【読書】磯崎哲也『起業のファイナンス』増補改訂版 日本実業出版社 ~未来の値段~
磯崎哲也『起業のファイナンス』増補改訂版 日本実業出版社 2015.01.15
https://www.njg.co.jp/book/9784534052452/
ベンチャー企業が、どのように、資金を調達してゆくか。その考え方について、説明した書籍。
著者は、公認会計士・磯崎哲也さん。東京司法書士会において、研修の講師を担当したことも。そのときのお話が、個人的に印象に残っていたので、あらためて、ご著書を、読んでみました。
1 内容要約
(1)事業形態:株式会社
ベンチャー企業が、投資家から投資を受けるにあたっては、その出口から考える必要がある。
投資を受け、事業を成長させ、その先において、なすべきことは、上場、または、M&A。投資家たちは、投資した金額について、その価値を膨らませて、売却することによって、利益を得ることを、目的としている。
従って、上場またはM&Aに対応できる「株式」が発行可能な「株式会社」を、事業形態として選ぶべきである。
(2)事業計画・企業価値・資本政策
企業が、投資家から投資を受けるためには、まずは事業計画を策定する必要がある。対象期間としては、5年くらいは先まで、策定する。
その未来の事業計画において実現しているはずの企業価値を、現在価値に割り引いて、1株の金額を設定して、企業は、投資家から、投資を受けることになる。
事業計画の算定にあたっても、企業価値の算出にあたっても、企業は、任意で数値を操作することが、ある程度、できる。
また、資本政策も、大事である。
役員の選任、合併等のM&Aについて、それぞれ、会社法の定める、決議に必要な保有株式割合が違う。なるべく、企業家・兼・経営者が、主導権を握ることができるように、投資家に与える株式数を、調整するべきである。
ただし、企業家・兼・経営者が、他人からの助言を素直に活かすことができない人物である場合、その人物の保有する株式の数が多いと、かえって企業価値が伸びずに終わることがある。
なお、事業の開始にあたっては、「その事業が、どれだけ凄い商品・サービスを提供するか」よりも、「どのように、うまく事業が回っている企業たちのネットワークに入り込んでゆけるか」が、大事だったりする。
(3)新株予約権・投資契約・優先株式
新株予約権(ストックオプション)は、従業員たちへ与えるインセンティブとして、活用できる。「将来、一定の行使価格をもって、その企業の株式を取得することができる権利」。その行使価格よりも、行使するときの対象企業(自分の勤務している企業)の価値が上がっていれば、その値上がり益で、従業員も、儲かる。従って、従業員も、自分の勤務している企業の価値が上がるよう、頑張って働くようになる。
投資契約、優先株式は、トラブルの防止のために必要となる。たとえば、事業がうまくいかなかったとき、2以上の投資家から投資を受けるとき。こうしたときに、企業家・兼・経営者と、投資家たちとの利害を調整するために、締結したり、定めたりしておく。こうした定めがない場合、「事業がうまくいかなかったときの解決策としてのM&Aが、投資家の反対によって、実行できなくなる」等のトラブルが、発生しやすくなる。
(4)社外取締役(コーポレート・ガバナンス)
「コーポレート・ガバナンス」とは、「株主と経営者との方向性が一致する、機関体制を、構築すること」。そのために、社外取締役の存在が、必要になる。株主の選ぶ、社外取締役が、その構成する「指名委員会」において、企業価値の上昇のために必要な人物を、経営者として選出する。こうすることによって、株主の利害と、経営者の利害とが、一致するようになる。
2 中島コメント
(1)基本感想
ベンチャー企業にまつわる人々が、どのような利害関係のなかで、どのようなことを考えて、行動しているか。その実際について紹介した一冊でした。
会社法に関して、新株予約権や、種類株式について学習するとき、この本が手元にあると、学習するべきポイントを、絞りやすくなりそうです。
そうした意味では、いい本でした。
(2)読書目的 環境の改善のための投資の割合
私が、この本を読んだ、そもそもの目的は、こういうものでした。
「『今年も、昨年と同じ売り上げがあがるかどうか』について、保証など勿論ないなかで、事業の継続の可能性も勘案しながら、オフィス環境の改善や、スタッフさんたちの待遇改善について、いくらくらい投資して、いくらくらい毎年の支出を見込んでよいものなのか。そうした問題について、参考となる考え方を、経営実務は蓄積してきているか」
この本には、そうしたことは、書いてありませんでした。
強いて、関連することとして、挙げることができる記述は、「従業員へのインセンティブとして、新株予約権が活用できる」というものでした。従業員を「より働かせる」という発想。
従業員にとっての環境、そして従業員の待遇への、関心の薄さ。こうした関心の薄さについては、「ファイナンスは、企業家・経営者・投資家、これらの関係者をめぐる問題であって、従業員をめぐる問題ではない」という、問題意識の限定が、あるのかもしれません。
上記目的のためには、「ファイナンス」ではなく、「人的資源管理」「人材活用」に関する本を読んだ方が、よかったのかもしれません。「人的資源管理」も「人材活用」も、どちらの言葉も、ひとを「モノ」として扱っているようで、個人的には、あまり好みでは、ないのですけれども…
