【読書】松本俊彦『アルコールとうつ・自殺』岩波ブックレット

松本俊彦『アルコールとうつ・自殺』岩波ブックレット 897 2014.5.8
https://www.iwanami.co.jp/book/b254434.html

 大江健三郎さんの『個人的な体験』新潮文庫では、主人公である「鳥」(バード)が、酒に溺れました。
 森健さんの『祈りと経営』小学館文庫においては、小倉昌男さんの妻、玲子さんが、アルコールに依存した末に、自ら命を絶った旨の、記載がありました。
 アルコールへの依存、その危険とは? たまたま、本屋さんにて、この本が、目にとまったので、個人的に読んでみました。
 読んでみると、この本は、40~50代の、中年の男性が抱える「生きづらさ」について、指摘していました。
 折しも、コロナ禍で、経営に仕事に苦慮している、上記の年代の男性も、多いはず。そのようなひとたち、そして、そのようなひとたちの周りのひとたちにも、おすすめの、一冊。

1 内容要約

(1)中年の男性の自殺

 1998年、自殺者が3万人を超えた。
 自殺の増えた年代・性別は、主に、40~50代・男性。
 自殺の原因と、思しきもの。借金問題、リストラ、過労…

(2)アルコールが心身に及ぼす影響

 アルコールには、ひとがその人生の根本において抱えている問題、その問題についての焦燥感を、一時的な高揚感によって、散らす効果がある。

 しかし、アルコールは、長い目で見ると、うつ病を悪化させる。
 そもそも、アルコールそのものが、うつ病を発症させる。
 また、アルコールによって、うつ病に対する薬物療法の、その効果が減弱する。

 そして、アルコールは、死への躊躇を、なくす。酔ったひとは、自殺衝動を、抑えにくくなる。
 特に、男性は、自殺のために、極端な方法をとりやすいので、最初の自殺の試みが、そのまま既遂になりやすい。たとえば、作家・ヘミングウェイは、猟銃で自殺した。

 ひとの悩みを聞くときに、大切なこと。「晩酌」ではなく、「昼食」がいい。「晩酌」では、いったん元気になったように見えるけれども、その翌朝、自殺することがある。酔ってからの寝起き、「高揚感は去っているけれども・衝動の抑制が戻っていない」、そのときが、最も危ない。

(3)患者の特徴

 患者本人は、アルコールへの依存を、否定しがち。

 特に、男性は、追い詰められたとき、強がる。ひとに助けを求めることができない。弱音を吐くことができない。がんばり・つっぱり。

 中小企業経営者のうち、自殺に至ったひとの特徴。
「しばしば地域の町おこしのリーダー的存在であり、自己実現の夢を追い求め、『一国一城の主』という意識が強い。また、決断力が強く、名誉、信用、プライドを重んじ、弱音を吐かない」

(4)職業関係・配偶関係

 中年の男性の、職業別の自殺死亡率においては、サービス業が、突出している。10万人中、93.7人。

 また、中年の男性のうち、配偶者との離別を経験したひとの、自殺率は、有配、未婚、死別と比べて、最も高い。10万人中、199.1人。なお、同じ年代の女性のうち、配偶者との離別を経験したひとの、自殺率は、10万人中、34.7人。
「離婚という事態は働きざかり男性にとっては非常に深刻な精神的ダメージを与える出来事なのでしょう」

(5)家族への支援

 アルコールへの依存に関しては、本人が悩むよりも先に、家族が悩む。
 悩んでいる家族には、その悩みを共有することができる、相談機関を紹介することが、大切である。

  精神保健福祉センター
  アラノン家族グループ
  断酒会家族会

 特に、「親がアルコールに依存していた子ども」は、その精神に問題を抱えがちになる。
 このように、周りのひとびとが、患者を支援することは、その家族を支援することにも、つながってゆく。

