【法学】大橋洋一『法学テキストの読み方』有斐閣 ~ちいさな本で法学入門③~
大橋洋一『法学テキストの読み方』有斐閣 2020.4.30
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641126169
著者は、行政法学者・大橋洋一さん。本書執筆当時、61歳。ベテランの学者さんが、法学部の新入生さんたちに、法学テキストの読み方を、案内。
――習得する知識の総量は、最低限でいい。
――ていねいに順序立てて説明するよう、心がけること。
――説明する相手に理解できるように、平易でこなれた日本語で、説明する練習を積むこと。
――自分が行った判断(利益の衡量)において、重視した観点と、賛同できなかった見解について、具体的に説明する機会をもつこと。
――こうした学習は、テキストを用いた真摯な読書を通して、実施が可能となる。
第1 内容要約
1 法学テキストの特徴
(1)学問の自由
法学に限らず、大学のテキストは、高校までの教科書に比べて、自由度が高い。高校までの教科書には、検定があった。それが、大学のテキストには、ない。そのことは、大学に、学問の自由があることを、意味している。
ただ、自由とはいえ、法学テキストの、その内容は、大学の講義のために使うことや、各種国家試験の受験のために使うことも想定して、ある程度、似通っている。
(2)インターネット――フローの情報・ストックの情報
インターネットで情報を幅広く得ることができるいま、テキストを読む意義は?
テキストの執筆には、時間と手間とが、かかっている。また、出版以前の、著者の研究、その蓄積も、反映してある。また、どうしてそのような結論になるのかが、順序立てて、丁寧に説明してある。
そして、そもそも、情報には、「フローの情報」と、「ストックの情報」とがある。
「フローの情報」とは、「社会のあちこちで、日々生成しては、消えてゆく情報」。
「ストックの情報」とは、「各種情報について、体系のなかに位置づけて、整理したもの」。
インターネットは、「フローの情報」の取得のためには、向いている。しかし、「フローの情報」を取得し続けても、理解は、深まらない。「ストックの情報」があってこそ、ひとは、新しく登場した問題に対応したり、独自の疑問を持ったりすることが出来るようになる。
(3)講義での学習/テキストでの学習
大学での講義は、時間に限りがあるため、どうしても、説明が重点に特化する。重点に特化した講義も、何を特に学ぶべきか、優先順位を付けるためには、大事。
講義で先生が配布するレジュメも、重点に特化した内容。レジュメでは、テキストの代替には、ならない。
テキストにおいては、その分野における知識について、全体の、隅々まで、丁寧に説明してある。そして、そのテキストを読むための、時間の制限も、ない。テキストによって、ひとは、その分野について、全体の、隅々まで、じっくりと学ぶことができる。
(4)予備校本
予備校は、各種資格試験の受験のための書籍を、出版している。
こうした予備校本においては、その試験を受験するために、覚えることが必要な、個別の情報について、整理が行き届いている。
一方で、予備校本は、「なぜそのような結論になるのか」についての説明が、薄弱。
冒頭にも書いたとおり、法を学ぶにあたって、大事なことは、「ていねいに順序立てて説明するよう、心がけること」。そのように学ぶためには、法学テキストを用いて学ぶことが、大事。
(5)大型書店
テキスト探しのためには、大型の書店へ、行ってみるとよい。東京であれば、たとえば、ジュンク堂・池袋本店。紀伊国屋書店・新宿本店。それらの書店で、複数のテキストを手に取って、読み比べて、選んでみよう。
大型の書店が、自宅や大学の近くにない場合には、図書館に行ってみるのも、ひとつの方法。
インターネットでテキストを買うことも、もちろんできる。ただ、その場合、手に取って選ぶことができない。
(6)テキストの種類
テキストには、大きく分けて、3種類がある。
入門書。基本書・概説書。体系書。この順番に、内容が、詳細になってゆく。体系書は、学者や専門職も参照する、その科目についての学問の到達点を示す、テキスト。
これらの他に、「入門の入門」とも呼ぶべき、手軽なテキストがある。たとえば、岩波新書には、二宮周平『家族と法』など、複数の「入門の入門」がある。
薄いテキストが、読みやすいとは、限らない。
薄いということは、その分、ページ数が少なく、文字数が少ないということ。文字数が少ないと、説明も省略しがちになる。説明の省略によって、記述が理解できなくなり、「行間を追う」ことができなくなり、読みにくくなっている、薄いテキストも、ある。
