【読書】小倉昌男『経営学』日経BP社 ~全体主義システム形成・その典型~

小倉昌男『経営学』日経BP社 1999.10.4
https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/99/P49270/

 クロネコヤマトの宅急便、創始者、小倉昌男さん。その小倉さんが、宅急便の企画、開発、実行について語る。

 この本は、個人的には、河合隼雄さんの『日本文化のゆくえ』岩波現代文庫、堀田善衛さんの『ミシェル 城館の人』集英社文庫、山之内靖さんの『総力戦体制』ちくま学芸文庫と並んで、たいへん読み応えがありました。
 ただ、この本と、これらの3冊とは、その読み応えの中身に関して、違いがありました。
 この本には、これらの3冊とは違い、個人的に気になる、問題を含んだ記述が、いくつもありました。

第1 内容要約

1 環境の変化 近距離輸送から長距離輸送へ

 戦前、ヤマト運輸は、先代社長・康臣さんのもと、関東圏において、自動車での近距離への輸送に、携わっていた。
 その事業をめぐる環境が、戦後に、変化した。長距離への輸送について、鉄道から、自動車へ、主役が移り変わっていった。運輸事業の主な舞台は、大阪から東京への、大口輸送に。しかし、康臣さんは、次のように、思い込んでいた。「長距離への輸送は、鉄道が担当するものである」。結局、小倉さんが事業を承継するまで、ヤマト運輸は、長距離への運輸事業に、本格的に進出することができなかった。

2 利益率 大口荷物より小口荷物

 長距離への運輸事業、その事業への、進出の遅れ。ヤマト運輸が進出したときには、家電製品生産会社など、大口の顧客とは、すでに、他社が、取引関係を結んでいた。他社との競争に、ヤマト運輸は、敗北した。
 この敗北に関して、小倉さんには、腑に落ちない点があった。他社と自社との、利益率の違い。同じ運輸事業のはずなのに、どうして、自社だけ、利益率が、こうも低いのか。
 小倉さんは、こっそり、他社の営業所を、観察。他社は、大口荷物の他に、小口荷物も、たくさん運んでいた。そこからの、気づき。荷物は、大きければ大きいほど、遠ければ遠いほど、運賃が安くなる。それに対して、小口荷物は、いくら小さくても、最低運賃までで、金額は下げ止まる。結局、小口荷物のほうが、利益率は、いい。その小口荷物を、小倉さんは、「いまは大口荷物を運ぶべき時代だから」と、断ってきていた。自社と他社との利益率の違いは、ここにあった。
 小口荷物のほうが、大口荷物よりも、利益率が、いい。この気づきが、小倉さんが、宅急便を、企画、開発するに至る、ヒントになった。

3 オイルショック 人員整理

 もともと、大口荷物市場における敗北によって、ヤマト運輸の経営が、苦境に陥っているところに、オイルショックが発生した。
 このとき、小倉さんは、自社の労働組合への態度として、組合員たちについて、雇用を維持することにした。このことが、それ以後、ヤマト運輸の労働組合が、経営に対して協力する態度をとってゆくことになる、そのきっかけになった。
 なお、組合員たちは、正社員だった。組合員ではない、非正社員たちについては、小倉さんは、その人員を整理した。
 小倉さんは、この本のなかで、次のような趣旨のことを、語っている。「人員の整理において、まず、対象とするべき人間は、高齢者、単身者である」。

4 小口荷物 市場調査

 小口荷物を、たくさん集めて、運ぶことができれば、利益率のいい事業になる。そのためには、どのようにすれば、よいか。小倉さんは、社員を動かし、特定の地域で、1年間に、何個くらい、家庭から小口荷物が出ているか、調査した。調査の結果、荷物の個数に、単価を掛けると、企業経営が十分以上に成り立つ市場が、存在しているであろうことが、分かった。

5 事業特化 吉野家がヒントに

 大口荷物市場での、敗北。敗北した市場において、これ以上、競争を続けていても、仕方がない。
 小倉さんは、牛丼に特化して成功した「吉野家」を参考に、小口荷物市場に関して特化した事業の立ち上げを、決意した。

