【考えの足あと】土方歳三・燃えよ剣 私の少年時代の英雄
司馬遼太郎『燃えよ剣』上 新潮文庫 1972.5.30
https://www.shinchosha.co.jp/book/115208/
司馬遼太郎『燃えよ剣』下 新潮文庫 1972.6.15
https://www.shinchosha.co.jp/book/115209/
そういえば、土方は、何歳で死んだんだろう。ふと、調べてみて、びっくり。34歳。いまの私と、同い年…
土方のことを、私が司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』で知ったのは、中学に入学する前後のことでした。
倒幕志士たちを取り締まるための組織だった、新選組。しかし、最後の将軍、徳川慶喜が、大政奉還。それでも抵抗を続ける、幕軍の残党たちと、土方は、北へ、北へ。
流れ者ばかりだった新選組は、とうに雲散霧消。古参の仲間たちも、一人、また一人と、維新の軍門へ、降ってゆく。最後は、局長として新選組を共に率いてきた、同郷の親友、近藤勇も…
「俺は幕府方につくと決めた。決めたからには、最後まで戦う。そうでなければ、死んでいった仲間たちに、申し訳が立たない…」
大勢に順応してゆく、周囲の人々から突き抜けて、自分の歩んできた人生を引き受けてゆく土方は、ひたすらかっこよかったです。
こうした土方の生き方は、後年、司馬遼太郎さんが強調していた「個人として生きる」という生き方を、体現するものでした。
なお、司馬さんが、そのように「個人として生きること」を強調するようになった背景には、憲法学者・樋口陽一さんとの親交が、あったようです。樋口さんも「個人として生きること」を強調する学者さんでした。私が憲法について興味を持つことができたのは、本の中で、司馬さんが樋口さんを紹介してくれたおかげでした。
私個人の人生においても、「大学卒業という名目は得るようにして」「サークルに所属していた体裁は整えて」「あとは仲間と楽しく飲酒していればよい」というサークル仲間たちから抜け出て、現在の生き方を目指すことができたのは、こうした『燃えよ剣』の土方の生き方が、念頭にあったからでした。ちなみに、私がよく紹介している司馬作品、『花神』の主人公である大村益次郎も、同様の生き方を、していました。
その土方が、34歳で、亡くなっていました。偶然ではありますけれども、何か教訓めいたものを、個人的には感じます。
大勢から突き抜けていくばかりの生き方では、人間は、天寿を全うすることは、できないのでしょう。もちろん、「その年齢で死ぬことが、そのひとにとっては、天寿だったのだ」とも、言えるのかもしれませんけれども…
突き抜けた上で、周囲の人々と、どのように絆を紡いでゆくか。そのことが、34歳を越えてからの、私の課題になってくるのかもしれません。この興味の方向は、以前から他の記事にも書きつけてきた、「任意団体の組織と運営」への興味の方向にも、重なります。
もうひとつ、言えること。新選組は、死罪も含む、厳罰によって、隊士を統制していました。暴力による統制。旧日本軍の統制方法も、同様のものだったでしょう。司馬さんの念頭にも、こうした統制方法の近似があって、新選組を小説の題材に取り上げたのかもしれません。そして、隊士を死なせた責任をとって、自分も死んだ土方と、兵士を死なせた責任をとらず、自分は生き延びた幹部たちとを、対比していたのかもしれません。暴力による統制では、その組織は、長くは続かないことを、新選組、旧日本軍が、歴史のなかで、示しています。「言葉」での「対話」。その方法による組織運営が、やはり、大事なのでしょう。その方法では、逆に、人間の動物としての側面(群れとしての序列にこだわったり・感情に引っぱられたり)が制御しにくくなり、それはそれで問題が生じるのですけれども…
ふとした気付きから、自分の少年時代についての整理が始まったので、そのまま書き留めました。
「自分が仲間から突き抜けて…」などと書いているあたり、正直な話、まだ自分をヒーローとする気分が、残っているようです笑
あらためて、中島敦の「山月記」を、読んでおいた方がよさそう…