紙でできたテキストの他に、電子書籍になっているテキストもある。
紙テキストは、手元に置いて、相互に関連のある各ページを、好きなように、読み比べできる。
電子テキストは、紙という実体がない分、持ち運びに便利。
学生さんたちによると、「紙テキストの方が、電子テキストに比べて、内容が、アタマに入りやすい」らしい。
2 法学テキストの内容
(1)体系知
法学テキストは、基本理念・中間理論・個別情報を、ひとつの体系にまとめ上げて、提供している。それぞれの理念・理論・情報は、相互に、関連している。
総論から、各論へ。そのような順序に、法学テキストの内容が、なっているために、法学においては、初学者が、どうしても、最も抽象的な内容から、学び始めることになる。このような構造が、法学が嫌いになる学生さんたちを、生み出している。
まずは、その体系について、全体像を、大まかに把握しよう。その上で、その全体像のなかに、自分の学んだ中間理論や個別情報を、当てはめながら、学んでいこう。
(2)目次・索引
目次は、その著者の提示する体系についての、全体像を、表している。
索引は、個別の概念について、その定義のあるページを、示している。個別の概念について、理解するためには、索引を活用する他、法律学辞典で調べることも有用である。
(3)条文・判例
条文は、法学において、最も重要な根拠。「実定法準拠主義」。
その条文は、一般的で抽象的な言葉でできている。その理由は、「不特定多数のひとに」そして「不特定多数の事例に」適用するため。そのような適用によって、条文は、「法の下の平等」を、図っている。
一般的で抽象的な条文を理解するためには、事例に当てはめることが、有効。そのためにも、判例を学習することは、大事。判例は、裁判所が、条文を、実際の事例に当てはめた、その結果を示している。
テキストは、「条文と判例との間に、橋を渡す」という役割も、担っている。
テキストを介して、条文と判例とを往復して、学んでゆこう。
条文も判例も、テキストでの引用箇所のみならず、原文を読むことが、大事。
条文については、いわゆる『六法』が、収録している。また、法務省が、インターネット上に、「e-Gov法令検索」を、設けている。
判例については、『判例百選』をはじめとした、教材がある。また、裁判所が、インターネット上に、「裁判例検索」を、設けている。
(4)学説
法学テキストには、ある理論、ある情報について、複数の見解が、載っていることが、ままある。
複数の見解のなかに、「正解」は、ない。通説、有力説、少数説といった、学界においての、大まかな見解の分布はある。
ただ、通説は、時代とともに変化する。今日の少数説は、明日の通説かもしれない。通説ばかり学んでゆくのではなく、「学説が対立している、その原因」や、「現在の通説が登場して、過去の通説を乗り越えた経緯」をも、学んでゆこう。
――たえず通説に批判的な目を向けて、少数説の問題提起にも耳を傾けながら、自分なりの価値観や判断力を磨いていこう。
(5)共通の発想――リーガルマインド
法学は、高校の教科でいえば、「現代社会」「政治経済」のなかの、ひとつの分野。ある意味、狭い分野。狭い分野なので、憲法、民法、刑法等の、諸科目の基礎になる発想法は、似通っている。そのような発想のことを、「リーガルマインド」という。「リーガルマインド」について、大橋さんが考える要素は、次のとおり。
――自分の立場や利害に固執することなく、相手の立場や利害にも思いを致すような考え方をすること。
――一方向からばかり見るのではなく、異なった見解にも耳を傾けて、多面的に考察できるだけの柔軟性をもつこと。
――諸利害を的確かつ公正に比較衡量して、自分なりの結論を導き、それを他者に説得的に語ること。
――「何か変だ」と違和感をもった場合には、相手が最高裁判所であろうと学会の通説であろうと、権威にはかかわりなく、自分の感性を信じて、批判的に検討する視点をもつこと。
――様々な利害や見解が渦巻く状況にあっても、本質的なものは何か、何が重要な事項かを見極めること。
3 テキストの活用
(1)判例
先に述べたように、条文は、その内容が一般的・抽象的であり、「解釈の余地」を、残している。
その「解釈の余地」に関して、最高裁が、個別の事例について、判断を示すことにより、事実上、解釈を統一している。そのため、初学者が判例を学ぶのであれば、まずは最高裁の示した「判例」を学ぶべき。
ただ、下級審による裁判例にも、新しい問題について、発見する機能・提起する機能がある。
判例教材としては、『判例百選』の他に、毎年の最新判例を紹介する『重要判例解説』や、最高裁調査官による『最高裁判所判例解説』がある。