6 体制構築 ハブ・アンド・スポークシステム

 あとは、どのように、小口荷物を集めるかが、問題になる。その解決のために、小倉さんは、「ハブ・アンド・スポークシステム」を、計画。空港のように、長距離間での移動についての中継拠点となる「ハブ」を、設置。そこから、それぞれの地方の隅々にまで移動することができる、「スポーク」を、伸ばす。「スポーク」の先には、荷受けのための、小さな拠点を、ばらまいて、置く。荷受けの拠点としては、自社拠点のほかに、酒屋に、代理での荷受けを頼んだ。酒屋の役割は、いま、コンビニエンスストアが、担っている。

7 想定顧客 主婦

 小口荷物の運輸事業、すなわち「宅急便」における、想定顧客は、主婦。
 主婦のためには、分かりやすい、料金体系が、必要となる。そこで、料金を、500円から、設定した。
 また、主婦から呼ばれたら、セールスドライバーが、荷物を受け取りに行くことに。「受け取りに行く」という点が、当時、唯一の想定競争相手だった、郵便小包との、差別化のために、重要だった。
 さらに、荷造りの苦手な主婦のために、荷造りが不十分だった場合、セールスドライバーが、その補強をすることにした。
 そして、このようなアピールポイントのうち、最大のものは、「翌日配達」。「早さ」を、売りにすることに。

8 労働生産性の向上

 「宅急便」のキーワードは、「労働生産性の向上」。

(1)人員

 小口荷物は、単価が小さい。だからこそ、たくさん、繰り返し、集荷する必要がある。そのためには、顧客である主婦と向き合う、セールスドライバーの働きが、肝心となる。
 小倉さんの言葉、「セールスドライバーは、寿司職人のようであれ」。寿司職人のように、現場で、顧客からの、様々な要望に、応じることが、セールスドライバーの、役割である。
 たとえば、配達した荷物が、壊れていた等、事故があった場合に備えて、小倉さんは、セールスドライバーに、その場で、30万円までの賠償に応じる、権限を与えた。

 なお、セールスドライバーになることを、ヤマト運輸に元からいたトラックドライバーたちは、最初は、嫌がっていた。「トラックドライバーこそ、花形である」。それが、実際に、セールスドライバーになってみると、彼らは、顧客から感謝の言葉がかかることに、感動して、そのことが、働きがい、生きがいになっていった。

 また、ヤマト運輸において、社員の評価は、「人柄」で、している。上から見ての評価には、限界がある。横から、下から見て、「人柄がいいかどうか」が、上から見ての評価を、補完するための、参考となる。

(2)車両

 セールスドライバーが、「集荷・配達」という作業に集中できるように、小倉さんは、専用の車両も、特注した。
 立ちながら作業できるくらい、天井の高い、荷台。
 その荷台に、運転席から入ることができるよう、通路を造設。
 運転席の左手から、外へ出ることができるよう、助手席を取り除く。右手から外へ出るとなると、いちいち、後続車に注意する必要が出てくる。そもそも、セールスドライバーが、ひとりで、集荷・配達してゆくための車両に、助手席は不要である。

(3)拠点

 拠点では、荷受けした荷物を、仕分けするために、機械による作業ベルトと、人間による作業ベルトとを、設置。機械による作業ベルトでは、荷物の集中する時間帯に、荷物を捌き切ることが、できない。その時間帯には、人海戦術をとる。荷物のまばらな時間帯、たとえば夜間には、機械による作業ベルトを、主に動かし、その操作のために、少数の人員を、置く。

(4)情報システム

 人員、車両、拠点。これらを整えた上で、小倉さんは、荷受けした荷物を管理するための、情報システムを、開発した。「NEKOシステム」。

  ヒューマンウェア
   ⇒ ハードウェア
    ⇒ ソフトウェア

 この順番で、小倉さんは、宅急便という事業を、運営してゆくための、システムを、構築していった。

(5)優先順位

 宅急便というシステムの、構築にあたり、小倉さんが、社員たちに、繰り返し、語っていた言葉。「サービスが先、利益は後」。十分なサービスが提供できてこそ、利益が、ついてくる。利益を優先して、そのために、人員・車両・拠点の配備が足りず、サービスがおろそかになると、結局、そのサービスを利用する顧客が少なくなって、利益が出なくなる。

