【映画】『パリの家族たち』

『パリの家族たち』
http://synca.jp/paris/

 「母親」がテーマの映画。そういう意味では、「パリの母親たち」というタイトルでも、よかったのかもしれません。ちなみに、英語でのタイトルは、「All About Mothers」。

 「母親」という存在をめぐる、群像劇でした。

1 フランス初の女性大統領 アンヌ

 予期せぬ妊娠。公務に取り組みながらの育児。林業プロデューサーである夫が、3年の育休を取得しながら、彼女を支える。
 「私は、いい母親になることができるだろうか」。産後不安。育児不安。思い悩むアンヌ。そんなとき、彼女の母親が、倒れた。病院へ駆けつけるアンヌ。アンヌの育児への不安を見て取って、母親が、彼女を励ます。「私も、ちゃんと貴女を育てることができるかどうか、怖かったわ」。

 なお、いち場面に出てくるだけの、名もない人物として、幼い我が子を育てることに、苦しむ女性が登場。「あんなに子どもが欲しかったのに、子どもに自分の時間を全て奪われて、このままでは子どもを殺してしまいそう…」。

〔中島コメント〕

 人の親になる不安。母親に対する期待が大きくて、その割に、育児に関する支援が少ない社会ですと、その分、産後不安、育児不安も大きくなりそうです。
 アンヌの育児不安に対して、彼女の夫が「君は、いいお母さんだ」と、励ましている姿も、印象に残りました。彼自身には、育児不安は、ないのでしょうか。彼の態度と、「子どもを殺してしまいそう」と嘆く母親の態度は、状況は同様であるはずなのに、対照的です。

 子どもが、母親の時間を、奪うこと。子どもと母親、両者には、拮抗する関係もあること。『子どもからの自立』『おとなが育つ条件』にも、同様の指摘がありました。

2 母親が愛さなかった3姉妹 ナタリー・ダフネ・イザベル

 彼女らの母親、ジャクリーヌ。「妊娠は楽しかった」。しかし彼女は、その娘たち3姉妹を、愛さなかった。ネグレクト。

 3姉妹は、それぞれ、パートナーシップ、そして子どもとの関係に、問題を抱える。

 ナタリーは、子どもを欲しがるパートナーに対して、「私は子どもは欲しくない」。夕食の場に、乳呑み児を抱えた女性が来ると、くってかかる。「子どもを産んだ女は、何だってしていいの?」。大学教授である彼女は、その授業において、母の日がビジネスの対象になっていることを、批判。

 ダフネは、仕事に熱中するシングルマザー。子どもたちは、彼女よりも、ベビーシッターの方に懐いている。彼女の妊娠検査薬を見つけた娘が、「気持ち悪い! もう、ママの子どもは、私と弟だけで沢山よ!」。「まだ、産める身体なのか、確かめたかったの…」。
 娘の初潮。ベビーシッターの突然の他界。ダフネの足のケガの完治。変転してゆく状況のなかで、母子が親密な関係を取り戻す、きっかけになったことは、子どもの水たまり遊びに、ダフネが混ざったことだった。

 イザベルは、未婚単身者。単身のまま、養子を迎えようとする。「最高の条件で迎えたいの」。部屋の壁紙の色にも、こだわる。「〇色は、集中力が、なんたらかんたら…」。

 そんな3姉妹の母親、ジャクリーヌに、認知症の症状が。道に迷い、その度に、3姉妹のうち誰かが、彼女を迎えに行く。ジャクリーヌの介護は、誰が引き受けるのか? 彼女たちを愛さなかった、母親の介護を…
 母の日、3姉妹は、ジャクリーヌを、会食に招待。途中、ひとり、またひとりと、姉妹たちは席を外してゆく。そして最後に、母親だけが残った。3姉妹は、母親を捨てたのである。

 そして、映画の終盤、突如、画面が切り換わり、ジャクリーヌが飛行機から飛び降りて、スカイダイビングをする映像が、流れる。

〔中島コメント〕

 母性愛神話に対する、異議の申し立てのようなエピソードでした。
 母親の誰もが皆、子どもに対して、一心に愛情を注ぐのかといえば、そうではない。
 そして、「母親が愛さなかった娘」は、「母親を介護しない娘」になってゆく。
 「母の介護は、娘がするもの」。そうした通念に対する、異議の申し立ても、個人的には感じ取りました。
 母子関係は、母性愛神話が示すような、良好な関係であるとは、限らない。このことは、高齢の方々の生活の支援における、家族の方々との連携について考えるときに、大事な視点になりそうです。
 終盤、ジャクリーヌがスカイダイビングをする映像は、「母親が愛さなかった娘」が、母親に対して抱く、激しい感情を、表現したものだったのかもしれません。この映画の監督さん自身、母親との関係に、何かがあったのでしょうか。

