ひとは、「能力」と「姿勢」とを、「仕事」に投入して、「業績」を出す。
本書の、この言葉から、私は、映画監督・宮崎駿さんの、次の言葉を、思い出しました(『折り返し点』岩波書店)。
――私が仕事を始めたばかりの頃、絵を描いて、納品して、もうこれで取り返しがつかないとなったとき、情けなくて泣きました。不足している技術を、思いで補えると思っていました。でも、そうではありませんでした。修行しなきゃいけないと思いました。
若き日の宮崎さんが、「思い」(姿勢)を、「仕事」に投入したけれども、「技術」(能力)が不足していて、思うような「成果」(業績)が、出せなかった。
このように、宮崎さんの言葉と、本書の、上記の言葉とは、整合します。
(能力+姿勢)×仕事=業績
この方程式は、実際に、仕事において、成立する、方程式であるようです。
そして、この方程式を使って、人事評価をする場合には、次の手順が、必要になるでしょう。
――「能力」「姿勢」「仕事」「業績」について、それぞれ、基準を定立する。
――定立した基準に沿って、スタッフさんたちの行動を、半年間または1年間、記録する。
基準を定立すること。行動を記録すること。これらの「しくみづくり」もまた、大変な作業でしょう。しかし、やるべきであり、やりがいも、ありそうです。
そして、昇給のための、給与原資の計算にあたっては、その基礎となる、会計上の数字が、固まっている必要があります。そのためにも、月次決算が、できていた方が、よいでしょう。
2 問題群
本書からは、いまの、日本企業の人事管理についての、問題群も、様々、見えてきました。
(1)「価値」と「信頼」
――安価な労働力を武器に、標準的な製品を大量生産し、日本から世界に売っていく時代は、終わった。
――これからは、技術の集約によって、付加価値の高い、製品とサービスを、作り出してゆくことが、必要である。
本書における、今井さんの、これらの言葉に関連して、経理財務マンでした、金児昭さんは、その著書である『その仕事、利益に結びついてますか?』(日経ビジネス人文庫)において、次のように述べています。
――「作れば売れた」時代が、「お客さんとの関係ができてはじめて売れる」時代に、変わった。
「作れば売れた」時代からの、変化。このような、時代の変化についての認識は、今井さんも、金児さんも、同じです。ただ、その変化へ対応する方法についての、お二人の考えは、異なっています。
今井さんは、「付加価値を高めること」。
金児さんは、「お客さんとの関係を作ること」。金児さんの述べている「関係を作ること」は、より詳しく述べれば、「信頼関係を作ること」となるでしょう。
私の個人的な体験からしましても、製品やサービスは、価値があるのみならず、相手との信頼関係があってはじめて、販売に結び付くことになるようです。
価値×信頼=販売
このような方程式が、販売には、成り立つのでしょう。「価値」があれば、それのみで販売ができる、というわけでは、ないのでしょう。
このことに関連して、個人的な考えを、ここに書き留めておきます。
私にとって、「相手が自分に依頼してくれる」ということは、「相手が自分を信頼してくれる」ということです。ですので、私にとっては、売上以前に、「相手からの信頼に応えること」が、まずは重要となります。
相手からの信頼に応えることは、仕事の依頼が、1件1件、順番に来るならば、何とかしやすいです。しかし、実際には、複数の依頼に、複数の信頼に、並行して、応じることが、必要になります。すべての依頼に、すべての信頼に、滞りなく、誠実に応えること。そのことについては、困難を克服しなければならない局面が、やってくることがあります。そのような局面についての、予防の仕方や、克服の仕方は、個人的に、更に学んでおきたいです。
上記の考えからしますと、よくある「売上げについての目標を人為的に設定する」という、目標の設定の仕方について、再考してもいいでしょう。
売上げのための、販売のための、前提として、自分と他者との間に、信頼し合う、関係を、結ぶこと。そのことは、容易いことでは、ないはずです。
相手からの信頼に、応え続けてゆくうちに、自然と、紹介が増えて、仕事が増えてゆく。そのような、自然な成長を、私としては、してゆきたいです。
(2)過信
――日本の企業は、すでに、世界の先端に立っている。
本当に、そうなのでしょうか。そうであるならば、市場において、寡占の状況を作り出したり、技術において、ひとびとの生活を、革新したりすることが、もっとできたはずです。
本書における、上記の記述からは、今野さんの、日本の企業の実力に対する、過信を、個人的には、感じます。
たとえば、今野さんの述べる「付加価値」を、更に超える、「革新」を、日本の企業は、どれほど、起こして来たでしょう。「革新」とは、「ひとびとの生活を、変えること」です。たとえば、日本の企業が生み出した革新としては、「宅急便」や「カップ麺」の開発があります。そのような「革新」の事例の探求も含めて、日本の企業の「市場における存在感の大きさ」や「技術の水準の高さ」は、どれほどのものなのか、個人的に確かめてみたいです。
(3)ジェネラリストの育てすぎ