 また、「安全第一、能率第二」という言葉も、小倉さんは、社員たちに、言い聞かせていた。能率ばかり優先していると、事故が多発するようになる。このことは、若き日の、静岡運輸への出向、その経験から、学んだ。
 経営者は、「〇〇第一」と、「第一」の対象になる価値のことばかり、従業員に言って回るのではなく、「〇〇を、何に対して、優先するのか」という、優先する対象を、明示するべきである。

9 サービス開始

 十分に、準備を整えた上で、小倉さんは、「宅急便」のサービスの、提供を開始した。
 「宅急便」は、新しい生活様式を、生み出した。「サービスは市場を創造する」。
 「宅急便」は、順調に、その業績を、伸ばしていった。

10 他社との競争

 「宅急便」の成功を、目の当たりにして、他社が、同様のサービスに、進出してきた。
 他者との競争に、打ち勝つために、小倉さんは、①サービスを手厚くすること、また、②その提供する範囲を拡大することに、力を注いだ。

(1)手厚いサービス

 サービスを、手厚くする。そのために、小倉さんは、「二便制」を実施。それまでは、1日1回だった、全体での配達の動きを、1日2回に。こうすることによって、宅急便においては、荷物を、同じ時間で、より遠くまで、運ぶことができるようになった。また、配達先へ、1日2回、荷物を届けることができるようになった。
 配達先へ、1日2回、荷物を届けることができる。このことの意味は、小倉さんにとっては、大きい。たとえば、荷物を届けるとき、相手が不在であることがある。この場合、供給者からみると、「せっかく行ったのに、相手が不在だった。そのために、配達が遅れた」。しかし、利用者からみると、「こちらが不在のときに、宅急便が来た。そのために、配達が遅れた」。供給者の論理ではなく、利用者の論理で、サービスを提供することが、重要である。

 サービスを、手厚くする。そのために、労働組合からは、「年末年始も、集荷・配達を実施する」との、申し出があった。労働組合が、企業に対して、自ら、更に働くことを、申し出てきた。

(2)広範囲でのサービス

 サービスの、提供範囲を、拡大すること。全国、津々浦々へ。そのためには、運送免許を管掌する、運輸省との闘いが、必要になった。ヤマト運輸が、運輸省に対して、新しい地域での、運送免許を申請しても、「この地域の、既存業者からの、同意を得て来るように」。既得権益の、運輸省による、保護。しかし、そのような同意は、本来、不要であるはずである。そこで、小倉さんは、運輸省を相手に、行政訴訟を、提起した。その行政訴訟においては、運輸省には、ヤマト運輸に免許を付与しないための、その根拠となる、経済情勢に関する資料を、提出する必要が、生じる。そのような資料が、運輸省に、あるわけがない。運輸省は、ヤマト運輸からの、行政訴訟の提起を受けて、やっと、同社に、運送免許を、付与した。

 なお、このような、行政との闘いにおいて、小倉さんは、政治家には、頼らなかった。ヤマト運輸が、政治家に頼った場合、行政の後ろにいる、既存業者たちも、また別な政治家に頼ることになる。その結果、「足して二で割る」ような、十分ではない利害調整で、交渉が終わることになる。そして、その政治家に、借りも、できる。
 行政との交渉においては、政治家の力は、借りず、法のもとに、正攻法を、とるべきである。

11 経営哲学

(1)141頁からの引用

 企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家をやめた方がいいと私は思う。事業を行う以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。