判例が出ると、学説は、その判例について、検討する。そして、理論の体系に組み込んだり、批判を加えたりする。
また、学説は、学者が立法に関わることを通して、法律の内容を改正する。その改正が、裁判官の判断へ、影響を及ぼす。
このように、判例、学説、立法は、相互に関連している。
(2)本文の通読
まずは、1科目あたり1冊、テキストの本文を、通読しよう。通読してみてはじめて、そのテキストの提供している「体系知」の、全体像を、つかむことができる。
分からない記述については、事例に当てはめて、理解してみよう。
分からない事例については、図を描いてみよう。
どうしても分からない箇所については、分からないままに、読み進めてみよう。読み進めているうちに、後から分かってくることもある。なお、分からなかった箇所について、その箇所を、記憶しておくことは、大事。
法学テキストによっては、注が付いていることがある。
注は、テキストの記述内容について、他者からの検証を可能にするための、案内。また、学習の発展のための、手がかりでもある。
そのため、注は、そのテキストを最初に読むときには、読まずに過ごしていい。
得意科目については、複数のテキストを、読み比べしてみてもいい。
また、ひとつの科目について、ひとりの著者が、入門書、基本書・概説書、体系書を、それぞれ書いていることがある。そのような場合、それぞれの体系が似通っているので、学習を、発展してゆきやすい。
(3)勉強会
ひとつのテキストをもとに、仲間と勉強会を開いてみても、いい。
仲間と勉強することは、自分の勉強した内容に関して、他者に伝えることについての、練習になる。
他者へ、自分の勉強した内容を、伝えることは、難しい。その体験によって、ひとは、他者が受け入れやすいように、自分の知識を整理するようになる。
また、他者からの指摘や質問によって、ひとは、他者には他者の考えがあることを、知るようになる。
(4)先生への質問
自分にとって、気になった点、疑問を抱いた点について、先生へ質問することも、いい勉強になる。
最初は、誰しも、質問の内容を、上手く組み立てることができず、支離滅裂になりがち。
講義の後に、すぐにではなく、問いたい内容を、順序立てて整理してから、質問をしにゆくことも、方法として、あっていい。
4 テキストのその先へ
(1)動く社会 動く法システム
社会の動きとともに、法システムも、動いている。変化している。
「フローの情報」の流行にとどまらない、「ストックの情報」の動向、つまりは「体系の変動」にも、目を向けよう。
――法学を学ぶ、ひとつの大きな目標は、社会認識の眼を養うこと。社会認識を深めること。
たとえば、非嫡出子差別違憲判決。非嫡出子(婚姻によらない子)に関しての、相続における差別について、最高裁は、従前から、くりかえし、合憲であるものと、判断してきた。その判断が、平成25年の判決で、覆った。その判決において、最高裁は、理由として、「社会の変化」を挙げた。
新しい法律については、所管の府省庁が、ホームページで、「法律の概要」を、公表している。
新しい判例については、裁判所が、ホームページで、公表している。「最近の最高裁判例」。
(2)論文
基本書・概説書。それらを読んで、更に学びたくなったときには、論文を読んでみよう。
自分の気に入った基本書等があるのであれば、その著者の論文を、読んでみよう。
学者の業績について、その一覧を提供する、サイトとして、「researchmap」がある。
(3)演習
自分が、テキストでの学習を通して、知識を、どこまで身に付けたか。そのことについて、試すためには、演習を、解いてみよう。
演習を解いてみると、単純に理解が不足していた箇所が分かったり、理解していたと自分が思い込んでいた箇所について、別な理解の仕方の提示があったりする。
演習としては、『問題演習基本七法』がある。他に、司法試験予備試験の問題も、おすすめ。
演習を解くにあたっては、まずは、回答を書き出す前に、その内容を、組み立てよう。組み立てのための時間をとることが、大事。組み立てた上で、回答を、一気に、書いていこう。
第2 中島コメント
1 テキスト選び――最初の関門
本書は、法学の各分野について、定評のあるテキストを、複数紹介していました。
それらのテキストを、法学に興味のある方々は、大型書店にて、手に取ってみると、よいでしょう。
事前に何も案内がない状況で、初学者さんが、大型書店に行ってみると、次のようなことが起こります。たとえば、ジュンク堂・池袋本店。この店舗においては、「民法」の棚が、9台、並んでいます。その棚には、30冊の本が入る段が、7段あります。
30冊×7段×9台=1890冊
