【読書】経産省若手プロジェクト『不安な個人、立ちすくむ国家』文藝春秋
【読書】経産省若手プロジェクト『不安な個人、立ちすくむ国家』文藝春秋
経産省若手プロジェクト『不安な個人、立ちすくむ国家』文藝春秋 2017.11.30
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163907475
経済産業省の若手官僚さんたちが、大局的な観点から、日本社会の抱える問題を分析。進むべき方向性も提示した一冊。
〔生き方のモデル、その崩壊〕
いままで存在していた、生き方のモデルが、時代の変化により、通用しなくなった。
そのモデルとは、「正社員として就職、結婚、終身雇用」。
ただ、モデルがあったといっても、そのモデルのとおりの人生を全うしたひとは、思いのほか、少ない。
結婚して、添い遂げたひと。
1950年代 81% 1980年代 58%
正社員になり、定年まで勤め上げたひと。
1950年代 34% 1980年代 27%
「こうすれば、安定した人生を送ることができる」というモデルからの解放により、個人は自由になった。その反面、個人の自由な決定を保障する制度は、不備なまま。個人の決定によるリスクは、その個人が、そのまま引き受ける状況になっている。
〔定年後の生き方〕
定年後の生き方も問題である。
これから「人生100年」時代が到来する。定年後に、また新たなボリュームのある期間を、ひとは過ごすことになった。いま、定年後に、ひとは、テレビを観て過ごしがち。「再雇用」または「地域での活躍」は、進んでいない。
〔死を迎える場所〕
いま、ひとは、その死を病院で迎えることになっている。
しかし、その病院では、家族の感情、世間からの評判への配慮から、ありったけの延命治療が行われがち。そのことが、高齢者に関する医療支出が膨らむ一因になっている。
どこで死を迎えるか、どのように死を迎えるか、国民によるコンセンサスを、きちんと取っておくべきではないか。
〔母子世帯〕
この社会が抱える問題は、母子世帯の問題に、集中して表れている。
母子世帯の貧困率は、世界の中でも、日本が突出して高い。
排除1 結婚して専業主婦になり、正社員である夫の収入で生計を立ててゆくモデル
排除2 自分自身が正社員になり、働いて生計を立ててゆくモデル
この結果、母子世帯は、個人の生活を保障する制度、その全般からの排除を受けることになる。
そして、母子世帯の貧困は、その子の世代へも、連鎖してゆく。
〔政策提言〕
現状、日本の民主主義は、「シルバー民主主義」。高齢者の人口が多いため、高齢者の票数が多くなるので、高齢者に有利な政策が採用されがち。
その反面、若者への政府支出については、日本は、先進国の中でも、極端に小さい。
しかし、保有する財産の状況から考えれば、むしろ、高齢者の負担を増やし、若者・子どもへの支援を厚くするべきである。
働くことのできる高齢者には、働くことのできる場を、用意する。そして、若者にも、活躍の場を用意する。子どもたちには、より厚い支援を。
また、行政が、住民の生活を支え切ることができなくなってきた現状においては、いままで行政が担ってきた役割を、住民が担っていくことも重要である。
〔中島コメント〕
(1)モデルの崩壊、形成経緯
「正社員×専業主婦」モデルの崩壊については、この本に書いてあることに、私も同感です。
ただ、「そのモデルが、いつ形成されたか」については、この本に書いてあることと、いままで個人的に学習してきたこととの間に、食い違いがありました。
この本では、このモデルは、1960年代、高度成長期に形成されたことになっています。
その一方で、濱口桂一郎さんの『働く女子の運命』においては、このモデルは、太平洋戦争期に起源があるということになっていました。
形成の経緯について、この本には、詳しい説明がのっていません。どういう分析から、このモデルの起源が高度成長期にあることになっているのか、興味があります。
(2)崩壊の因果関係
この本には、「時代の変化により、個人が自由になって、その結果、既存のモデルに適合しなくなり、個人の引き受けるリスクが大きくなった」という因果関係を描いた図表が載っています。本当にそうなのでしょうか。
「自由のない、既存のモデルに適合してはじめて、個人は生活ができるようになる。いままでは、そういう社会だった。ただ、その社会が、時代の変化によって、既存のモデルに適合している個人の生活をも、保障することができなくなってきた」。こうした因果関係の捉え方のほうが、実態に即しているのではないでしょうか。
この捉え方の違いは、「個人が自由になったのが先か」「社会が時代の変化に適応できなくなったのが先か」という順序づけについての違いです。
個人的には、「個人が自由になった」実感は、あまりありません。「社会が時代の変化に適応できなくなった」から、「個人が自由になったように見えるようになった」のではないでしょうか。
こうした因果関係の捉え方の違いは、上記(1)に述べた、形成経緯の捉え方の違いとも、関連していそうです。
(3)人生100年?
この本に書いてある、「人生100年」時代は、本当に来るのでしょうか。
長寿化の要因となっている、現在の食料水準・医療水準、それらの水準を維持することのできる資源を、日本の社会は、今後も調達し続けることができるのでしょうか。
また、人生が100年になることは、そもそも「良いこと」なのでしょうか。
長寿化の結果、人間の高齢期においては、「虚弱期」が登場しました。「生活するために、ひとからの支援が必要な期間」。もし、人生100年が、虚弱期の更なる伸張によって実現することになるのであれば、その時代は、そのひとにとっても・周囲のひとにとっても、困難な時代となるのではないでしょうか。
(4)貧困問題
母子世帯の貧困問題を、この本は、現代的な問題として取り上げています。同じく現代的な問題である「高齢者への支出増」が、母子世帯への支出減と関連している。そうした意味の図表も載っています。
でも、こうした母子世帯の貧困問題は、今に始まったことではなく、戦後の日本社会において、ずっと存在してきた問題だったのではないでしょうか。
社会福祉学者の岩田正美さんが、こういう趣旨のことを書いていて、個人的に、気になっています。「戦後の日本においては、貧困は、『無かった』のではない。『無いことにされてきた』のである」。
(5)現役世代の活躍の場
「高齢者・若者に、活躍の場を」。
そのためには、現役世代の労働時間を、もっと削減したほうがよいのではないでしょうか。
いま、長時間労働を是正するための政策としては、「残業時間の削減」が挙がっています。そこから更に、「法定労働時間(8時間)の削減」にまで進むことも、政策として、考えてみてよいのではないでしょうか。
1日8時間の労働にこだわらず、削減した時間で、現役世代も、「家庭で」「地域で」活動できるようになれば、家庭における子育ての問題にも、地域における公益活動の担い手の問題にも、ひとびとが取り組みやすくなるのではないでしょうか。
(6)行政に頼らずに住民が地域の課題を解決する
この住民自治の発想、私も個人的に注目しています。
立教大学の政治学の教授さんたちが、そうした住民自治に関する研究を遺していらっしゃるようですので、いずれ学習したいです。
(7)政府債務
この本、累積している政府債務に、触れていません。そのことが不思議です。
個人として、この時代を、どう生き抜くか。そのことを考えるとき、政府債務の問題、財政破綻の問題は、避けて通ることができないでしょう。
政府の財政が破綻した後、それぞれの地域が、どれだけきちんと住民自治できるか。その問題が、その地域に暮らす個人それぞれの生活に、関わってくるのではないでしょうか。