(2)289頁からの引用

 企業の目的は営利であり、利益が出ている会社が良い会社であり、儲からない赤字の会社は、いくら良い商品を作り、優れたサービスを提供しても、良くない会社だ、という考え方の人もいると思う。要するに企業の存在価値は利潤を生み出すことにある、と割り切るわけだが、はたしてそれが正しい考えなのであろうか。
 私はそうは思わない。企業の目的は、永続することだと思うのである。永続するためには、利益が出ていなければならない。つまり利益は、手段であり、また企業活動の結果である。
 企業は社会的な存在である。土地や機械といった資本を有効に稼働させ、財やサービスを地域社会に提供して、国民の生活を支えている。企業は永続的に活動を続けることが必要であり、そのために利益を必要としているのである。
 もし海外から資本だけがきて利益を上げ、その利益を国外に引き上げたら、地域にとって企業の存在価値は認められないと思う。
 企業の存在意義は、端的にいえば、地域社会に対し有用な財やサービスを提供し、併せて住民を多数雇用して生活の基盤を支えることに尽きると思っている。それが企業活動だが、企業とは地域の人を喜ばす存在であるべきで、それでこそ社会的存在ということができるのである。

第2 中島コメント

1 経営の観点から

 この本には、私にとって、企業の経営において、参考になる知恵が、いくつも、載っていました。

(1)価値の発見

 小口荷物のほうが、大口荷物よりも、利益率がいい。
 このことについての気づきから、宅急便のサービスの開発にいたるまでの、小倉さんの、思考の展開は、個人的に、大変参考になりました。

 私が、先日の「考えの足あと/経営プリズム」において述べた、「価値の流れ」。その流れを、小倉さんは、新たに発見することのできる、眼力を持ったひとだったようです。そして、その発見から、小倉さんは、宅急便という事業を、立ち上げていったのでしょう。
 「貨幣の流れ」「価値の流れ」「生命の流れ」。こうした流れを、小倉さんも、重視していることが、上記の第1-11の、経営哲学からも、個人的には、伝わってくる印象があります。

 「内容要約」においては、紹介しませんでしたけれども、小倉さんは、百貨店・三越において、新たに社長となった、岡田茂さんのやり口について、この本の、冒頭で、怒っています。
 小倉さんの話によりますと、岡田さんによる、三越が、ヤマト運輸の、大口の取引先であることを利用した、同社に対する、筋の通らない、費用負担、支出の強制が、あったそうです。
 「貨幣の流れ」「価値の流れ」「生命の流れ」。こうした流れのなかから、自社が、どれくらいの割合を、汲み上げて、別途、どれくらいの割合を、他社に分配するか。それが、経営者として、重要となってくる判断の、ひとつなのでしょう。
 こうした考えからしますと、「利益率」は、まさに、「その事業において生み出した価値のうち、自社が、どれくらいの割合を、汲み上げて、別途、どれくらいの割合を、他社に分配しているか」を、示す指標であるでしょう。そうなりますと、「利益率」は、あまり高すぎなくていい、ということに、なってくるでしょう。

(2)事業の特化

 小倉さんの語る、吉野家をヒントにした、事業の特化。このような特化については、経営学者・三品和広さんも、『経営戦略を問いなおす』ちくま新書のなかで、重要なこととして、指摘しています。
 事業の特化。この発想から、私自身の、これまでの自分の歩みを鑑みますと、私は、「高齢化」に特化した事業を、展開してゆくことに、なりそうです。「高齢化」に、更に「豊島」や「立教」を、加えても、いいかもしれません。これらの概念は、それらの対象範囲から、次のように、整理することができるでしょう。

  大 高齢化
  中 豊島
  小 立教(但し立教OBOGの活動範囲は全国規模)

(3)新しい生活様式

 小倉さんは、宅急便というサービスによって、新しい生活様式を、生み出しました。
 「新しい生活様式」という言葉から、敷衍して、個人的に考えますと、いま、社会において、ひとびとは、「高齢化」したあとの、「新しい生活様式」を、模索している状況にあると、いえるかもしれません。
 「高齢化」したあとの、「新しい生活様式」を、私のこれまでの・これからの、職業経験から・学習知見から、どのように、考案してゆくことが、できるか。そのことを、私が取り組むべき、今後の課題としても、いいのかもしれません。
 そのような考案にあたっては、方法として、「高齢化」という総論から入ってゆく方法と、「個別業務」という各論から入ってゆく方法との、二つがありうるでしょう。以下、個人的な備忘のため、個別業務について、ここに列挙しておきます。

