【読書】藤田結子『ワンオペ育児』毎日新聞出版
藤田結子『ワンオペ育児』毎日新聞出版 2017.6.21
http://mainichibooks.com/books/humanities/post-416.html
著者の藤田結子さんは、社会学者。自分自身もワンオペ育児の状況になり、従前からの研究ができなくなった。「それなら、このワンオペ育児について研究しよう」。その結果を本書にまとめた。
なお、ワンオペ育児とは、「母親が一人で育児をすること」を指す。
1 夫婦関係
魅力が不満へ。現代日本の女性は、「仕事で成功している男性」に魅力を感じて、結婚相手に選ぶ。しかし、「仕事で成功している男性」は、「仕事を優先してきた男性」。だから、夫は、結婚後も、仕事を優先して、育児には協力しない、ということになりがち。夫の魅力だったはずの特性が、結婚後は不満の原因になる。
夫が育児に協力するといっても、「世話」ではなく「遊ぶ」ことに偏る傾向がある。
家事の分担について、夫は少ししか手伝わないのに、「自分は手伝っている」という顔をする。ある家庭で、妻が家事分担の実際を表にして、夫に突きつけた。その表を本書に掲載。
こうした夫は、妻にとって「大きな子ども」に見えてくる。夫も妻のことを「お母さん」「ママ」と呼ぶ。
夫の職場の上司からの無理解。
たとえ、夫が本気で育児に協力しようとしても、その職場の上司が「男は仕事を優先するべきだ」「妻が働いているのは、勝手な都合だ」と、定時退社や育児休暇について、消極的に反応することが、ままある。
その上司は、「正社員×専業主婦」の夫婦として働いてきた世代。この世代は、夫の収入だけで、家計をまかなうことができた。今は、家計をまかなうため、共働きの夫婦の方が多い。若い夫婦には共働きが必要なことについて、上司の理解がない。
義理の両親、特に姑からの無理解。
姑は専業主婦として生きてきて、子育てに全力を注いできたつもりになっている。夫も「うちのおふくろが、ひとりで育児できたんだから、キミにもできるはずだ」。しかし、姑が子育てしていた時代よりも、会社員の労働時間は長くなっている。つまり、姑の時代よりも、夫が子育てに協力できる時間は短くなっている。また、育児を支える人間関係も細くなっている。嫁が、自分の時代よりも孤立無援の状況で子育てをしていることに、姑は気がつかない。
〔中島コメント〕
この本に書いてある状況、いずれも、見たこと・聞いたことがあります。
「妻が夫にとって母親になる」。この関係については、大日向雅美『母性愛神話の罠』(日本評論社)に分析があるようです。個人的に読んでみたくなりました。
2 保育園
保育園に入ることができるかどうかは、妻にとって、仕事を続けることができるかどうかに直結する問題。なお、現代日本では、7割の家庭で、妻が保育園への子どもの送り迎えを担当している。残る2割は、往復のどちらかを、夫婦で分担。最後の1割が「往復のどちらも夫が担当している」。
保育園に入ることができたとしても、妻は、「朝:家事育児、昼:仕事、夜:家事育児」の長時間労働を、毎日、繰り返すことになる。
〔中島コメント〕
保育園に入ることができるかどうか。切実な問題であることが、本書から、よく伝わってきます。
切実な問題であることをふまえた上で、根本的な疑問。「子どもを保育園に預ける」という制度は、子どもを育てるにあたって、適切な制度なのでしょうか?
「子どもを保育園に預ける」という制度には、「高齢者をホームに預ける」という制度と同じく、「社会からの隔離」という発想を、個人的に感じます。
そうした違和感から、その延長線上で、こういうことも、個人的に考えます。
子育ての場と、職場とを分けることから、「朝:家事育児、昼:仕事、夜:家事育児」という苦労が生じることになります。
職住近接で、こまめに職場と自宅とを行き来できるようにしてみても、いいのではないでしょうか。
そして、たとえば、親の職場で子どもがごはんを食べることができるようにする等、「親の職場を、子どもの居場所にする」ということも、考えてみてもいいのではないでしょうか。
3 若者にとっての恋愛と結婚
心理学者、小倉千加子さんによる研究。『結婚の条件』。
女性は、その学歴によって、男性に求めるものが違ってくる。
[高卒] 「生存」 相手に「食べていける収入があること」
[短大卒] 「依存」 専業主婦となり自分の趣味の延長線上で仕事ができること
[四大卒] 「保存」 一生働く自分を尊重してくれること
彼女たちにとって、結婚相手は、「理性と打算で選ぶもの」。
男性にとっては、結婚相手が「周囲に自慢できる職業であること」が大事な要素。
現代の若者にとって、「恋愛」と「結婚」は、別物。「恋愛は、面倒くさい」「でも結婚は、したい」。
男女とも、結婚の利点についてのアンケート調査で、「愛情を感じている人と暮らせる」は、1割ちょっと。
ただ、「結婚」は、いまも「子ども」とは、つながっている。「結婚した上で、子どもを持つ」。こうした意識は、いまの若者にも、存在している。
〔中島コメント〕
恋愛とは、どういうものか、ということについて、鷲田清一さんの言葉に、こういうものがあります。
「三人称の視点から『あの人は社会的にああだ、経済的にこうだ』ではなく、二人称の視点から『わたし、あなた』の関係になること。自分を賭けること」
また、河合隼雄さんの言葉に、こういうものがあります。
「現実の社会において、社会的な地位に関して、どのように成功しても、『他の誰でもない固有な人として接することのできる相手』がいなければ、たましいに必要な課題を達成したことにはならない」
鷲田さんの言葉も、河合さんの言葉も、上記「結婚相手は、理性と打算で選ぶもの」「結婚相手が周囲に自慢できる職業であることが大事」という言葉たちとは、正反対の言葉たちですね。
若者たちにとっての恋愛そして結婚は、どうして、このように意味合いが変わってきたのでしょうか。
また、「結婚」と「子ども」とがつながっているという若者意識については、最高裁大法廷の非嫡出子相続分差別違憲決定が示している「結婚」と「子ども」とを分ける意識との食い違いがあります。この食い違い、個人的に興味深いです。