管理職ポスト不足。その問題から、私は、日本の社会における、「ジェネラリストの育てすぎ」を、感じます。
管理職になることができず、特段、やるべき仕事もない、ジェネラリスト。そのジェネラリストが、その能力が「企業特殊能力」であるがために、転職もできず、企業に在籍し続ける。
そのような状況は、本人の生きがいにとっても、社会における「労働力の再分配」にとっても、好ましくないでしょう。
このことに関連して、労働法学者・森戸英幸さんの『プレップ労働法』には、次の記述がありました。
――日本企業は、定期的に社内でひとを動かすことで、ひとつの分野のプロである「スペシャリスト」ではなく、会社内のあらゆる部署と人脈に通じた「ジェネラリスト」を作ってきた。
つまり、森戸さんによると、日本の企業は、「スペシャリスト」は育てないで、「ジェネラリスト」ばかりを、育ててきたことになります。
その結果としての、管理職ポスト不足。このような結果からしますと、本書において、今野さんが述べているとおり、「専門職」(スペシャリスト)を育ててゆく動きが、もっと増えていいのでしょう。
そして、若者たちも、先人たちの現状から鑑みて、「ジェネラリスト」のみならず、「スペシャリスト」をも、その仕事と人生における選択肢に、加えた方が、よいのでしょう。
(4)経営者がいない 管理職がたくさんいる
また、本書において紹介のあった、ある企業の「職能資格制度」が、「部長」で打ち止めになっていることも、個人的に、気になりました。「社長」つまり「経営者」になるひとについても、どのような職務についての、どのような能力が必要となるか、基準を定立しておくことは、必要でしょう。日本の企業のように、社員から社長を輩出することが、ままあるならば、なおさらです。
このような「職能資格制度」からは、次のような考えを、読み取ることができるかもしれません。「管理職(偉いひと)には、なりたい。しかし、経営者(最終的な責任者)には、なりたくない」。少し意地悪な見方かもしれません。
(5)賃金へのまなざし――平均値・絶対値
日本の企業が、昇給について検討するときの、基準が、「社会性」と「企業性」であることも、個人的に、気になりました。
これらの基準には、「社員の生活において、どのくらいの金額が、必要になるか」という観点が、入っていません。
しかし、その観点こそが、「生活保障賃金」のためには、必要でしょう。
「社会性」における「賃上げ率」という「平均値」を達成することによって、いまの社会において、社員たちの生活を保障することは、本当にできるのでしょうか。
ひとの生涯において、必要となる金額を、個々に算出して、足し合わせる。その結果を、年功平均賃金と、照らし合わせる。そのような、「絶対値」の算出による、検算を、してみた方が、よさそうです。
3 見えてくる儒教――文化という問題
上記の2において述べました問題群について、個人的に、もう一段、掘り下げて、検討してみます。
(1)旧日本軍
ア 石油――ネガティブな出来事に対する姿勢
本書において、個人的に印象的でしたこと。それは、今野さんが、「オイルショック」や「バブル崩壊」など、日本の経済にとってネガティブな影響を与えた出来事に、言及していないことでした。たとえば、今野さんは、「オイルショック」のことを、「高度成長から安定成長へ」と、表現しています。
このように、オイルショック等のネガティブな出来事について、言及しない、認識しない、今野さんの姿勢から、私は、旧日本軍の、石油に対する姿勢のことを、思い出しました。
このことについて、司馬さんは、次のように述べています。
「日露戦争の後、軍事に関してのエネルギー事情に、変化が起こった。軍艦等が、石炭ではなく、石油で動くようになった。しかし、旧日本軍は、この変化を、認識しようとは、しなかった」
このような、「事実を事実として見ようとしない姿勢」が、今野さんと、旧日本軍とには、共通して、あるようです。
旧日本軍は、日露戦争で、勝利した後、事実を事実として見ようとしなくなった結果、太平洋戦争で、敗北しました。
そして、「事実を事実として見ようとしない姿勢」は、「新しい歴史教科書をつくる会」をはじめとする、「自由主義史観」にも、見て取ることができます。
この重なり合いから、更に連想しますと… 高度成長と、自由主義史観の台頭。そして、その後の、自由主義史観の隆盛と、成長鈍化。これらには、相関があるのかもしれません。
イ 管理職ポスト重視
また、今野さんが、管理職のポストについて、重視している姿勢も、私には、旧日本軍の、ポストについての姿勢と、重なって見えてきます。
経営学者・野中郁次郎さんによると、旧日本軍は、太平洋戦争中でも、「序列の観点から、誰が管理職になるべきか」について、重視して、「勝利の観点から、誰が管理職になるべきか」については、軽視していたそうです。
なお、このような「序列の重視」は、「身分の重視」とも、言い替えることができるでしょう。
ウ 文化の連続
いままで述べてきました、「戦時体制」と「戦後体制」との、重なり合い。
この重なり合いに関連して、社会学者・山之内靖さんは、その著書である『総力戦体制』(ちくま学芸文庫)において、戦時と戦後の「連続」を、指摘していました。