単純計算しますと、ジュンク堂・池袋本店においては、初学者さんが、1890冊の本のなかから、民法について、自分の学ぶべき一冊を、選び取るべきことになります。これには、無理があるでしょう。
そのような見方からしますと、大学の、法学部において、教授さんたちが、学生さんたちに、テキストを指定することには、「良質なテキストを提案する」という意味もあるのでしょう。
そして、そのような意味からしますと、本書は、次のような役割も、担うことができそうです。好著です。
――社会人になってから、法学について独学したくなったひとに、良質なテキストを提案する。
なお、本書の紹介していない、定評のある法学テキストとして、日本評論社の「日評ベーシックシリーズ」があります。
2 体系知――一般知・専門知・総合知
――情報には、「フローの情報」と、「ストックの情報」とがある。
――「フローの情報」とは、「社会のあちこちで、日々生成しては、消えてゆく情報」。
――「ストックの情報」とは、「各種情報について、体系のなかに位置づけて、整理したもの」。
この大橋さんの指摘から、私は、日本政治思想史学者・丸山真男さんが『日本の思想』(岩波新書)において、指摘していたことを、連想しました。
丸山さんは、次のような趣旨のことを、指摘していました。
――知の体系には、「タコツボ型」と、「ササラ型」とがある。
――「タコツボ型」は、日本型。「ササラ型」は、欧米型。
――「タコツボ型」には、「専門知」から先の、統合がない。
――「ササラ型」には、「専門知」を統合した「総合知」がある。
丸山さんの説く「タコツボ型」と「ササラ型」とについて、私なりに図にしてみました。図1・図2。
図2のような、「ササラ型」の「知の体系」があってこそ、ひとは、自分の触れた情報に対して、適切な違和感を持つことができるようになるのでしょう。更に、その体系をもとに、組織を形成したり、ひいては、社会を形成したりすることができるようになるのでしょう。
それでは、そのような「知の体系」を樹立するにあたっての、その根幹となるものは、何なのでしょう。
おそらく、それが、「そのひとの、個人的な体験」なのでしょう。自分が体験したことに、関連する知識。そのような知識であってこそ、ひとには、よく身に付くものです。
そのような見方からしますと、「若いうちの苦労は、買ってでもしなさい」という言葉の意味も、より明確に分かってくるような気が、私には、してきます。失敗をも含めての体験があってこそ、「知の体系」のための根幹ができあがるのであれば、「体験すること」は、若いうちから、なるべく、しておいた方が、いいでしょう。
逆に言えば、「ひとは、誰しも、自分の人生のなかで、自分が体験したことに基づいて、自分なりの『知の体系』を、樹立することができる」ということになります。そのことは、ひとそれぞれの人生においての、ひとつの楽しみとなるでしょう。
ちなみに、丸山さんによりますと、上に述べたような「知の体系」があることを、指摘したひとは、哲学者・ヘーゲルでしたそうです。
ヘーゲルに関しての研究についての、日本における、第一人者としては、哲学者・長谷川宏さんがいるようです。長谷川さんは、いずれの学術機関にも所属していない、在野研究のひととしても、有名です。
この話、「独学」にも関連する話ですので、ここに、個人的に書き留めておきます。
また、「個人的な体験が『知の体系』の根幹になる」という見方からしますと、現代日本社会においては、学生さんたちに、体験の機会を十分には与えないまま、大学において「知の体系」を教授しようとしている構図が、見えてきます。
ただ、若いひとたちに、「そもそも、知には体系がある」ということを、予め伝えておくことも、大事でしょう。その意味で、大橋さんが本書において述べています、「習得する知識の総量は、最低限でいい」という意見に、私も賛成します。
なお、ひとびとが、個人的な体験から、好き勝手に、「知の体系」を樹立する場合、ひとの数だけ、「知の体系」が乱立することになります。
そのような、バラバラな「知の体系」について、「個人的な体験」から離れて、「理論の統合を、純粋に追求する」ことが、学者さんの担う役割の、ひとつなのでしょう。
学者さんも、この社会においては、やはり必要なのです。
3 体系知と受験知
――予備校本は、「なぜそのような結論になるのか」についての説明が、薄弱。
――法を学ぶにあたって、大事なことは、「ていねいに順序立てて説明するよう、心がけること」。そのように学ぶためには、法学テキストを用いて学ぶことが、大事。
大橋さんの、予備校本についての指摘は、私の個人的な体験(司法書士試験についての受験勉強)からも、同意できます。