(6)底つき

 アルコールへの依存は、「否認の病」。患者は、自分がアルコールに依存していることを、否認する。
 これに対し、従来、治療者のとってきた態度は、「突き放し」。突き放して、患者が、自分の力では、どうしようもない、「底つき」の状況に陥ってから、はじめて、その治療に手を貸してきた。
 しかし、「突き放し」は、治療の中断を、もたらす。予後も、良くない。
 現在では、治療者は、患者に、援助の輪のなかで、「底つき」を経験させている。

(7)アルコール消費社会

 アルコールへの依存。その危険。その広報に、著者である松本俊彦さんは、力を注いできた。しかし、たとえば、週刊誌に、アルコールの危険について、記事を書こうとすると、「アルコール飲料の広告が載るので、『飲むこと自体が問題である』というような表現は、しないでほしい」。その申し出を、松本さんは、断った。その結果、その記事は、その週刊誌に、載らなかった。
 この社会は、アルコールの消費について、歯止めが掛かっていない社会である。

2 中島コメント

(1)中年の危機

 中年の男性が抱える、生きづらさ。このことは、司馬遼太郎さんが、「四十の関所」という言葉で、表現しています(『風塵抄』中公文庫)。河合隼雄さんも、「中年の危機」という言葉で、表現しています(『働きざかりの心理学』新潮文庫)。
 中年の男性は、その生きづらさを、アルコールによって、いったん、散らす。散らしているうちに、アルコールに、依存してゆく。さもありなんです。

(2)裸の王様

「男性は、追い詰められたとき、強がる。ひとに助けを求めることができない。弱音を吐くことができない。がんばり・つっぱり」

 このような、男性の特徴は、ひとくちに言えば、「裸の王様」でしょう。「裸の王様」には、私も、かつての複数の職場で、または、複数の任意団体で、相当な人数、遭遇してきました。
 私の遭遇してきた「裸の王様」にみる特徴は、「たしかに相当に努力している」けれども、「その努力すら超えて、プライドが高い」でした。
 こうした「裸の王様」たちを、社会は、どのようなしくみから、生み出しているのでしょう。

 なお、「裸の王様」は、みっともないですけれども、「私は裸だ」という露悪も、みっともないでしょう。それは、露出狂です。小ぎれいな、見苦しくない、「程よい自尊心」は、必要かもしれません。

(3)自分で自分の首を絞める

 それにしても… 「男性たちが主に形成してきた、男性たちの優位な社会で、男性たち自身が苦しんでいる」。この構図には、個人的に、目を覆いたくなります。
 しかも、この本によると、そのとばっちりは、最初に、妻である女性や、子どもたちが、受けることになるそうです。
 「まずは、本人よりも先に、家族を支援すること」。この本から得た、よき教訓でした。

 そして、そもそも、どうして、この社会には、このような「自分で自分の首を絞める」構図が、表れたのでしょう。
 中年の男性による自殺が増えた、1998年は、バブルが崩壊した、その数年後でした。
 男性社会が、男性たちに割り当ててきた役割について、その役割を果たすための資源を、十分には、分け与えることが、できなくなってきたこと。そのことが、中年の男性の抱える、苦しさに、つながっているのかもしれません。
 このような構図は、戦争のための資源が枯渇して、竹槍で戦おうとする、日本軍と、その指揮官にも、似ています。

 なお、1983年から、貸金業規制法の改正によって、消費者金融が、非常に高い利率で、ひとびとへの貸し付けを拡大して、その結果、「多重債務」が問題になっていたことも、個人的に、ここで指摘しておきます。

(4)「底つき」への付き合い

 「底つき」。本人が、「もう、酒は、こりごりだ」という思いになるまで、苦しむこと。そういう状況に、陥ること。
 このことは、率直に言えば、「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということでしょう。