山之内さんによる指摘のとおり、旧日本軍と、戦後日本企業とには、その運営に関しての習性――つまりは文化に、連続したところがあるのかもしれません。
そして、その「文化の連続」の、ひとつの例として、本書が、ロング・セラーになっていることを、挙げることができるでしょう。
(2)江戸時代
「文化の連続」という観点から、個人的に、考えを、更に進めてみます。
私は、『その仕事、利益に結びついてますか?』についてのテキスト批評において、「上位企業による、下位企業の、製品やサービスの、買い叩き」に、言及しました。
このような買い叩きの習慣は、江戸時代の、「武士が農民から重い年貢を取り立てていた」習慣に、私には、重なって見えてきます。
士農工商という身分制度。その身分制度のなかでの、上位の者が、下位の者を、搾取してゆく習慣。その習慣が、現代の日本にも、文化として、連綿として続いてきているのかもしれません。
そのような観点からしますと、現代日本における問題である「デフレーション」の、原因のひとつに、「江戸時代から続く身分制度」「そのなかでの搾取の習慣」が、あるのかもしれません。
なお、そのような観点からしますと、戦後日本における「労働運動」は、江戸時代における「一揆」と、重なって見えてきます。
(3)身分制度の原点――儒教
ア 守旧の思想
上に述べましたような、江戸時代の身分制度は、司馬さんによると、儒教、そのなかでも特に「朱子学」という一派の思想がもとになって、できた制度であるそうです。
朱子学は、守旧を重んじ、革新を否定する、思想であったそうです。たとえば、江戸時代の日本船舶は、一枚帆に限られ、遠洋航海ができないようになっていたそうです。そのような「守旧」の思想によって、江戸時代においては、260年間にわたる泰平が、続くことになったそうです。
そして、「守旧」の思想は、つまりは「変化を回避する」思想は、私には、戦後日本企業における「終身雇用」にも、重なって見えてきます。「終身雇用」という思想は、ひとの仕事と人生における、雇用についての「身分を固定して」「変化を回避する」思想でもあります。
このように、戦後日本企業の抱える問題について、地層を刷毛で刷いて、化石を発掘するように、掘り下げてゆくと、「儒教」という文化の問題に、堀り当たるように、私には、思えてきました。
「江戸時代の身分制度」、「旧日本軍の身分制度」、「戦後日本企業の身分制度」。これらの「点」を、「儒教による文化」という、一本の「線」で結び、理解することが、できるかもしれません。
イ 一例 管理の重視・技能の軽視
折しも、いま、NHKの大河ドラマでは、渋沢栄一が、その主人公となっています。
渋沢の主著は、『論語と算盤』でした。
このことは、戦後日本企業における「儒教」という文化の連続を、暗示しているのかもしれません。
たとえば、『論語』(中公文庫)には、次の記述があります。
――君子は、器ならず。
この言葉について、意訳すると、「君子は、器用である必要はない」という趣旨であるそうです。
この言葉の趣旨は、本書において紹介のあった、戦後日本企業における、「ジェネラリストの重視」そして「スペシャリストの軽視」に、そのまま、重なります。
ウ 「守旧の思想」の行先
上記のような、儒教の、「守旧」の思想をもとにした、戦後日本企業という組織から、「革新」は、果たして、これから、どれほど、生まれてくるでしょう。
むしろ、「守旧」の思想について、徹底するのであれば、「革新」への批判、イノベーションへの批判が、出てくる方が、一貫しているでしょう。
――革新の結果、イノベーションの結果、ひとびとの生活は、良くなりましたか?
――インターネットの普及、スマートフォンの普及は、ひとびとの生活を、本当に、豊かにしましたか?
――革新の速度、イノベーションの速度を、もっと、緩めるべきでは?
このような批判は、ひとつの、歴史上の、根拠のある批判と、なりうるでしょう。
ただ、このような批判は、儒教の思想という、タテ社会(支配の原理)の思想に基づいていますので、ヨコ社会(契約の原理)を目指している、私としては、全面的に賛同することは、できません。
なお、ヨコ社会(契約の原理)の思想は、一言で表現しますと、「法治主義」となります。
エ いったんの態度決定――自然な変化
私としては、ひとびとの生活にとって、「人為的な革新の重視」と「人為的な守旧の重視」の間にある、「自然な変化」こそが、大事であるように、考えます。
4 その他――自律自走・目標協議
本書において紹介のありました「属人主義による、ボトムアップ」や「企業と社員の協議による、目標の設定」については、成瀬岳人さんの『組織力を高める テレワーク時代の新マネジメント』(日経BP社)においても、同様の言及がありました。「自律自走」、「目標協議」。
旧来のマネジメントについて紹介している本書と、新しいマネジメントについて紹介している上記書籍とに、共通する記述があること。このことについて、私は、次のように、理解します。
――戦後日本企業において、長期不況のもと、組織運営能力が減退してゆくなかで、「コア職務制度のなかでの、トップダウン」という、ちぐはぐな状況が生まれてきている。その状況を、成瀬さんは、もとの健全な状況に、戻そうとしている。