  〔総論〕
   高齢化社会
  〔各論〕
   個別業務
    法定後見
    任意後見
    遺言
    死後事務委任
    遺言執行
    遺産承継
    相続登記

(4)多能工

 小倉さんの言葉、「セールスドライバーは、寿司職人のようであれ」。この言葉が象徴する、セールスドライバーが果たすべき役割の、多さ。その役割の多さからしますと、「寿司職人」という言葉は、経営学でいう「多能工」という言葉に、置き換えることが、できるでしょう。
 「単能工から、多能工へ」。小倉さんは、企業の経営における、労働者の役割の変化についての、先駆者でもあったようです。

(5)システムの構築順序

 ヒューマンウェア⇒ハードウェア⇒ソフトウェア。
 つまり、ひと⇒モノ⇒情報。このような順序で、小倉さんが、宅急便というシステムを構築していったことも、個人的に、大変参考になりました。
 まず、経営者が考えるべきことは、「どのようにすれば、ひとが、思う存分に働くことができるか」。そのことについて、考えた上で、その働きに適した道具・設備を、つまりは「モノ」を、用意する。そして、それらのモノを使っている、ひとの働きを、総合して把握して支援するための、情報システムを、整備する。
 まずは、「ひとの働き」から、考えて、システムを、組み立ててゆく。大事な発想です。

(6)安全第一・能率第二

 小倉さんの示しました、「安全第一・能率第二」という、優先順位。この優先順位についても、私は、共感します。まずは、時間がかかっても、正確に、仕事をすることが、大事でしょう。正確を心がけて、仕事に携わっているうちに、ひとは、その仕事の能率を、だんだんと、上げてゆくものでしょう。

 「安全第一・能率第二」。このことに関します、私の、個人的な経験を、ここに書き留めておきます。
――先輩たちが、新人に対して、「早くやれ」と、せっつき続ける。その結果、新人の失敗が、続く。そして、その新人は、育たないまま、失意のうちに、辞めてゆく。
 そのような様子を、私がいままで勤務してきた司法書士事務所において、私は、何度か、見てきました。
 このような、個人的な経験からも、私は、小倉さんの示す、「安全第一・能率第二」という優先順位に、共感します。

2 社会の観点から

 上記1において述べましたように、この本には、私にとって、企業の経営において、参考になる知恵が、いくつも載っていました。
 その反面、この本には、「経営」ではなく「社会」という観点から見て、個人的に気になる記述も、いくつか、ありました。

(1)女性への蔑視 子育ての丸投げ

ア 女性への蔑視

「一般の個人、ことに家庭の婦人は、都市の所在地など日本の地理をよく知らないのは普通であるから、どこが近いか、どこが遠いかなどの判断ができない」
「荷造りについても、主婦の方々に知識や資材があることの方が少ないだろうから、必要に応じた対応など期待するほうが無理である」

 上記の、どちらも、この本に載っている、小倉さんの言葉です(98頁)。
 これらの言葉から、私は、「女性への蔑視」、特に、「主婦は無力な存在である」との蔑視を、個人的には、感じます。
 なお、女性への蔑視、主婦への蔑視については、大江健三郎さんの『個人的な体験』新潮文庫にも、同様の発想が、出てきました。
 大江さんは、1935年の生まれです。小倉さんは、1924年の生まれです。大江さん、小倉さんの世代には、女性への蔑視、特に、主婦への蔑視が、彼らの心根に、存在しているのでしょうか。

 このような「主婦への蔑視」という視点から、「宅急便」というサービスについて、あらためて、個人的に考えてみますと、このサービスは、主婦から「外出の機会」ひいては「自分から動く機会」を、奪うサービスである、ということもできるでしょう。
 このように、戦後日本社会においては、男性たちが、主婦に対して、彼女らが元から無力だったわけではないのに、無力になるように、仕向けてきたのかもしれません。

 余談。このような、女性への露骨な蔑視に対して、闘ってきたひとたちが、初期のフェミニストさんたちだったのでしょう。当時は、女性への蔑視が、露骨であった分、その蔑視に対する闘いも、激しくならざるを、えなかったのでしょう。

