【考えの足あと】暮らすように働く

ネスカフェ・アンバサダー
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 ネスカフェ・アンバサダー。
 事務所に導入してみました。うっしっし(^ω^)

 作家・よしもとばななさんの言葉。『おとなになるってどんなこと?』ちくまプリマー新書。

――本来、人間は何かを勉強して、時間を区切ることができるものではない。10分間の休み時間のあと、急に別のことをできるものでもない。

 集中と、放散。緊張と、弛緩。
 ひらたくいえば、「むすぶ」ことと、「ほどく」こと。
 それら、両方が、任意にできる空間である事務所にしていってみても、いいのかもしれません。
 「ほどく」ことについては、精神科医・宮地尚子さんの『ははがうまれる』(福音館書店)から、示唆を受けました。

 先日、私が、テキスト批評『フリーランスの労働法政策』(労働政策研究・研修機構)に書いた、「気持ちよく働く」という言葉。
 その言葉を、敷衍して、「暮らすように働く」。
 そのような働き方が、探究できるといいな…

 テレワークでは、「職場が自宅へ侵入する」という現象が起きました(テキスト批評『方丈記私記』ちくま文庫)。そのように、経路ができたのであれば、「自宅が職場へ侵入する」という、逆流が起きてもよいでしょう。「生活が仕事に侵入する」。

 このことに関連して、いま、私は、自宅の片付けを進めています。
 昨年3月に、事務所を移転した際に、余分な荷物を、私の自宅へ、運び込みました。その結果、私の自宅は、作家・井伏鱒二さんの『山椒魚』の岩屋のようになっていたのです。
 自宅の片付けが進んで、物陰が減り、物陰だったところに、日が当たるようになりますと、私の気持ちも、より晴れやかになってきました。
 この流れのまま、自分の暮らしを、見直していってみます。

 そのように、自宅を片付けながら、私は、偶然、機会があって、老人ホームの見学も、することになりました。
 そこには、雑多な荷物のない、簡素な暮らしがありました。
 老人ホームへの入居は、大きな状況からいえば、「社会からの隔離」です。一方で、小さな状況からいえば、ある種、理想的な、「単純な暮らし」なのかもしれません。
 ただ、運営している方々の努力は、もちろんありつつも、老人ホームでの暮らしは、「規格化された暮らし」、「管理される暮らし」、「大量生産の暮らし」でもありますので、そのまま参考にするわけにもゆきません。
 それでも、私にとっては、いまの時期に、老人ホームでの暮らしを見学できたことは、自分の暮らしにとっての、ひとつのヒントになりました。

 「暮らすこと」、「暮らすように働くこと」が、これからしばらく、私にとって、興味の対象になってゆきそうです。

 余談。ひとの人生が、ひとつの長い旅であるとするならば、その要所要所で、ひとは、「荷づくり」と「荷ほどき」とを、繰り返してゆくのかもしれません。

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