予備校本は、説明が、薄弱であること。そのことから、私は、仲間とともに仕事をするようになって以降、「説明の充実している、法学テキストを、仲間と共有すること」の、その必要を、感じるようになりました。
ただ、一方で、次のような実感も、私には、あります。
――予備校本で個別知識を覚え込んで、司法書士試験に合格してから、法学が一層面白くなった。
たくさんの個別知識を、覚え込んでこそ、それらのつながりが、見えてくるということもあります。
また、司法書士試験に合格して、司法書士実務が自分の仕事になってこそ、法学が自分の仕事に直結するようになり、尚更面白くなってくるということもあります。
法学テキストによる、体系知。そして、予備校本による、受験知。
これらの関係は、どのように見るべきでしょう。
そのことについて考えるとき、私は、いつも、法学部1年次、入学したての春学期、民法総則についての講義において、角紀代恵先生(立教大学教授)がおっしゃっていたことを、思い出します。
――法学部に入学したら、まずは、2年間、大学での学びに専念しなさい。
――2年間の、大学での学びを通して、法学の基礎を、身に付けなさい。
――その上で、各種資格試験を受験したいひとは、受験勉強を、始めなさい。
私は、若気の至りで、生き急いで、2年後ではなく1年半後に、司法書士試験についての受験勉強を始めました。ただ、最初の1年半、テキスト・条文・判例を読んだり、演習を解いたり、ゼミで討論したりしたことは、角先生のおっしゃっていたとおり、私にとって、その後、司法書士実務に取り組んでゆくための、かけがえのない基礎になりました。その基礎は、予備校での受験勉強では、身に付けることができなかったものでした。
――まずは、2年間、法学を通じて、基礎を、身に付ける。
――それから、受験勉強を、はじめる。
この順序立ては、社会人による、法学の独学においても、示唆になるかもしれません。
4 法学の基礎――法学部の仲間と他学部の仲間
法学部での学びを通じて、法学の基礎が、身についているか、どうか。そのことの重要さについて、私は、私の事務所で、仲間とともに働きはじめたことによってもまた、実感しました。
法学部の仲間たちと、他学部の仲間たちとでは、司法書士実務への取り組みやすさが、歴然として、違っていたのです。
法学部の仲間たちにおいては、案件概要の読み取り、案件資料の読み込みが、最初から、円滑にできました。
一方、他学部の仲間たちに対しては、案件概要について、案件資料について、それらが意味していることが、どのようなことなのか、イチから説明する必要が、生じました。彼ら彼女らの名誉のために、付記しますと、彼ら彼女らにおいては、そもそもの、大学で学んできている分野そのものが、違っていたのです。彼ら彼女らが、不勉強であったわけでは、ありません。
このように、法学についての、学習の地道な蓄積は、司法書士実務への取り組みやすさに、ちゃんとつながってくるようです。
そして、このような、個人的な体験から、私は、他学部の仲間が、司法書士実務に、せっかく興味を持ってくれたときに、彼ら彼女らを、どのように支援すればよいのか、模索するようになりました。
5 法学テキストの読み方――その方向性
いままで、このテキスト批評において、私が書いてきたこと。それらのことから、私には、これからの、法学テキストについてのテキスト批評において、私が書くべきことの、そのひとつの方向性が、見えてきたような気がします。
――他学部の社会人で、法学を独学してみたいひと。
――彼ら彼女らに向けて、入門書・基本書に関して、司法書士実務において、重点を置いて学ぶべき箇所について、コメントする。
――そして、重点を置いて学ぶべき箇所について、事例演習や、判例研究も、やってみる。
いままで、私は、私自身の学びのためにも、法学テキストを、複数、読んできました。
ただ、それらの内容が、一般の書籍とは、異なっているために、テキスト批評を、書きあぐねていました。
テキスト批評を、上記のような構成で、書いてみれば、ひょっとすると、うまくゆくかもしれません。
そして、そのようなテキスト批評が、うまくゆくのであれば、そのことは、私自身の学びにとっても、よき成果をもたらすはずです。
なお、本書が紹介していない、事例演習や、判例教材として、次のものがあります。
事例演習 商事法務 Law Practiceシリーズ
判例教材 有斐閣 START UPシリーズ
また、法学テキスト批評が、「個別の情報の摘示」であるとするならば、私の書いている「私が仕事で見ている世界」は、「体系の提示」であることになるでしょう。
「法学テキスト批評」と、「私が仕事で見ている世界」。両方において、相乗効果が起こるように、私としては、してゆきたいです。
6 他者とのやりとり