イ 安楽への全体主義

「主婦は、何もできないのだから、家にいて、子どもを育てていればよい」
「生活に必要なものは、主に男性たちが運ぶ」
 このような考えが、宅急便というサービスには、底流しているのかもしれません。
 そして、このような「自分が動かなくても、モノを届けることができ、また、モノが届くサービスが、いいサービスである」という考えは、藤田省三さんが「安楽への全体主義」という言葉で表現した、現代日本社会の抱えている問題に、つながってゆきます。

ウ 子育て

 また、小倉さんが、この本において、おそらく自覚なく吐露している「女性への蔑視」は、次のような問題にも、つながってゆきます。
「男性たちは、主婦について、無力な存在として、蔑視しているのに、その主婦に、子育てを、丸投げにして、任せてきた」
 仮に、男性たちが蔑視していたように、当時の主婦たちが、実際に「無力な存在」であったとするならば、男性たちは、そのような主婦たちに、子どもを任せて、その子どもが、どのように育ってゆくものと、考えていたのでしょうか。
 「子どもは、放っておいても、育つ」とでも、男性たちは、考えていたのでしょうか。
 近年、日本社会において生じてきている、不登校・ひきこもり・ニートという問題については、上記のような、男性たちの考えが、その一因になっているのかもしれません。

オ 『祈りと経営』

 女性への蔑視。主婦への蔑視。その蔑視している主婦への、子育ての丸投げ。こうした男性たちの態度に対する、主婦からの、子どもからの、しっぺ返しは、小倉さん自身が、実際に、経験したようです。
 その小倉さんの、経験の様子を、森健さんの『祈りと経営』小学館文庫が、記しています。
 小倉さんの奥さんの、アルコールへの依存。また、小倉さんの娘さんの、境界性パーソナリティ障害の、発症。そして、そのような母娘による、相互束縛。
 その相互束縛を、解くことができず、小倉さんは、苦しい晩年を、送ったようです。

カ 破壊衝動

 社会が、主婦や、子どもを、社会に対して、無力な状況に置いたとき、主婦や、子どもたちには、その社会の仕組みや、これからの思惑、そのための段取りに対して、滅茶苦茶に破壊したくなる、破壊衝動が、芽生えることが、あるようです。
 このことに関連して、私は、先日紹介しました、ラジ・リ監督による映画『レ・ミゼラブル』を、思い出しました。この映画は、子どもたちによる、上記のような、破壊衝動を、描いた映画でした。そして、このような破壊衝動の炸裂した、実際の事件としては、相模原で起こった、障害のある方々に対する、殺傷事件が、あるでしょう。さらにいえば、小倉さんの奥さんの、アルコールへの依存や、娘さんの、境界性パーソナリティ障害の発症も、このような破壊衝動の、炸裂の一種として、捉えることができるかもしれません。
 そして、そのような、破壊衝動には、いったん炸裂したあとの、その後についての展望は、通常、ありません。破壊するだけ、破壊して、「しめしめ」と、破壊した本人は、思うかもしれませんけれども、その後の状況は、通常、更に悪化してゆくものです。

キ 社会への包摂

 上記しました、破壊衝動についての、個人的な考察からしますと…
 女性への蔑視。主婦への蔑視。その蔑視している主婦への、子育ての丸投げ。そうしたことどもを、解いて、女性、主婦、子どもたちを、社会へ包摂してゆくこと、そして、逆に、社会が、彼ら彼女らに、歩み寄ってゆくことが、やはり、大事なのでしょう。言うは易く、行うは難しですけれども…

(2)労使一体

ア 労働組合の経営統合

 この本において、小倉さんは、ヤマト運輸という企業において、労働組合を、その経営に、協力するように仕向けていった旨を、語っています。
 企業が、労働組合を、その経営のために、統合してゆく。このような、戦後日本社会における、労使が一体となってゆく動きは、濱口桂一郎さんの『働く女子の運命』文春新書や、山之内靖『総力戦体制』ちくま学芸文庫が、指摘しています。

