【読書】立川昭二『病気の社会史』岩波現代文庫
立川昭二『病気の社会史』岩波現代文庫 社会152 2007.4.17
https://www.iwanami.co.jp/book/b256401.html
著者の立川昭二さんは、医療文化史学者。
「病気は文明がつくり、また病気は文明をつくる」
この観点から、社会の歴史を、ひもとく。
「生命はもともと不安定な現象であり、環境との不断の緊張関係のなかに存立している。生命にとって、もっとも安定した状態とは、死によって生命の基となった物質の世界に還元したときである。死はエントロピーの値が極大となった安定した状態であるから――。したがって、人間は生きているかぎり、『病む者』である。その病む者がつくる文明も、いずれは『病める文明』である」
第1 要約
1 病気の社会史
(1)戦争 ギリシャ・ローマ
古来、戦争は、病気の伝染、その拡大をもたらした。戦地で病気にかかった戦士たちが、社会へ病気を持ち帰り、病気が蔓延してゆく。ギリシャ文明、ローマ文明の衰退についても、戦争による社会の疲弊、そして、その疲弊した社会のなかでの、病気の蔓延が、その一因となった。
(2)交易
交易の拡大も、交易の当事者となる社会どうしに、新たな病気を、もたらす。
ペストは、もともと、インドからアジア南部にかけて生息していた野ネズミが、人間の交易にくっついて、ヨーロッパへ流入したことによって、ヨーロッパに広がった。
梅毒は、アメリカという新大陸の発見により、新大陸から、ヨーロッパへ、流入した。
なお、梅毒についての、ヨーロッパにおける、感染の拡大に関しては、ルネサンスによる、社会における「性の解放」もまた、その原因として、あった。
(3)衛生
ペストの流行が収束したことについては、社会における衛生設備の整備が充実したことが、その一因。ただし、ペスト菌をもたらす野ネズミが、別な種類の野ネズミに、淘汰されたことも、同じく、一因として、ある。
(4)社会が深刻にする病
社会が、その病気の深刻さを増すことに、加担することがある。
ハンセン病は、発病したひとを、社会が差別したことによって、その深刻さを増した。
(5)産業革命――結核
産業革命による、工場労働。農村から都市への人口移動。都市においては、流入する人口に、建物の建設が追いつかず、不衛生なスラムが形成。
そして、筋力が不要になったことによる、女性労働、児童労働の派生。この時代には、かえって、男性が家事をする現象も、起きていた。
早朝から深夜にかけての、長時間労働。乏しい食事。密閉空間への密集。劣悪な労働環境は、結核の温床になった。
(6)文明病――公害病・がん
文明の発展につれ、社会が分泌する化学物質は、公害病を引き起こしてきた。
また、がんの原因物質は、社会自身が、その発展した科学技術から、生み出している。
(7)精神病
近代化、都市化が進んでゆく過程で、精神病も、増大してゆく。
「ところで、明治維新が日本人の経験したまれにみる急激な社会変革であったことは論をまたない。この急激な変革は、生活様式の急変、倫理・価値観の急転、生存競争の激化をともない、教育の過重・生活難の増大がすすむ。当然そこには精神的動揺・不安が醸成される。あるいは農村から都市に流入し、あるいは士族から賃金労働者に転じた、これら生活の急変を強いられた無数の人びとが、新しい様式・体系に接触していくなかで、精神的葛藤を増大させていく。旧来の生活習慣と階級秩序の崩壊は、あらゆる伝統的価値を崩壊させていくとともに、そこにあった社会的防衛機構をも同時に崩壊させていく。ここに、激変する社会から脱落していく者、新しい社会に適応できない者、彼らが精神的動揺・不安・葛藤・欲求不満をエスカレートしていく過程で、精神病者として顕在化してくることは、おそらく疑えない現象であったろう」
※ 中島メモ 現代日本社会における「激変する社会から脱落していく者、新しい社会に適応できない者」について、小説に書き留めている作家さんのうち、ひとりが、小川洋子さんでしょう。
2 病気が社会に与える変化
(1)無秩序
大量に発生する遺体は、葬送儀礼の省略を、もたらす。
死者に対して、宗教に対して、敬虔だったはずのひとびとが、遺体を無造作に堀へ投げ込み・寺に積み重ね、または、放置して、去ってゆく。