 この「底つき」については、個人的に、成年後見業務での、様々な体験からも、得心がゆきます。
 「本人が、もう無理なはずなのに、どうしても、自宅で暮らしたがる」。そのとき、私の体験してきた、複数の案件では、周りのひとびとが、本人を見守りながら、本人の望むように、自宅での暮らしを、続けさせていました。そして、本人が、自宅または出先で、転倒して、骨折して、入院して、「自宅での生活は、もう、無理である」と、あきらめるまで、そのような見守りを、続けていました。このようにした方が、本人も、自宅から施設への転居に、納得しやすいようでした。
 また、佐野眞一ほか『老いのこころ』有斐閣アルマには、こういう趣旨の、記述がありました。「ひとは、老いを迎えるとき、自分の納得のゆくまで努力して、それでも駄目になって、そこではじめて、老いを受け入れる」。
 このように、実際面でも、理論面でも、認知症の症状のある、高齢の方々の「底つき」については、それなりの必然性が、あるようです。

 ただ、認知症の症状のある、高齢の方々に比べて、40~50代の男性たちは、「経済的で合理的な人間像」の、典型であるはずのひとびとでしょう。そのひとびとが、「底つき」になるまで、自分の状態について、経済的に合理的に判断することが、できない。そのこともまた、この社会が前提としている、「経済的合理的人間像」に、無理があることを、示しているでしょう。

 なお… 「馬鹿は死ななきゃ治らない」。この言葉は、支援の現場においては、切実な言葉です。実際に、「底つき」の状況に陥ったときに、亡くなるひともいます。
 「底つき」は、そのひとが、自分の人生に納得するための、「命がけ」の儀式であり、その儀式によって、実際に亡くなるひともいる。その認識と、覚悟とが、支援するひとには、必要でしょう。
 心理学者・河合隼雄さんが、このように、述べています。「生まれ変わるためには死なねばならない」(『こころの処方箋』新潮文庫)。
 また、この本においても、アルコール依存症専門医・猪野亜朗さんの、次のような言葉が、載っていました。「長年依存症治療をやっていると、心のなかにたくさんの墓標が立ってしまう。本当に多くの患者さんが死ぬ」。

(5)男性にとっての離別

「離婚という事態は働きざかり男性にとっては非常に深刻な精神的ダメージを与える出来事なのでしょう」

 この指摘については、どのように考えるべきなのでしょう。
 詩人・吉野弘さんが言うように、「女性に多くを期待するべきではない」(「奈々子に」)のであれば、男性は、最初から、妻となる女性に対して、彼女が自分の心の支えになることを、期待するべきではないのかもしれません。
 ここまで書いてきて、個人的に、作家・開高健さんが『珠玉』において書いた、大河に身を擲ってゆく、サケの姿を、連想しました。

(6)大量消費社会

 そもそも、なぜ、この社会においては、ひとが依存するほど、アルコールが、大量に、入手しやすくなっているのでしょう。また、ひとがメタボリックシンドロームになるほど、食物が、大量に、入手しやすくなっているのでしょう。
 社会における、生産のしすぎ、消費のしすぎ。そして、それらに、歯止めが、掛かっていないこと。このことも、個人的に、気になります。

(7)男性の本能

A「離別を経験した男性の自殺率は、同じ経験をした女性の5倍強」
B「男性は、がんばる・つっぱる」
 AもBも、「自分の群れを、形成して、維持したい」という、男性の、動物としての本能が、影響しているのかも。自分の群れのなかにいる女性を、失いたくなくて(A)、がんばったり・つっぱったり(B)、しているのかもしれません。
 しかし、実際、群れの統率が上手くいっていないのに、それでも男性ががんばったり・つっぱったりしているのは、かえって、その男性の「現状を認識する能力」が不足していることを示すことになり、逆効果でしょう。
 そもそも「男性が、群れを形成して、維持するものである」という発想は、人間の社会を、動物の群れとしか見ていない発想である、とも言えます。
 このことに関連する、河合隼雄さんの言葉(『こころの処方箋』新潮文庫)。
「権力を棄てることによって、内的権威が磨かれる」
 なお、河合さんは、同じ本で、こうも言い添えています。
「権力の座は孤独を要求する」

「孤独に耐える力のある人は、団子のようにひとつにかたまる人間関係ではなく、権力のある者とない者との区別を明らかにしつつ、人間としては適切な関係を維持することができるはずである。それに、ときとして権力を棄てる経験をもつようにすると、ますます人間関係は洗練されてくるだろう」

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