イ 労働運動 環境ではなく賃金

 小倉さんによりますと、ヤマト運輸においては、他社との競争に、打ち勝つために、「年末年始も、集荷・配達を実施する」との、申し出が、労働組合から、あったそうです。
 このように、「労働者の『働く環境の改善』よりも、労働者の『賃金の上昇』を、目指す」という動きが、戦後日本社会における、労働運動一般の、方向であったようです。

 思えば、上記の第2-1-(4)において、個人的に指摘したように、「セールスドライバーが『多能工』である」ことは、「その分、現場で働くひとたちにのしかかる負担が重くなる」ということをも、意味しているでしょう。

 統合の動きから見ても、運動の方向から見ても、ヤマト運輸の労働組合は、戦後日本社会における、労働運動の、ひとつの典型であるように、個人的には、見えます。

ウ 働きがい・生きがい

 小倉さんは、この本において、「日本人にとって、働きがいは、生きがいである」との趣旨の言葉を、述べています。この言葉は、昨今の、大学生が就職活動するときに耳にする、「仕事で自己を実現しよう」という言葉にも、似ています。これらの言葉も、「労使一体」という観点からくるものとして、捉えることができるでしょう。

 しかし、人間には、本来、職場の他に、家庭、地域などの、生活空間があるはずです。そのようなことからしますと、「働きがい」が、そのまま、「生きがい」であると、断言することは、難しいでしょう。

 また、労働者が、いくら一所懸命に働いても、その立場の根拠が、労働契約にある以上は、経営者のように、その企業の経営方針に関する、意思決定に関与してゆくことは、法の観点から、突き詰めていえば、できません。
 意思決定に関与してゆくことができない以上、労働者は、一所懸命に働いた結果としての、利益の分配についても、その決定には、関与してゆくことが、できません。
 そのような立場にある、労働者において、「働きがい」を、そのまま「生きがい」とすることは、難しいでしょう。

 なお、経営者として、なるべく、労働者に、その企業の経営に関する情報を開示して、現今の状況について説明して、自分たちの進むべき方向について、協議してゆくことは、もちろん、大事でしょう。
 大事ではありますけれども、そのときにも、経営者は、自分に、決定権限があることを、十分に自覚するべきでしょう。そして、経営者は、そのことを自覚した上で、労働者に、「結局は経営者が決めることになるのだから」と、諦めさせず、彼ら彼女らの意見を、なるべく汲んでゆくよう、努力するべきでしょう。
 労働者の意見も、十分に汲んで、十分に反映した上で、経営についての、意思を決定することができる、能力。その能力があるかどうかが、経営者にとっては、重要となるでしょう。

エ 正社員でなければ人間ではない

 小倉さんは、オイルショックの際に、労働組合の、組合員たちの、雇用について、維持したことを、ヤマト運輸の経営において、重要なことであった旨、語っています。
 その組合員たちは、正社員でした。正社員ではない、非正社員たちは、その際に、人員整理の、対象となりました。
 小倉さんという経営者も、そして、労働組合も、非正社員たちに対して、雇用を維持するべき対象、すなわち、生活を保障するべき対象としては、見ていなかったようです。

 このことに加えて、小倉さんは、この本のなかで、次のような趣旨のことも、語っています。
「人員の整理において、まず、対象とするべき人間は、高齢者、単身者である」
 この言葉、そして、これまで本稿において引用してきた言葉からしますと、小倉さんが、人間として、扱っていたのは、「正社員×専業主婦」という世帯を形成している男性、かつ、子育て世帯を形成している男性、つまりは、「核家族を形成している男性」だけだったようです。

3 小括 全体主義システム形成

 戦後日本社会において、企業たちは、労働者がその大半である、国民たちに対して、「正社員×専業主婦」という、標準の生き方のモデルを前提として、彼ら彼女らを統合して、全体主義システムを形成してきました。

