【読書】河合隼雄×鷲田清一『臨床とことば』

河合隼雄×鷲田清一『臨床とことば』朝日文庫 2010.4.7
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11423

鷲田清一さん(臨床哲学者・『だれのための仕事』)×河合隼雄さん(臨床心理学者・『子どもの宇宙』)。おもしろそう! 読んでみましたo(^-^)o

「臨床」。河合さんは日本での臨床心理学の草分け。当初、受けた批判。「臨床は学問ではない」。いままで、基礎学問は、具体的な人間関係を学問の対象から排除することで、一般化・体系化に成功してきた。その代わり、その知識は、具体的な人間関係に適用できなくなった。たいそう博学な学者でも、ひとの話を聞いても、なんにもピンとこないひとがいる。

※ 司法書士の仕事をしていても、法律の基礎知識だけではなくて、具体的な人間についての理解、個々のお客さんに応じて向き合う態度、大事だなぁと感じます。言ってみれば「臨床法学」?

カウンセリングの実際。聴く態度。「聴く」には修練がいる。どうしても相手の言葉を掴まえにいってしまう。「それは、こういうことですよね」。しかし、相手の話を自分にとって納得がいくように解釈しても、相手にとっては何にもならない。「聴く」ことから更に引いて、「待つ」ことが必要である。
「人間の気持ちは、すべて言語化できて、説明可能である」という誤解。言葉にならない気持ちがある。とくに子どもの場合。カウンセラーが一緒に遊んでいるうちに、ひとりでに治ってゆくことがある。「なぜ治ったの?」という本人への詮索は無用。かえって、症状がぶりかえしかねない。あとはカウンセラーが一人で考えるべき。
「待つ」ことがいちばん上手くいくと、相手の内面に入り込み、相手が話しているのだか、自分が話しているのだか分からないようなやりとりになることがある。そのとき、相手は相手自身と対話している気分になり、相手自身のいま抱えている思い・悩みから距離を置いて、相手自身の状況について考えることができるようになる。そのことを通して、相手が相手自身を回復させてゆく。

※ 「待つ」こと。先日紹介しました小説『ハッピーバースデー』のおじいさんにも通じる態度ですね。

「待つ」。その距離感。ほったらかしていいわけではない。でも介入もしない。この距離感が難しい。
たとえば暴走族。河合さんは両親にこう話すという。「お宅の子どもさんは、最近暴走大学に入学されて、その学資は出してください。卒業まで出してください」。「暴走族なんてダメだ!」なんてワーッと言うと、かえって無茶をして死んでしまったりする。両親がウロウロ心配していることが大事。

※ 「暴走大学」って面白い言葉ですね笑 心配を抱えたままウロウロするのって、本当に修練がいりそうだなぁ。

暴走族にしてもリストカットにしても、当人にとっては、自分の命(存在)を賭けた儀式。いまは未成年と成年の境い目がなくなってきていて、命(存在)をかけるような成人の儀式が、社会のなかになくなってきている。彼ら彼女らは、彼ら彼女らで、自分の成人儀式を行っているのである。
命(存在)を賭けた儀式。だから、彼ら彼女らと向き合うときには、「本当に恐ろしいこと(命にかかわること)が起こるかもしれない」という認識と覚悟が必要である。

※ 「本当に恐ろしいことが起こるかもしれない」。心理についての読み物がたくさん出回っているなか、大事な指摘です。

さすが鷲田さんと河合さん。とても参考になる一冊でしたo(^-^)o

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