 あと、作中のベビーシッターは、「ベビーシッター」というよりも「乳母」のような役割を果たしているようでした。
 このような職業が、フランスでは、実際にも、一般化しているのか、個人的に興味があります。

 また、水たまり遊びに混ざることによって、母と子とが、親密な関係を取り戻してゆくことが、個人的に興味深かったです。この場面、監督さんの個人的な経験でもあるそうです。
 私も、7才の子ども(大学の先輩のお子さんです)と公園で遊んでいるときに、「おじさん、いっしょにビショビショになろうよ!」と、引っ張り込まれたことがあります。
 水たまりには、子どもの遊び心を惹き付ける、何かがあるのかもしれません。

3 親離れできない息子 アリアン

 舞台女優のアリアンは、ガンの治療を終えて、退院したばかり。
 彼女のもとに、彼女の息子が、足繁く、通う。「うつになる可能性があるんだから、ちゃんと薬を飲まないと」。彼女が「タップダンスを始めたい」と言えば、彼は「安静にしていてよ!」。それでも、アリアンは、タップダンス教室に通い始めた。
 タップダンス教室で親しくなった男性を、彼女は自宅に招く。息子が訪問してきたときに、彼女は、その男性に、息子の鳴らした呼び鈴に応じるよう、促す。見知らぬ男性の登場に、面食らう息子。「あんたが誰だか、知りたくない」。息子は、逃げ帰った。
 タップダンス教室にまで、ついてこようとする息子に、アリアンは、彼も自分の家族を形成するよう、促す。「あなたは、きっといい父親になるわ」。息子を背に、母親は立ち去ってゆく。

 この息子、実は、パートナーが妊娠していた。しかし、その彼女からの電話には、出ないまま。そんな状況に、業を煮やした彼女は、コウノトリの格好をして、彼の職場に登場。赤ん坊のぬいぐるみを置いて、立ち去る。周囲からの祝福に対して、彼は、「やめてくれ!」。

〔中島コメント〕

 アリアンのエピソードは、まとわりついてくる、成人した子どもからの自立を意味しています。「母親が手をかけすぎるので、子どもが自立できない」という因果関係以外にも、「子どもがまとわりついてくるので、母親が自立できない」という因果関係も、たしかに、ありえそうです。

 親離れできない息子が、父親になる決意もできないこと、個人的に、印象に残りました。これら二つのことは、表裏一体なのかもしれません。

 総じて、この映画では、男性の存在感が薄かったです。
 妻の育児を支える夫。育児についての葛藤は小さい。
 子どもを欲しがるパートナー。欲しがるだけで具体的な相談はしない。
 父親になりたがらない青年。
 この映画の監督さんは、育児の上で、家族が生活していく上で、男性の役割を、どのように考えているのでしょうか。
 こうした疑問から、さらに進んで、「フランスの社会における、家族のなかでの男性の役割とは、どのようなものなのでしょうか」。そうした疑問も、個人的に、頭をもたげてきます。

 フランスの社会は、「少子化対策」には、あるていど成功しているようですけれども、「ひとが、どのように家族を形成して、その関係を絶えず結び付けてゆくのか」については、日本と同様の問題を抱えたままであるようです。
 フランスの家族事情には、日本の家族事情が抱える問題に取り組んでゆくための、よきヒントがあるのではないか。そう個人的に考えて、この映画を観てみました。しかし、フランスの社会も、日本の社会において家族が抱えている問題について、克服するための道を見い出すことができているとは、言い難いようです。
 ただ、そうした状況のなかでも、どうして、フランスの出生率は、日本の出生率よりも、好転しているのでしょう。そのことに、個人的に興味があります。

4 多様な家族

 この映画のなか、学校における、保護者会の場面。教師が「母の日にプレゼントを用意する企画は、今年から取りやめます」。「家族の多様化に、母の日は、対応できません。母親がいない家庭もあります。両親が同姓の家庭もあります」。
 男性同士がパートナーであるカップルも、登場。
 その男性のうち、ひとりは、既に亡くした自分の母親を、懐かしく慕っている。

〔中島コメント〕

 母の日が、日本の学校においても、成立しなくなること、将来、ありえそうですね。

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