 上記1及び2における、個人的な考察からしますと、小倉さんの経営手法は、そのような、全体主義システム形成の、典型であるような、手法でした。

 この本は、経営という観点からは、参考になる知恵が、いくつも見つかり、社会という観点からは、問題がいくつも見つかる、明暗のくっきりとした、興味深い一冊でした。

4 雑感

 その他、この本を読んで、個人的に考えたことを、ここに書き留めておきます。

(1)生産性の向上

 「宅急便」のキーワードは、「労働生産性の向上」。
 小倉さんの世代から、日本の企業においては、「生産性の向上」を、ずっと追求し続けているようです。
 「生産性の向上」は、そんなにも長く、追求し続けるべき、目標なのでしょうか。

(2)社員の評価は「人柄」

 小倉さんは、この本において、社員の評価について、「人柄」を参考にしている旨、述べていました。
 このことに関連して、私は、次のことを、思い出しました。糸井重里さんは、『すいません、ほぼ日の経営』日経BP社において、ひとを採用するときの基準について、「いい人」かどうかで判断している旨、語っていました。糸井さんは、同じ本で、小倉さんの別な著書について、触れてもいます。
 ひとを評価する基準について、小倉さんは「人柄」。糸井さんは、「いい人かどうか」。二人の設定している評価基準は、似ています。糸井さんは、小倉さんの著した経営書を、自社の経営にあたって、参考にしているのかもしれません。

(3)自動車の社会的費用

 小倉さんの創始した「宅急便」が成功した、その前提としては、戦後日本社会における、自動車の、性能向上と、大量普及とが、ありました。このような、自動車の、性能向上、大量普及は、小倉さんにとっては、所与の前提になっている様子ですけれども、日本社会にとっては、そもそも「良いこと」といえるのでしょうか。この問題については、経済学者・宇沢弘文さんが、『自動車の社会的費用』岩波新書において、考察しているようです。

(4)海外資本による利益の引き上げ

「もし海外から資本だけがきて利益を上げ、その利益を国外に引き上げたら、地域にとって企業の存在価値は認められないと思う」

 上記、小倉さんの懸念は、その後、現実のものとなりました。
 日本に限らず、他国も含めて、たとえば、グーグルなどのグローバル企業が、その利益を、国外へ引き上げて、各国からの課税を回避していることが、問題になっています。
 この問題については、トマ・ピケティの『21世紀の資本』みすず書房にも、言及があるようです。

(5)議論なき規制緩和

 小倉さんは、この本において、運送免許をめぐる、運輸省との、行政訴訟での闘いについて、語っていました。その語りのなかで、個人的に、気になったことがあります。
「その行政訴訟においては、運輸省には、ヤマト運輸に免許を付与しないための、その根拠となる、経済情勢に関する資料を、提出する必要が、生じる。そのような資料が、運輸省に、あるわけがない」
 このことは、つまり、こういうことでしょう。「どのような企業に対して、免許を付与することが適切か、議論がないまま、運輸省は、ヤマト運輸に対して、免許を付与した」。
 公正な競争を、保障するための、規範。その規範について、議論を経た上での自由なのか、議論がないままでの自由なのか。この違いは、重要な違いであると、私は考えます。
 同様のことを、憲法学者・樋口陽一さんも、語っています。樋口さんによると、自由には、2種類があるとのことです。「拘束の欠如」なのか、「規範創造的自由」なのか。樋口さんは、後者を重視しています。これに対し、前者を追求したのが、小倉さんだったのでしょう。
 ヤマト運輸に対する、議論なき、規制緩和。この規制緩和は、果して、適切な緩和だったのでしょうか。

(6)企業の永続

 小倉さんは、この本のなかで、企業の目的について、このように、語っています。
「企業の目的は、永続すること」
 この言葉から、私は、長嶋茂雄さんの、次の言葉を、連想しました。
「我が巨人軍は永久に不滅です」
 小倉さん、長嶋さんの言葉が意味する、「ある組織が、永続すること」。「そのように、個人が、願うこと」。
 これらのことについて、法社会学者・川島武宜さんは、『日本社会の家族的構成』岩波現代文庫のなかで、問題視していました。
 これらのこともまた、「全体主義」という観点から、考え直すべき、論点なのかもしれません。

Follow me!