自分の明日の生命も、知れない。刹那的になる人々。道徳の崩壊。
(2)権威失墜
病気の流行に対して、無力な指導層・指導者を、民衆は、支持しなくなる。
ヨーロッパ中世において、ペストに対して、聖職者・教職者は、無力だった。ヨーロッパ中世を支配していた、宗教的権威・学問的権威は、崩壊していった。その崩壊は、次の時代である「ルネサンス」を、準備した。
(3)価値の発見
ペストによる、労働力の減少。その減少が、農民の待遇について、その改善を、もたらした。農民は、「土地の附属品」ではなく「生産の担い手」。そのように、農民自身も、自らの、人間としての価値を、認識していった。
3 日本の場合――明治時代
(1)コレラ
明治時代、日本においては、コレラが、幾度となく、流行した。多い時には、死者が、1年間で、10万人を超えた。
コレラの流行に対する、政府の対応は、「警察行政による衛生行政」。政府が、民衆を、取り締まる方法で、対応。衛生環境の整備自体は、民衆に任せっきり。
警官による、民衆の取り締まり。反発する民衆。「コレラ一揆」の群発。
(2)結核――女工哀史
大正・昭和初期にかけて、流行した、結核。その流行の原因には、女工たちについての待遇の問題があった。農村から都市へ移住して、工場労働にあたる、若き女工たち。劣悪な労働環境。彼女らは、次々と、結核に罹っていった。
農村から都市へ移住した女工たちは、年間、20万人。彼女らのほとんどは、数年も経たないうちに、病を得て、工場労働から、脱落する。20万人のうち、12万人は、都市に残留。そして、他の8万人は、故郷へ。都市へ出てゆくときは、頬のつやつやしていた女性たちが、故郷に帰ったときには、やつれ果てていた…
女工哀史。彼女らの得た病、特に結核は、全国に、流行していった。
第2 中島コメント 市場・都市・職場・生産
1 市場
「交易の拡大も、交易の当事者となる社会どうしに、新たな病気を、もたらす」
SARSといい、新型インフルエンザといい、コロナウイルスといい、発生地は、中国をはじめとした、アジア諸国です。
中国が、市場を開放したことを、皮切りに、アジア諸国の市場を、欧米の市場が包摂して、これらの社会どうしの交易が、活発になったことが、現代において、新たな感染症が、グローバルに流行する、その基盤となっているのかもしれません。
グローバルな規模での、人間の移動が、グローバルな規模での、感染の拡大を、もたらす。とはいえ、グローバルな規模での交易システムが、組みあがった現在、この人間の移動を、止めることは、できないのではないでしょうか。
ということは、これからも、こうした新たな感染症のグローバルな流行は、幾度となく、起こりうるのかもしれません。
「人間は生きているかぎり、『病む者』である。その病む者がつくる文明も、いずれは『病める文明』である」
2 都市
今般のコロナウイルスについての騒ぎに関して、個人的に考えていて、印象深いことは、「都市への人口集中が、感染の拡大する、要因になっている」ということです。
そもそも、日本において、なぜ、都市へ人口が集中するのでしょう。
かつて、日本においては、「中央が統制」「地方が生産」という役割の分担が、あったといいます。その「生産」が、「地方」から、「海外」へ移りました。そして、「地方」から、仕事がなくなり、「中央」へ、つまり「都市」へ、仕事を求めて、主に、高学歴の若年層が、集中する。こうした構図が、おそらく、いまの日本社会には、あるのでしょう。
「中央の統制」。それが、都市への人口の集中を、もたらし、その人口の集中が、病気の感染の拡大を、もたらしているであれば、その対策については、たとえば、下記の二つの方法が、ありうるのではないでしょうか。
A 「中央」の面積を広げる(「都市」の面積を広げる)
B 「中央」の機能を「地方」へ分散する
なお、「生産」が「海外」へ移るということは、その分、「海外」との交易も、盛んになるということです。そのことも、グローバルな規模での感染拡大について、日本も当事者になることに関しての、一因になっているでしょう。
3 職場
――コロナウイルスの感染拡大防止のため、「三密」を避ける。