――仲間と勉強することは、自分の勉強した内容に関して、他者に伝えることについての、練習になる。
――他者へ、自分の勉強した内容を、伝えることは、難しい。その体験によって、ひとは、他者が受け入れやすいように、自分の知識を整理するようになる。
――また、他者からの指摘や質問によって、ひとは、他者には他者の考えがあることを、知るようになる。
これらのことが、重要であることは、勉強会のみならず、司法書士実務においても、当てはまります。
司法書士実務においては、次のような作業が、必要になります。その詳細については、「考えの足あと/司法書士のアタマのなか」に、書いてあります。
――他者の、抱えている問題を、聴き取る。
――他者に、解決の方法を、伝える。ときには、複数の方法を、提示して、選択してもらう。
――他者と、解決のための方法について、役割分担する。
――他者と、手続の実行と完了に向けて、協働してゆく。
これらの作業にあたっては、「仲間との勉強」が育む、次の能力が、その基礎となります。
――自分の勉強した内容に関して、他者に伝えること。
――他者が受け入れやすいように、自分の知識を整理すること。
――他者には他者の考えがあることを、知ること。
このように、「仲間との勉強」は、司法書士実務における「依頼者との協働」にあたって、その基礎となる能力をも、育むようです。
7 その他
(1)情報リテラシー
――テキスト上の情報には、インターネット上の情報よりも、時間と手間とが、かかっている。
このことは、次のことをも、意味しているでしょう。
――テキスト上の情報の方が、インターネット上の情報よりも、より厳密に、検証を受けている。
ここに述べたことに関連して、ジャーナリスト・原寿雄さんが書いていたことを、ここに引用しておきます(『ジャーナリズムの可能性』岩波新書)。
――誰もが、インターネットで、情報を発信できるようになった時代。
――この時代における、ジャーナリストの存在意義。
――それは、「情報の検証」にある。
(2)電子テキストの可能性
――学生さんたちによると、「紙テキストの方が、電子テキストに比べて、内容が、アタマに入りやすい」らしい。
本書における、この記述は、数学者・新井紀子さんの、次の指摘に、通じます(「そもそも子どもの教育を 経済成長の手段にしてはならないのです」スタジオジブリ『熱風』2021年11月号)。
新井さんによりますと、スマートフォンやタブレットは、「気が散るようにできている媒体」であるそうです。
確かに、実際、スマートフォン等の画面は、メールが届いた旨の通知等を、ひっきりなしに表示してきます。
その状況で、スマートフォン等を通して、電子書籍を読んでいれば、その内容は、アタマに入ってこないでしょう。
スマートフォン等から離れて、紙テキストを、じっくり読む。その方法のほうが、テキストの内容が、アタマに入りそうです。
一方で、私は、電子テキストの可能性について、次のように考えています。
紙テキストに比べて、電子テキストは、版型、ページ数、文字数を、気にしなくていいはずです。
つまり、電子テキストは、インターネット上で、版型の枠内にとどまらない、自由な体系の提示ができるはずです。また、丁寧な記述も、いくらでもできるはずです。
版型からの自由。ページ数からの自由。文字数からの自由。それらの自由が、そのまま、電子テキストの可能性に、つながってゆくことがあるかもしれません。
実際、私の書いている「私が仕事で見ている世界」は、インターネット上での公表を想定していますので、上に述べた自由がある分、好きなように書いてゆくことができています。
(3)これまでの法学テキストとの記述の重複
――条文は、法学において、最も重要な根拠。
このことについては、たとえば、山下純司ほか『法解釈入門』(有斐閣)において、指摘がありました。
――その条文は、一般的で抽象的な言葉でできている。その理由は、「不特定多数のひとに」そして「不特定多数の事例に」適用するため。そのような適用によって、条文は、「法の下の平等」を、図っている。
このことについては、道垣内弘人『プレップ法学を学ぶ前に』(弘文堂)において、指摘がありました。
複数の法学テキストにおいて、重複している記述は、その分、重要であること。そのことについて、私にも、あらためて、実感が湧いてきました。
(4)重要な判例
本書において、大橋さんが紹介していた、「非嫡出子差別違憲判決」。
この判決は、私にとっても、タテ社会(家父長制社会)から、ヨコ社会への動きを示す、重要な判決です。
また、同様の動きを示す判例として、「尊属殺重罰規定違憲判決」があります。
これらの判例が重要であることについて、これからの、個人的な学習のため、ここに書き留めておきます。