(3)経済学+経営学=貧困化
従業員への関心の薄さ。上記(2)において、そう指摘したことに関連して、個人的に気になっていることがありますので、書き留めておきます。
『経験から学ぶ経営学』によると、経済学が、その基本発想としていることは、「競争によって、モノの価格が下がり、その分、社会において、モノが豊かになる」ということであるそうです。
そして、この本のように、経営学におけるファイナンス理論について述べた本には、その基本発想について、一様に、「企業価値を最大にすること」とする、記述がありました。
こうした経済学・経営学における、それぞれの考え方、それらの帰結は、こうなるのではないでしょうか。
【経済学】競争によってモノの価格が下がる。
⇒ 企業の売上げが下がる。
⇒ 【経営学】売上げが下がったなかで、企業が利益を最大にしようとする。
⇒ 企業が人件費を削減する。
⇒ 労働者が貧困化する。
⇔ モノは豊かになる。
大学において、努力して、経済や経営を学んできたひとたちが、営利企業へ就職して、経済理論の通りに、経営理論の通りに、頑張って、働けば働くほど、貧困化する。貧困化した労働者たちは、いくらモノが豊かになっても、そのモノには、手が届きにくくなる。
この帰結から見えてくる構図は、現代日本社会における、大量廃棄問題と、貧困問題とが、同時発生している構図にも、似ている気が、個人的には、します。私の考え過ぎでしょうか。
もし、この帰結が、ある程度、真正なものであるならば、ひとは、なるべく、労働者よりも、企業家、資本家になったほうがよい、ということになるでしょう。または、労働者として就職するにしても、営利企業ではない、別な方針によって活動している企業へ行った方がよい、ということになるでしょう。
(4)不動産バブルとの近似性
この本に出てくる、考え方。
「未来の企業の価値から逆算して、その価値をもとに、投資家から、投資を受ける」
この考え方は、「未来は、必ず、より良くなる」との前提があって、はじめて成立するものです。
「未来は、必ず、より良くなる」。この考え方は、日本における不動産バブル、その時期に通用していた考え方、「不動産は、必ず、値上がりしていく」に、近似しています。
上記の考え方は、「不動産」を「企業」に置き換え、バブルを生み出してゆく、考え方なのではないでしょうか。なお、バブルとは「信用の過剰な膨張」との意味です。
上記の考え方は、磯崎さんによると、シリコンバレーにおける、ベンチャー企業たちの有する考え方でもあるといいます。そして、その考え方について、磯崎さんは、「日本よりも先進的である」といいます。
しかし、この考え方は、かつて、アメリカを中心として、「リーマン・ショック」が象徴する、「信用の急激な収縮」が起こった、その原因を生み出した、考え方でもあるのではないでしょうか。
こうした捉え方からすると、シリコンバレーは、「先進的である」というよりも、「リーマン・ショックから、まだ、学んでいない」ともいえるのではないでしょうか。
(5)未来志向 死の欲動
「未来は、必ず、より良くなる」
こうした考え方に加えて、この本には、次の記述が出てきます。
「シリコンバレーのように競争が激しい市場では、一瞬でもライバルより早く成長しないと競争に負けてしまう」
より早く、未来へ。こうした価値観は「加速主義」というようです。この「加速主義」についても、個人的に、気になっていることがありますので、書き留めておきます。
より早く、未来へ。その未来において、辿り着く先に、待っているもの。それは「死」です。加速主義による未来志向は、第一印象としては、前向きな考え方ですけれども、突き詰めて考えると、「早く死にたい」という願望がこもっている、ということになります。
かつて、ベンチャー企業の社長さんで、「当社は、他社にとっての1年間を、当社の4半期として、活動しています」と話すひとに、会ったことがあります。このひとは、他のひとの4倍の速さで、死にたがっていることになります。意地悪な見方かもしれませんけれども…
この社長さんには、その話しぶりからすると、ご自身の生い立ちにおいて、辛いことがあったようです。立ち止まると、そのことを思い出すので、走っていたのかもしれません。
このことに関連して… 精神科医・小此木啓吾さんの『対象喪失』(中公新書)には、「ひとは、悲しみをまぎらすために、ひとつのことに熱中することがある」という趣旨の指摘があります。
連想。堀田善衛さんの『路上の人』(徳間書店)によると、原始キリスト教の一派である「カタリ派」は、現世を濁世とみなして、諸欲を捨て、死と絶望に救いを見出していたといいます。
この「カタリ派」の考え方は、その後のプロテスタントの「勤勉道徳」にも、影響を及ぼしているのかもしれません。プロテスタントの「勤勉道徳」は、「より早く、未来へ」という「加速主義」の根本にある道徳です。
※ 「勤勉道徳」については、鷲田清一さんの『だれのための仕事』(講談社学術文庫)に詳しいです。
プロテスタントが中心となっている、文明圏に暮らすひとびとは、そのひとびと全体において、「悲哀の仕事」を、しているのかもしれません。その代表となっているひとびとが、シリコンバレーにおいて、働いているひとびとなのかもしれません。この世に生まれたこと、それ自体についての悲しみ。または、思慕の対象となるはずだったキリストが死んだことについての悲しみ…