こうしたことを、たとえば、厚生労働省が、強調しています。三密とは、密集、密室、密接。そして、三密を避ける、その結果、厚生労働省は、「職場に行かないこと」(在宅で仕事をすること)を、推奨しています。
しかし、そもそも、なぜ、いまの日本社会の職場は、密集、密室、密接した環境にあるのでしょう。そうした意味では、いまの日本社会における企業労働は、明治時代における工場労働と、そう変わりがなさそうです。そうした労働環境から、そもそも、改善したほうが、いいのかもしれません。
密集しない。密室にしない。密接しない。これらのことは、「土地」、「場所」、ひいては「空間」を、広く使うことに、つながってゆきます。一方で、この社会では、空き地の広さ、空き家の多さが、問題になっているのですから、「空間を広く使うこと」に、ひとびとが向かってゆく余地は、十分あるのではないでしょうか。
補足1。「三密」に関しては、個人的に、もうひとつ、気になることがあります。ひとが、職場の「三密」を避けることは、家庭にこもることに、つながります。そうしますと、家庭が、「三密」の場になります。ということは、同僚ではなく、家族に、感染が拡大してゆく、その可能性が、高まることになります。私たちは、何のために、「三密」を避けているのでしょう。
補足2。職場も、家庭も、「三密」。それなのに、私には、職場においても、家庭においても、一人一人が、孤独であるように、見えます。働く中年、働く若者、家事する主婦、等々、それぞれが孤独に見えます。近すぎる孤独。私の思い過ごしでしょうか。この問題意識について、個人的に、これから深めてゆきたいです。
4 生産
いまの日本社会における、職場での働き方が、工場労働時代のしくみを、引きずっているのだとすると、次の時代には、どのような働き方が、ありうるのでしょう。
そのためには、いま、私たちが、何を生産しているのか、何を生産するべきなのか、その自問自答が、必要となるでしょう。
「都市」で「中央」が「統制」。「統制」は、「管理」とも、言い換えることができます。東京で働く、私たちは、何かを生産しているようでいて、実は、「管理」を、主に担っているのかもしれません。
さらに、「管理」は、「手入れ」と、言い換えることもできます。いま、日本の社会システムが抱えている問題(少子化・高齢化・空き家など)について、手入れすること。それが、私たちのするべき仕事、そのひとつなのかもしれません。そのためには、職場が三密であることは、必要がなさそうです。ということは、私たちは、「個人が占有する空間の拡大」を、目指すことができ、むしろ、目指すべきなのかもしれません。
5 補足
(1)飢え
この本の著者である立川さんは、病気の流行のあと、流行時の食糧生産の不振により、飢えがやってきたことがあることも、指摘しています。
翻って、今日の、コロナウイルスについての騒ぎに関しても、日本国内で農業に従事するはずだった、外国人技能実習生が、入国できず、そのために、食糧生産が滞りがちである旨、報道があります。
病いのあとの、飢え。そのことも、予期していたほうが、いいかもしれません。どこへ行けば、十分な分配に足る、食糧があるか…
(2)無秩序と法
社会のなか、幾度となく「無秩序」が支配した時代があっても、「法」は、現代に至るまで、生き続けてきました。たとえ、これから「無秩序」の時代が、やってくるかもしれないにしても、「法」を学んでおくことは、そのまた次の時代を建設するために、意義があるでしょう。
なお、「無秩序」の時代を生き抜くためには、「動物」としての「生きる力」も、重要になってくるでしょう。
(3)女工哀史
明治日本、その殖産興業の推進にあたって、力になった女工たちが、結核の感染拡大についての、温床になった。このことは、個人的に、読んでいて、痛ましかったです。
サン=テグジュペリの言葉、「ひとは、自分の一生を、仕事に捧げることによって、その手に、『星』を得ることができる」。彼女たちが、その過酷な仕事を通して、その手に得たものが、「病」だったとは…
労働者としては、ただ単純に、一所懸命に働けばよいものではなく、「他者を生かして、自分も生かす」仕事に就いて、働いてゆくことの、大切さを。そして、経営者としては、労働者であるひとたちが、そうした仕事ができるよう、仕事の内容や環境を、整えてゆくことの大切さを。それぞれ、個人的に、再確認しました。