なお、最古のアメリカ人たちの呼称、「WASP」は、「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント」の略称です。
さらに、連想。開高健さんの短編「パニック」においては、「異常繁殖したネズミが、ありとあらゆる食物を食い尽くし、最後には、集団で湖へ突入して、自殺を遂げる」というエピソードを、取り上げていました。この事件は、実際に新聞記事になった事件であるそうです。このネズミたちと、同じようなことを、人間も、地球規模で、行っているのかもしれません。異常繁殖、大量生産、大量消費、大量廃棄。その原動力が「勤勉道徳」そして「加速主義」なのかもしれません。
なお、前回紹介した小川洋子さんの対談『言葉の誕生を科学する』には、「言葉」の概念が「時間」の概念を生み出し、「時間」の概念が「死」の概念を生み出した、との指摘がありました。
ベンチャー投資においても、言葉の上で、未来という時間を想像して、その未来へ早く到達すること、すなわち、死へ近づこうとすることを、志向しています。
また、『言葉の誕生を科学する』には、「フェルミのパラドックス」についての紹介も、ありました。「言葉を持つと、滅びる」。このパラドックスと、この『起業のファイナンス』に書いてあったこととを考え合わせますと、言葉が、ベンチャーに関わるひとびとを、滅びへと引っ張っていっています。そうした印象を、個人的には、受けます。
(6)Back to the future
未来志向。その志向に潜む問題について、これまで、指摘してきました。
ただ、「未来を想像すること」自体は、人間が生きていくために、必要なことではあると、私は考えます。たとえば、「冬が来るから、冬に備える」。アリとキリギリスの寓話が、分かりやすいです。
注意したほうがよいことは、「根拠のない未来を妄想すること」そして「未来に値段を付けること」(しかもその未来について数百万円から数百億円の利害関係を築くこと)なのでしょう。
自分たちが辿ってきた道のりから、想像することができる範囲において、未来を想像すること。堀田善衛さんのいう「Back to the future」という考え方が、重要なのでしょう。ここで紹介しておきます。
Back to the Future.
直訳すると、「ひとは、背中から未来へ向かってゆく」。
初出は、古代ギリシャの叙事詩である『オディッセイ』にまで、遡るそうです。
意味… ときの流れに関して、私たちに分かるのは、現在と過去のみ。未来のことは、分からない。従って、私たちの目の前にあるものは、現在と過去。未来は、私たちの背後にある。私たちは、背中から未来へ向かってゆくのである。
さらに進んで… 私たちの目の前にある、現在と過去を、見て見て見抜くことによって、私たちは、私たちの背後にある未来を、見い出すことができる。未来を見い出すためには、現在と過去とを、よく見つめることが、必要である。
(7)時代と人間
Back to the Future.
その考え方からしますと、現代日本において、ひとびとは、やがてくる、社会システムの機能不全に、備えた方がよいのではないでしょうか。複数の問題が、次のように、階層を形成しています。
第1層 政府累積債務
第2層 政府財政赤字
第3層 高齢化(早期改善困難)
第4層 少子化(早期改善困難)
第3層、第4層が、すぐには改善できないので、政府は、第2層の問題について、赤字を挽回して、黒字にしようとしていますけれども、その政策は、意図した効果を、上げていません。
政府財政赤字がかさみ、政府累積債務が高じきった先には、おそらく、預金封鎖、財産総額課税、インフレがやってきます。かつて、敗戦直後の日本において、同様のことが起こったそうです。東京新聞・中日新聞経済部『人びとの戦後経済秘史』(岩波書店)。作家・司馬遼太郎さんも、「戦後、自分の給料が、次の月には、数分の1の価値しかないことになる、辛い時期があった」という趣旨のことを、書き残しています。
この展望のもとに、未来に備えるためには、ベンチャー投資のように「信用の過剰な膨張」に加担するよりは、「お互いが生きていくために、必要となる絆を、結んでゆくこと」が、大切なのでしょう。組織についても、知恵についても、物資についても…
こうした「乱世」を生き延びてゆく、人間たちの姿は、堀田善衛さんが『時代と人間』(徳間書店)という本において、描いています。鴨長明、ゴヤ、藤原定家、モンテーニュ。
「架空の明るい未来」に期待するよりも、「現実に起こりうる暗い未来」について、十分に準備すること。そのことが、自分たちが生き延びてゆくことに、つながってゆくのではないでしょうか。Back to the Future…
なお、現代において通用している法思想は、いったん、その基盤となったローマ帝国が滅んだあと、12世紀ルネサンスにおいて、復活したものです。
乱世を経て、ひとびとが、あらためて、社会システムを構築しようとするとき、また、その法思想が、必要になることが、ありうるのではないでしょうか。
また、新たな未来を想像するためにも、個人的に、法思想を、学び続けてゆきます。